
第九話 ビワの葉とアイロン
トルーカ時代の話である。
当時の私は、貧乏だった。
月収は日本円で三千六百円ほど。
家賃は九千円ほど。
我ながら、どうやって生きていたのか不思議である。
そんなある日、Wさんから電話がかかってきた。
Wさんは、以前「富士山より高い山に登った話」にも登場した日本人女性である。
私よりずっと年上だったが、雰囲気としては、『四畳半神話大系』の明石さんの髪をショートにして、ロマンスグレーにしたような人だった。
性格もどことなく似ていた。
さっぱりしている。
でも、どこか不思議ちゃんである。
Wさんはベジタリアンで、民間療法にも関心があった。
以前は、傷ついた鳩などを保護していたこともあるらしい。
たぶん私も、鳩と同列に見られていた。
電話口でWさんは言った。
「にじみ犬さん、お腹壊したって言ってましたよね?」
たしかに壊していた。
メキシコでは、食中毒は珍しくない。
私は安い露店のタコスをよく食べていたし、トルーカは寒かったので、体調を崩すことも多かった。
「いい治療法があるので、うちに来ませんか?」
そう言われた。
いい治療法。
この時点で、少し怪しい。
しかし、当時の私は貧乏で、病院に行くお金もあまりなかった。
それにWさんのことは信用していた。
ご丁寧に、Wさんは私の下宿まで迎えに来てくれた。
Wさんの家に着くと、さっそく治療が始まった。
使うのは、乾いたビワの葉だった。
それを患部に当てる。
そして、小型のアイロンで温める。
アイロン?
と思った。
普通、アイロンは服にかけるものである。
人間にかけるものではない。
しかし、そのアイロンは低温に設定できるタイプらしかった。
Wさんは慣れた手つきで、乾いたビワの葉を私のお腹に当て、上から小型アイロンを当てた。
この治療法の驚くべきところは、身体の悪いところにビワの葉を当てて温めると、葉が黒く変色するということだった。
悪くないところで試すと、いくら温めても変色しない。
そして、黒く変色した場合は、何度も葉を変えて繰り返す。
そのうち黒い色が出なくなる。
そこまでいけば、毒素のようなものが排出されたということになり、あとは回復に向かうらしい。
もちろん、今の私がそれを医学的に説明できるわけではない。
ただ、そのときは実際に、私のお腹に当てた葉が黒くなった。
それに、アイロンの熱でお腹がじんわり温まる。
正直、気持ちよかった。
何度か繰り返すうちに、葉の変色はだんだん弱くなっていった。
「これで大丈夫ですね」
ということになった。
そこで終わればよかった。
しかし、面白くなってしまった。
せっかくなので、体のいろいろな部分で試してみることにした。
腕。
足。
背中。
肩。
ほとんど変色しない。
なるほど。
悪いところだけ反応するというのは、本当なのかもしれない。
そう思い始めた頃だった。
唯一、異常に反応する場所が見つかった。
頭である。
頭にビワの葉を当て、アイロンで温める。
すると、葉が黒く変色する。
別の場所に当てる。
また黒くなる。
額。
側頭部。
後頭部。
頭頂部。
頭全体、どこに当てても変色した。
はたから見ると、頭にアイロンを当てている人間である。
狂気の沙汰だ。
しかし、背に腹は代えられない。
私は何度も何度も、葉を変えて試した。
それでも、一向に変色は収まらなかった。
本当に、飽きるほど葉を変えた。
それでも黒くなる。
「にじみ犬さんは、頭が悪いってことなんですかね。」
Wさんは笑いながら言った。
ベタである。
しかし、こちらとしては笑ってばかりもいられなかった。
お腹は終わった。
腕も足も反応しない。
なのに、頭だけが終わらない。
私はだんだん不安になってきた。
いったい、私の頭には何が溜まっているのか。
最終的には、こちらが根負けした。
もうこのまま放置するしかない、ということになった。
その頃の私は、フィエスタ漬けの気楽な生活をしているように見えて、根は真面目だった。
将来のこと。
お金のこと。
日本に帰るのか、メキシコに残るのか。
自分が何者になるのか。
そういうことを、何となくずっと考えていた。
慢性的に、頭が重い感じもあった。
それが何なのかは、よくわからなかった。
ただ、その日、私の頭に当てたビワの葉だけが、何度替えても黒くなった。
その話は、そこで一旦終わる。
しかし数年後、ファミリーコンステレーションを受けたとき、この頭の感覚は再び戻ってくることになる。