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私には母を「お母様」と呼んでいた時期がある

    「今日からママのことは、お母様って呼ぶようにしてね」
    母が急にそんなことを言い出したのは、私が小学2年生のときだった。
    食卓の横の窓から入ってくる光が、母のすっぴんの顔に当たっていて、なんというか、神々しいというより生活感が勝っていた。

    「パパのことはお父様って呼ぶんだよ。いい? わかった?」
    いいも何も、母の言うことはだいたい決定事項だった。子どもに選択肢というものはないのである。

    ちなみに母は、父のいびきが止まるくらい豪快なおならをする人で、とてもじゃないけど「お母様」という言葉から連想される人物像とは一致しない。
    だからといって、この辺は田舎で「お母様」にふさわしい見本のような人にも出会ったことがない。人口3万人の長野県南安曇郡にはそういう文化がなかった。

    こうして私と2歳年下の弟は、その日から母を「お母様」と呼ぶようになった。

    最初の数日はうっかり忘れて「ママ」と呼んでしまう。すると母がすかさず、

    「お母様でしょ」

    と訂正してくる。その圧がわりと強いので、こちらもすぐに言い直すしかない。こんなしょうもないことを真面目に言い直すなら、英単語を復唱するほうがよっぽど有意義だ……ということに気づいても言えないのだから子どもは気の毒だ。

    何日が経つとさすがに慣れてきて、「お母様」と呼ぶのは我が家の当たり前になった。

    不思議なもので、呼び続けると人間はだんだんそれっぽく見えてくる。
    母のほうも、多少「お母様」に寄ってきた気がする……けど、それは気のせいかもしれない。むしろ「お母様」という言葉のほうが母に近づいて、その言葉のイメージを書き換えられていったというほうが正しい。

    ただし、そんなふうに自然に「お母様」がなじむのは、家のなか限定の話だ。

    家は田舎にあったから、買い物はいつも4km先のジャスコで済ませていた。この日も母はジャスコで食品を選び、その間私と弟はお菓子コーナーに放牧された。

    しばらくお菓子を見ていたら、お腹が痛くなってきた。私は弟をその場に残してトイレに行く。

    戻ってくると弟がいない。

    だいたいこういう時は本屋にいる。ジャスコのはしっこにある本屋へと向かうと、案の定弟を見つけた。本棚の間でうろうろしている。やっぱりなと思った瞬間、弟が叫んだ。

    「おかあさまぁぁ!!! おかあさまぁぁあ!!!」

    えっ、と私はその場で固まった。

    「おかあさまぁ!! おかあさまぁあああ!!」

    母にバリカンで刈られただけのダサい髪型にされている弟はそう叫びながら本屋を巡回し、母を探している。完全に迷子の叫びなのだけど、問題はその呼び方である。

    私はこのときはじめて「お母様」と呼ぶことの、重大さに気づいた。

    なんてことだ。この田舎に、このジャスコに、この弟に、この家族に「お母様」は絶望的に似合わない。これは絶対におかしい。

    まだ7年やそこらしか生きていない私にもそれはわかった。

    「おかあさまぁ!! おかあさまぁ!!!」

    弟は真顔で母を呼び続ける。周りにいる大人たちが不思議そうな顔で弟を見ている。もしこの最悪なタイミングでお母様と呼ぶのに相応しくない格好をした母が登場したら……。見ていられないと思った。

    私は弟のことなんて見なかったことにして、静かにお菓子コーナーへと戻った。巻き込まれたくなかったのだ。

    この日から私は、外で「お母様」と呼ぶことに強い警戒心を持つようになった。

    ***

    小学3年生の春。同じクラスのまなちゃんが家に遊びに来てくれることになった。まなちゃんはいつも長い髪の毛を低いところで一つ結びにしている、背の高い子だった。まなちゃんは成績がよく、将来は獣医という夢を持つ、ちゃんとした人である。

    問題はお母様だ。

    私には「母親をお母様と呼んでいる」という、友達の誰にも言えない秘密がある。まなちゃんを母のいる家に呼ぶことは、かなり危険なことだ。もしまなちゃんにお母様と呼んでいることがバレてしまったら……。きっと私は「お母様と呼んでいる子」としてクラス中の噂になってしまうだろう。どうしてもそれは避けたい。

    悩んだ結果、苦肉の策を編み出した。

    「おかあさぁ」である。

    お母様でもない、お母さんでもない、曖昧地帯の言葉。何度か口に出して練習する。

    おかあさぁ。おかあさぁ。おかあさぁ。

    よし、いける。これなら母には「お母様」と聞こえるだろう。そしてまなちゃんには「お母さん」と聞こえるはずだ。母にもまなちゃんにもごまかせるギリギリの呼び方。とびきりいいアイディアだと自分では思った。

    そして実行の日。ダイニングテーブルに宿題を広げ、まなちゃんと一緒に宿題をした。母はまなちゃんと私におやつと飲み物を出してくれた。しばらくすると飲み物が空っぽになった。私は短い人生で持ちうる限りの精一杯の自然さを装って、母に言う。

    「おかあさぁ、飲み物のおかわりちょうだい」

    私の言葉に、母の目はぎらりと鋭く光った。えっ。母は笑いながら言う。

    「お母さんじゃなくてお母様でしょ?」

    まなちゃんがぽかんとした顔をする。

    終わった、と思った。どうやら母には「おかあさぁ作戦」は見破られているようだ。まなちゃんが母と私の顔を交互に見ているのがわかる。

    まなちゃんはお母様について私に何も聞かなかったし、学校で言いふらしたりもしなかった。図書館で熱心にシートン動物記を読み、ノートに書き写しながら勉強しているまなちゃんは、動物に優しいだけあって思いやりのある子だった。

    そうやって子どもだった私が細心の注意を払っても、やさしいまなちゃんが友達に言いふらさなくても、噂は広まっていく。この田舎で親を「お母様」なんて呼んでいる奇特な家庭はうち以外にない。我が家には「親をお母様と呼んでいる家庭」というイメージがつき、知らない人にも「ああ、あのお母様って呼んでいる家庭の子……」と物珍しそうな顔で見られるようになった。

    クラスメイトに「ねえねえ、お母さんのことをお母様って呼んでるんでしょ?」とからかわれたこともある。

    母はどこからどう見ても「お母様」という出で立ちではないのだから、周りがおかしく思うのも当然だ。母が自分のことをどう思っているのかわからないけれど、母はどこにでもいる、ふつうのおばさんだった。父だってふつうのおじさんだったし、私や弟もふつうの子どもだった。ジャスコに行き、おまけつきのお菓子は毎回は買ってもらえず、本屋さんで立ち読みをしている。ド庶民。客観的に見たらお母様の要素はゼロなのだ。

    成長とともに、気づいたら私も弟も母のことを「お母様」ではなく「お母さん」と呼ぶようになっていた。意識して変えたというより、やっぱり似合わない呼び方だから自然と時間をかけてそう変化したのだと思う。母も「お母さん」と呼ばれてもいちいち訂正しなくなり、「お母さん」と呼ばれることを受け入れた。いったいあの期間は何だったのだろう。

    大人になってから考えると、父の仕事の都合で東京からこの田舎へ引っ越してきた母なりの、小さな抵抗だったのかもしれない。理想と現実のあいだで、自分の人生を少しだけ違うものにしたかったのだろうか。

    もちろん真相はわからない。母はあのお母様事件をなかったことにして過ごしている。

    そして大人になった今、弟は母のことを「やっさん」と呼んでいる。母が「やすよ」という名前だから、やっさん。母はそう呼ばれることを嫌がっている。それでも弟は「やっさん」呼びをやめない。私はひそかに「これは弟なりの母への復讐なのではないか」と勘ぐっている。



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