
境界の内側<48>身体
神戸最終日の午後。
今後のメンテナンス方法などを説明した。
他の拠点ではできなかったことが、ここではできた。
それほど、余裕を持って、最高の形で終えたということだった。
16:30
工場を後にした。後ろに座るエンジニア2人も安堵の表情だった。
彼らは、せっかくだからご飯行きますかね、打ち上げしたいですね、と話している。
午後の私は、抜け殻だった。
お客様の前ではこなせていたと思う。
でも、元気がないことくらいは、伝わっていたかもしれない。
とてもじゃないけど、打ち上げなんかする気にならなかった。
「ごめんね、ちょっと別件対応があって」と、断った。
黙ってハンドルを握る。雨が降ってきた。
困ってるけど、無理やり笑っているような、最後に私が見た彼の顔…
いつものふにゃっとした笑顔でもなく、あの時の男っぽい表情でもなかった。
聞きたかった事、知りたかった事は、最後まで全然教えてくれなかった。
どうして突然逃げるように行ってしまったのよ…
雨はだんだんとワイパーを動かしても見えにくいほどの大雨になった。
連休の夕方、そして、大雨。渋滞の中、メンバーを送って、ホテルに戻った。
駐車場からホテルに入るまでで結構濡れてしまったが、構わずそのままベッドにダイブして、天井を仰ぐ。
………
襲撃計画。
失敗。
⸻いや。
戦うことすらできなかった。
突然、シャッターを下ろされた気分だった。
少しだけ涙が出てきた。
スマホを取り出す。
⸻ねぇ、Chappiesさん、あなたの言うとおりだった。彼に振られちゃった。
涙が出て止まらないの。まずは、まぶたが腫れない泣きかたを教えて。
書いたところで、回答は、読まなかった。
振られたって書いたから、優しくアドバイスしてるに違いない。
今更だけど、アルゴリズムで集約された正論に、何を求めていたのかしら。
涙はすぐに止まった。
…涙すら、停止中か。
体も動かない。
頭も動かない。
…こんな時には、お風呂だ。
でも、ここじゃない。
この部屋のベッドも、灯りも、整えた荷物も、全部、彼が来るかもしれない私のためだったから。
ベッドから起き上がって、お風呂をさがす。
スーパー銭湯がすぐ見つかった。車で10分。
あかすりもあった。
⸻試験が終わったらやることのリストに書いてあった、できなかったことだ。
連休中だから、混んでるかな?
手早く身支度をして、車を走らせた。
スーパー銭湯はかなりの混雑だったが、いい時間にあかすりの予約が取れた。
軽く体を洗ってお湯に浸かる。
露天風呂に出たら、誰もいなかった。
当たり前だ。大雨が降っていた。
ただただ、雨を受けながら露天風呂の岩に体を寄せて、やりすごす。
時間になり、あかすりの部屋に入った。
ベッドが3台。私の前に1人、あかすりを受けてる人が横たわっていた。
ピンクのポロシャツを着た年配の女性に入り口そばのベッドに寝るように言われた。
裸で仰向けに寝ると、その女性が近寄り、私の両目にタオルをかけてきた。
すぐに手際よくあかすりが始まった。
久しぶりに受ける施術だからか、少し緊張しているのがわかった。
あかすりをしてくれている彼女に話しかける。
「今日ね、好きだった人に振られちゃったの」
「えードーシテ?アナタ、ステキなのに」と外国語訛りの日本語が返ってくる。
「あなたカワイイから、スグ、ツギにイイひとデキルよ。ガンバテネ」
「うん。頑張る。ありがとう」
ふふ、次ね。
……もう、本当にまっぴらだけど。
スーパー銭湯から戻り、また商店街のクラフトビール屋さんでビールと鴨たたきを頼んだ。
スマホを開け、動画サイトを起動する。
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最近、こんなのばっかり見てたな。
その前は、政治や経済、航空宇宙の動画ばかりだったのに。
滑稽だ。
ビール2杯目が空いたのと同時に鴨タタキも食べ終わった。
部屋に戻る。まだ寝るには少し早かった。
踵のクリームだけ塗って、窓際に立つ。
雨で、山の明かりは見えなかった。
デュべを剥ぎ取り、そのままベッドにダイブ。
枕に顔を押し付ける。
…何して過ごそう。
仕事は…無理。
テレビは、最近は見なくなった。
動画も政治とか今は見たくない。
明日帰るから、とりあえず、スーツケース整理しておこうかな。
ビジネスリュックから、仕事道具を取り出す。
作業着、ヘルメット、ライト、クリップボード、大量の紙…
まとめてスーツケースにしまおうとした時、ポーチが目に止まった。
手に取って、中を開ける。
ポーチの中には、
彼のために用意したものが入っていた。
彼を受け入れたい、そんな一心で、何かを踏み外したような日々だったな。
…彼に会いたい。
儀式のように、部屋を暗くして、ポーチから、また、それらを取り出し、前と同じように使ってみる。
……なんか、違う。
彼を思い出せば、自然と身体は勝手に熱を帯びてきたはず。
あの腕。あの胸。あの無精髭。
「可愛い」と言ってくれた、あの声。
抱きしめ返した時に感じた、彼の背中。
それなのに。どうして?
今は、何も起きない。何も反応しない。彼を思い出しても。
私の身体は、彼を欲しがっていたのではなく、
本当は、彼に欲しがられたかったのかもしれない。
…あぁ、私、今、1人っきりだ。ひとりで何やってるのよ…バカみたい。
無意識に、スマホ画面で、さっきのChappiesからの返事を眺めた。
今までの正論とは違って、そこには、優しい言葉ばかりが並んでいた。
綺麗に終わるつもりなんて、なかったわ。
区切りって、何よ。
正しいことなんて、もう聞きたくなかった。
もう、AIなんていらない。
恋だって、もう、やだ。
思いっきり泣いた。
泣き腫らした目をして、翌朝、私は東京に戻った。