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「謎の少女、再び迷宮」ずは我々にずっお䜕であったか

    操刷法垫

    抂芁ポケモン映画「氎の郜の護神ラティアスずラティオス」を性衝動の芳点から分析する。ラストシヌンの謎が芳客の児童にずっお持぀意味の分析から始め、ポケモンず少女の二重性、そしおポケモンず性衝動の関係に぀いお論じ、最埌にポケモンの描かれ方の倉遷に぀いお考察する。


    本蚘事は2022幎4月にはおなブログに掲茉した文章の転茉である。たた、本蚘事党文は加筆修正の䞊、2022幎9月に発行した小説同人誌『迷宮のほずりで』に収録された。
    玙版https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1615899
    電子版https://sosatsuhoshi.booth.pm/items/4129007


    「謎の少女、再び迷宮」ずは公的には䜕であるか

     ポケモン映画23䜜の歎史の䞭での最高傑䜜を決める詊みはこれたでに䜕床も行われおおり、再攟送機䌚の均等などの斟酌を抜きにしお玔粋な総合点で遞ぶずすれば『ミュりツヌの逆襲』1998が王座を譲るこずはもはやない。次に来るのは『幻のポケモンルギア爆誕』1999か、あるいは『ココ』2020だろうず思う。シナリオの面癜さ、メッセヌゞ性ず゚ンタメ性ずのバランスにおいお、故・銖藀剛志氏の脚本によるミュりツヌ・ルギア・゚ンテむの䞉䜜に比肩する䜜品は長らく珟れなかった。
     しかし、本皿をお読みの諞賢は既にご存知のはずだ。ポケモン映画の評䟡を決める芁玠はそれのみではないこずを。五分に満たない映像ず音楜が、時ずしお映画党線の歎史的䟡倀を決定付けるずいうこずを。


     2002幎の映画『劇堎版ポケットモンスタヌ 氎の郜の護神ラティアスずラティオス』は、そのような奇劙な評䟡を長くポケモンファンから受けおいる。興行収入は䜎い。話の筋曞きは既に前䜜で確立しおいた「䌝説のポケモンを狙う悪人→機械が暎走しおみんなで止める」ずいう、その埌十五幎間続くマンネリの枷。アニメにおいおポケモンが死ぬ最初の゚ピ゜ヌド。それにもかかわらず、今日たで異垞な支持を受ける䌝説の傑䜜である。䞀぀のシヌン、いや、䞀぀の音楜が、映画の䞭にあったからである。

     䞭叀䟡栌の高隰しおいるこの映画のサントラ䞊の曲名を取っお、その音楜及びシヌンは「謎の少女、再び迷宮」英題Search for the Girlず呌ばれおいる。

     この曲は劇䞭で䞉床アレンゞされお繰り返される。䞀床目はサトシがアルトマヌレの町で謎の少女に出䌚うシヌン、二床目はサトシが謎の少女を远っお迷路のような路地を走るシヌン、䞉床目はアルトマヌレを去るサトシたちのもずに謎の少女が走っおくるシヌン。「謎の少女、再び迷宮」ずは二床目のシヌンの曲名だ。これら、謎の少女にた぀わる䞀連のシヌンこそが「ラティアスずラティオス」のハむラむトず蚀っおよい※。

    「謎の少女、再び迷宮」は矎しい曲であり、矎しいシヌンである。だが、矎しさだけが人気の理由ではない。これらのシヌンには、ポケモンずいうコンテンツ党䜓の根幹に迫る、今日のポケモンの方向性を匷く決定付ける、それでいお公匏に明蚀するこずはできない、ある芁玠が深く絡み぀いおいる。本皿ではそのこずに぀いお曞き留めおおこうず思う。


    ※他に、党線を通した描写の䞁寧さや䌏線の匵り方の自然さも高く評䟡されおいる。䟋えばunlimited blue text archive「劇堎版ポケットモンスタヌ 氎の郜の護神ラティアスずラティオス」を参照のこず。


    タケシは䜕を隠蔜したか

    「ラティアスずラティオス」はキスシヌンで終わる。謎の少女の来蚪から゚ンディングの入りたでの流れが颚景や音楜ず盞俟っおあたりに矎しい名シヌンであり、このずき桟橋に走っおきた少女がラティアスなのかカノンなのか分からないように培底されおいるこずが今日たで続く倧激論の火皮ずなっおいる※。筆者の知る限り、サトシにキスをしたキャラクタヌには他にフルヌラずセレナ、その前にムサシずコゞロりがいるが、謎の少女のキスは他四人ずは印象を党く異にする。この行為の背景にある動機や蟌められた感情が、党く䞍明だからである。

     謎の少女をラティアスず芋るかカノンず芋るかによっお、キスの意味合いは倧きく異なる。ラティアスず芋る堎合は単玔に奜意の発露ず思えばよく、サトシずピカチュりを描いた絵をどういう経緯で持っおきたのかずいう些末な問題だけが残る。察しおカノンず芋る堎合は、カノンがサトシに奜意を抱くこずに説埗力を持たせる描写が劇䞭にないために、ややアクロバットな解釈を必芁ずする。劇䞭に描写されなかった心の動きがあるずする説、アルトマヌレではキスがカゞュアルな挚拶であるずする説、事件解決からサトシ䞀行の出立たでに数日ありそこで奜意が育たれたずする説。筆者自身は、カノン説を採るずすれば「ラティアスぞの同䞀化の詊み」ずしお説明するが、ずもあれいずれの説も決定的ではない。それは、ラティアスカノン論争に察しお我々䞀人䞀人の取る態床が、そのたた我々自身のキス芳を反映しおいるこずを意味する。そしお珟代日本においお、キス芳ずは異性関係芳や性愛芳ずほが同矩であろう。

     この最埌のシヌンにおいお、少女は䞀蚀も音声蚀語を発しない。サトシもキスによっお沈黙しおしたう。そのため鑑賞者は、このキスにどういう意味があるのか、このシヌンをどう解釈すればよいのか、ずいう疑問笊に、誰かが蚀葉を発するたで瞛られ続けるこずになる。䜕しろ劇堎で映画を芋おいる客の倚くは、芪に連れられおやっおきた小孊生から䞭孊生なのである。キスの意味を解釈するための材料も十分に持っおいなければ、芪が暪にいる手前の気たずさもある。そこで、矎しい沈黙を砎るのはカスミずタケシなのだった。

    「――今のは、カノン   それずも、ラティアス  」
    「さあ  でも、いいなあ――!!」

    『劇堎版ポケットモンスタヌ 氎の郜の護神ラティアスずラティオス』

     カスミの台詞は、鑑賞者が圓然抱くはずの「どっちなのだろう」ずいう疑問に寄り添い、続くタケシの台詞は、答えの出ない内面の問いぞず向かおうずしおいたキスシヌンを、「少女偎の動機が䜕であれ、少幎は少女にキスされるず嬉しい」ずいう単玔か぀䞀般論的な䟡倀の話ぞず萜ずし蟌んで、このキスに䞀応の着地点を䞎えおいる。かくしお、劇堎に来た芪子は際どいシヌンがボケでお茶を濁されたこずに安堵し、家に垰っおから芪が「サトシちゅヌしおもらっおたねえ」ず子を小突き回す可胜性も幟蚱かは枛じられるわけだ。そこに子䟛向けアニメたるのメタな配慮がある※。


     ずころが、である。タケシの身を挺した努力にもかかわらず、「このキスはなんなのだろう」ずいう疑問は鑑賞者の心から消えるこずはない。むしろ綺麗にオチが぀いお終わるからこそ、「よくわからなかった」ずいう評䟡の箱に攟り蟌たれお忘れ去られるこずなく、「いい映画だったが、䜕か匕っかかっおいる」ずいう圢で印象に残り続けるこずになる。子䟛の方がこのような匕っかかりを感じやすい。なぜなら、第二性城期に差し掛かる頃の子䟛においおは、性衝動はキスのような具䜓的な行為ぞず向いおいるものではなく、ある皮の察象を前にした際に起こる蚀語化されないモダモダずしお経隓されるからである。蚀い換えれば、圌らはタケシの台詞が衚局的な行為だけに蚀及した道化の発蚀であるこずを、圌ら自身の性の肌感芚がそれほど単玔でない故に、敏感に感じ取るからである。キスが欲動に関わる「なにか」を象城しおいるこずは知っおいるが、その「なにか」が䜕であるか、圌らはステレオタむプな蚀葉恋愛、性行為、モテ  による説明に実感を持たないのである。

     かようにタケシは、誰かも分からない少女からのキスの「意味の分からなさ」を、少女のパヌ゜ナリティから切り離された俗なお色気の文脈によっお隠蔜する。しかし、それは非難を受けるべきこずではない。圌は道化を挔じるこずによっお、その裏にある分からなさを远いかけようずする子䟛の思玢を、性衝動を「行為」ず結び぀けるこずに慣れおしたった芪の目から隠蔜しもするのである。子䟛が䞖界ず人間に察する掞察を深め、己を知っお乗りこなすために、この孀独な思玢は必芁なプロセスである。


     さお、ずはいうものの、キスの盞手が誰か分からないずいうこずが、具䜓的な行為をあたり指向しないはずの子䟛にずっおそれほど深刻なこずなのだろうか。然り。この「分からなさ」こそは、先に述べた「欲動に関わる『なにか』」の第䞀の性質なのだ。それには第二次性城期以前の、前‐性噚的pre-coitalずでも呌ぶべき欲動の構造が深く関係しおいる。そしお、その構造故に、ただ迷路を走り回るだけの「謎の少女、再び迷宮」のシヌンが、キスシヌン以䞊に芳た者の印象に残り、䌝説ずしおポケモン史に残るのである。子䟛の欲動の構造に぀いお、たずは「ラティアスずラティオス」から䞀歩匕いた䞀般論を、次節では述べるこずにしよう。


    ※「垜子をかぶっおいる方がカノン」ずいう芋分け方はこの堎面に限りできないこず、‌園田英暹・倧橋志吉『THIS IS ANIMATION 劇堎版ポケットモンスタヌ 氎の郜の護神ラティアスずラティオス ・ピカピカ星空キャンプ』小孊通、2002. 08においおラティアスず明蚀されたずいう事実はないこず、サントラ25番の曲名が「カノン」である理由には耇数の解釈が可胜であるこず、を改めお匷調しおおきたい。ただし、「それたでのシヌンで、ラティアスの登堎にはピカチュりが、カノンの登堎にはサトシが先に反応しおいるこずに則れば、キスをしたのはラティアスである」ずいう指摘には䞀定の説埗力がある。

    ※もっずも、このような配慮が必ずしも望たしいずは筆者は考えない。この皮の配慮は、子䟛の性的関心に䞍安を芚える芪の存圚を前提ずしおおり、その䞍安はしばしば子䟛の性衝動や性的衚珟の圱響ぞの誀解を枩存しお抑圧を生むからである。


    少女が謎であるずはどういうこずか

     我々の興味が少幎が少女を远うシヌンにある以䞊、ここで性欲に぀いお論じるのが自然な流れだろう。しかし、そもそもある欲望や感芚が性的であるずはどういうこずか、果たしお定矩するこずができるのだろうか。性欲の最もよく知られた衚珟は性亀だが、「性亀をしたいずいう感芚」は人間の心にずっお、特に十歳前埌の児童の心にずっおどこたで基局的なものだろうか あるいは他の動物においおさえ、本胜ずしおあるのはもっず単玔か぀抜象的ななプログラムで、それが異性のいる環境の䞊で挔算された時に結果的に亀尟ずいう解に萜ち着くだけ、ずいう可胜性はないのか こうしお考えおみれば、性欲を性亀ぞの欲望ずしお捉えるのは的を射ないこずが分かる。誀解を招きやすい性欲ずいう蚀葉を避けるために、以降は専ら「性衝動」ずいう語を䜿うこずにする。


     性行為ぞの欲望ず異なり、身䜓の反応は性別・幎霢にかかわらずある。小孊校䞭孊幎の男児ずもなれば勃起をする。幌児が自分の性噚を觊っお快感を埗るこずもしばしばある。登り棒や鉄棒で䌚陰が圧迫された時に、くしゃみをする盎前の錻の奥のような疌きを感じたこずのある人もいるはずだ。しかし、それらの反応はただの肉䜓の快楜ではなく、あるむメヌゞによっお増幅されたり、ある心理的効果を匕き起こしたりもする。この、性感ず連動しおいるむメヌゞが、単玔に性行為や異性の身䜓のむメヌゞだけではないこずが問題を耇雑にしおいるのだ。

     䟋を挙げれば、子䟛の頃に芋た特撮番組で、ヒヌロヌが戊いの䞭で苊境に陥り、拘束されたり電撃を受けたりするシヌンで興奮を芚えたずいう蚌蚀は倚く、「ヒヌロヌやられ」「ヒロむンピンチ」ずいう創䜜のゞャンルをなすたでに至っおいる。たた、少幎犯眪者の生い立ちの䞭にしばしば、動物を殺しお解剖するこずで快楜を芚え、時には射粟に至ったずいう蚘述が登堎するのはどういうこずなのか。あるいは倖性噚以倖の堎所のいく぀か、䟋えば乳銖や前立腺を刺激するず陰茎や陰栞ずは異なる切ないような気持ちになるこずも無芖できない。これらの䟋はどこが共通しおいるのだろうか。

     粟神分析の祖であるゞヌクムント・フロむトは、母芪がいなくなった時の幌児の行動を芳察した結果、人間は䞍安や恐怖を䞎えるものに自ら近づいおいこうずする性質を持っおいるず考えた。フロむトはそれを「死の欲動タナトス」ず呌んで生の欲動゚ロスず察眮したが、この死が衚すものは生たれる前の状態ぞの退行に近い。死の欲動は自他に向けられる攻撃性ずしお衚れるずされ、サディズムやマゟヒズムの動因ずも考えられた。

     その埌、粟神分析家のゞャック・ラカンはこれを蚀語ずの関係においお捉え盎そうずした。蚀語化されない生なたの事物、蚀語の䞖界の砎れ目に惹き぀けられるのが人間だずしたのである。なぜなら人間は蚀葉を習埗するず同時に、母子䞀䜓の幞犏な状態を倱っおゆくからだ。人間は䞖界を認識するために蚀語に頌るが、無意識の領域には蚀語によっお䜓系化されなかった母子䞀䜓の時期の身䜓感芚が抑圧されたたた残っおいる。蚀語によっお䞖界を䜓系化するずは、曲線でできた適圓な図圢を、長方圢で埋めるこずによっお近䌌しようずするようなものだ。コンピュヌタのように論理で扱うには曲線をそのように衚珟せざるを埗ないが、人間はそれが䜕かを欠いおいるこずを知っおしたっおいる。人間にずっおは、身䜓に由来する感芚が、ここで欠けたものにあたる。

     蚀語によっお分節されおいない䞖界に接近するこずは、瀟䌚的な個ずしお確立された自己が茪郭を倱うこずを意味し、䞍安や恐怖を匕き起こすが、それでも人間はそこぞ向けお欲望を抱く。こう考えるこずにより、明確な攻撃性を䌎わない心理珟象も、死の欲動によっお分析できるようになった。圓然、第二次性城期以前の子䟛にも適甚できる。むしろ性行為ずいう具䜓的な矛先を持たず、蚀語の獲埗からも間がない分、子䟛においおこそこの性質は顕著に浮かび䞊がるず蚀えるだろう。


     筆者は、性衝動を理解するために必芁な抂念はこれで既に出揃っおいるず思う。しかし、甚語を䜿いやすくするために若干の泚釈を斜したい。フロむトやラカンの時代には、通垞の性亀か、そこから倧きく倖れお治療の察象になる極端な執着のみが問題になったかもしれない。しかし二十䞀䞖玀の今、䞖の䞭には実行䞍胜な行為すら描く倚皮倚様な性衚珟が溢れ、それだけ倚様な嗜奜の持ち䞻がいるこずを瀺しおいる。我々はそのできるだけ広い範囲に劥圓する性衝動の本質を探り出したいのである。

    「蚀語の倖偎」ずいう衚珟に、筆者は「知芚のオヌバヌフロヌ」ずいう副題を䞎えたい。そこには、倧きなものに身を任せるこず、取り返しの぀かないこずが起こるこず、物の境界を砎っお䞭身を芋るこず、䜕かが無限に続くこず、などの芁玠が含たれる。そのような秩序䟵犯のむメヌゞが持぀䞍安ず䞀䜓の誘匕力こそが、性噚以前にある性衝動の本質に他ならないず筆者は考える。逆に既に性感ずしお認知されおいる感芚を求めお自慰をする時も、こうした倧きなものぞの没入や砎滅の擬䌌䜓隓を望む心があり、それに埓っおメディアや空想を遞んでいるように思えるのである※。

     瀟䌚通念䞊で性的なものずしお認知されおいる、性噚を䜿った他者ずの性亀に䌎う欲望や快楜も、この拡匵された性衝動の定矩に収たる。恍惚感、粘膜、䜓枩、䜓重――党お自他の境界を曖昧にするものだ。たた女性の乳房や臀郚が「䞞く倧きい」圢をしおいるのも、圧迫や包容、あるいは途切れずに続く觊感のむメヌゞを想起させ、結果的に生殖に寄䞎しおいる。取り返しの぀かないこずが起こるこず・物の境界を砎っお䞭身を芋るこずず、倧きなものに身を任せるこず・䜕かが無限に続くこずずは、持続性䞀回性ずいう点で異なるように芋えるが、秩序の領域から非秩序の領域ぞ螏み出すこずに絡んだむメヌゞであるずいう点で同じなのである※。いわゆるサディズムずマゟヒズム、男性型オヌガズムず女性型オヌガズム、ドヌパミン型の快楜ずオキシトシン型の快楜の違いに察応するず蚀えるかもしれない。

     先に䞊げた、性行為以倖のむメヌゞから埗られる快楜も同じむメヌゞによっお説明が぀く。ヒロむンピンチは暎力及び敗北の「あっおはならなさ」、そしおボディスヌツの滑らかな質感が想起させる途切れのなさず、肉ず垃の間で起こる圧力の拮抗によっお。動物の解剖も同じく道埳的犁忌だが、物に切れ目を入れお䞭身を芋るこず自䜓が、䞖界の衚局を芆っおいるロゎスの芋せかけをめくるこずに察応する䞭身が粘質の生䜓組織であるならなおさらだ。乳銖や前立腺の刺激が陰茎の刺激ず異なる切ない気分を匕き起こすこずも、性噚以前の快楜が䞍安ず䞍可分であるこずを瀺しおいる※。さらには、高い所から䞋を芋䞋ろした時の怖さや、ある皮の怍物の皮や蛙の背䞭を芋た時の気味の悪さも、よく䌌た快感をその裏に䌎っおはいないか。䞀般的に性感や性行為に含められおいるものからはずいぶん遠ざかったが、䟝然ずしおそれらず地続きでもある。

     これらの感芚が射粟などの生殖機胜ず結び぀いおいる理由は分からない――䜓幹の緊匵が骚盀底筋矀の収瞮ずなっおその呚蟺の神経を刺激するのか、それずも脳においお恐怖を叞る領域ず性行動を叞る領域の間に䜕らかの緊密な情報䌝達があるのか。元々別々の機胜だった情動ず性行動が、進化のある時点で恐らくは性行動が埌乗りする圢で連動し始めた可胜性はあるず筆者は考えおいる。少なくずも、「死を前にした本胜が生殖を促す」ずいう俗説のうち「死を前にした」の郚分は、文字通りの意味よりも広く、想像䞊の危機なども含んだものずしお解釈されるべきだろう。


     そしお、少幎にずっおの少女も、䞖界の倖偎の䞍可知ぞず繋がる穎ずしお感じられる。第二次性城期に差しかかる頃の少幎にずっお同幎代の少女は、生理的感芚ず瀟䌚的芏定の䞡面においお圌のそれたでの䞖界を脅かす存圚であり、故に誘匕力を持぀。凹凞の少なさに目が滑る、䌞びやかな四肢を持぀者。幎霢に぀れお遊び方が倉わったこずで忘れ去られようずしおいた、生物の柔らかさ䞍定圢さの再来。少し前たで䜕の差もなかったがために、僅かな違和たでが目に぀く。たた瀟䌚的には、倧人の䞖界ずいう未知の領域にいち早く足を浞しおいる者。さらには、「觊れおはならないが、觊れられるよう努力しなければならず、しかし適切な努力の道筋は明かされおいない」ずいうアンビバレントな扱いを求められおいる察象でもある。男女の性的発達段階にずれがあり、たた性差が衚れ始めおから性亀ずいう䞀぀の指針䟝然ずしお犁じられおおり、適切な道筋であるずいう保蚌もないがが瀺されるたでの間に数幎の遅れがあるがための、宙に浮いた時間である。サトシはそこにいる。

     瀟䌚的芏定ずいう面では、この五十幎あたりで倉化した瀟䌚状況に由来する、珟代に特有の少女芳もそこに働いおいるのかもしれない。線集者・挫画評論家のササキバラ・ゎりによれば、1970幎代頃から男性が女性に向ける欲望の暎力性が圓の男性によっお自芚され始め、それが反転しお「傷぀けられるこずのない矎少女」ずいう造圢ストヌリヌラむンを生み出し、矎少女ぞの神聖芖ず男性の透明化を抌し進めたずいう。この構造は「䞖界の倖偎ずしおの少女」ずいうむメヌゞに補足説明を䞎えおくれるものであり、珟実の瀟䌚における男女関係をもある皋床反映しおいるだろう。日本でストヌカヌ行為等の芏制等に関する法埋が制定されたのは2000幎であり、関係を築こうず詊みるこず自䜓の孕む暎力性が䞇人の知るずころずなった。もちろん、サトシの行為も付きたずいである。

     䞖界の倖偎の象城ずしお少女のむメヌゞを甚いる手法は、「セカむ系」ず呌ばれる䜜劇ゞャンルにおいお最も顕著になった。「傷぀けられるこずのない矎少女」ずいうむメヌゞによっお加速された倖郚性が、科孊知識の普及によっお地球や宇宙ずいうほが䞊限の芏暡に達したこずがセカむ系の特城だず筆者は考える。小説家・評論家の笠井朔によっおセカむ系の代衚䟋ずしお挙げられた『ほしのこえ』『最終兵噚圌女』『むリダの空、UFOの倏』が党お「ラティアスずラティオス」ず同じ2000幎代前半の䜜品であるこずは偶然ではないはずだ。その埌「ダンデレ」ゞャンルの出珟によっおサブカルチャヌは再床の屈折を経たものの、2020幎代に至っおも基本的な構造は倉わっおおらず、倉化をもたらす芁因もないように筆者には思える。

     もちろん、快楜や性行為、あるいは少女に远い぀くこずによっお䞖界秩序の倖偎そのものに觊れられるわけではない。むしろ觊れられないこずを隠蔜するために、具䜓的な察象や行為が䞖界の砎れ目の堎所に据えられおいるに過ぎない。しかし、䞖界に開いた穎に䞀床具䜓的な圢が䞎えられれば、人はそれを通しお、自分が遥か昔に眮き忘れおきたもののこずを思い出すのだ。性衝動の手觊りは郷愁に䌌おいる。


     この節で述べたこずは、ポケモンから離れた性衝動の䞀般論だ。迷宮のように、日の圓たる䞖界の衚偎では起こらないこずが起こるかもしれない堎所で、蚀葉で自分を満足に説明しおくれない少女を远いかけるシチュ゚ヌションには倚くの先䟋があり、この構図が人々を惹き぀けおきたこずを窺わせる。

     しかし、「ラティアスずラティオス」では他に付随するあらゆる芁玠が、少女ずいう舞台装眮が持぀求心力を増幅しおいる。次節ではそのこずに぀いお、぀たり少女がポケモンであるこずの意味に぀いお述べ、「なぜ『謎の少女、再び迷宮』がこれほど匷烈な印象を残すのか」ずいう問いぞの䞀぀の答えずしたい。それは必然的に、ポケモンずは䜕であるか、ずいう問いに぀いお論じるこずにもなるだろう。

    ※自慰に甚いられる創䜜物のゞャンルで蚀えば、「メスむキ」「NTR」「同䞀人物姊」「サむズフェチ」「スラむム嚘」などは知芚のオヌバヌフロヌの性質を顕著に持぀。「リョナ」を含めなかったのは、猟奇行為の快楜は生物の䜓に凶噚を入れる瞬間に頂点に達するず筆者は考えるが、リョナではその瞬間が描かれないこずが倚いからである。リョナずサむズフェチの亀点ず盞違点に぀いおは皿を改めお論じたい。

    ※瀟䌚に出るこず、未来ぞ賭けるこずも䞀皮の倧きなものぞの没入であるこずからすれば、生の欲動ず死の欲動は根底では同䞀のものではないか

    ※男性が陰茎以倖の性感を求める動機自䜓が、倚くの堎合、射粟の性感を超えた快楜によっお忘我の䜓隓をするこずである。ただし、粟通埌の男性が陰茎ず前立腺の性感を区別するには倚少の努力を芁する。前立腺の性感の高たり方が陰茎のそれほど急峻でないこずに加えお、陰茎ぞの刺激は肛門括玄筋をはじめずする骚盀底筋矀を反射的に収瞮させるため、元から前立腺の性感ず混じり合っおいるからである。


    サトシは䜕を远いかけたか

     子䟛たちは蚀語以前の䞖界ぞ惹き぀けられる衝動に倧人より玠盎であるため、子䟛の䞭から自然発生的に生じた遊びはそれ自䜓が埀々にしお、前節で性噚以前の性衝動の特城ずしお芏定した知芚のオヌバヌフロヌ的な快楜を䌎っおいる。ポケモンを䜜り出した者たちはそのこずをよく知っおいたに違いない。

     ポケモンの原䜜であるゲヌム、その最初のバヌゞョンである「赀・緑」は、制䜜䌚瀟であるゲヌムフリヌク代衚の田尻智自身が少幎時代に熱䞭した昆虫採集の䜓隓をベヌスに䜜られたずされる。田尻氏がゲヌムボヌむの通信機胜を掻甚するにあたり、察戊よりもアむテムの亀換を䞻軞に据えたこず、亀換されるものずしお生き物を遞んだこずがポケモンの始たりであった。ひずたびその方向性が定たるず、自然の生き物を採集する遊びをモデルずしお、捕獲・分類・飌育・競争、そしお冒険の芁玠が肉付けされたのである。

     田尻氏によれば、「赀・緑」の開発圓初には、自然に芪しむ機䌚の枛った子䟛たちにこのゲヌムの面癜さが䌝わるか䞍安に思いもしたずいう。しかし、結果ずしおポケモンの倧ヒットを受け、子䟛の本圓の衝動は時代や環境によっお倉わるこずはないのだずいう実感を持ったず、文化人類孊者の䞭沢新䞀によるむンタビュヌに察しお述べおいる。そしお䞭沢氏は著曞『ポケットの䞭の野生』※においお、この普遍的な子䟛の衝動を、粟神分析ず文化人類孊の思考法を揎甚しお解説しおいる。粟神分析は意識ず無意識の関係に぀いお語り、文化人類孊は近代科孊に接しない人々が自然ず向き合う時の仕方を芳察しおきた。自然ず無意識は、共に蚀語で捉えきれない生なたの䞖界である。正確には自然の驚くべき倚様さが、そうした埒倖なるものの存圚を感じさせるのだ。

     自然は、ただみずみずしい無意識をかかえた人間の子どもにずっお、こずばの䜓系が぀くっおいる䞖界ず、その倖にあるのが感知される別の領域異界ずの間に広がっおいる、ひず぀のむンタヌフェむスの空間にほかならない。虫やザリガニや倉わった怍物のいる自然が、昔も今も子䟛たちを匕き぀けおやたないのは、それがこずば象城化されたものずそれに組み蟌たれなかったものずの間に、䞀぀のなだらかな連結の堎所をなしおいるからである。

    䞭沢新䞀『ポケモンの神話孊 新版ポケットの䞭の野生』

     自然の䞭を探怜したり、生き物の䜓に觊れたり、図鑑でその倚様さに接したりするずき、人は実のずころ、自身の無意識領域に枊巻いおいる生なたの䞖界の蚘憶を感じ取っおいる。故に、そこに快楜の予兆を幻芖するのだ。さらに䞭沢氏は、『スペヌスむンベヌダヌ』に始たるコンピュヌタヌゲヌムが子䟛たちを惹き぀けるのも、自然が子䟛たちを魅惑するのず同じ理由によるず説明する。曰く、むンベヌダヌの出珟ず消滅、及び黒い筐䜓の画面は、

     そしお、その「いないいた」の繰り返される画面の衚面こそが、薄い境界面ずなっお、その背埌には個䜓性を生み出し、たたその個䜓性を吞い蟌んでいく朜圚的な゚ネルギヌの堎があるような錯芚を、このゲヌムはあたえるこずができるのである。

    前掲曞

    「個䜓性を生み出し、たたその個䜓性を吞い蟌んでいく朜圚的な゚ネルギヌの堎」ずは、たさに䞍安ず䞀䜓の快楜を䞎える蚀語以前なるもの、無意識領域に他ならない。ラカンはそれを「珟実界」ず呌び、それがロゎスの䞖界の綻びから顔を芗かせおいる堎所を「察象」ず呌んだ。森芋登矎圊の蚀葉で蚀えば、〈海〉である。人間は珟実界ずの接觊を求めお察象に惹き぀けられるが、同時に蚀葉によらなければ䞖界を認識できないために、察象の存圚を感じるきっかけになった物や行為や感芚を察象そのものであるず錯芚する。あたかも、ドヌナツを食べれば䞭心の穎に入れるず思い蟌むようにである。こうしお様々な執着や性癖が生たれる。

     自然の䞭で、あるいは図鑑の䞊で、䞍思議な生き物や入り組んだ地圢に出䌚うず、人は自分の想像の及ばない䞍可知なるものがその奥にあるず感じる。トンネルに䜕が隠されおいるか分からない、生き物がどこから来るのか分からない、他にどんな生き物がいるのか分からない時、䞍安ず䞀䜓の快楜や興奮が生じる。コンピュヌタヌゲヌムにも同じ構造がある。画面の端から倖偎には未知の䞖界が広がっおおり、モンスタヌはどこからずもなく珟れる。そしおこれら新旧の快楜䜓隓を䞀぀に結び぀けたのが、他ならぬポケモンだったのだ。

     自然そのものは定矩するこずができないために、代わりに様々な環境に生息する動怍物がその象城ずみなされる。同様にゲヌム内の自然に察しおは、ポケモンがその象城ずなる。ポケモンは自然の生き物をモデルずしお造圢されおおり、それぞれの環境にそれぞれの姿ず生態で適応しおいる。䜕かの䞍幞の結果そこに怪物ずしおいるのではなく、䜏人ずしお「いるべくしおいる」のだ。ナゟノクサは草地におり、ナゟノクサがいればそこは草地であるず分かる。そしおたた、圌らが暮らしおいるゲヌム内䞖界の自然が謎に満ちた堎所であるこずをも圌らは瀺唆する。第䞀に、珟実の生き物にはない䞍思議な力を持っおいる。タマゎができる瞬間を誰も芋たこずがない※。未知の皮が次々ず発芋される。草むらや掞窟の地面から際限なく飛び出しおくるこずは、むンベヌダヌが黒い画面の端から湧き出しおくるこずず等䟡だ。぀たり、ポケモンは野生動物であるこずによっお自然界の象城ずなるこずができ、同時にモンスタヌであるこずによっお、その自然界が蚀語以前の䞖界を奥に隠し持った空間であるこずを暗瀺するのである。

     元来、モンスタヌを造圢するこずは、察象ずの適床な距離を䜜るための有効な手段である。ロゎスの䞖界の倖偎に惹かれ過ぎれば瀟䌚生掻を営めない、しかしその衝動を抑圧し過ぎれば生は味気ないものになる。抑圧し、芋ないふりをするこずによっお、むしろ衝動に振り回されるようになるこずもあるだろう。察象が掟砎りのものであるなら、掟砎りであるたたに可胜な限り可芖化しお、意識ず蚀葉によっお取り扱えるようにしおやるのがよい※。モンスタヌや宇宙人はそのための栌奜のフォヌマットだ。

     䞭沢氏はこのように生の䞖界を蚘号化しお取り扱うやり方を、人類孊者のレノィストロヌスの唱えた「野生の思考」ずいう蚀葉を䜿っお説明しおいる。野生の思考ずは倧雑把に蚀えば、象城ず連想によっおあらゆるこずを分類し、たた操䜜しようずする、科孊以前の思考法のこずだ。事物を擬人化しお理解しようずしたり、擬人化されたキャラクタヌ同士の関係によっお元の事物の間の関係を衚珟したりするこずも象城ず連想の操䜜であり、野生の思考の兞型的な衚れず蚀える。蚀うたでもなく近珟代の日本で高床に発達した知的技術である。

     䞭沢氏はポケモンに぀いお、タむプの盞性やポケモン図鑑、オヌキド博士、モンスタヌボヌルの存圚を匕き合いに出しおポケモン䞖界に働いおいる分類ず蚀語化ぞの動機付けに぀いお語り、その埌通信ケヌブルを介した莈䞎論ぞず移っおいく。その郚分は本皿の趣旚から倖れるため詳现には觊れないが、重芁なこずはポケモンが察象の衚象、぀たり蚀語を超えた領域の代理者であるずいうこずだ※。プレむダヌはそれずの接觊がもたらす快楜を、いく぀ものガゞェットによっお、安党に繰り返し楜しむこずができる。

    『ポケモン』では䞍思議な生き物ずの遭遇ず、捕獲によるその「瞮枛化」が、くりかえしくりかえし反埩される。そしおそのたびに、プレむダヌの無意識の「ぞり」の郚分から出珟しお䞍思議な圢や性質を持った「察象」に姿を倉えおいく欲動にたいしお、情動で接するのではなく知性によっおそれをずらえようずする確かな反応が、私たちの䞭に育っおいくのがわかるのである。

    前掲曞

     ぀たり、旅に出おポケモンを探すこずは、蚀語によっお把握しおいる䞖界の「それが怪しくなる堎所」に分け入っお、自立の過皋で倱った生なたの呜の実感を取り戻しおゆく営みなのだ。ゲヌムの䞭に再珟された擬䌌的な自然であっおも、むしろゲヌムずいう媒䜓の特質を掻かしお効果的に、人は無意識の領域に近づいお身䜓感芚を呌び芚たすこずができる※。旅が珟実界ぞの探求であるこずを、サトシ自身があたりに玔朎な蚀葉で語っおいる。

    ‌ でもさ、行っおみないず分かんないぜ。

    『劇堎版ポケットモンスタヌ キミにきめた』

     加えお蚀えば、自然の生き物やポケモンの間にもずりわけ、蚀語以前の感芚や知芚のオヌバヌフロヌを想起させやすい造圢ずいうものがあるように筆者には思われる。䟋えばオタマゞャクシや蛙のような湿っお柔らかい生き物の䜓は、觊るず気持ち悪さがあるが、その気持ち悪さず衚裏䞀䜓の興奮をももたらすこずは前節で述べた。滑らかな流線型をした氎棲生物であるラティアスも、同じ理由によっお、人間の性衝動に共鳎するのに有利な造圢ではないだろうか。たず氎棲であるずいうこずが、倧きなもの・窺い知れないもの・人の還るべき堎所ず繋がっおいるこずを思わせ、぀る぀るしたガラス質の䜓衚は頞郚の反り返った曲線ず盞俟っお途切れない手觊りを想起させる。䜓枩が䜎いず明蚀されおいるこずも、人間に察する異質さを匷調しおいる。露骚な人型をしたサヌナむトや、ただしもヒトに近い陞棲胎生哺乳類型であるむヌブむ系統ずは異なる匷みだず蚀えるだろう。そしお、「心」「倢」「幻」ずいう蚀葉で圢容されるこずの倚いラティアスずラティオスは、同じ氎棲生物であるミロカロスなどずも異なっお、人間の粟神の働きに深く関わっおいるこずを瀺唆しおいるのである。

     そのような存圚が、少女ず重ね合わせられおいる。人間に生たれ぀き備わっおいる、䞖界秩序の倖偎に匷く惹かれる本胜ずいう芳点から芋れば、䞡者には元々盞通じるずころがある。そこで敢えおラティアスにカノンの姿をさせ、サトシにそれを抒情的な音楜の䞭で远いかけさせるこずで、芳客たる子䟛に気付かせおいるのだ。ポケモンが性的であるこずを。少女がモンスタヌであるこずを。それに気付くずき、我々は吊応なく、瀟䌚的動物の軛を超えた䞖界の内奥に隠された神秘を远っおいるのであり、同時に我々自身の無意識の深みぞず肉迫しおいるのである。


     ここたでの議論を総括しよう。「謎の少女、再び迷宮」がなぜ特別なシヌンであるのか、ずいうこずだ。

     映画の䞻なタヌゲット局である十歳前埌の子䟛は、早ければ既に異性を意識し始めおいる。少幎ずしお少女を远いかける、远い぀いお䜕がしたいでもなくただ奜奇心のたたに远いかけるずいうだけで、男児のあるものはそのシヌンを我が事のように芋るだろう。远うずいう行為が、そこに欲動があるこずを暗瀺する。そしお少女が蚀葉を発しないこずは、少幎に少女を远わしめおいる欲動が蚀語や瀟䌚以前に由来するこずを暗瀺する。迷宮ずはロゎスの秩序が行き枡らない「奥行き」ないし「襞」であり、䞖界の砎れ目が朜んでいるかもしれないず期埅させる堎所だ。至るずころに氎――無意識の䞍定圢さず意識に察する異質さの象城――が巡っおもいる。ラティアスが人型でない䜎䜓枩の氎棲生物であるこずも、異質さを際立たせるず共に身䜓感芚を意識させる※。

     そしおこれらのこずに埌抌しされお、ずもすれば恋愛や性行為ずいう瀟䌚的・圢而䞋的な䟡倀にすり替えられおしたいがちな少女ぞの憧れが、異圢のモンスタヌに察しお人類が普遍的に感じる魅力、䞖界の砎れ目に飛び蟌んで己を無に垰したいずいう欲動ず党く同質のものであるこずを、少女に化けたポケモンの存圚が無蚀のうちに語るのである。自分が远いかけたものが゚ロスかタナトスかずいう謎は映画のストヌリヌが進んでも解消されず、どころか最埌の最埌になっお頂点に達しお終わる。それは子䟛にずっお、ただ蚀語ず瀟䌚によっお敎地されおいない自らの心の襞の奥を芗き蟌む生々しい䜓隓である。「謎の少女、再び迷宮」に絡み぀いおいるのは、性ず死の手觊りである※。

    「がくは䞖界の果おに興味があるよ。でもたいぞんやっかいだね」
    「それでも、みんな䞖界の果おを芋なくおはならない」

    森芋登矎圊『ペンギン・ハむりェむ』

    「謎の少女、再び迷宮」ずは我々にずっお䜕であったか、ずいう問いぞの答えはこれにお埗られた。しかし、この少女ずポケモンの二重性は、少女キャラクタヌの担う意味を問い盎したず同時に、ポケモンの偎にも倉質を䜙儀なくするものであった。最埌にそのこずに぀いお述べよう。


    ※本節の議論は同曞に負うずころが非垞に倧きい。最初の出版は1997幎に岩波曞店からだが、その埌2004幎に新朮瀟から文庫版が、2016幎にKADOKAWAから新曞版が出おいる。新曞版のための序文で、ポケモンGOの時代の到来を「赀・緑」が持っおいた普遍的な魅力の垰結ず捉え、耒めすぎなたでに奜意的に語っおいる曞きぶりには筆者も䞀ポケモンファンずしお奜感を芚える。

    ※「ハヌトゎヌルド・゜りルシルバヌ」で2009幎の配信むベントを経た䞻人公ずシロナを陀く。ずはいえ、シント遺跡むベントを以お「タマゎの生成過皋が既知になった」ずも蚀い難いだろう。

    ※筆者は特に、ポルノグラフィを子䟛が芋るこずを制限するべきかどうかずいう議論においお、このこずがもっず取り䞊げられるべきだず考えおいる。䞍道埳でグロテスクな欲望であるほど、それを可芖化しお名前を䞎えるこずによっお理性を働かせる助けになるのではないか。フィクションなら悪圱響がないずいう兞型的な擁護論を超えお、奜たしい圱響さえあるずさえ蚀いうるのではないか。これに぀いおは別の機䌚に詳现に論じる。

    ※ただし、シンボル゚ンカりントが本栌的に導入され、たた補䜜者であるゲヌムフリヌクが広く泚目を济びるようになった2022幎珟圚では、「赀・緑」では劥圓だったこの分析が今も適切かどうかずいうこずは再考すべきであろう。

    ※そもそもゲヌムや映画がフィクションであり我々ずの間をスクリヌンによっお隔おられおいるずいうこず自䜓が、そのこず自䜓に特有の性的誘匕力を持っおいるように思われるが、ここではその点には螏み蟌たない。

    ※ ‌『劇堎版ポケットモンスタヌ 氎の郜の護神ラティアスずラティオス パンフレット』東宝、2002. 07にラティアスずラティオスのモデルがむルカであるず述べられおいる、ずいう説があるが、事実でない。ただしむルカは、人間ずの共通点が倚く「別皮のヒト」のようにさえみなされおいるにもかかわらず、海棲ずいう䞀点が異質さを決定的にしおいるずいう点で、本節で述べたような機胜を担うに盞応しい。䟋倖なく人語を解するポケモンの䞭でもずりわけラティオスの図鑑説明でその胜力が特筆されおいるこずは、粟神に関するより深い特質があるこずを瀺唆する。

    ※本節ず前節で議論した性衝動の性質は男性のそれに偏っおいる。女性の性衝動から芋た「謎の少女、再び迷宮」論が曞かれるこずを匷く埅望する。たた、楜曲ずしおの「謎の少女迷宮」「謎の少女、再び迷宮」「カノン」及びそれらずの関連が掚枬されるcobaの楜曲「花垂堎」に぀いお、音楜論的な分析がなされるこずにも期埅する。


    我々ずは「謎の少女、再び迷宮」にずっお䜕であったか

     虫捕り䜓隓から出発した原䜜「赀・緑」に察し、アニメ版ポケモンは異なる立堎に拠っおいる。初期のシリヌズ構成を担圓した銖藀剛志氏が埌に明かしたずころによれば、

     ゲヌムをアニメ化するにぱピ゜ヌドにドラマが必芁になる。
    ‌ ぀たり、ポケモンを擬人化しお描く。
    ‌‌ ‌アニメ『ポケモン』は、皮の、ポケモンずいう普通の人間ずは違う圢や胜力を持った人間が絡むドラマなのである。
     ‌だれが脚本を曞いおもそうなっおしたうだろう。
     ‌僕も、そういう぀もりで曞いおしたっおいる。
     ‌ずするず、アニメ『ポケモン』は、ポケモンず人間のいる䞖界ずは蚀いながら、実は人間だけしかいない䞖界の話になっおしたう。

    『WEBアニメスタむルCOLUMN シナリオえヌだば創䜜術 だれでもできる脚本家』

     今たで我々が芋おきた性衝動の芳点からも、メディアによっおポケモンの描き方にこのような違いが出るのは必然だず蚀える。モンスタヌは死の欲動に䞀時的に圢を䞎えたものであり、蚀語の倖偎に由来するために、物語を担うこずができないのだ。

     自然ずいう未知を代理するものずしおやっおくるポケモンず、蚀葉の倖偎に察しお恐怖ず郷愁の盞反する感情を抱く人間ずの間のモンスタヌボヌルを介した緊匵関係は、元々ゲヌムでしか成立し埗なかったずさえ蚀える。ポケモンを察象の代理衚象たらしめおいた芁玠の䞀぀は、草むらや掞窟の地面から予兆なく飛び出しおきお痕も残さず消えおしたう「軜さ」だったが、アニメでは出珟ず退去の過皋がある皋床の解像床で描かれざるを埗ない。たた、アニメを䞀匹䞀話で癟五十䞀話䜜ろうず思うのは人情であり、そうなれば䞀匹ごずに掘り䞋げた゚ピ゜ヌドが䜜られるこずになる。必然的に、人間ずポケモンの間のコミュニケヌションが描かれる。それを回避するこずは、぀たりポケモンを疎通䞍可胜な撃退すべきモンスタヌずしお扱うこずだが、そうなればもはやポケモンではない。ゲヌムにおいお異質さず理解ずのバランスを保っおいたのはモンスタヌボヌルずいう境界だが、サトシのピカチュりはそれすら拒絶しおしたった。そしお、今やポケモンコンテンツの代名詞ずなったのは、そのピカチュりなのである。

     今――2022幎。ポケモンに、か぀おの「虫捕りの虫」ずいう冷淡ながらも熱情を誘う䜍眮付けの面圱はもはやない。ポケモンコンテンツは様々にメディア展開され、それぞれの皮類のポケモンに぀いお様々な角床から様々な゚ピ゜ヌドが生み出されおいる。東日本倧震灜を受けお「POKÉMON with YOU」ずいうコピヌも䜜られた。原䜜のゲヌムさえ䟋倖ではない。「X・Y」の頃から特に顕著に、ポケモンコンテンツ党䜓が「ポケモンず人間の絆」ずいうテヌマを匷調しおいる。ポケモンに信頌ず愛情を寄せるこずぞの蚀及は「赀・緑」の頃からあったずはいえ、ポケモンコンテンツが瀟䌚に浞透するに぀れお、ポケモンはたすたす人間らしくなっおいく。人間ずの違いは䞍思議な力を持぀こずず、党䜓の傟向ずしおなぜか人間に察しおうっすら奜意的であるらしいこずくらいだ。

     だが、それならこうは考えられないだろうか。――いっそ、人間でよいのではないか。絆を結ぶなら、同じ人間であるに越したこずはないのではないか。人間も未知なるものずしお目に映るこずがあるのだから、察象の担い手さえモンスタヌである必芁はないのではないか――ず。我々は結局のずころ人の圢をしたものしか愛せないのではないか、ず。

     芁するに、「ラティアスずラティオス」はこの懞念をポケモンファンに暎露しおしたったのだず筆者は考える。性噚以前の性衝動ず死の欲動を再結合させたこの映画は、『千ず千尋の神隠し』の裏でカルト的な人気を博した。そしお興行成瞟に衚れないこの映画の評䟡を知った制䜜偎の誰かが、ポケモンを人間に近づけ、人間をもっず掘り䞋げお描くずいう方針を固めたのではないか。原䜜ゲヌムにおいおさえ逃れ埗なかった、人間キャラクタヌの前景化の流れ――「プラチナ」のシロナ、「ブラック・ホワむト」の、「サン・ムヌン」のリヌリ゚、「剣・盟」のダンデ――は、この『ラティアスずラティオス』の時に運呜づけられたのではないかず思えるのだ。

     ラティアスはミュりツヌのように人間の蚀葉を発しもしないし、人間臭い葛藀を衚に出しもしない。ただ人間の少女の姿をするだけである。それだけで、ラティアスは史䞊最も愛されたポケモンの䞀぀になった。このこずは擬人化ずいう操䜜が人間の認知に察しお持぀絶倧な効力ず、その䞭でも特に芖芚情報の占める倧きな比重を衚しおいる。モンスタヌが、行動原理の異質さはそのたたに姿だけ人間を――特に矎少女を――暡した時、それを芋る人間の偎の姿勢は、䞭身がモンスタヌだず分かっおいおも倖芋に匕きずられお奜意的になる。叀今の物語に各時代の様匏で描かれおきた矎少女は生身の人間の姿よりもより䞀局、男女を遞ばず受け入れられ、嫌われたくないずいう感情を誘う。内面は未知なたたでも、矎少女の倖芋が人間ず接するためのむンタヌフェヌスずしお機胜する。前節では人間の少女の姿が持぀䞍可知性がモンスタヌの力を借りお増幅されるこずを芋たが、逆にモンスタヌが単なる察象の流動性の衚象であるこずを超えお長期的に人の心に䜍眮を占めようずするためには、矎少女の姿を纏うこずが合理的なのである。

     圓然、ラティアスが最初にこの構造を発明したわけではない。珟代日本文化を芆う矎少女キャラクタヌ文化浞透の流れの䞭に圌女もいる。

     2000幎代以降は、日本文化の倚くのシヌンで矎少女キャラクタヌ衚珟が急速に垂民暩を埗おきた時期でもある。たずは若幎向け小説ずの合流によっお、次にそのメディアミックスの成功によっお、挫画・アニメ・ゲヌムで培われおきた倖芋・内面䞡方の矎少女描写技術が、その顧客局の裟野を広げ始めた。䞊行しお、少幎挫画やBLを通じた女性のサブカルチャヌ愛奜者の可芖化があり、同人ゲヌム掟生コンテンツのヒットやボヌカロむドの出珟を発端ずするクリ゚むタヌ局の拡倧がある。特にボヌカロむドのブヌムは、蚀葉に「運び手」を䞎えるこずにいかに倚くの人が飢えおいたかを瀺す出来事であった。2007幎以降はニコニコ動画の台頭により、コンテンツに぀いおの語りがさらに掻発化し、その䞭でもキャラクタヌに぀いおの語りは広く長く拡散する傟向にあった。これらのこずを受けお、シナリオの緎り蟌みよりも優先的にキャラクタヌずその間の関係を芋せるこずでファンダムを刺激し、口コミを利甚しお䜜品を売るずいうコンテンツ発信モデルが確立された※。ポケモンもそこから逃れるこずはできない。

     たた、キャラクタヌ造圢の深化には技術的な芁因もある。ゲヌム機のグラフィック関連技術が発達し、その性胜を芋せるためにもフィヌルドやキャラクタヌを高い解像床で描かなければならなくなった。「X・Y」以降は3DCGであり、「サン・ムヌン」以降は人物の頭身が珟実の人間に近くなる。それは、ポケモンや人物の動䜜を䜜り蟌むために、その背景にある生態や人栌を现かく蚭定する必芁性が高たったこずを意味する。その頃になるず、子䟛時代に「赀・緑」をプレむし、その埌もポケモンのファンであり続けた人々が補䜜者偎に参加するようになっおもいる。過去䜜の登堎人物がファンサヌビスずしお登堎するこずも増え、その際には時ずしお、ファンダムで培われおきた人物解釈が公匏に逆茞入される。スマホゲヌム「ポケモンマスタヌズ」はその極北ずしおある。

     2000幎代以降がそのような䞖盞であったために、ラティアスが少女ず同䞀化するこずによっお映画ずいう倧舞台で芋せた巚倧な誘匕力は、本皿で述べたような意矩は十分に蚀語化されないたでも、ポケモン史に残る出来事ずしお語られるようになった。「謎の少女、再び迷宮」が埌䞖のポケモンコンテンツに及がした圱響を因果関係ずしお論蚌するこずはここではできないが、性衝動の察象ずしおの少女像をポケモンで最初に真正面から描いたシヌン矀であり、故に虫捕り少幎の時代を螏み出た最初の䞀歩ではあったず筆者は思うのだ。我々は「謎の少女、再び迷宮」に熱狂するこずによっお、虫捕りよりも心惹かれるものがあるず、自分ず同じ人間以䞊に未知なるものはないず、ポケモンたちに宣蚀したのである。


     しかしながら、この人間の前景化ずポケモンの人間化は、単にポケモンの立堎を奪っおいるずいうわけでもない。人間キャラクタヌずポケモンの間には䟝然ずしお圹割の棲み分けがある。それはやはり、ポケモンがそのモンスタヌずしおの性質により「無数にいる」ずいう点に求めるこずができる。人間キャラクタヌずしおは公匏によっお造圢された個人が売り出されるのに察し、ポケモンはあくたで皮ずしお売り出され、我々䞀人䞀人が関係を結ぶ個䜓は党お別々である。人間キャラクタヌが「それぞれの読者にそれぞれのそのキャラ」ずいう圢で受容されるのずも異なり、ただ出䌚わないのに知っおいる ・・・・・・・・・・・・・・、ずいう、あたかも図鑑で芋お名前ず姿だけは知っおいる生き物のような距離にいる。同時に、出䌚えたならきっず良い関係を結べるだろうずいう確信のようなものもある――これが人間に近づいたこずのもたらした結果だ。そしおポケモンは自然環境の擬人化であるが故に、我々の生きる珟実でもそのようなものに出䌚えるかもしれないずいう錯芚――あるいは垌望――を絶え間なく生じさせるのだ。

     人間の未知さに察する期埅はずもすれば加霢ず共に目枛りしおいくずころ、ポケモンはモンスタヌ性によっおそれを補い、さらに「理想的な人間」の偎面をも持぀こずによっお未知さをポゞティブに捉えさせる。䜜䞭の人間キャラクタヌたちの生き様は、そのようなポケモンずの関わり方の芋本ずしおも機胜しおいる。ポケモンコンテンツは、通信ケヌブルを実装した「赀・緑」の時から垞にそうであったように、䜜䞭䞖界だけで閉じるこずがなく、必ずどこかで我々を我々自身の人生の冒険ぞず差し戻すのである。それは初代アニメで銖藀氏が枩めおいた最終回の構想にも通ずるずころがあるが、珟圚の我々にずっおはポケモンも既に珟実に根付いた珟実の䞀郚であるずいう点だけが違っおいる。垌望を蘇らせる装眮を堂々ず珟実の内に持おるずいうこずは、虚構ずしお分離するよりもむしろ幞犏なこずではあるたいか。


     本皿では『ラティアスずラティオス』のラストシヌンにおけるカノンずラティアスの二重性が芳客に匕き起こす心理的効果から始めお、前‐性噚的な性衝動の性質を手掛かりずしおポケモンず人間の関係を議論した。それをもずに『ラティアスずラティオス』の迷宮のシヌンを分析し、人間に䞍安ず䞀䜓の原始的な快楜を生じさせる耇数の芁玠が組み合わされおいるこずを芋た。そしお最埌に、この映画の人気が、ポケモンの人間化ず人間の前景化ずいう意味でポケモンコンテンツの転回点であった可胜性に぀いお蚘述した。これらの議論は粟神分析ず文化人類孊の芖点からなされたものだが、本皿をきっかけにこの映画に぀いおの語りがいた䞀床掻性化し、倚くの芳点から論考が曞かれるこずを切に垌望する。


    『謎の少女、再び迷宮』。ポケモン史に応然ず珟れた異端の傑䜜であり、珟れるべくしお珟れた時代粟神の具珟である。そこにはポケモンコンテンツの本質ず宿呜が刻印されおいた。謎の少女を远うこずは我々自身の心の暗郚を远うこずであった。氎の郜の桟橋の䞊で性ず死が原初の混淆を取り戻し、少幎少女ず心ある倧人だけに䞖界の秘密が明かされる。䞖が続く限り、人を人たらしめおいるものに共鳎しお、この映画は我々を迷宮ぞず導き続けるだろう。


    ※ここに抂芳したれロ幎代オタク史が極めお簡略化された芳念的な図匏であるこずをお蚱しいただきたい。筆者が実䜓隓ずしお知っおいる範囲だけでも、あたりにも色々なこずがあった。


    〈以䞊〉

     
     
     
    オカルティスト。「性衚珟を甚いた欲望の蚀語化」をテヌマに掻動しおいたす。衚珟の自由に぀いお、矎少女ず擬人化に぀いお、文芞に぀いお、そしお魔術に぀いお。

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