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Photo bykeisuke1990

”浮遊”女子高生 清水いぶき、離陸中。#02

    第2章 自由浮遊高度:2cm 浮遊力:0.25NF

    ふわつく日常。自覚なき浮遊

    目が覚めた瞬間、いぶきはしばらく布団の中で動けずにいた。
    頭の奥がじんわり重たいのに、みぞおちのあたりがふわりと浮く。

    地面がすこし遠のいていくような──あの、長い電車の揺れに身体が馴染んでいたあと、急にホームに足を置いたときの、あの頼りなさ。

    「……変な夢でも見てたっけ」

    呟きながら起き上がる。
    足裏に床の冷たさが感じられたので、特に気にせず、いつもの朝に溶け込んでいった。

    朝食は、ごはんに卵焼き、ウインナーと味噌汁。
    母と向かい合って、テレビから流れるニュースの音を遠くに聞きながら、いぶきは箸をすすめた。

    「……今朝5時ごろ、神奈川県内で女性1名の浮遊が確認され──」

    「いぶき、鞄の中、またプリントをそのまま詰め込んでないでしょうね?」
    「ううん……たぶん、今日はちゃんとしてるはず……」

    返事をしながら鞄を肩にかけた瞬間、ずしりとした重みが背中にのしかかった。
    「……ん……?」

    いつもと同じ荷物量のはずなのに、鞄がやけに重い。
    ストラップが肩に食い込むような違和感がある。
    ブレザーの重みもやたら気になって、肩がぎゅっと縮こまる。

    「行ってきます」
    「いってらっしゃい。天気いいけど、風強いから気をつけてね」

    ドアを出る直前、鏡に映った自分の姿をふと見る。
    襟元が、いつもより深く落ちている気がした。
    気のせいだろうか。

     

    教室に入ると、席につくまでに何人かの友達が軽く声をかけてくれる。
    いぶきは笑って返しながら、いつもの席に座る。

    教室に入ると、席につくまでに何人かの友達が軽く声をかけてくれる。
    「おはよー、いぶき」
    「今日、風つよくない?」
    「髪ぼっさぼさだよ」
    「やっぱ朝、間に合わなかったでしょ?」

    「うるさいなー、ギリギリ巻けたもん!」
    いぶきは苦笑いしながら返事をして、自分の席にたどり着く。

    鞄を机の横に置いて椅子に腰を下ろしたとたん、ブレザーの重みが肩にじわりとのしかかってきた。
    なんとなく、ずしりとしたものに包まれている感じがして、思わず肩を回す。

    (今日はなんか、身体、重いな……)

    教室の前方では、先生が出席簿を片手に朝のホームルームを始めていた。

    「えーと、今日は特に連絡事項はありません。あ、そうそう──念のために聞いておくが、今朝、体が軽いと感じた者、あるいは浮遊感を覚えた者はいないか?……最近、報告が増えているからな。自覚がなくても、違和感があれば申告しておくように」

    誰も手を挙げない。

    「……じゃあ、1時間目の準備を」

    先生がそう言って出ていったあと、生徒たちはぞろぞろと鞄を開け、教科書やノートを取り出し始める。

    いぶきもその流れでノートを開いた。
    昨日の授業の続き──そのページにシャーペンをすっと走らせようとして、手が止まる。

    「……あれ?」

    なんだか、いつもと違って書きづらい。
    シャーペンはいつもと同じ持ち手位置に指を添えているのに、ほんの少しだけ“ずれている”気がする。

    ノック一回分くらい、手が高く浮いているような、微細な浮き。

    (なんだろ……机、ゆがんでる?)

    姿勢を直し、腕を意識的に下げてみると、今度はちゃんと文字が書けた。

    周囲の誰も異変に気づいていない。
    でも、いぶきの中にはうっすらとした違和感が残った。

    ──机がおかしいんじゃなくて、自分の“位置”が、ほんの少しだけ、いつもと違う?


    放課後。

    いつもと同じ練習着なのに、今日は、なぜか身体が軽く感じた。

    いぶきはロッカー室で制服を脱ぎ、陸上部のユニフォームに着替えていた。
    袖を通すたびに、肩が軽くなる。
    スカートの重さも、ブレザーの締めつけもない。
    ――なんだか、風になれそうな気がする。

    (いけるかも。今日は、いいタイム出るかも)

    自分の足が、地面をつかみたがっている気がした。
    スパイクのひもを結びながら、いぶきはひとり、こっそり笑みを浮かべた。

    けれど、その期待は、スタート直後に裏切られた。

    合図の笛が鳴り響いた瞬間、思うように加速できなかった。
    地面を蹴るはずの足が、ほんのわずかに空を踏んだ気がした。
    指先の力が空転して、加速する力が伝わってこない。

    (あれ……?)

    フォームも、ピッチも、決して悪くはない。
    でも、思ったほど前に進まない。

    結果、記録は平凡以下。
    練習後、今日の記録履歴を見て、小さくため息が漏れる。

    「調子が悪いときもあるよ」

    振り向くと、沢渡先輩が隣に立っていた。
    いつもの無表情の中に、すこしだけ柔らかい声音。

    「気にすんな。走りは積み重ねだから」

    それだけ言って、先輩はすぐに視線を外した。
    けれどいぶきの心は、たったその一言でふわりと浮いた。

    (……はい、わたし、がんばります)

    ロッカー室に戻り、再び制服に着替える。
    汗で髪が額に張りつく。
    着慣れたはずの服が、妙にまとわりついて、ブレザーの重さが肩にずしりとくる。

    (なんか……だるい。疲れたかも)

    鏡の前で前髪を整えるふりをしながら、いぶきは目を伏せた。
    ふわふわと浮いた気持ちは、制服の重みで、また地面に引き戻されるようだった。

    帰宅途中の電車のなかで、スマホに通知が届いた。
    SNSニュースのアカウントから、いつもの浮遊者発生の速報だった。

    「本日午後4時12分、都内高校2年女子が自宅前で浮遊確認。現在、行方不明に──」

    (またか……)

    何度目だろう、この文面。
    三年前、最初にこのニュースを見たときは驚いて、何度も読み返した。
    けれど最近は、スクロールする手すら止まらない。

    (……今日は、もう、スマホはおしまい)

    通知を切り、電源を落とす。
    明日のことも、先輩のことも、考えるのはやめにして。

    ちゃんとお風呂に浸かって、今日は早く寝よう。
    頭を座席の後ろに預けて、いぶきは目を閉じた。

    その夜――。
    まどろむ彼女の身体は、知らぬ間に、重力の記憶からすこしずつ解き放たれていた。
    音もなく、世界との境目を越えて。



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    ・第1話ープロローグ/地に足のついた、最後の日
    ・第2話ーふわつく日常・自覚なき浮遊
    ・第3話ー浮遊判明・滑り出す日常
    ・第4話ー浮つく日常・繋がれた身
    ・第5話ー住み着く天井・離れゆく日常
    ・第6話ー天井接近警報
    ・第7話ーそれでも、楔となるもの
    ・第8話ー縋れない地面、遮るもののない空
    ・第9話ー見下ろす地図、思い描く場所/大気圏の会話
    ・第10話ー軌道の彼方へ ― いぶきの宇宙航路
    ・第11話ー第12章 星の誕生 ― ボイドにて/エピローグ

     
     
     
    最近、物語を書くのが好きな40代の母です。 少し孤独で静かな、でもどこか温かい話が多めです。 SFや科学、哲学が好き。 アイデアが勝手に湧いてくるので、止まれません。 フォロバやスキ返しはしていませんが、素敵な作品には素直に反応します。 静かに、でも誠実に繋がれたらうれしいです。

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