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境界の内側<46>ちゃんと、転べ

    <45>煌めく街 <47>元請けの私さん <1>はじまりの声

    札幌では、社内週例や、担当間のミーティングに参加することになった。

    東京よりも時間がゆったりしているようにも感じる。
    この波長はちゃんと感じ取って動かないと…

    夜は、ススキノの居酒屋で懇親会だった。雑居ビルの4階。何故かおでん食べ放題。
    ケンちゃんに加え、東京から来ている別の部隊とも合流して、賑やかになった。
    みんな、すごく気が利いていて、つい、盃が進んでしまう。

    札幌という、東京から少し離れた場所のせいか、話題も少し開放的だった。
    ススキノでは、お客さんを連れて行ける店をある程度「把握しておく」ものらしい。
    そんな話を、東京のエンジニアさんが妙に真剣に聞いているのがおかしかった。

    飲みが解散となり、店を出た。
    エレベーターが来ないので非常階段に向かう。
    ケンちゃんが声をかけてきた。

    「大丈夫?相変わらず飲むよね。」

    「何、気を遣ってるの?私よ、私。大丈夫だってば」

    「ねえ、しーちゃん」

    「ん?」

    「今回さ、本気?」

    「……何が?」

    「いや、いいや」

    …なによ?ケンちゃん。

    非常階段は思ったより急だった。

    階段から落ちて骨折した記憶が蘇り、足が止まって考え込む。
    気づいたら、ケンちゃんが数段下から声をかけてきた。

    「しーちゃんが転んでも、俺が下じきになるから遠慮なく」と、屈託のない笑顔で言った。

    本当に、ケンちゃんって、昔っから変わんない。

    ⸻彼に、やって欲しかったな…

    ケンちゃんとなら、違う人生もあったのかな…
    子どもの頃、親同士でもケンちゃんとしーちゃんが結婚したらいいのにね、なんて半分冗談で笑っていた。
    ケンちゃんも、一瞬ね、あったよね…

    ⸻でも、
    結局、違うレールに乗っていた。

    階段を降りる。
    鉄の階段を降りる時の「カツン、カツン」という音が響く。

    ケンちゃんがちょっと止まって、私を見上げた。

    「苫小牧でさ」

    また、階段を降りる。
    カツン、カツン…

    「膝」

    「え?」

    「膝、触って、笑って、逃げてったでしょ」

    「……やっぱり見てたんだ」

    「うん」

    軽く頷いて、続けた。

    「その時から、あれ?って思ってたんだ。で、今見てて、確信した」

    …見抜かれてる…全部。

    ケンちゃんは立ち止まってから、同じ目線の高さまでまた上がってきた。

    そして、誰にも聞かれたくない、という感じで顔を近づけ、低い声でささやいた。

    「本気なんでしょ。今回」

    「……うん」

    「そっか」

    ケンちゃんは、目線を外し、
    また一段さがって、少しだけ、息を吐いた。

    「しーちゃんも、俺もさ…」

    「なぁに?」

    「選べたと思うよ」

    「……ん?どういうこと?」

    ケンちゃんは返事をせずに続けた。

    「でも、選ばなかった。その方が、しーちゃんにとって良さそうだったから」

    「………」

    「だからさ、今回は、行ってきなよ」

    「え…どこに?」

    「また週末は神戸でしょ」

    「どうせ、なんかやるんでしょ」

    「……うん」

    小さく頷く。

    「いいと思うよ」

    また一歩、降りる。

    「そういうの、止めるの、違う気がするし…」

    少しの間、目を逸らした後、私を真っ直ぐ見て言った。

    「転ぶなら、ちゃんと転べ」

    昔っからの、変わらない笑顔。あぁ、やっぱり…

    「…うん。ありがと。」

    …泣きそうな気持ちをグッとこらえた。
    もう、戻らない。

    階段を降りたら、みんなが待ってた。
    結局、エレベーターを待った方が早かったみたいだった。

    ケンちゃんと目を合わせて、「あー負けた!」とばかりに
    いたずらっぽく笑った。

    赤信号の交差点で、ケンちゃんは、お約束かのようにみんなに両腕を掴まれて、
    どこかに連れて行かれそうになっている。

    「娘たちに、最近、門限設定するぞって脅かされてるんだよ。参ったな」
    と、一応帰りたがってるケンちゃん。

    「顔は参ってるようには見えませんけど?行きますよね?支店長。サエコママ、喜びますよ」

    ケンちゃん、いい部下を持って、愛されて、不利な札幌で踏ん張ってる。

    ⸻みんなの声がどこか遠くに感じた。

    営業さんが声をかけてきた。

    「あれ、私さんも行きましょうよ。スナックサエコってね、
    女性客も大歓迎で、ママさんもすごく面白いんですよ」

    「行きたいんですけど、先週から忙しくて体が悲鳴あげてて。
    また今度、体力がある時にぜひご一緒させてください。」

    行きたい気持ちもあったけど、正直、もう身体も心もオーバーヒート気味だった。
    目の奥が熱くなってて、目を閉じたら終わってしまいそうだった。

    「そうですか。まぁ、また、札幌来た時にぜひ行きましょう。」
    「ありがとうございます。失礼しますね。お疲れ様でした。」
    「あれー!しーちゃん、一緒に来ないのー」
    「もう、男の人たちだけで今日は楽しんでください!お疲れ様!」

    さっと手をあげてタクシーに乗り込んだ。
    ホテルに着くと、スパは入館時間をすぎていた。

    残念だけど、結構飲んでしまっていたので、スパは無理だった。

    シャワーを浴びて、水を飲む。

    静かな部屋で、パックをした自分を鏡で見ながら、考える。

    …味方でいる、って言ってくれた。

    それなら、止まらなくていい。

    もう、止まれなかった。

    そうよ…

    次の出張も同じホテル。

    最終日。
    彼と食事をして、そのまま、連れていく。

    ⸻私が。

    私ができる、最大のこと。そして、やりたかったこと。

    あの時の、続き。

    彼をベッドに押し倒して、
    そのまま、上に乗る。

    あの無精髭に、キスをする。

    ⸻それだけでいい。

    服は、脱がない。

    その先は、
    もう、どうでもいい。

    ——その手を伸ばしてくれたら…

    そこまでしないと、きっとこのままダメになる。

    気がついたら、パックをしたまま、ベッドに仰向けになって寝ていた。
    時計は夜中の3時をさしていた。電気も全部ついたまま。
    うわ…最悪だ。

    電気を消して、デュべにくるまった。

    翌日、午前中で仕事を切り上げ、
    午後、資格試験の合格祝賀会のため東京に戻った。
    会社の関係者と何度も乾杯をして、盛大に合格を祝った。

    次の日、一日東京で過ごした。いよいよ、金曜日は、神戸。

    本当の最後、まだ気持ちに決着がつかない自分を、どうしても救ってやりたかった。

    ——それでいいよね…


     
     
    創作大賞2026 恋愛小説部門 応募作品 全51話『境界の内側』 技術職として働き続け、母として子育ても一段落し、 少しだけ人生を自分に戻そうとした時の突然の出会い。 いまさら、どうしてこうなるんだろう。 経験した感情をもとに書き上げた恋愛小説。

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