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滲出 / Exudation 第三回:臙脂滲出

    ※本作は、実在する報道や社会的状況を参照しながら構成された架空資料集型フィクションです。作中の人物、記録、ファイル名、通話内容、注記の多くは架空です。

    【外部記録|2026年5月23日】

    UAP資料の第二弾が公開されたらしい。

    公開日は、2026年5月22日。

    緑色の球体。
    円盤状の物体。
    火球。
    軍関係者の証言。
    古い映像。
    黒塗りの報告書。

    いくつかのオカルト系YouTubeチャンネルが、さっそくその内容を解説していた。

    動画のサムネイルには、いつもの言葉が並んでいる。

    ついに公開。
    歴史が変わる。
    政府は何を隠していたのか。
    人類はもう一人ではない。

    しかし、いくつか見た限りでは、今回も決定的な証拠はなかった。

    ただ、説明できないものを、説明できないものとして公開している。

    未確認のものを、未確認のまま見せている。

    それだけだった。

    時間潰しにはなった。

    だが、動画を閉じると、家の中は静かだった。

    世界の秘密より、娘から次に連絡があるかどうかの方が、私にはずっと切実だった。

    【視聴メモ|2026年5月23日 22:14】

    関連動画に、ある女性科学者についての動画が出てきた。

    反重力装置。
    ゼロポイントエネルギー。
    地球外生命体。
    超次元生命体。

    動画の中で語られていたことが、どこまで事実なのかはわからない。

    ただ、その動画では、宇宙人的な存在が二種類に分けられていた。

    一つは、地球外から来た存在。
    もう一つは、未来の地球人。

    P47。
    四万七千年後から来た人間。

    P52。
    五万二千年後から来た人間。

    私はそこで動画を止めた。

    四万七千年後の人間が、今の私たちを見たら、何を過去と呼ぶのだろう。

    私たちが覚えている出来事は、彼らにとってはただの資料なのだろうか。

    そして、資料に名前をつけるのは、いつも後から来た者たちである。

    愛情。
    依存。
    保護。
    執着。
    不適切。
    懸念。

    同じ出来事でも、あとから別の名前をつけることはできる。

    そのとき、出来事そのものは変わらないのだろうか。

    それとも、名前が変わった時点で、過去も少しだけ変わるのだろうか。

    【個人記録|2026年5月24日 09:38】

    朝、娘の服のことを思い出した。

    去年のことだった。

    娘は急に、Y2Kというスタイルに凝り始めた。

    幅の広いズボン。
    黒系のシャツ。
    白、黒、グレー。
    星の形をしたネックレス。

    それまでは、もっと年相応の服を着ていた。

    ディズニー系のデザイン。
    明るい色のワンピース。
    子どもらしい柄。

    それが、ある時期から急に変わった。

    私はその変化を、嬉しく思っていた。

    娘に、自分の好みが生まれてきたのだと思った。

    親が選んだ服ではなく、友達が着ているからでもなく、ただ自分がそうしたいから選ぶ服。

    それは、父親として少し誇らしいことだった。

    【個人記録|同日 09:52】

    ある日、娘は私の古いTシャツを欲しがった。

    私は、John VarvatosのTシャツを何枚か持っていた。

    その中に、サイズが合わなくなったTシャツがあった。

    赤というより、黒に近いバーガンディ。臙脂色。

    光の当たり方によっては、暗い赤にも、赤紫にも、ほとんど黒にも見える色だった。

    胸元に小さなポケットがついている。
    薄手で、少しくたびれていた。

    私はそれを娘に渡した。

    私にはもう少し小さかった。
    娘には少し大きかった。

    だから、ちょうどよかったのかもしれない。

    娘はそのTシャツを気に入った。

    友達の誕生日会に着ていった。

    彼女なりの勝負服だったのだと思う。

    私はそれを、嬉しく思っていた。

    【個人記録|同日 10:07】

    Rは、それをあまり良いことだとは思っていなかった。

    彼女は、心理学の言葉を使って、その違和感を説明しようとした。

    エレクトラコンプレックス。

    たしか、そんな言葉だった。

    私はその言葉を聞いたとき、少し気持ち悪いと思った。

    服を一枚渡しただけだった。

    娘が自分の好みに合う服を見つけた。
    それが、たまたま私の古いTシャツだった。

    少なくとも、私にはそう見えていた。

    Rは私と娘の絆が深まることに何かに危機を感じていたのではないか。

    私はその件について、セラピストに相談したことがある。

    セラピストは、問題ないと言った。

    娘が父親の服を着たがること。
    父親の持ち物に関心を持つこと。
    自分のスタイルを探す時期に、身近な大人のものを取り入れること。

    それ自体は、特別な問題ではない。

    私は少し安心した。

    だが、その安心は、記録には残っていない。

    残っているのは、言葉の方だった。

    エレクトラコンプレックス。

    一度そう呼ばれた出来事は、呼ばれる前と同じ出来事でいられるのだろうか。

    【個人記録|2026年5月24日 11:16】

    写真フォルダを探した。

    娘がそのTシャツを着ていた日の写真が、どこかに残っているはずだった。

    友達の誕生日会。
    午後。
    家を出る前。

    娘は照れて、そっぽを向いていた。

    黒っぽいバーガンディのTシャツ。
    幅広のズボン。
    星型のネックレス。

    私は、似合っていると思った。

    写真を撮った。

    そのとき私は、何を記録しようとしていたのだろう。

    娘の服装。
    成長。
    自分の好みを持ち始めたこと。
    家を出る前の、少し得意げな表情。

    どれも、裁判とは関係がなかった。

    どれも、証拠ではなかった。

    ただの写真だった。

    【フォルダ確認|2026年5月24日 11:29】

    保存先:
    /Family_Photos/2025/Birthday/

    記憶上のファイル名:
    Birthday_RedShirt_2025.jpg

    現在の表示:
    RedShirt_Concern_2025.jpg

    作成日時:
    2025年10月12日 16:41

    変更日時:
    2025年10月12日 16:41

    私はファイル名を変更していない。

    【差分記録|画像ファイル】

    差分:
    Birthday が Concern に変更。

    備考:
    誕生日会の写真だった。
    懸念事項ではなかった。

    証拠となるスクリーンショットなし。
    記憶違いの可能性あり。

    【個人記録|2026年5月24日 11:43】

    Concern。

    懸念。

    その言葉を見たとき、少し息が詰まった。

    写真の中の娘は、同じTシャツを着ていた。

    だが、ファイル名はもう、私が覚えている出来事ではなかった。

    誕生日会ではなく、懸念。

    成長ではなく、問題。

    好みではなく、兆候。

    誰かがあとから、その写真に別の名前をつけている。

    そう思った。

    もちろん、実際には私の記憶違いかもしれない。
    最初からそういうファイル名だった可能性もある。
    私が無意識に変えた可能性もある。

    だが、それならなぜ、私はその名前を見てこんなに嫌な気持ちになるのだろう。

    【通話記録|2026年5月24日 20:11】

    夜、娘と少し話した。

    私は、赤いTシャツのことを聞いた。

    「あの暗い赤のTシャツ、覚えてる?」

    娘は少し考えてから、うん、と言った。

    「友達の誕生日に着ていったやつ」

    「うん。覚えてる」

    少し安心した。

    「それ、パパがあげたやつだったよね」

    少し間があった。

    娘は、普通の声で言った。

    「違うよ。ママが買ったやつだよ」

    私は返事をしなかった。

    いや、と言いかけた。
    違うよ、と言いかけた。
    それはパパのTシャツだった、と言いかけた。

    でも、言わなかった。

    娘に、記憶の訂正を求めることはできない。

    【個人記録|同日 21:02】

    UAP資料の第二弾について、もう一度考えた。

    政府は、何かを明らかにしたのだろうか。

    それとも、判断できないものを、判断できないまま世界に出しているだけなのだろうか。

    未確認のものを公開する。

    見た者たちが、それぞれの意味を与える。

    解説者が語る。
    視聴者が信じる。
    別の誰かが否定する。
    さらに別の動画が作られる。

    推測が推測を呼び、輪郭だけが濃くなっていく。

    もしかすると、開示とは、事実を明らかにすることではないのかもしれない。

    名前を与えるための場所を作ることなのかもしれない。

    未確認。
    異常現象。
    地球外。
    超次元。
    未来人。

    言葉が先に置かれる。

    そのあと、世界が少しずつ、その言葉に合わせて変わっていく。

    私の記録も、同じことをしているのだろうか。

    いや。

    私の記録は、違う。

    そう思いたかった。

    【未送信メモ】

    娘へ。

    あのTシャツ、よく似合っていた。

    君はそれを、自分で選んだ。

    私はそれが嬉しかった。

    私の記憶では、赤いTシャツは、娘の成長の証しだった。

    しかし、娘の記憶では、もう違っていた。


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