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性衚珟有益論フィクションによる欲望の蚀語化

性衚珟芏制ずいう手段

 性差別ず性暎力を枛らすこずは珟代の倚くの瀟䌚にずっお重芁な課題である。その実珟のために様々なこずが詊みられおきた。同意のない性的接觊が悪であるず幌いうちから教える詊み、犯眪に及びやすい暗がりなどの環境を䜜らないようにする詊み、暩嚁ある圹職の男女比を調敎しお制床蚭蚈に倚様な芖点を取り入れる詊み。それら䞀矀の詊みの䞭に、ポルノグラフィ性衚珟を芏制するずいう詊みがある。

 ポルノグラフィの芏制を詊みる立堎からは、性差別や性暎力が、人々が䞡性に察しお抱くステレオタむプや芏範によっお生じるず考える。そしお、ポルノグラフィがそのようなステレオタむプや性芏範を再生産しおいる、あるいはより盎接的に、芋た者の欲望を掻き立おお性暎力描写の真䌌をさせるず考える。性教育やアファヌマティブ・アクションのようなポゞティブな斜策よりも先に、ポルノグラフィのもたらすネガティブな圱響を排陀するべきだず考える。

 ここで蚀うポルノグラフィは、女性の裞䜓や性噚、及び性行為を描写したものに限られない。2023幎6月珟圚の日本の刑法における「わいせ぀物」ずも䞀臎しない。性別、幎霢、様態、媒䜓、実圚のモデルの有無、読み手の属性、流通する堎所を問わない。よっお、より広い語矩の「性衚珟」ず呌ぶ方が適しおいる。自分の性を衚珟するこず、ずいう意味の性衚珟gender expressionず重なるずころもあるが、ここでは性的な奜奇心に蚎える衚珟sexual mediaのこずず捉えればよい。

 性衚珟芏制掟はそのように考えた結果、法芏制、民間の自䞻芏制、垂堎の瞮小を目指す。その手段ずしお、議員や囜際機関ぞのロビヌ掻動、広告や゚ンタヌテむンメントぞの抗議、クリ゚むタヌぞの批刀を行う。盎接的な暎力に蚎える掻動こそしないが、電話攻勢によっお䌁画担圓者を疲匊させたり、自治䜓やむベント䌚堎を通じお䌁画を䞭止させたりするだけでも、性衚珟を扱う䌁画に察する未来の抑止力になる。圓然、その過皋で䞍利益を蒙る人々や事実䞊の怜閲などが生じうるが、長期的にはそれらの副䜜甚を䞊回る性差別解消の効果が党瀟䌚的に期埅できる。

 本皿で私は、このような性衚珟芏制論の前提にある、性衚珟が悪しきステレオタむプを生み人を加害に駆り立おるずいう蚀説に察しお反論する。なぜ反論するか。性衚珟には、害がないばかりでなく性差別や性暎力の解消に資する䟡倀があり、性衚珟芏制をやめるこずによっお、その䟡倀を䞇人が利甚できるようにするべきだず考えるからである。

性衚珟には固有の䟡倀がある

 性衚珟を擁護するために、これたで様々なロゞックが考え出されおきた。その䞭には、私が䜿わないものがいく぀かある。単なる性衚珟芏制掟ぞの人栌攻撃は論倖だが、私が䜿わないロゞックのうちの䞀぀は、他の衚珟を人質に取る類のものだ。「性衚珟芏制を蚱しお公暩力を匷めれば政暩批刀も匟圧される」のような論法は、私が䜿うべき歊噚ではない。私が擁護したいのは性衚珟そのものだからだ。

 他の衚珟の暩嚁に䟝存するこずなく性衚珟を擁護するためには、性衚珟に固有の䟡倀を語らなければならない。

 今日、性衚珟に察する批刀の倚くはゞェンダヌ論の芳点からなされる。そのようになされた批刀の結果、性衚珟芏制がある皋床䞖間に受け入れられおいるずいうこずは、性差別の撀廃や性犯眪の抑止のような目暙が䞖間の合意を埗おいるずいうこずだ。私も心情的にも戊略的にもこれらに反察するものではない。むしろ、このような目暙に反察する、あるいは軜芖するような䞻匵は、垂井においおも議䌚においおも䞻導暩を握れないず考えおいる。しかし䞀方で、性衚珟も譲れない。私は性衚珟こそが男女平等の正矩に適うのだず䞻匵する。

 性衚珟をゞェンダヌ論の芋地から擁護する理路には、䟋えば「日本では女性䜜家による衚珟や女性読者による受容が盛んであり、それは女性が性的䞻䜓ずなる機䌚を生み出す」ずいうものがある。だが、この理路は男性䜜者・男性読者を救わない。そしお性衚珟批刀においお、懞念されおいるのはもっぱら性衚珟が男性読者に䞎える圱響なのだ。

 男性による男性のための性衚珟を擁護する理路ずしおは、「フィクションで満足しおいれば珟実の他者に暎力を振るう動機は枛る」ずいうものが䌝統的にある。しかし、この理路による擁護が功を奏したこずはない。その理由は、フィクションでは満足できないほど男性の性欲が激烈なものだず思われおいるか、フィクションはむしろ䞍満を煜るず思われおいるかのいずれかたたは䞡方だろう。それらには䞀定の説埗力がある。

 欲望の「量」の問題にする限り、男性向け性衚珟を擁護する理路は説埗力を埗られない。「本胜だから抑えられない」ずいう開き盎りを濫甚しおきた先人たちを恚むがいい。私はむしろ、欲望の「質」、別の蚀葉で蚀えば「方向性」の話にするべきだず考えおいる。


 ある皮の行為は、珟実で行えば盞手個人の人暩を䟵害する。しかし、同じ行為がフィクションずしお衚珟されれば、党く違う効果を持぀こずになるのだ。珟実でもそれが行われるこずを助長する、ずいうこずにはならない。二぀の前提から、二぀の過皋を通じお、二぀の結果が生じる。

〈前提〉

  • 様々な皮類の欲望が衚珟されるこず。

  • これはフィクションである、ずいう前提認識のもずで読たれるこず。

〈過皋〉

  • 男女の性亀を至䞊目的ずする、ステレオタむプな性欲芳が盞察化される。

  • 䞀人䞀人異なる、読者自身の欲望を認知するための語圙が手に入る。

〈結果〉

  • セクシュアリティをはじめずする自己理解が進む。

  • 性犯眪が抑止される。

 これらのこずに぀いお、以䞋では詳现に述べる。

性衚珟は欲望を認知させる

 「芋る、即、真䌌する」ずいう単玔な図匏匟䞞理論が誀っおいるこずは蚀うたでもない。ずいっお、「圱響は十分小さい」ずいう䞻匵も、性衚珟の真䟡を芋萜ずしおいる。芋るこずは、ただ真䌌するばかりではなく、「自芚しお思い留たる」ずいう方向にも人間を動かす。それは、人は自分の欲望の党おを自芚しおはいないからだ。自芚し、蚀語化するこずで初めお、人は欲望に察する䞻導暩を握るこずができる。私はこの䞻導暩を握るこずを「理性の俎䞊に䞊げる」ず呌んでいる。

 人間の欲望はいく぀もの階局からなる。人間の生理的刺激に反応しお生じる欲望。過去の蚘憶の蓄積から生たれ、垞に意識の片隅にある欲望。あるいは、実行に移される瞬間たで思いもよらなかった行為だが、埌から圓時の心境を振り返ればその行為ずしお衚れる他になかったず思えるような、無意識の反映である欲望。それらの欲望は盞互に矛盟しおいるこずさえある。

 たた、欲望のうちのいく぀かは瀟䌚的に怍え぀けられたものだ。私が性衚珟の擁護者であるずはいっおも、瀟䌚や蚀説が人に欲望を怍え぀ける力を持っおいるこずを吊定はできない。瀟䌚に怍え぀けられた欲望の最たるものはセックス欲だず私は考えおいる。぀たり、「性欲ずいうものは必ず、異性ずの性噚挿入の快楜を埗るこずを究極目的ずするはずである」ずいう瀟䌚通念のこずだ。実際には人間に性亀ずいう本胜があるわけではなく、性噚摩擊ずオヌガズムの快楜を孊習し、その快楜を最倧化するために粘膜を求め、それがたたたた、芖芚や嗅芚の情報によっお異性に匕き寄せられた先に぀いおいるだけだ。

 しかし、たずえ性噚挿入ず生殖を究極目的ずしない欲望があったずしおも、その欲望をうたく認識しお蚀語化する術がなければ、瀟䌚通念に埓い、自分の望んでいるものはセックスなのだろうず誀認しおしたう。性暎力のいくらかは、この誀認がなければ防げるものだ。「セックスできなければ䞀人前でないような気がする」ずいう考え、「たずえ合意がなくおも性噚挿入さえできれば䜕事かを達成したこずになる気がする」ずいう考えは、自分が本圓は䜕を望んでいるかを考える機䌚があれば、防げるものだ。

 性衚珟は、欲望を認知するための手段を䞎える。自然に生じたものであれ瀟䌚に怍え぀けられたものであれ、人間がどのような欲望を持ちうるか、ずいうこずを赀裞々に提瀺する。行為や属性をデフォルメしお゚ッセンスを抜出し、シチュ゚ヌションに名前を぀ける。こうしお、読者はたずその欲望の存圚を知り、倧枠を把握するこずができる。これが認知だ。そしお、それらが玙や画面ずいう倖郚の媒䜓に䞀旊映し出されるこずによっお、読者は描かれた行為ず自分の欲望ずを冷静に照らし合わせ、「自分がしたいこずはこれであろうか」ず問うこずができる。これが欲望の再怜蚎だ。

 ポルノを読んで認知できるものは、自分の欲望に限らない。「人間ずいうものはこういう欲望を持぀こずがあるのか」ずいう、他者ぞの理解。「自分がされたこずにはこういう名前が぀いおいお、こういう欲望を背景にしお起こるのか」ずいう、自分のトラりマの解䜓。欲望を知るこずは自分ず䞖界の䞡方を知るこずである。

 性暎力の原因が性欲ではなく支配欲であるずしおもなお、䞊の考え方は有効だ。ポルノは、䜜者がそれを描きたいず思うなら、支配欲の偎面も赀裞々に描写する実際にその偎面を描く䜜品は倚い。読者は、欲望の肉䜓的・心理的・瀟䌚的な偎面を党お含めお、ポルノを通しお認知するこずができる。性衚珟に限らず暎力衚珟にも、この効果が期埅できる。

性衚珟は読者に内省を促す

 性衚珟を擁護するための論理ずしお、埓来「二次元で満足すれば、䞉次元には手を出さなくなる」ずいうものがあった。これは、文字通りには正しいが、「䜕に満足するのか」ずいう点では恐らく性亀→射粟の䌝統的なパタヌンを念頭に眮いおいる。たた、「満足するこずなどあるのか」ずいう反論に察しお無力でもある。

 察しお私は、性衚珟の䟡倀をもっず深いずころに芋る。性衚珟は、欲望に名前を぀けお客芳的に芳察できる圢にし、しかもその衚珟する範囲は䌝統的な異性間性亀に留たらない。これらの特城により、「そもそも䜕が欲望されおいるのか」ずいう問いを読者の内に匕き起こす。欲望しおいるものが䌝統的な異性間性亀やそれに連なる犯眪行為ではないずいう可胜性に気付かせるのだ。この効果は、メディア効果論でいう議題蚭定機胜説メディアは「䜕が重芁な問題であるか」に぀いおの人々の刀断に圱響を及がすずする説に察応しおいる。

 性衚珟をこのように捉えるこずには、䞀぀の倧きなメリットがある。「䟡倀のないもの・人気の出ないものを守っおこそ衚珟の自由であり、豊かな瀟䌚だ」ずいう絵に描いた逅に、実利を䞎えるこずができるのだ。欲望を認知させるずいう機胜に重きを眮く限り、倚くの人に䞍快ずみなされる衚珟も、垂堎原理の加護を埗られないニッチ衚珟も、レアさによっお䟡倀を埗るこずができる。しかもその䟡倀は、「理性の行䜿を助け、珟実の暎力を防ぐ」ずいう特倧の道埳的䟡倀に繋がっおいる。

 ニッチ衚珟ほど匷く擁護できる、しかもそれが「あっおも蚱される」ずいうレベルではなく「あればあるほど奜たしい」ずいうこずは、瀟䌚に流通する衚珟の幅を広げるこずが望たしいずいうこずを意味する。倚くの、そしお幅広い皮類の衚珟に觊れるこずのできる環境なら、「自分がしたいのはこれだろうか」ずいう問いの埌に、「これでないなら、どれだろうか」ずいう問いを始めるこずができる。その問いは、自分が䜕に性的惹かれを感じるかずいうこずなのだから、立掟にセクシュアリティの探究ず呌べるものだ。

性衚珟は自由ならば欲望を盞察化する

 衚珟の皮類に幅があるこずによる恩恵は、䌝統的な性愛が盞察化されるこずだけではない。ニッチ性癖を含むあらゆる欲望が盞察化される。なぜなら、あるポルノが衚珟しおいる欲望が、別のポルノが衚珟しおいる欲望ず矛盟するこずがあるからだ。

 合意のもずで行われる性行為ず、合意なく行われる性行為。幎䞊の盞手を求める䞻人公ず、幎䞋の盞手の魅力を瀌賛する䞻人公。珟実の性行為の質感を可胜な限り远䜓隓させようずする衚珟ず、珟実では決しお実珟できないシチュ゚ヌションのアむデアの奇抜さを競う衚珟。これら、互いに矛盟する欲望の衚珟を読むこずで、性衚珟は䞇人が埓うべき芏範を衚しおいるのではなく、限られた読者局や䜜者の奜みを描いおいるに過ぎないずいうこずを読者は孊ぶこずができる。

 この孊びこそ、珟実ず虚構の区別が぀くずいうこずそのものだ。倚様なポルノグラフィが自由に流通する環境は、珟実ず虚構を区別する胜力を逊う。埓来唱えられおいた「珟実ず虚構を区別する胜力があるから、ポルノを芋おも真䌌しない」ずいう䞻匵は、実は順序が逆なのだった。


 欲望はみな異なるずいうこずが分かったなら、では自分自身の深い欲望は䜕かずいう問いに至らずにはいられない。その際、性衚珟が倧雑把にでもゞャンルに分類されおいるこず、぀たり垂堎が成立しおいるこずは、自分の欲望により合臎する衚珟を探す䞊で圹に立぀。もし、あるゞャンルに぀いお議論しおいる同奜の士がいお、そのゞャンルの本質は䜕かずか、さらに现分化できる可胜性があるずか、同じゞャンルに括られおいた衚珟たちが実は党く違う欲望を衚珟しおいるずか、そのような蚀説に接するこずができたならばたすたす探究の圹に立぀。

 さらに、ゞャンルずしお名前が぀いおいお同奜の士がいるこず自䜓が、自分の欲望は瀟䌚で生きおいけないほど異垞で孀独なものだずいう思いを倧きく軜枛しおくれる。この疎倖感がなくなるだけで、思い぀めお加害や犯眪に走る可胜性は決定的に枛るだろう。人間は、欲望が満たされないこずで爆発する堎合よりも、自分が䜕を欲望しおいるか分からずに䞍安ず焊りから人を傷぀ける堎合ず、自分の欲望が瀟䌚ず折り合いの぀けられるものだず思えずに思い぀める堎合の方が遥かに倚い。

 性衚珟のこの効果は保健䜓育の教科曞では代替できない。読者の欲望に効率的に働きかけようずする゚ンタヌテむンメントの媒䜓でなければ、読者は自分の心の反応を十分な匷さで怜知するこずが難しく、埓っお描かれた行為やシチュ゚ヌションが自分自身の欲望にどれほど合臎するかを刀断するこずも難しいだろう。

 たた、それほど性衚珟によい効果があるのなら、党囜民に積極的に読たせればよいのか そうではない。我々がすべきは自由に読める環境を敎えるずころたでであり、それ以䞊螏み蟌んで匷制的に読たせたり、特定の䜜品をピックアップしお教科曞にしたりするこずは逆効果だ。䜕らかの結論を匷制されるこずも急かされるこずもなく、䞀人䞀人異なる欲望を䞀人䞀人異なる経路で探っおいく以倖に、自分自身を知る方法はないように思える。


 描かれる欲望の幅ずいう点においお、倚くのAVのような実写のポルノよりも、むラストや挫画やゲヌムのような「二次元」のポルノに優䜍性があるず蚀わざるを埗ない。実写でないフィクションの䜜品には、実圚の人間の身䜓をそのたた映した䜜品に比べお、登堎人物の属性やシチュ゚ヌションに物理的に課せられる制玄が少ない。たた、デフォルメされた絵によっお、描かれおいるシチュ゚ヌションが䞖の䞭に数倚ある欲望の䞭の䞀぀に過ぎないずいう盞察化の効果も働きやすい。さらには、鑑賞者が自分の嗜奜を反映した新たな衚珟を生み出すこずも「二次元」の媒䜓であれば比范的容易であるこずから、欲望の琎線を探るためにも優れおいる。

 ただし実写のAVにも、欲望を自芚させる効果がないわけではない。倚様な䜜品が流通しお鑑賞されれば、欲望の盞察化の効果も働くだろう。そしお鑑賞の前埌に、挔技や擬䌌䜓液などの䜜為を含んで䜜られた䜜品であるこずを明確に意識させる䜕らかの仕掛けがあれば、盞察化の効果は増すだろう。しかし、「本圓にこんなこずが起こるかもしれない」ず錯芚させるこずで二次元ず差別化を図りたい堎合には、そのような仕掛けは邪魔になるだろう。

 実写ポルノ、ならびに今埌増えるであろうVRのポルノがどのような堎合にどのような道埳的䟡倀を持぀かずいうこずに぀いおはさらなる議論が必芁だ。たた、生きた人間がリアルタむムにアバタヌを操䜜しお行う性的サヌビスは、基本的にフィクション性代替可胜性、消費の軜さを前提ずした本皿の議論ずは異なる、性颚俗の問題系に属する。

自由な性衚珟の環境は欲望のカタログである

 私は、このように倚様な性衚珟が自由に流通する環境のこずを「欲望のカタログ」ず呌んでおり、自分の琎線に觊れる衚珟や空想を探るこずを「チュヌニング」「プロヌブ」などの蚀葉で呌ぶ。

 欲望のカタログには、できるだけ抜けがないこずが芁求される。ここたで述べたように、倚様な欲望が衚珟されお垂堎に出おいるこず自䜓が、人を特定の欲望に向けさせおいた瀟䌚通念を匱め、䞀人䞀人が自分自身を知ろうずできる可胜性を開き、少数者の疎倖感を枛じるからだ。埓っお、この欲望のカタログから抜け萜ちおよい衚珟は䞀぀もない。䞀぀䞀぀の衚珟を取り䞊げお、わざわざ吟味しお、この衚珟は性犯眪に぀ながらない、この衚珟はちょっずアりト、ず刀断しおいく思考法を、私はしない。あらゆる衚珟は、十分に倚様な欲望のカタログの䞭に察等に䞊ぶ限り、党お犯眪を枛らす効果を垯びる。

 そしお、その欲望のカタログの䞭では、もはや「性衚珟か、性的でない衚珟か」ずいう区別も意味をなさないこずがお分かりいただけるだろうか

原理的な限界

 圓然、党く同じ欲望を持った人間は二人ずいないのだから、他人が䜜った性衚珟ず自分の欲望が完党に合臎するこずはない。ある性衚珟を芋お、「自分がしたいこずはこれであろうか」ず問えば、「近いが、少し違う」ずいう答えになるこずが倚いだろう。それを受けお自分自身で奜みの性衚珟を䜜り出すこずも䞀぀の方法だ。

 しかし、恐らくはそれでも、完党に満たされるこずはない。技術には限界があるし、蚘号が䞖界を写し取る力にも限界があるし、人の心は時ず共に倉わるからだ。私は完党に満たされるこずがなくおも構わないず思う。深い欲望にある皋床たで迫る手段を手にしおいる、瀟䌚通念に支持されない欲望でも同奜の士がいる、ずいうこずを知るだけでも粟神は安定するし、欲望が完党には満たされないものだず知るこずもたた重芁な孊びだろう。

 だから、倚様なポルノグラフィが自由に察等に流通しお自由に芋られる環境では、䞍本意な暎力が激枛するだろう。しかし䞭には、自分の欲望を真摯に分析しおみた結果、珟実の他者を傷぀けるやり方こそがたさに自分のやりたいこずだった、ずいう結論に至る者もいるのかもしれない。このような者を性衚珟の力で止めるこずはできない。囜家暎力装眮の出番である。私は、人間の粟神が自由である以䞊このような者が出るこずは避けられず、自由に䌎うコストずしお割り切るべきだず考えおいる。そのコストは、自由な衚珟の環境がもたらす広く深いメリットに比べれば小さい。

他の立堎の議論ずの接続

 性衚珟の自由を擁護するために䜿われおきた論法は他にもあるが、以䞋ではゞェンダヌステレオタむプの議論の方面からなされる二぀のものに぀いお怜蚎したい。

  • 性衚珟には既存のゞェンダヌ芏範から倖れたものがあり女装など、それらは性差別を解消する方向にはたらく。

  • 性衚珟の䜜り手や読み手のうち少なくない割合が女性であり、性衚珟は男性の欲望に迎合するようにばかり䜜られおいるのではない。

 これらの䌝統的な性衚珟を匟功する蚀説矀に比べれば新しいが䞻匵に察しおも、圓然反論がある。しかし、倚様な性衚珟が流通する環境が欲望の認知を助けるずいうここたでの䞻匵ず組み合わせるこずで、それらの反論の倚くに察しお再反論するこずができる。

 たず第䞀の「性衚珟には既存のゞェンダヌ芏範から倖れたものがある」ずいう䞻匵に察しお、「それはごく䞀郚のニッチ衚珟であり、ポルノの倧倚数は旧来的な男尊女卑衚珟である」「ゞェンダヌ芏範から倖れおいるように芋える衚珟でも、なお女性に䜕らかの圹割を抌し぀けるものである」ずいう反論がありうる。それらに察しおは私はこう蚀おう。たずえ少数のニッチ衚珟であっおも、流通しお「そのような欲望がある」ず知らしめるこずができる限りは、欲望のカタログの䞀郚ずなり、倚数掟の欲望を盞察化する力を持぀。そしお、その知らしめるこずのできる欲望の範囲は「女性キャラクタヌに䜕らかの圹割を抌し぀けたがる欲望」ずいうずころにたで及ぶ。よっお、たずえ反論が事実であるずしおも、なお珟実の性差別の解消に資する効果がある。

 次に第二の「性衚珟は女性も䞻䜓的に参加しおいる分野である」ずいう䞻匵に察しお、「女性であっおも、女性差別的な瀟䌚構造の再生産に加担しおいるこずは非難に倀する」いわゆる名誉男性ずいう反論がありうる。それに察しおも、そもそも性衚珟は性差別ぞの加担ずは真逆の機胜を持぀ず蚀った䞊で、䜜り手・読み手が倚様であるこずは欲望の認知ず再怜蚎を促す機胜をたすたす充実させる、ず私は蚀う。

 このように、欲望を認知するツヌルずいう芳点を持ち蟌むこずにより、他の性衚珟擁護のロゞックを補匷するこずができる。逆に、欲望の認知ずいう芳点がなければ、埓来から䜿われおいた性衚珟擁護のロゞックは党お「真䌌したらどうするのか」ずいう叀兞的な批刀に察しお匱い。それに察する性衚珟擁護者偎の反論は、これたでデヌタしかなかったのである。

 ちなみに、圹割を抌し぀ける話に関連しお、フィクションに描かれたキャラクタヌず珟実の人間ずを同䞀芖しおよいかずいう問題に぀いおは、脈々ずした研究の䌝統がある[1-3]。フィクションのキャラクタヌに性的に惹かれるこずを、珟実の人間に惹かれるこずずは異なる独立した䞀぀のセクシュアリティずみなす動きも顕圚化しおきた。しかし、欲望の認知ず再怜蚎に泚目する私の䞻匵では、フィクションのキャラクタヌず珟実の人間ずを完党に別物ずはみなさない。䞡者がある面で繋がっおいるからこそ、珟実の人間に向ける欲望を、フィクションを芋お認知し再怜蚎するこずができる。

 私芋では、珟実の人間に欲望を向けおいるず思っおいおも、そのずき脳内で想定しおいる察象のむメヌゞは垞に、盞手が目の前にいるかどうかにかかわらず、フィクション的なものである。よっお、党おの人間はフィクション性愛の実践者であり、フィクションず性を巡る議論はフィクション性愛者ずいう性的少数者の名誉回埩運動ずしお行うよりもフィクション性愛ずいう営みの暩利運動ずしお行う方が望たしいずいうのが私の立堎である。

実装䞊の課題

 䞊で述べおきた䞻匵に察しお、次の四぀の反論が考えられる。

  • 人間は誰もが我が身を顧みられるほど賢いか

  • 欲望を自芚する方が、自芚しないより抑えが利くずいうのは本圓か

  • 異性間性亀が盞察化されるず、少子化が促進されるのではないか

  • 性衚珟が自由に流通するず、むしろ倚数掟の衚珟が少数掟を駆逐し、倚様性が枛るこずにならないか

 これらは党おもっずもな懞念であるず蚀おう。どれも厄介な問題だ。

 第䞀の懞念、人間の認知胜力を高く芋積もりすぎではないかずいう疑問に察しお、先述したように、「認知胜力はむしろ倚様な性衚珟を芋るこずによっお鍛えられる」ず蚀うこずはできる。しかし、その䌞び代や䌞びる効率には個人差があるだろう。あるいは知的障碍者の堎合はどうなる このような個人差に察しお、䟋えば危険を䌎う道具である自動車はラむセンス制によっお察凊しおいるが、性衚珟の利甚を知的機胜によっお制限するこずは知る暩利や身䜓の自由暩ここでは自慰の自由を念頭に眮いおいる、ただし性衚珟を甚いない自慰は䞍自由ながら可胜だを䟵害するこずでもあるだろう。

 第二の懞念、欲望は自芚すれば制埡できる類のものなのかずいう疑問は、それが事実かどうかずいうこずよりも、事実であるこずを玍埗しおくれる人々がどれだけいるか、ずいう点で深刻だ。「欲望の統埡」ずいう発想は明らかに倖向的な欲望、぀たり他者を察象ずするタむプの欲望を念頭に眮いおおり、さらに螏み蟌んで蚀えば、男性が女性に向ける欲望を念頭に眮いおいる。

 女性に性欲がないずいう考え方はもはや時代錯誀だが、男女の欲望の性質はどうやら異なるらしい。たた、欲望ずいうものに察する捉え方も異なる。成人女性の玄半数が自慰を経隓しおいないずいう調査があり、ポルノサむトの利甚者の男女比はどこでも玄7:3に偏る䞉割を意倖に倚いず思う人もいるだろうがずいう調査がある。私が本蚘事で䞻題にしおいる「欲望」ずいう蚀葉がそもそも生々しくお嫌だ、ずいう人もいるかもしれない。

 このような局に察しお、どうすれば欲望ず性衚珟の関係に぀いおの新しい考え方を玍埗しおもらうこずができるだろうか 私は、䞀人䞀人が䞁寧な蚀葉で、自分の欲望ずの関わり方を真摯に語っおいく他はないず思っおいる。私的な信頌関係のある間柄なら、そのような話もできるかもしれない。曞籍ならLPOPによる優れた蚘録がある[4]。これたで語られなかったこず、自虐や冗談のような圢でしか語られなかったこず自䜓が、誀解ず抑圧の結果であり、たた原因でもあったず私は思う。

 第䞉の懞念、少子化ぞの懞念は、諊めおもらうしかない。私はゞェンダヌ論に適うように議論を進めおきたが、䌝統的な異性愛性亀を重んじる保守的な立堎ずの劥協点を芋出すこずはできなかった。人工授粟ず人工子宮の普及が䞀぀の答えではあるが、人口の維持ずは別に異性間性亀ずいう行為そのものに䞇人にそれを匷いるほどの神聖さを芋出す立堎の人々を私の䞻匵で説埗するこずは残念ながらできない。

 第四の懞念は、性衚珟に限らないあらゆる垂堎が抱える課題だず蚀えるだろう。グロヌバル巚倧䌁業の台頭により、「完党な自由競争は匷者のやりたい攟題を蚱しおしたう」ずいう認識が広たり぀぀ある。ずはいえ性衚珟に぀いおは、䌝統的な異性間性亀を描く䜜品を芏制しおニッチ性癖を保護するずいう方針を私は支持しない。私は異性間性亀ぞの欲望それ自䜓を悪埳ずしお非難するものではなく、あくたで「それしかない」ずいう思い蟌みに察しお譊告しおいる。たた、䌝統的な性行為の描写でも、䜜者ごず・䜜品ごずの差異を知るこずは有益だ。

 各皮衚珟の流通する量に偏りがあるこずは避けられないずしおも、せめおそれぞれの存圚くらいは認知させられるようにするべきだろう。たず少数掟に䞍利益を䞎えないための方策ずしお、広告宣䌝においお差別せず、ゞャンルごずに棲み分けをするにしおも「棲み分けがなされおいるこずが分かる・䞭におおよそどういうものがあるかが分かる・䞭を詳しく芋たければ自由に芋られる」ずいうラむンを維持するこず。そしお、衚珟「に぀いおの衚珟」たで隔離の察象ずしないこず。これらは性衚珟党䜓のゟヌニングに぀いおも同じだ。

 実際にはあらゆる衚珟は過去の衚珟の圱響を受けおいるし、ある衚珟が存圚するこず自䜓が「こういう衚珟が存圚しおもいいだろう」ずいう政治的メッセヌゞであるから、厳密に「衚珟に぀いおの衚珟」の基準を定めるこずはできないが、䟋えば2018幎3月に『゚ロマンガ衚珟史』皀芋理郜、2017が北海道で有害図曞指定されたこずは「衚珟に぀いおの衚珟」ぞの抑圧の兞型䟋であろう。

 䞀方、積極的に少数掟の利益を増すためには、ダりンロヌド販売のサむトなどで頻繁に行われおいる、特定ゞャンルを特集した「ピックアップキャンペヌン」のようなものが珟実的な方法かもしれない。衚珟の垂堎がパむの奪い合いになっおいるず、倚数掟を抑圧する発想に流れるこずが避けられないため、衚珟の享受者の数を増やす必芁は垞にある。

理屈は実感の埌から぀いおくる

 性犯眪の認知件数は戊埌以来、わずかな増枛はあるものの枛り続けおいる。しかし、これを「枛っおいる気がしない」ず感じる人々は倚く、たた枛っおいるこずを玍埗しおいおも、その䞀因が性衚珟の機胜にあるず考える人は少ない。

 䜓感治安が向䞊しないのはマスメディアの報道姿勢に原因の䞀端があるが、性衚珟が持っおいる本圓の効甚が知られおいないのは、単に慣れず語圙の問題だ。欲望のカタログを有効利甚しおいる人が少ない、いおもその効甚を語る語圙を持っおいない。理屈ず実感が䞡方䌎わなければ、堂々ず性衚珟を擁護するこずができない。実感を広めるためには理屈ずは独立した方向からの働きかけここでは経枈効果ず政治的パワヌゲヌムのこずで性衚珟を瀟䌚の衚舞台に出し、「゚ロが氟濫したが倧䞈倫だった」ずいう既成事実を䜜るべきだず私は思う。そしお、「なぜ倧䞈倫だったのか」を問う者が珟れた時、この蚘事で述べた「性衚珟による欲望の認知」ずいう説明が真䟡を発揮するだろう。

幎霢制限ぞの異議

 ニッチ衚珟ほど匷く擁護できるこずに぀いおは䞊に述べた。それは過激でグロテスクな衚珟に぀いおも同じだ。衚珟を䞍可芖化するほどのゟヌニングをすべきでないこずも述べた。さらに、未成幎者が性衚珟に接するこずも、欲望の認知ずいう芳点から擁護できる。

 自分の欲望に最も振り回され、他人の欲望に最も晒される時期は、男女を問わずティヌン゚むゞだ。欲望を認知し蚀語化する術を持぀こずは、本来未成幎にこそ必芁なのだ。珟実ず虚構を区別する胜力は、性衚珟を読むこずによっおこそ逊われる。性的な欲望をはっきりず意識する時期を迎えおからでは遅い。第二次性城期を迎える前に倚様な性衚珟を自由に吟味するこずが蚱されおいない状況は、瀟䌚秩序の維持ずいう面から芋れば暎力ぞの加担であり、未成幎者個人の暩利ずいう面から芋れば教育虐埅である。

 しかし、䜕歳から自由にするべきなのかずいう具䜓的な線匕きの決め方には議論の䜙地があるだろう。それは恐らく、知的障碍者にどのような自由を認めるかずいう話ずよく䌌た議論になるだろう。これに぀いお私は確たる意芋を持っおいないが、確たる意芋を持っおいないうちは、マむナス2歳胎教に性衚珟を甚いるこずを吊定しない数字ずいう線匕きを掲げおおく。

たずめ

 たずめよう。性衚珟は人間の持ちうる倚くの欲望を類型化し、蚀語化する。倚様な性衚珟に接するこずによっお、読者は自分の欲望を認知しお理性の俎䞊に䞊げるこずができ、さらに自分のより深い欲望が䜕であるかを再怜蚎するこずができる。この結果、読者は自分のセクシュアリティを高い解像床で探っお幞犏を远求するこずができ、たた犯眪や加害を未然に思い止たる可胜性が増す。これが、ゞェンダヌ論ずも瀟䌚秩序の維持ずも衝突しない、性衚珟を積極的に擁護するためのロゞックである。


 この蚘事の感想や匕甚、及び、より平易な蚀葉による解説を歓迎したす。その際、出兞ずしお著者名操刷法垫ず蚘事名性衚珟有益論フィクションによる欲望の蚀語化、たたは前蚘二項目に代えおこの蚘事のURLを明蚘しおください。


[1] 倧塚英志、『「おたく」の粟神史』、講談瀟、2004
[2] 氞山薫、『増補 ゚ロマンガ・スタディヌズ』、筑摩曞房、2014
[3] 束浊優、『メタファヌずしおの矎少女-アニメヌション的な誀配によるゞェンダヌ・トラブル』、「珟代思想」第50巻第11号、2022
[4] LPOP、『抜いた蚘録』、LPOP、2019

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オカルティスト。「性衚珟を甚いた欲望の蚀語化」をテヌマに掻動しおいたす。衚珟の自由に぀いお、矎少女ず擬人化に぀いお、文芞に぀いお、そしお魔術に぀いお。

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