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第二十一話 私はなぜメキシコの話を書いているのか

    最近、メキシコで暮らしていた頃の話を書き始めた。

    バスの中で作品を作っていた話。
    夜道をポソレをこぼさないように持ち帰った話。
    猿の肉を食べた話。
    人の家に呼ばれた話。
    美術学校で制作していた頃の話。

    思い出してみると、よくわからない話がいくらでも出てくる。

    一歩間違えれば危なかったかもしれないこと。
    今でもうまく説明できない不思議な出来事。
    妙に個性的な人たちとの出会い。

    当時はただの日常として流していたのに、あとから考えると、なかなか濃かった経験。

    私はそれを、少しずつ書き始めている。

    ただ、そういえば、私はまだ自分が何者なのかをあまり書いていなかった。

    私は日本人である。

    二十六歳のとき、助成金をもらってメキシコに渡った。
    最初は、スペイン語と美術を学ぶためだった。

    それから気づけば、メキシコ生活は二十二年目になっていた。

    日本で美術を学び、メキシコでも美術を学び、作品を作り、展覧会をし、いつの間にか教える側にもなった。
    現在は、バハ・カリフォルニア州、メキシコとアメリカの国境にある町で暮らしている。

    こう書くと、少し立派な経歴のように見えるかもしれない。

    しかし、メキシコに来たばかりの私は、何者でもなかった。

    若く、貧しく、スペイン語もかなり不完全だった。
    メキシコの社会の仕組みもよくわかっていなかったし、人付き合いもうまい方ではなかった。

    ただ、作品だけは作っていた。

    当時の私は、今よりずっと無口だったと思う。いや、今も無口か。
    自分から積極的に人の輪に入っていくタイプではなかった。

    それなのに、なぜかいろいろな場所に入り込んでいた。

    誰かの家、誰かの食卓、誰かの制作現場、誰かの家族の集まり。

    私はメキシコで、観光客でもなく、完全な現地の人間でもなく、いつも少し中途半端な場所にいた。

    その中途半端さのおかげで、いろんな人の家に呼ばれ、いろんなものを食べ、いろんな制作現場に入り込み、いろんな失敗をした。

    たぶん、私は受容能力だけは人一倍強かったのだと思う。

    スペイン語が完璧でなくても、よくわからない話でも、とりあえずその場にいる。
    知らない食べ物が出てきても、とりあえず食べる。
    誰かが急に予定を変えても、とりあえずついていく。

    そうしているうちに、私はいろいろな人の生活の端っこに、するっと滑り込んでいた。

    人懐っこいメキシコ人たち。
    個性の強い日本人や韓国人の友人たち。
    美術学校の先生たち。
    下宿先の人たち。
    制作仲間や、恋愛未満の関係の人たち。

    彼らにとっての私は、たぶん、記憶の片隅にいる地味な登場人物だったと思う。

    気づいたらそこにいる日本人。
    あまりしゃべらないけれど、誘うと来るやつ。
    からかっても怒らないやつ。
    変なものを出しても食べるやつ。
    制作だけは黙々とやっているやつ。

    性格上、なぜか女性の友人も多かった。

    たぶん、私は従順で安全なやつだと思われていたのだろう。
    よく茶化され、からかわれ、振り回された。

    でも、当時の私はそれが嫌ではなかった。
    むしろ、その中でけっこう楽しく生きていた。

    若くて、貧乏で、何者でもなくて、スペイン語も不完全で、でも毎日どこかに行き、誰かに会い、何かを食べ、何かを作っていた。

    今思えば、あの頃の私は、いろいろな人の人生の端っこに一時的に入り込んでいたのだと思う。

    中心ではない。
    主人公でもない。
    家族でもない。
    恋人でもない。

    でも、完全な他人でもない。

    端っこにいる。

    その場所にいたからこそ見えたものがある。

    私が書きたいのは、観光案内としてのメキシコではない。

    有名な観光地の話でも、陽気でカラフルなメキシコの紹介でもない。
    もちろん、「メキシコは危ない国です」という単純な話でもない。

    私が書きたいのは、もう少しぬるっとした、生活の隙間に入り込んでくるメキシコである。

    メキシコで暮らしていると、笑って済ませていいのか、怖がったほうがいいのか、判断に困る出来事がときどき起こる。

    ただの偶然だったのか。
    文化の違いだったのか。
    誰かの冗談だったのか。
    本当に危なかったのか。
    合法だったのか非合法だったのか。
    それとも、何か説明のつかないものに触れてしまったのか。

    その境目が、よくにじむ。

    親切な人に助けられたと思ったら、少し危ない場所に連れて行かれていたりする。
    冗談のような食べ物を出されたと思ったら、それがその土地の大切な記憶につながっていたりする。
    ただの迷信だと思って聞いていた話が、あとから妙に現実味を持って思い出されたりする。

    怖さと親切さ、馬鹿馬鹿しさと神秘、生活と怪談、制作と失敗。

    そういうものが、同じ日の中に平気で同居していた。

    私にとってメキシコは、留学先でもあり、生活の場所でもあり、制作の場所でもあり、少し不思議なものに出会った場所でもある。

    その後、私はメキシコで結婚し、子どもを持ち、そして離婚も経験した。

    だからメキシコは、私にとって単なる異文化体験の舞台ではない。
    人生のかなり大きな部分が、そこに埋まっている場所である。

    若い頃のメキシコ、制作していたメキシコ、恋愛していたメキシコ、家族を持ったメキシコ、傷ついたメキシコ。

    そのすべてが、私の中で混ざっている。

    私は今、「にじみ犬」という名前で書いている。

    自分でもまだ完全には説明できないが、記憶の中からじわっとにじみ出てくる変なものを嗅ぎ回る犬、くらいの感じである。

    はっきりした怪談ではない。
    でも、完全な日常でもない。

    笑えるのに、少し怖い。
    くだらないのに、妙に忘れられない。
    説明できそうで、最後のところで説明しきれない。

    そういうものを、鼻先で探っている。

    このnoteでは、そんなメキシコ生活の断片を書いていこうと思う。

    変な食べ物、制作、美術学校の先生、人の家、恋愛未満の関係、危なかったかもしれない出来事、不思議だったこと。
    そして、今でもよくわからないまま残っている記憶。

    ただし、これは武勇伝ではない。

    「若い頃の私はすごかった」という話ではない。
    「メキシコでこんな危ない目に遭った」という自慢でもない。
    「日本人が異文化で成長しました」というきれいな話でもない。

    どちらかというと、記憶の整理である。

    あの頃、私は何を見ていたのか。
    なぜ、あんなにいろいろな場所に入り込めたのか。
    なぜ、あんなにいろいろな人に振り回されながら、それなりに楽しく生きていたのか。
    そして、なぜ今になって、その記憶が少しずつにじみ出てくるのか。

    それを、今になって確かめている。

    もう一方で、私は現在『滲出』という小説も書いている。

    そちらは、同じメキシコの記憶から出てきたものでも、もっと暗く、もっと歪んだ形をしている。
    このnoteが生活の断片だとすれば、『滲出』はその奥に沈んでいたものが、別の形でにじみ出てきたものなのかもしれない。

    同じ記憶でも、笑い話として出てくるものもあれば、小説の闇として出てくるものもある。

    たぶん、どちらも嘘ではない。

    たいした教訓はない。

    ただ、メキシコで暮らしていた頃、私はいろんな人の人生の端っこに、一時的に入り込んでいた。

    その端っこで見たもの、食べたもの、作ったもの、怖かったもの、笑ったもの、よくわからないまま通り過ぎたものを、少しずつ書いていく。

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