
第二十八回 余りもの ニケちゃん前編
Wさんが、冷静な声で言った。
「余ったらどうせにじみ犬が処理するんですから、ちょっと多めに頼みましょうよ」
いつもの通り、少しSっ気のある言い回しだった。
それに対してY先生は、静かに頷いた。
「そうだね」
Y先生は、日本人の初老の男性である。かなり工学系の人で、常に冷静沈着だった。私たちは仕事場の芸術センターの昼休みに、最近できたばかりの小さな大衆レストラン、Sushi Kobeに来ていた。
その店は、私が歩いて通勤している途中で見つけた店だった。
神戸?
神戸牛なのか?
いや、そんなはずはない。
そう思いながら、一か月ほど悩んだ末に、私はお二人を誘ったのである。
Y先生は、初めから気が乗らない様子だった。
「こういうところって、うまい試しがないんだよね」
Wさんは、どうせ暇だし、と言って、喜んで同行してくれた。
これは、トルーカに住んでいた頃の話である。
当時の私は、月給が日本円で三万六千円ほどだった。家賃九千円くらいの下宿に住んでいた。つまり、かなり貧乏だった。
貧乏だったが、時間はたくさんあった。
Wさんが何を頼んだのかは、よく覚えていない。彼女はベジタリアンだったので、カリフォルニアロールのようなものだったかもしれない。
Y先生は、冷静沈着に焼き飯を頼んだ。
「こういう客の来ない店って、材料も絶対古いからね。一番捌けていそうなメニューを頼むのがいいんだよ」
なるほど、と思った。
私は何を頼んだのか、はっきりとは覚えていない。たしか、照り焼きの何かだったと思う。それに加えて、焼き鳥、串揚げ、そのほか色々と注文した。
さすがY先生である。
予想は、ほとんど的中していた。
肉類は硬く、乾いていた。串揚げも、揚げたてというよりは、どこか時間の経った匂いがした。ソースやタレの甘さだけが妙にはっきりしていて、気のせいか、食べ物全体に冷蔵庫のにおいを感じた。
「厨房は本当の日本食なんて食べたことないだろうしね」
Yさんはため息をつく。
「ウェイターさん、日本食に戸惑ってますもんね」
Wさん、フォローになってない。
そうかもしれない。
それでも、醤油の味がするだけで、私にとってはごちそうだった。
私は、余ったものをほとんど平らげた。
硬くなった肉も、ぽろぽろの米も、誰も手をつけなかった串も、もったいないと思って食べた。
Wさんは、それを見ながら、片方の口角をあげてニヤリと笑いながら言った。
「ほら、やっぱりにじみ犬が処理した」
そう言われても、私は特に反論しなかった。
たしかに、その頃の私は、そういう役回りだったのかもしれない。余ったもの、残ったもの、誰も欲しがらないものを、なんとなく引き受けてしまう。そういうことが多かった。
そんな感じで、芸術センターの日々は平和に過ぎていった。
その芸術センターは、日本のある財団が出資して作られた施設で、当時すでに三十年ほどの歴史があった。陶芸、生け花、農業、レイキなどを行っていた。何を中心にした施設なのか、外から見ると少し分かりにくかったが、庭は本当に素晴らしかった。
手入れの行き届いた芝生があり、名前も知らない植物が季節ごとに姿を変えた。晴れた日には、芝生の上に光が薄く広がり、風が吹くたびに葉の影が動いた。そこだけを見ると、貧乏も、将来の不安も、少し遠くにあるような気がした。
ただ、その美しい庭の端に、物置があった。
そこには古い道具や、使わなくなった鉢、壊れた棚、湿った段ボール、よく分からない農業用の資材などが積まれていた。庭の表側が整っているぶん、その場所だけが、余ったものを押し込めておくための穴のように見えた。
ある日、その物置から、子猫の鳴き声が聞こえた。
最初は、気のせいかと思った。
庭の鳥の声か、どこかの扉が軋む音かもしれないと思った。
けれど、もう一度聞こえた。
細くて、濡れたような声だった。
誰かを呼んでいるというより、まだ世界のどこに向かって鳴けばいいのか分かっていないような声だった。
私は物置の前で立ち止まった。
湿った段ボールと古い土の匂いがした。
余ったもの、使われなくなったもの、誰かが置いていったもの。そういうものばかりが集まる場所だった。
そこに、小さな声が混じっていた。
それが、私とニケちゃんの出会いだった。
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