
境界の内側<45>煌めく街
<44>食べなさい <46>ちゃんと、転べ <1>はじまりの声
5:00起床。スカイスパに向かう。
露天風呂で空を見ながら、ぶくぶくと口まで浸かって考える。
瞼は多少気になる程度。
二日酔い、なし。
やり切った感は、ある。
ランナーズハイに近い。
でも、まだ整理しきれていない。
ゆっくりとした朝風呂のあと、朝食をとり、部屋で荷造りを済ませた。
ベッドを眺める。
デュべの両端をつかんで持ち上げた後、ふんわりとベッドに乗せてみる。
⸻もっと、乱れていても、良かったのに。
ホテルをチェックアウトして、神戸空港に向かった。
案の定、遅延をしていたけど、無事、私は神戸から直接、新千歳に降り立った。鉄道に乗り換え、札幌駅から直接オフィスへ行った。
もう、自分のIDカードで入れるようになっていた。
オフィスはフリーアドレスなので、空いている席を見つけて座る。
PCを取り出して、早速目を通す。
いつも、に、戻った…
…わけが、なかった。
…昨日の彼の台詞。
視線。
別れのハグ。
あれ、フラれてるよね。
でも…
次々やってくるTeamsチャットを打ち返しながらも、別の思考は止まらない。
これも、慣れってものなのかなと、自嘲した。
その時。
「しーぃちゃん!」
突然、両肩をポンッと叩かれた。
ヒャァッと、少し腰が浮いた。
ケンちゃんだった。
私の過剰な反応で、ケンちゃんが後ずさりしていた。
「あ、橋本支店長、わざわざすみません。こちらからご挨拶に行くべきでした」
「いえいえ、せっかく来札頂いた以上、こちらからお声がけさせて頂くのが礼儀かと思いまして。私さん」
ちょっと沈黙してから、2人で笑い合う。
「あははは。やっぱりかしこまるの無理だ。しーちゃん、いらっしゃい。今日、移動でしょ?大丈夫?」
「ケンちゃんも元気そうでなにより。
たった今、神戸で案件終わらせて、移動してきました。」
立ち上がって、ケンちゃんに敬礼のポーズを取って言った。
「お疲れ様。今回は順調だったんだね。苫小牧の時は走り回ってたようだったから…」
そうだった。ケンちゃん、苫小牧の時に来てくれていた。
⸻あの時、どさくさに紛れて、彼に初めて触れてみたんだった。
あの頃はまだこんな風になるなんて思っても見なかった。
「しーちゃん、ちょっとだけ話せる?」
と、ケンちゃんは私にコートを着るように言った。
エレベーターに乗り込むと最上階のボタンが押された。
…何があるんだろう。
「面白い景色が見られるよ」
…ケンちゃん、やっぱり、さすがだ。
エレベーターを降りると
殺風景な空間に、喫煙所。
ケンちゃんは、その横にある、鉄の扉に手をかけた。
ギギギ…という音と共に、眩い光が一気に空間を満たした。
外に出る。
目の前に広がったのは、
まるで地球があんぐりと口を開けているような、
雪がところどころ混ざる、赤茶けた土が剥き出しの巨大な穴。
その向こうでは、まだ鉄骨だけの構造体と、何本も、空へ、天へと手を伸ばすクレーン。
腹の底に響くような低い重機の音とホイッスルの甲高い音が混じり合う。
これ、未来の札幌…?
ケンちゃんがニコニコしながら私に熱い缶コーヒーを手渡して、並んだ。
思ったより風が強くて、手が悴みそうだったから、ありがたい。
缶コーヒーをカイロがわりに両手で持つ。
「凄いでしょ。もう、ずっと前から、この辺一帯が再開発されているんだ。」
「地球に直接、大穴開けてるって感じね。めちゃくちゃ迫力。でもさ、これって都市開発よね。」
「さすが。しーちゃんならすぐわかるよね。その通り。
うちの会社って、北海道と相性が悪いんだ。
こういう場所じゃ、俺たちの出番は少ない。
博多支店が羨ましいって、たまに思うよ。
だから、千歳の開発はチャンスなんだ。」
「札幌って言われて、ピンと来たんだよね。なんかやるのかなって」
「あはは。やっぱりしーちゃん同じ事考えてるよね。
…あの頃さ、入社3年目に何がわかるかっ!無知の無茶って、すげえ言われたよ。俺」
「無知の無茶ね。若かったよね。でも、熱くて、楽しかったな。あの頃…」
「まだ覚えてる?チームマジックって名乗ってた頃」
「もちろんよ。自分たちで魔法のようになんでもやってやるって、ほんと、烏滸がましかったよね。ふふふ」
「俺、1番覚えてるの、Z社の商談なんだ。
毎晩ほぼ徹夜でプレゼン資料作ってた時さ、明け方に、しーちゃんがブツブツ自分で書いた資料読み上げながら、スイッチ押す真似とか、手を回してたりしてたんだよ。
あれ、絶対に目の前に機械おいてるよなって、見てて笑っちゃった」
「え?そんなことしてたっけ?覚えてないや」
そんなことしてたなんて…ちょっとはずかしい。っていうか、ケンちゃん、どうして、そんなこと覚えてるのよ。
「だけど、そこまでちゃんと丁寧に書いてくれるんだって。俺、感動しちゃって。それで、俺、自信もって、お客さんにアピールできたんだよ。
俺、本気で思ったんだ。しーちゃんとなら、どんな案件でも勝てるって。」
懐かしそうに目を細めながら話していたケンちゃんが、ふっと、真面目な顔をして、私を真っ直ぐ見た。
「札幌を勝たせるためには、そこまでの熱量が欲しいんだ。
だから、しーちゃんに来てもらった。今、久しぶりに仕事が面白いんだ。俺も、みんなも。」
「……」
「しーちゃん…」
「ん?なぁに?」
「…変わらないね。しーちゃん。いや、変わったけど、変わらない。」
「えーどっちなのよ、一体。あー!老けたって言いたい?ケンちゃん?」
膨れっ面でケンちゃんの肩を自分の肘で小突く。
「はは。そんなんじゃないって。俺だって変わってないよ。しーちゃん見ると、ほっとけないところも」
と、胸を拳で叩いた。
「しーちゃんを苫小牧で見た時ね、昔のしーちゃんっぽかったんだ。ちょっと危なっかしい感じの、突っ走りそうな感じ。」
…もしかして、見られてた?
「えーそうなの?まだ慣れてなくて必死だったからじゃないかな?」
「……ま、見てたからね」
「え?」
「いや、なんでもない」
…そう言うことにしておこう…と、ケンちゃんが言ったように聞こえた。
気がついたら缶コーヒーはすっかり冷えていた。
指先の感覚も、少し鈍くなっていた。
「しーちゃん、中に入ろうか。寒かったよね。ごめんね。」
「ううん。こんな風景見せてくれて、ありがとう。やる気出てきたー!」
10年以上離れていたのに…。
お互いの親は、勝手に同じ未来を思い描いていた時期があった。
でも、あの頃の私たちには、無限の選択肢があった。
仕事も、恋も、人生も…
夕方、札幌駅のタワーホテルにチェックイン。
お目当ては「サトポロベツ温泉」と名のつく展望スパだ。
何も考えずにモデレートシングルを予約した。
ベッドはクイーンサイズよりも広そうだ。
カーテンを開けると、広大な石狩平野が見えた。
広いなぁ…
ベッドに寝たままで、
札幌が一望できるなんて。
その眺めをしばし、堪能した。
スパの受付はエステそのものだった。
女性コンシェルジュが一通りスパの中を案内してくれた。
ローマ風ともハワイ風とも言える内装、大きいガラス窓から見える札幌の街並み。
コンシェルジュにおすすめされたマッサージバスは天国だった。
プールサイドに両腕を預けて、ふっと力を抜く。
すると、足元から吹き上がるジェット水流が身体をふわりと持ち上げた。
水に抱き上げられるように、肩から下がゆっくりと浮いた。
少し腰の位置をずらすと、身体がゆらりと流される。
まるで、空に浮かんで泳いでいるみたいだった。
気がついたら相当な時間過ごしていた。
部屋に戻り、クリームを爪先から首元まで丁寧に塗りながら、缶ビールを2本飲み干す。
ホテル暮らしは面倒だけど、自分のことだけに時間を使えるのが嬉しい。
寝る支度をして、あかりを消す。
突然、窓の外がふわっと煌めいた。目をやると、一面、札幌の街の明かりが広がっていた。
石狩平野の続く限り、赤、青、白、オレンジなどの小さい粒がきらきらとしている。
…脳裏に、皆既月食が浮かんだ。
所帯持ちだから、って言われたけど、私も既婚よ。
枕に頭を置いて、窓の外を見る。
フカフカすぎるデュべでよく見えない。
見せてよ、と、デュべを足で払いのけた。
太ももから先が露わになる。
再び、暗闇に浮かぶ札幌の無数の光が、
投げ出した足の先に見えた。
ベッドの上で、少し丸まりながら、窓の向こうを眺める。
…あの時、私、彼が手を伸ばしてくれる、って思ってたな。
伸ばしてくれたその手で、一緒に堕ちて。
そして今頃、彼と電話して、次の神戸は、お互い同じ温度で、待ち焦がれていたはず。
…彼、まだ、可愛いって思ってる。
抱きしめてくれて、髪の毛撫でてもらって。
⸻だったら。
ここで本当に終わってしまうの?
札幌の家を借りたら…
もしかして、札幌の方が、彼に近くなる?
未練なのか、執着なのか、もうわからない。
ただひとつだけ、はっきりしていた。
愛されたい、じゃない。
⸻そうじゃない。
…私、ずっと耐えた。ずっと待っていた。
結局、欲しかったものは、もらえなかった。
彼は最後まで、私の方へ手を伸ばしてはくれなかった。
頭では、終わったとわかっているのに、
身体だけが、終わらせてくれなかった。
やっぱり、欲しい……