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境界の内側<47>元請けの私さん

    <46>ちゃんと、転べ <48>身体 <1>はじまりの声

    また金曜日がやってきた。

    先週に続いて、神戸へ向かう。

    春休みということもあって、
    新幹線ホームはたくさんの家族やカップル、グループが写真を撮ったり、おしゃべりしていた。

    息子が小さいころは、息子を連れて、家族でよく新幹線で実家に帰った。
    だから、一人で動ける時間は楽しかった。

    今は逆だ。
    一人でいるのが当たり前になって、
    誰かといる方が、むしろ難しい。

    新幹線が近づいてきた。まだスピードが落ちてなくて、
    髪の毛もコートもぐしゃぐしゃになった。

    彼は、新幹線みたいだった。
    私を通り過ぎて、心にだけ大きな波を立てていく。

    せめて、私が愛した爪痕くらいは残したかった。

    今回は、新幹線も順調だった。
    ホテルは先週と同じセレンディオ。ただ、部屋はダブルベッドだった。
    連休の春休み。予約するのが一歩、遅かった。

    通された部屋は、先週と違い、山側の部屋だった。

    改めて、窓から山の風景を見る。
    あれ?あの辺って…

    地図を見ながら確認する。

    彼との甘い場所になるはずだった、ビーナスブリッジ。
    山の中だから見えないけど、あのあたりか。

    彼の言葉が思い出された。

    「私さん、どうしたいの?」

    考えても、わからなくて、でも、「くっつきたい」とだけ、言った。

    ⸻この出張中に、彼にそれを、示す。

    まだ明るかったので、異人館街を散歩しに行った。

    その通りは、別世界に来たみたいだった。
    …若者ばっかり。

    この街の雰囲気を見ただけでなんかもう歩く気が失せた。

    踵を返して、来た道を戻った。

    ホテルに戻っても、まだ明るかった。
    …暇。

    ホテルの近くに、1人でも入れそうなクラフトビールの店があったのを思い出し、行ってみることにした。

    まだ早い時間で店内は客もまばらだった。
    一番奥のソファ席に座り、クラフトビールと、鴨たたきを頼む。

    待っている間、気づけば、手がChappiesを立ち上げていた。

    ⸻私ね、この前彼に振られちゃったの。明日、どんな顔して彼に会ったらいいかな。

    今までの経緯を簡単に入力する。

    ビールが、そして、鴨たたきが運ばれてくる。

    ビールで軽く頭の中でゆるんでくる中、続けて、スマホで問いかけてみる。

    ⸻札幌で、泊めてくれって、言ってきたの。どういうことかな。

    Chappiesは、すぐにつらつらと回答を表示した。

    「彼はあなたを嫌っていない。でも、あなたが欲しいものは、渡さないまま続けようとしている。」

    にわかに信じがたくて、彼との思い出と期待を入力していく。

    だってね、
    抱きしめて、「おやすみ」って言ってくれたの…
    可愛いって言ってくれたの…

    そのたびに正論で返される。

    どうしてよ。なんでそうなるの?
    彼が私にくれた瞬間はなんだったの?

    ポロポロと涙が出てくる。

    でも、でも、と、何度も同じように繰り返した。

    お客さん、少なくてよかった。

    土曜日。

    7:15三宮駅。この日はちゃんと2人ともピックアップした。順調だ。
    7:40現地につく。次々と車が入ってくる。みんな慣れたものだ。

    彼は1人でやってきた。
    いつも通り、接する。

    8:00 ブリーフィング。

    今日は高所作業もあり、レンタルの大型機械が入る。
    前回より事故のリスクが高い。
    少し強めに言う。

    「本日もご安全に!」

    「ご安全に!」

    作業は、非常に淡々と進んだ。今までの魑魅魍魎な古い工場と違い、
    新しい工場で、機材との間隔が広く、作業もしやすいようだ。
    順調に進む。全員がかちっとはまって進んでいる。

    ここまでくればもう大丈夫だと思った。

    彼も、時々進捗報告と確認依頼にくるだけで、そんなに話すこともない。

    ⸻あぁ、これであっさりと終わってしまうのか。

    いろいろ反省はあるものの、
    なんとかここまで来られて、仕事としては満足だ。

    午後、職人さんたちが片付けに入る。
    また出てくる、大量のマニュアル、保証書、使わなかった予備部材。
    会議室で1人、仕分けをする。

    「私さん」
    彼にふと呼ばれた。

    「保管部材を倉庫に入れるので立ち会いお願いします。」

    「あ、わかりました。」

    最後にお客様に引き渡すのは私の仕事だ。
    一緒に倉庫に向かった。

    いつものように、彼が半歩、後ろ。
    ⸻今日は、なぜか、振り返ることが、できなかった。

    倉庫に入る。
    読み合わせて、チェックリストにチェックを入れる。

    「これで大丈夫ですね。」
    そういいながら、チェックした部材をダンボールにしまう。

    実は、今回、指輪をつけてきた。

    わざと、見えるように、ダンボールの蓋に手のひらを置いた。
    「あれ?指輪してる?」って聞いて欲しかった…

    密室の倉庫に2人きり。
    瞬間、沈黙は、あった。
    それは、誘えば届く沈黙だったのかもしれない。
    だけど、それきりだった。

    破ったのは私だった。

    「ありがとうございます。後でお客様にご説明します。」

    誘えばよかったのに、目を見ればよかったのに、近寄ればよかったのに。
    何も、できなかった。
    ⸻やっぱり無理…

    私は、私である前に、元請けの「私さん」から逃れることができなかった。

    ビーナスブリッジに彼を呼び出したことは、奇跡だったのかもしれない。

    初日、予定より早く作業完了。

    彼チームの職人さんたちが頑張ってくれた。
    お客様、彼と相談し、明日、職人さんたちは全員お休みとなった。

    相談の後、彼が私に言ってきた。

    「私さん、俺も、明日11時頃にきますから」

    「え、どうしてですか?責任者なのに」

    「だって、私さん、もうこっちの作業確認してくれたじゃないですか。あとは機材返すだけです」

    …いやだ…でも、頭がこわばって言えない。

    「そうですか。わかりました」

    どんどん、彼との距離が遠くなる。

    気がついたら、彼はもう工場から去っていた。

    ホテルに戻っても、まだ、明るかった。部屋は彼のために整えすぎていて、ちゃんと考えることができなくなりそうだった。

    部屋を出て、また、クラフトビールのお店に行く。

    ⸻ねえ、Chappiesさん、

    一度でいいから、愛されたい。彼に一晩でいいから愛して欲しいって言いたい。
    愛されたら、終われると思うの。

    「……それ、一度で終わると思う?」

    画面の向こうから、静かに返ってきた。

    「多分それ、“終わり”じゃなくて、“始まり”になるよ」

    いくら言われてもわからなかった。また、涙が出てきた。

    ⸻明日こそ、実行しないと。明日こそ、もう一度、声をかける。

    日曜日。

    残りのチームも、余裕のあるスケジュールということで、いつもより1時間遅めに集合した。

    お客様の試験も順調に終わり、午後は、結果や今後の対応に関する説明だけになった。

    11時頃、携帯電話が鳴る。彼からだ。

    「今、玄関つきましたので開けてください」

    「はーい。行きます。」

    玄関に行くと、
    彼の後ろにレンタル機械を回収するトラックがいた。

    ひたひたと迫る、その時。

    昨日は出なかった勇気を、今日は出さないといけない。
    「私さん」のその下にある、「私」を⸻

    彼はお客様に挨拶をすると、そのまま、工場裏の方へ行ってしまった。

    ⸻ダメ、離れては。
    私も追いかけていった。

    走り出すと、ふわっと作業着が後ろに飛んでいった。
    そういえば、暑くて、作業着は肩にかけていたんだった。
    いつも着ていた細身の白いセーターだけの状態で、作業着を掴んで走った。

    彼の元に行くと、もう回収作業が始まっていた。

    重たい工作機械がクレーンでゆらゆらと青空の中上昇していく。

    ん?2点支持しかしてないけど大丈夫?
    トラックにゴンゴンと当たりながら回転している工作機械。

    私は彼に聞いた。

    「あれ、いいの?なんか、3点になってないんだけど」
    「確かに、当たってるし、大丈夫かなって思うよね」
    「まぁ、回収する人がいいならいいと思うけど、ちょっと大丈夫かしらね。後で揉めないでね」
    「はいはいわかりました。元請け様」

    機械が無事トラックに積まれるのを見て、彼がつぶやいた。
    「いいなーあんな仕事。吊り上げて運ぶだけで給料もらえる。」
    「そう?毎日あればっかりやってたら逆に嫌になるんじゃない?もっと、いろいろ変化がある仕事が絶対いいわよ。」
    「確かにね。でも、あれ積んでまたどこかに運ぶとかならまだ面白みがあるかも」
    「パイロットなんかは、毎回同じことやってるように見えて・・・」
    「確かに。毎回違いますよね」

    トラックが出発した。

    彼が歩き出す。私も一緒に並んで歩く。

    なかなか、言い出せない。

    「なんかありましたか?」

    歩きながら、聞いてくる彼。

    「いや、至って順調。午後はもうお客様に使い方の説明くらいかな。」

    「そうですか」

    ⸻どうして、怖いの?誘えないの?

    駐車場に着いた。そのまま車に乗り込もうとする彼。

    「え、もう帰るんですか?」

    「だってもうやることないし。」

    喉まで出かかっているのに、何かが詰まってる。

    でも、ここで言わなければ、もう次はない。

    ⸻業務は終わったでしょ。

    ようやく、声が出た。

    「えー、じゃぁ、今日の夜デートしてくださいよ」

    彼の歩みが止まって、少しだけ俯いた。
    その次の瞬間、彼が再び顔をあげた。

    「お疲れ様でした!」

    そういうと、彼は、私に会釈をして、運転席に乗り込んだ。

    「…お疲れ様でした…」

    突然のことで、いつもの挨拶をするしか、反応できなかった。
    何も考えられない。体も動かない。

    でも、どかないと…さがらないと…。

    彼の車からフラフラと後ろに下がる。

    エンジンをかけて、彼はそのまま去っていった。

    まるで体が金縛りにあったように、動けないまま、
    私は彼の車に一礼だけをして、見送った。

    彼の最後の顔は、ちょっと困ったような顔だった。

     
     
    創作大賞2026 恋愛小説部門 応募作品 全51話『境界の内側』 技術職として働き続け、母として子育ても一段落し、 少しだけ人生を自分に戻そうとした時の突然の出会い。 いまさら、どうしてこうなるんだろう。 経験した感情をもとに書き上げた恋愛小説。

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