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境界の内側<50>触愛悦溺

    <49>軸 <51>境界の内側(終) <1>はじまりの声

    「あのね…私さん、ちょっと、ダメだよ…」

    私は、彼を押し倒して、彼のがっしりした腰を跨ぐようにして乗り上げた。

    「……私、あなたにくっつきたいの」

    そう言って、私は彼の胸に顔を寄せた。

    ⸻

    はっと我にかえる。
    目の前は、シマエナガの小さいぬいぐるみと、ディスプレイ。
    窓の外を見やると、いつものポプラの大木。

    ちょうど綿毛シーズンで、窓からフワフワとポプラの綿毛が飛ぶのが見えた。

    思わず、深くため息をついた。
    また、やってしまった…

    仕事なら、足りない条件を洗い出して、課題にして、次の手を打てる。
    でも、彼のことだけは違った。
    何を確認しても、どれだけ考えても、答えには辿り着けない。

    それどころか、思い出すほど、
    身体だけが、あの夜の続きを欲しがった。

    寒空の下、彼に肩を抱き寄せられ、そして、抱きしめてもらった。
    その日から、止まっていたはずの、女としての私が動き出してしまった。

    彼に抱かれたい。

    一人の女性として、愛されたいと、思うようになった。

    身体の記憶だけじゃない。心の記憶も。

    「所帯持ちだから」
    「でも私さんのことは可愛いと思ってる」
    「私さん、ずるいよ」
    「札幌言ったら泊まらせてよ」
    「デート、いい言葉だな」

    頭の中でリフレインする。

    どうして、肩を抱き寄せてくれたの?
    どうして、ハグしてくれたの?
    どうして、「やっぱりやめよう」だったの?

    私の聞きたかったことは何一つ教えてくれなかった。
    私がして欲しかったことも、してくれなかった。

    告白の夜、うまくいっていたら、そのまま抱いてほしかった。
    ただの衝動じゃない。ちゃんと、その先の時間まで、思い描いていた。
    あの土地で、2度の出張で、夢のような1週間になると思っていた。
    幕引きも決めていた。覚悟はできていた。

    だから、怖くなかった。
    むしろ、安心して、溺れられると思っていた。
    でも、それは、起きなかった。

    だから今も、
    身体だけが、
    納得していない。

    あの夜から、私の身体だけが未完了のまま、
    彼のもとに取り残されていた。

    最後の最後は彼に委ねた。
    もし、彼がその手を伸ばしてくれたなら、
    私は、私のすべてを使って、彼をこの世で一番の悦びに溺れさせたのに。
    彼の『軸』を溶かしてしまうくらいに。

    答えがもらえなかった私の脳内では、今も彼が主語の物語が始まらないまま、私の「愛したい、悦ばせたい」という衝動だけが、行き場を失って、切なく狂い続けている。

    そう。

    彼に欲しがってもらえなければ。

    彼が、その手を伸ばしてくれなければ。

    ⸻この身体は、あの夜の続きに辿り着けないのだと、どこかで信じ込んでいた。

    順調に進む仕事とは裏腹に、私の中では、終わったはずの物語だけが終われなかった。

    抱きしめられた感触も。
    耳に残った声も。
    そして、叶わなかった、その先も。

    私自身、どうすることもできないまま、季節だけが進んでいった。


    ⸻最終話へ





     
     
    創作大賞2026 恋愛小説部門 応募作品 全51話『境界の内側』 技術職として働き続け、母として子育ても一段落し、 少しだけ人生を自分に戻そうとした時の突然の出会い。 いまさら、どうしてこうなるんだろう。 経験した感情をもとに書き上げた恋愛小説。

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