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しりとりが「うっすら嫌い問題」について考える

    「しりとり」があまり好きではない。いや、しりとりに好きも嫌いもある?っていう話なんだけど、子どもが生まれてから「しりとり」をやりすぎて、気づいたら「しりとり」のことをうっすら嫌いになってしまった。

    きっと長女が生まれて話せるようになってから今日までの数年間で、人間の一生分のしりとりをしてしまったのだと思う。まず、しりとりには終わりがない。言葉は無限に出てくるし、「ん」がついたら負けというルールはあまりにも簡単すぎて、しりとりに慣れた子どもたちとやっていても全然終わらない。

    さらに、無限に言葉が出てくるわりに、いつも似たような言葉ばかりが使われる。たとえば「りんご」「ごりら」「らっぱ」「ぱんつ」とか。ほかにも、りす、すいか、かめ、めだか、とか。子どもとやるしりとりなんて、だいたい予想がつく。

    もっとしりとりが嫌な点を挙げると、年々記憶力が衰えてきている私にとって「思い出す」ということそのものが苦痛。しりとりに出てくる言葉はだいたい予想がつく言葉なのだけど、ひと通りの流れが終わると「それさっき言ってたな」という言葉しか思い浮かばなくなる。そうなると今度は別の言葉を思い出さなければならない。

    す、す、す……すいか、は言ったし、すみれ、も言ったし、すいとん、は「ん」がつくし……。思い出す作業は脳が疲れるし、シンプルに楽しくない。私の語彙のバリエーションなんてそんなに豊富でもないし、何がおもしろいの? しりとりって。

    そうやってしりとりに対してうっすら嫌いになってきた頃から、「食べ物限定」にしたり「動物限定」にしたりと、しばりをつくるようにした。でもそれはそれで子どもたちには結構難しくて、「なんかない?」と聞かれたりする。ああ、めんどくさい……。結局、脳みそを絞り出して思い出さないといけないということは変わらなくてしんどい。

    しりとりをよくやるのは、子どもたちが退屈してしまっている車のなかや寝る前の時間が多くて、夫は運転しながらも子どもたちのしりとりに付き合ってあげる。「この人、なんでこんな面白くもなんともないしりとりに付き合ってあげられるんだろう。しかも運転しながら」と疑問に思う。

    私は車でしりとりをするくらいなら、ぼーっと考え事をしたり、短歌をつくったりしていたい。

    だから、子どもにしりとりに誘われても「ママはやらない」と宣言して、子どもたちと夫の3人で行われるしりとりをBGMとして聞き流していた。(どんだけしりとりやりたくないのって思われそう。)

    でも冷静に考えてみたら、家族でドライブというときに、毎回私だけ不参加というのもなぁとも思う。しりとりくらい子どもに付き合ってあげればいいじゃん、と思っている自分もいる。たかがしりとり。

    子どもたちが大人になったときに、車のなかでしりとりをしたことも、いい思い出として残るのだろうし。されどしりとり。私は嫌なことを無理にやると、「いーーーっ!!」ってなる。胸のあたりがかゆいのにかけないみたいな嫌な気持ちになってきて、車から降りたくなってくる。

    なんでこんなにしりとりが嫌になってしまったんだろう……。きっとしりとりにはクリエイティビティがないからだ。毎回決まった流れ、決まった言葉を、ひたすら繰り返し続ける、その発見と驚きのなさにうんざりする。

    逆に考えれば、クリエイティビティがあるしりとりなら楽しく思える可能性があるということ。

    それなら……! というわけで、その日は久しぶりに車のなかの家族しりとりに参加することにした。

    私にまわってきた言葉は「れ」だった。しりとりで「れ」というのは、なかなか難しい。以前、何かの記事で日本語には「ら行」から始まる言葉が少ないと読んだ。少ないというか、そもそも歴史的にみて日本語には「ら行」から始まる単語が存在しなかったという。

    つまり今使われている「ら行」の言葉は、だいたい外国から伝わってきた言葉で、そうなると漢語と外来語しかないあら、持てる単語のストックがかなり心もとない。

    ……という前提があっての「れ」。最初に思いつくのはだいたい「れもん」だけど、もちろん最後の文字が「ん」なので負けてしまう。けれど今日の私は違う。クリエイティビティのあふれるしりとりをしようと心に決めたのだ。

    私「れ、れ、れ……レモンドリル!!」

    私は堂々と言った。当たり前だけど「レモンドリル」なんて言葉はこの世に存在しない。クリエイティビティとか言っておきながら、「れ」から連想するものとして、どうしても「れもん」から離れられず、同じカタカナのものをということで反射的に「ドリル」という言葉がくっついた。

    子どもたちはレモンドリルにどんな反応をするだろう……? と思っていたら、すんなりと「レモンドリル……る……次は、る、ね! る、る、る……」と次の言葉を考え始めたから笑ってしまった。

    しりとりは堂々と言ったもの勝ちで、「こういう言葉があるんです」と自信満々に放てば通ってしまうのかもしれない。けれど、大人はなかなか騙せなかった。しばらくしたあと、隣で運転をしている夫は「ん?」という顔をした。「レモンドリル??」さすがにそんな言葉はないと気づかれてしまった。

    そのあとは「現実には存在しない言葉しりとりをしよう」という流れになり「ぱらぴんぽう」とか「ぷぷぺな」とか、存在しない言葉をひたすらつなげていくしりとりをした。(これが意外と難しい。どうしても存在している言葉に引っ張られてしまうから。)

    そしてこのときのことを短歌にしたら、なんと一度は載ってみたかった夢の文芸雑誌【ダ・ヴィンチ】の穂村弘さんの「短歌ください」のコーナーに初めて載せてもらえた。

    堂々とすれば気付かぬしりとりでレモンドリルが通ってしまう /小林里純

    ダ・ヴィンチ 2026年8月号

    ほむほむにレモンドリルを認識してもらったのだから、もうレモンドリルは「存在している言葉」にしちゃってもいいんじゃないかな。なかなか夏っぽくて酸っぱくて爽やかな(そのままじゃん)いい響きの言葉だと思うのだけど。



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