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滲出 / Exudation 第二回:面会滲出

    ※本作は、実在する報道や社会的状況を参照しながら構成された架空資料集型フィクションです。作中の人物、記録、ファイル名、通話内容、注記の多くは架空です。

    【個人記録|2026年5月16日 21:18】

    娘は、もうこの家にいない。

    この一文を書くのに、しばらく時間がかかった。

    あの女、と書けば、感情が入りすぎる。
    連れて行かれた、と書けば穏やかすぎる。
    連れ去られた、と書けば、現実が一段階、戻れない場所へ進む。

    だから私は、しばらく書けなかった。

    娘は、もうこの家にいない。

    まずは、それだけを書く。

    【個人記録|同日 21:26】

    私は日本人で、Rはメキシコ人だった。
    娘は、その間に生まれた。
    家の中では、日本語とスペイン語がいつも少しずつ混ざっていた。
    だから娘が私を「パパ」と呼ぶ日もあれば、「papi」と呼ぶ日もあった。

    今日もいつもの形式で記録する。
    感情ではなく、事実。
    そう教えられていた。

    最初は裁判のためだった。

    誰が何を言ったか。
    何時に連絡があったか。
    何が起き、何が起きなかったか。

    そのうち、それは自分の現実感を保つための作業になった。

    しかし最近、少しわからなくなっている。

    記録は、たしかに残る。

    だが、記録は娘をこの家に戻さない。

    【通話記録|2026年5月16日 19:04–19:22】

    娘と話した。

    正確には、画面越しに話した。

    この二つは、以前は同じ意味ではなかった。
    今は、ほとんど同じ意味になっている。

    画面の中の娘は、少し眠そうだった。

    学校のことを聞いた。
    夕食のことを聞いた。
    宿題のことを聞いた。
    最近見ている動画のことを聞いた。

    娘は、短く答えた。

    元気そうにも見えた。
    そう見えたかっただけかもしれない。

    私は何度か、聞きたいことを飲み込んだ。

    どこで寝ているのか。
    学校で何を言われているのか。
    こちらの家のことを思い出すことはあるのか。
    本当は、戻りたいと思うことはあるのか。

    聞かなかった。

    聞けば、娘は答えなければならなくなる。
    答えれば、娘は父と母、どちらかの世界に立たされる。

    Rがスマホの背後にいる気配がする。

    母親だから。たったそれだけの理由で娘を連れ去った女。

    だから聞かなかった。

    【個人記録|同日 19:31】

    以前は、髪を乾かした。

    夕食を出した。
    宿題をする横に座った。
    明日の準備を確認した。
    水筒を洗った。
    靴下を探した。
    寝る時間だと言った。

    それは生活だった。

    今は、画面越しに「元気?」と聞く。

    父親だった時間が、少しずつ別の形式に変換されている。

    生活。
    通話。
    交流。
    面会。

    言葉が変わるたびに、私のいた場所が少し遠くなる。

    【保存メモ|2026年5月16日 19:48】

    通話後、メモを保存した。

    保存先:
    /Family_Record/Calls_2026/

    ファイル名:
    CallNote_20260516.txt

    【保存ファイル内容|CallNote_20260516.txt】

    作成日時:2026年5月16日 19:48

    通話時間:18分
    娘の様子:落ち着いている
    話題:学校、夕食、宿題、動画
    父側の発言:次回も話したいと伝えた
    備考:追及しないこと

    【個人記録|2026年5月16日 22:03】

    SNSでは、7月8日という日付が何度も流れていた。

    Disclosure.
    Open Contact.
    Humanity is not alone.

    公式発表ではない。

    世界中の人間が、まだ起きていない出来事について語っている。

    UAP。
    開示。
    接触。
    人類史の転換。

    私はそれらの記事をしばらく見ていた。

    だが、頭に残っていたのは、娘との18分の通話だった。

    世界が何を隠していたのかより、
    私は今日、娘が何を言わなかったのかを考えていた。

    【個人記録|同日 23:11】

    家の中は静かだった。

    通話が終わると、家は急に元の大きさに戻る。

    娘がいた頃、この家はもっと狭かった。

    物が多かった。
    音が多かった。
    片付かなかった。
    探し物があった。
    呼ぶ声があった。

    今は広い。

    広すぎる。

    【翌朝確認|2026年5月17日 08:22】

    昨夜保存した通話メモを開こうとした。

    記憶では、ファイル名はこうだった。

    CallNote_20260516.txt

    現在の表示は、

    VisitationNote_20260516.txt

    変更日時は、2026年5月16日 19:48。
    作成日時も同じ。

    私はファイル名を変更していない。

    【差分記録|ローカルファイル】

    記憶上のファイル名:
    CallNote_20260516.txt

    現在のファイル名:
    VisitationNote_20260516.txt

    差分:
    Call が Visitation に変更。

    備考:
    証拠となるスクリーンショットなし。
    記憶違いの可能性あり。

    【個人記録|2026年5月17日 08:39】

    Visitation。

    裁判関係の書類で使われるような言葉だった。

    娘と話した、という出来事から、体温だけを抜き取ったような言葉。

    私は、娘と話した。

    面会したわけではない。

    ただ、ファイル名はもう、私の言葉ではなかった。

    【個人記録|同日 09:02】

    第一回のときは、UAP資料のファイル名が変わった。

    UAP_RELEASE_01.pdf

    が、

    UAP_RELEASE_01_HISTORY.pdf

    になっていた。

    そのときはまだ、世界の外側で起きていることのように思えた。

    政府資料。
    公開ファイル。
    未確認現象。
    歴史。

    だが今回は違う。

    変わったのは、娘との通話記録だった。

    私のフォルダの中で、
    私の生活の言葉が、
    私ではない誰かの言葉に置き換わっている。

    【未送信メモ】

    娘へ。

    今日は話せてうれしかった。

    本当は、もっと聞きたいことがあった。
    でも聞かなかった。

    あなたが答えなくていいように。

    【個人記録|2026年5月17日 09:18】

    私は娘と話した。

    面会したわけではない。


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