
定線観測35 湖と街道
街道を歩いていると数え切れないくらいの川を渡りました。太平洋から日本海まで多くの海を眺めながら歩きました。
ところが湖は思っているほど街道沿いに無く、なかなかお目にかかれません。そんな希少な湖との出会いを紹介します。
1.諏訪湖
2021.05.30 中山道
長野県下諏訪町
諏訪湖(すわこ)
面積 12.8㎢
基準水面 759.0m
深度 7.6m

中山道最大の難所である和田峠、西に向かって歩くと、登り始める和田宿から峠までの標高差は約800m。登山で考えたら普通ですがこの日は39.4kmを歩いていますので、トータルでは結構な体力を奪われた1日でした。

峠を越えた後の2時間近い退屈な国道の下り坂に歩き疲れた頃に、往時と同じくらいの道幅の旧道に入ります。少し歩くと突然諏訪大社下社の御柱祭(おんばしらさい)のクライマックスで、人が跨った御神木を斜面の上から落とす「木落とし坂」の舞台に躍り出ます。

木は樅(もみ)の巨木で、直径約1m・長さ約17m・重さ約10t以上もあります。傾斜はスキー場のジャンプ台に近い約35度で長さは約100m。坂の上から見ているだけでゾッとしました。神事は人々に目に見えない様々な力を与えるのでしょうね。

木落とし坂を降りて、程なく歩くと諏訪湖の湖面が一瞬見える場所があります。日本橋を出立してから13日目、平野と山間部の景色を見続けた目には、青く輝く諏訪湖の湖面は眩い風景でした。

2021.06.12 中山道
長野県岡谷市
諏訪湖を一瞬眺めた後に甲州道中と合流、下諏訪宿の町並みを過ぎて中山道を西に進むと塩尻峠を登ります。

中山道沿いには道標が多く、歩くモチベーションが維持されやすい道です。往時の旅人も道標をみて、次の宿場まで何里あるのかなど、頑張れたのだと確信できます。
全国各地の街道を歩きましたが、最も道標が充実しているのが伊勢参宮道で、「神宮まで何里」の道標がカウントダウンの様に往時の姿のまま残っていました。

峠道に展望台があります。実は街道の峠道は低くて一番楽なルートを通るため、絶景にほぼ出会えません。塩尻峠は極めて稀少な街道沿いの展望台がある峠でした。

鳥瞰図を見ると日本の中心にある事がわかります。糸静線(糸魚川ー静岡構造線)と呼ばれる、新潟県糸魚川市から諏訪湖を経て静岡市に至る、日本列島を地質学的に東西に分断する大断層の上に湖は位置しています。

素晴らしい眺めで、この日は仲間と歩きましたが、全員が暫く景色に見惚れていました。空気が澄んだ日には、遥か彼方の八ヶ岳と南アルプスの間に、霊峰富士が拝めるそうです。
2021.11.06 甲州道中
長野県茅野市
甲州道中は江戸城が危うくなった際の、将軍家の脱走路として整備されたと言われています。その終点が下諏訪宿で、最後の最後に、高台から左手に諏訪湖を眺めながら歩けます。

通常は街道沿いで湖の眺めを楽しめるのはほんの一瞬だけなのですが、甲州道中が高台を通るため、何度も何度も諏訪湖が楽しめました。

諏訪大社下社秋宮の境内では、菊の花が飾られ、所々の木々が紅葉しており、秋宮の一番美しい時期に訪れたのかもしれません。

中山道と合流して終了。
日本橋以外で五街道同士が交わる場所は、草津宿(東海道と中山道)、宇都宮宿(日光道中と奥州道中)、下諏訪宿(中山道と甲州道中)の3か所しかありません。

旅の終わりは、前回中山道を歩いた際に知り合った、下諏訪本陣岩波家第28代当主、岩波 太佐衛門 尚宏さんにご挨拶。当主自ら門を開けていただき、素晴らしいひとときを過ごす事が出来ました。
寄り道 日本三大奇祭

全国の諏訪神社の総本山である諏訪大社は、4社(上社本宮・上社前宮・下社春宮・下社秋宮)の総称。御柱祭は4社の拝殿の4角に建てる16本の御柱を、山から切り出し地域を練り歩き、坂の上から落とす一連の行事になり、日本三大奇祭の一つに選ばれています。
ここで、日本三大奇祭を紹介します。
▽日本三大奇祭
なまはげ柴灯(せど)まつり
真山(しんざん)神社/秋田県
開催期: 毎年2月第2金・土・日曜日
歴史: 約1000年
吉田の火祭り(鎮火祭)
北口本宮冨士浅間(きたぐちほんぐうふじせんげん)神社・諏訪神社/山梨県
開催期: 毎年8月26日・27日
歴史: 450年以上
御柱祭(式年造営御柱大祭)
諏訪大社/長野県
開催期: 寅年と申年の4月〜5月
歴史: 1200年以上
2.琵琶湖
2021.08.21 中山道
滋賀県彦根市
琵琶湖(びわこ)
面積 669.2㎢
基準水面 84.6m
深度 103.6m

中山道で諏訪湖を眺めた後は、日本の街道の最高峰とも言える木曽路の山の中を満喫します。山から下り広々とした美濃路を抜けた先で近くを通る湖が琵琶湖。大津宿付近で眺められると思っていたら、思わぬ場所でほんの一瞬拝めました。

摺針峠(すりはりとうげ)。
関ヶ原を過ぎて美濃路から近江路に入ると、琵琶湖の手前で摺針峠を越えます。この峠道は、織田信長が開削した道で、中山道のルートを3里も短縮させたそうです。

峠付近でほんの一瞬、琵琶湖の湖畔を拝めました。海のない中山道を歩いていると、湖を見た時の感動は海に匹敵します。
もっと見たかったのですが、峠を越えて山を下るので、もう見えませんでした。

峠の下り道では、鹿の家族が中山道を横切って行きます。往時の旅人たちも鹿を見てたのか、それともその頃は鹿はいなかったのか、そんな事を考えながら歩いていました。

摺針峠の名の由来は、修行中の弘法大師がこの峠を通った際に、老婆から聞いた「斧を摺って針にする」という言葉に、己の未熟さを恥じて、更に修行に励んだという逸話からと言われています。
2021.08.23 中山道
滋賀県大津市
中山道は4月から土日を中心に、足掛け5ヶ月で延べ29日目かけて、ようやく最終日を迎えました。草津宿を出立して間もなく、「右やえせ道」という存在感のある道標が現れます。

道標の近くの説明看板にはこの道が、「急がば回れ」の由来の地で、その当時の様子を詠った短歌がこちら。
「もののふの 矢橋(やばせ)の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」
草津宿から京都へ向かう際に、道標がある場所から右に曲がり、矢橋から琵琶湖を渡る船を利用する近道「やえせ道」がありましたが、湖が荒れると船に乗れず余計に時間がかかる場合がありました。

近いからと急ごうとすると遅くなる場合があるので、着実に遠回りした方が良いとの教訓の場所です。短歌に出てくる「瀬田の長橋」が、上の画像の瀬田唐橋になります。

街道からは見えそうで琵琶湖が見えないので少し逸れて琵琶湖畔に出ました。穏やかな海の様な風景に心が落ち着きました。あと一山越えれば京に入り三条大橋に到着します。

京に入る手前が小関越えと呼ばれる峠道。下り道に入ると自転車を押して登って来た若者が「琵琶湖はまだですか?」と聞いてきます。大阪から来たそうで、琵琶湖が目的地でした。
2022.12.03 東海道
滋賀県大津市
東海道五十七次を大阪高麗橋から東に向かって歩き始め、3日目に滋賀県に入りました。車の窓に霜が降りる早朝に琵琶湖畔を歩きました。

午前6時45分、街道の進行方向の東の空が曙色に染まって来ます。自動車の上には霜が降りる寒い朝、大津宿の静かな街並みを独り占めできました。

琵琶湖周辺の街道沿いには、紅殻(ベンガラ)塗りの建物が多く残っています。京都の文化の影響と、雨や豪雪から木材を守る実用性、双方が影響している様です。

運良く琵琶湖畔で日の出を拝む事ができました。気温が氷点下に近く湖面からは水蒸気が上がっています。今日はいい事がありそうです。

瀬田の唐橋の先には琵琶湖が見えそうで見えません。これにて琵琶湖とはお別れ、次の大きな湖は浜名湖になります。
滋賀県の旧国名・近江とは「京から近く江(大きな湖)がある国」、静岡県西部の旧国名・遠江とは「京から遠く江(大きな湖)がある国」を意味してます。
2024.09.06 北陸道
滋賀県長浜市
北陸道を北から南下し、目的地は中山道と合流する鳥居本宿。最終日にご褒美の如く長浜宿で晴天の琵琶湖が満喫できました。

長浜宿は江戸と明治の建物が混在して残っています。街道の宿場町なのですが、それを超えたモダンな雰囲気を感じさせる街です。

豊臣秀吉が長浜城の築城とともに整備した長浜湊を拠点に、舟運でも栄えました。街中には水路が何本か琵琶湖に向かって流れています。

慶雲館は、明治天皇が行幸の際に大津から船で長浜に上陸後に鉄道へ乗り換えるまでの滞留施設。館内2階にある玉座は圧倒的な存在感でした。

慶雲館の近くから眺めた琵琶湖は、対岸の稜線が霞んで見えており、まるで海の様でした。
中山道・東海道・北陸道、3つの街道で出会った琵琶湖の紹介は終了です。
寄り道 日本の湖の定義
ここまで湖の記録をまとめていると、湖の定義はあるのか疑問が湧いて来ました。国土地理院ホームページの「国土の情報に関するQ&A集」によると以下の様になっています。
湖
水深が大きく、植物は湖岸に限られ、中央に深い所には沈水植物を見ないもの。
沼
湖より浅く、最深部まで沈水植物が繁茂するもの。
池
通常、湖や沼の小さなものをいい,特に人工的に作ったもの。
水位が天候に左右されやすいので、なかなか定義付ける事が困難な様です。今回の記録に掲載する湖の定義は、私が個人的な主観になりますのでご了承ください。
3.相模湖
2021.09.19 甲州道中
相模原市緑区
相模湖(さがみこ)
面積 3.29㎢
基準水面 167.0m
深度 45.0m

相模湖は戦後初の大規模多目的ダム湖、目的は神奈川県内の水不足対策などです。甲州道中を西に向かって歩くと、左手の稜線の隙間からチラチラと湖面を拝む事が出来ます。

甲州道中を歩いていて、峠道以外で最も道が狭い区間が相模湖付近になります。江戸時代には相模湖がなかったとはいえ、相模川沿いの急な斜面に這う様に街道が通っています。

相模湖は相模川を堰き止めて造られているため、川の流れに沿って東西に長細く広がっています。1964年の東京オリンピックのカヌー競技会場になっていました。

街道は斜面沿いを通るため、景色が変化に富んでいて飽きる事がありません。お彼岸が近く曼珠沙華の花が道沿いを美しく彩っていました。

湖底にはダム建設前にあった、旧日連村勝瀬集落が眠っているそうです。勝瀬集落に住んでいた方々には、現在の海老名市内に勝瀬という名前を付けた土地が与えられ、現在も残っています。
4.野尻湖
2022.08.16 北国街道
長野県信濃町
野尻湖(のじりこ)
面積 4.4㎢
基準水面 657.0m
深度 39.0m

北国街道と呼ばれる道は、中山道近江国の鳥居本宿から北陸の日本海沿岸部を新潟方面に向かう道と、中山道信濃国追分宿から善光寺を抜けて新潟方面に向かう道があります。今回は信濃国の高原に静かに佇む野尻湖を紹介します。

野尻湖の近くの交差点角に、ナウマン象の親子の像が立っています。学校の教科書で習った内容がそのまま、像という形で表現されていて、わかりやす過ぎて笑ってしまいました。

野尻湖周辺には旧石器時代の遺跡が沢山あるようで、地図を見るとほぼ遺跡の上を街道が通っています。遺跡があった場所に人が住んでいたので、結果的に街道が通った、よく考えたら当然の結果でした。

湖畔からの景色は素晴らしく、対岸には人工建造物が殆どありません。夫婦で歩いてましたのでボートにでも乗りたいところですが、今回は街道歩きに専念します。

この付近は寒暖差があり甘いとうもろこしが育ちやすい地域で、朝採れとうもろこしが人気です。国道や県道沿いには多くの出店が並び「もろこし街道」と呼ばれています。
5.赤谷湖
2022.09.16 三国街道
群馬県みなかみ町
赤谷湖(あかやこ)
面積 0.98㎢
基準水面 565.0m
深度 65.0m

三国街道は、関東地方と日本海側を結ぶ最短路。戦国時代には上杉謙信の関東出兵の軍用道路、江戸時代には佐渡からの金輸送・佐渡への罪人護送・沿道諸藩の参勤交代路などで賑わいました。

江戸時代には三国街道沿いにあった笹の湯・湯島温泉と呼ばれていた温泉街が、1958年にダム建設のために赤谷湖の底に沈む事になります。

上の地図は、私が街道歩きの際に使う「日本の街道地図と走り歩き旅」の赤谷湖付近の地図。よく見ると黒い点線が湖を横断しています。ここは歩けませんので、大きく迂回をして進みます。

湖底に沈んだ温泉街を高台に移転し、近代的なホテル街へと生まれ変わったのが現在の猿ヶ京温泉になります。

関所跡は幸いにダムの底に沈んではいませんでした。街道はこの後、越後国(新潟県)・信濃国(長野県)・上野国(群馬県)にまたがる三国峠を越えて、日本海に向けて北上します。
寄り道 湖の面積ランキング

湖の広さは、1位琵琶湖は琵琶湖、地元が茨城県なので2位霞ヶ浦は知っていますが、3位以下はあまり知られていないので紹介します。
日本の湖 面積ランキング
( )内は最大深度
1位 琵琶湖/滋賀県
669.2㎢ (103.6m)
2位 霞ヶ浦/茨城県
168.2㎢ (7.0m)
3位 サロマ湖/北海道
150.3㎢ (20.0m)
4位 猪苗代湖/福島県
104.8㎢ (94.6m)
5位 中海/鳥取県・島根県
86.8㎢ (8.4m)
6位 屈斜路湖/北海道
79.5㎢ (117.0m)
7位 宍道湖/島根県
79.2㎢ (6.4m)
8位 支笏湖/北海道
78.8㎢ (363.0m)
9位 洞爺湖/北海道
70.4㎢ (180.0m)
10位 浜名湖/静岡県
64.9㎢ (16.6m)
全て行った事はありますが、街道歩きでは1位の琵琶湖と10位の浜名湖しか行ってません。来年は山陰を歩く予定なので中海と宍道湖に行けそうです。
6.浜名湖
2023.01.08 姫街道
浜松市北区
浜名湖(はまなこ)
面積 64.9㎢
基準水面 0.0m
深度 13.1m

東海道から浜名湖が見えると思っていたら、鉄道が視界を遮り全容を見ることが出来ません。ところが東海道の脇往還で、浜名湖の北側の山道を通る姫街道を歩くと、湖北側の高い場所から見下ろすことができます。

峠道を越えて三ヶ日みかんの産地のみかん畑を抜けると、浜名湖の湖面が真っ正面に見えてきます。普段新幹線の車窓から見る姿とは異なり、得した気分が味わえます。

奥浜名湖とも呼ばれる地域で、往時に街道を歩いた旅人にも人気の景勝地だったそうです。穏やかな風景は瀬戸内海の島々の様でした。

道沿いには、「みかん街道」と呼びたくなるくらい、みかんの直売所が店を開いています。多くの地元の人がここに買いに来ると思われます。

街道歩きでは珍しく、奥浜名湖を望むリゾートホテルに宿泊しました。姫街道はこの後見付宿で東海道に合流し、静岡県を横断し箱根峠を登り、次の湖芦ノ湖畔を歩きます。
7.芦ノ湖
2023.03.12 東海道
神奈川県箱根町
芦ノ湖(あしのこ)
面積 7.0㎢
基準水面 724.5m
深度 40.6m

芦ノ湖は約3,000年前の火山噴火によって出来たカルデラ湖。東海道最大の難所箱根峠を登りきると、芦ノ湖のご褒美の様な景色が楽しめます。

湖の水はどこに流れ着くのが、周辺に有名な滝がある訳でもなく、不思議に思い調べてみると、江戸時代に水不足に悩む静岡県側に用水を引き、現在も使われているそうです。湖は神奈川県にあり水利権は静岡県、江戸時代の決め事が現代に引き継がれています。

箱根といえば何を思い出すと聞くと、駅伝と答える人が最も多い気がするくらい箱根駅伝は日本人の心を掴んでいます。そのゴール地点に石碑が建っていました。よくこの坂を全速力で走って、登り降りするなと感心します。

箱根の関所の威圧感は、往時の旅人の目にどの様に映ったのか、罪人が通過するのは無理ではないかと感じてしまいます。その緊張感を味わえる小説が吉村昭の「長英逃亡」、街道好きの知人から教えられ読みましたが、史実に限りなく近い内容で、往時の旅人になり切れる珍しい本です。

箱根神社まで歩く余裕がなく、芦ノ湖越しに参拝して峠を降りました。今思うとどうして寄り道しなかったのか後悔をしますが、また歩けばいいじゃないかと気持ちを切り替え、再訪を街道の神様に誓います。
8.南湖
2023.11.26 奥州道中
福島県白河市
南湖(なんこ)
面積 0.18㎢
基準水面 365.0m
深度 2.0m

奥州道中を歩いた際に、白河の関かと思い通過した栃木・福島県境の神社に「二所の関」と書かれた看板しかなく、想像していた「白河の関」は奥州道中から約8km東に逸れた「東山道(とうさんどう)」沿いにあり行けませんでした。次に歩く時は「白河の関」がある東山道を歩くと心に決め、約2年後にその日がやってきました。

ちょうど紅葉のピークで、紅や黄の樹々が競い合う様に白河の街を彩っていました。上の画像の金刀比羅神社は、誰も足を踏み入れていない「バージン落ち葉参道」を人生で初めて歩く事が出来ました。

前回歩かなかった東山道を目指して歩いていると、日本最古の公園と言われる「南湖(なんこ)を通過する事になります。聞いた事が無かったので期待せずに通ると素晴らしいコンセプトの公園でした。

南湖公園は1801年に12代白河藩主松平定信が、どんな身分の人も楽しめる「士民共楽」の理念のもと築造しました。庶民も楽しめる公園という意味合いで日本最古といわれています。

南湖公園から東山道を歩く事約2時間、白河の関跡に到着。正確にはどんな建物が何処にあったかが不明の様で、復元された関所の建物などはありませんでした。
寄り道 消えた湖 椿海
毎年夏の街道歩きは、300〜500km級の道を選んで歩いていました。昨年度の夏は奥州街道、東北縦断は熊の恐怖との戦いに神経が少しすり減りましたので、2026年夏の街道歩きは熊を避けて千葉県内の街道を歩きました。

房総往還 千葉市中央区
私は運がないのか街道の神様から与えられた試練なのか、今年の千葉県は雨に祟られています。房総往還を歩いた際は千葉豪雨災害の渦中を歩き、昼過ぎに身の危険を感じ木更津宿で切り上げて帰宅した後に大惨事が発生しました。

多古銚子道 千葉県多古町
多古銚子道を歩く前日は台風25号災害で、覚悟をして歩きましたが、川が氾濫し水が流れる道を歩いたり、崩れそうな道の横を歩いたり、身の危険を何度か感じました。

多古銚子道 千葉県旭市
台風の災害地域を抜け、夕暮れ時に九十九里浜沿いの旭市内の水田沿いを歩いていると、水捌けが悪いのか所々の水田が池の様になっています。土地が低い場所なのかなと思いながら宿に入ります。

翌朝、宿のの前にあった鎌数(かまかず)伊勢大神宮に参拝したところ、神社創建と深い関係がある椿海(つばきのうみ)の説明看板を発見。

なんとこの付近にはかつて椿海と呼ばれる湖があり、面積は浜名湖よりも広かったそうです。説明看板の地図には当時の村の名前が書かれており、その後の街道歩きはこの辺りに椿海の湖岸線があったのかなど、想像しながら歩きました。

旭市内の地図を見ると、上半分に不自然に広がる水路があります。その周辺が椿海を干拓した跡地になり、総武本線には干潟駅という駅まであります。昨日歩いた道沿いの水田の水捌けが悪かった理由が判明しました。椿海が干拓されたのは江戸時代、当時江戸の人口が増えて米不足解消のために国策として行われた様です。
9.柴山潟
2024.08.28 北陸道
石川県加賀市
柴山潟(しばやまがた)
面積 1.9㎢
基準水面 0.4m
深度 4.5m
2024年の夏は、新潟県から滋賀県まで日本海側の北陸道を南下しました。フェーン現象多発地域の影響か、暑さとの戦いでもありました。道中加賀温泉郷に宿泊したく、寄り道した片山津温泉の目の前が柴山潟と呼ばれる湖。美しい夕日とドローン花火を楽しむことができました。


片山津温泉は街道から約3㎞北に逸れます。往復で6㎞も街道以外を歩くことは避けたかったのですが、北陸道で温泉に入れるチャンスはこの日だけでしたので予約をしました。温泉に向かう道は田圃の真ん中の農道、黄金色に輝く稲穂がまばゆい中、黙々と宿を目指しました。

かつてこの地には、加賀三湖と呼ばれた柴山潟・木場潟・今江潟がありました。干拓により現在では、柴山潟と木場潟の一部が残っています。

陽が沈む頃、柴山潟一面が一瞬にして橙色に染まりました。一日に何度も湖面の色が変わることから「彩湖」とも呼ばれているそうです。

片山津温泉は江戸時代に柴山潟の湖底に温泉が発見されたものの開発は難航。明治時代に源泉の上を埋め立て宿泊施設を作り、現在の温泉街に発展しました。
夜は温泉街の湖畔で人生初のドローン花火大会を見学。なんとも不思議な光景でした。
10.南部片富士湖
2025.08.27 奥州街道
岩手県盛岡市
南部片富士湖(なんぶかたふじこ)
面積 3.9㎢
基準水面 170.7m
深度 50.0m

2025年の夏はどこを歩こうか。街道歩き仲間の3名が昨年あたりから立て続けに還暦を迎え、50代最後の体力の衰えを語っていました。その頃私は57歳、今のうちに1番過酷な街道を歩いておこうと、選んだ街道が奥州街道 松前道でした。

白河宿から奥州街道を歩き始めて14日目、盛岡市中心部に入る手前で、初めて北上川を渡ります。岩手山の雄大な姿を見て、ようやく北東北に入った事が実感できました。

盛岡市内から約8km北上すると、北上川の四十四田(しじゅうしだ)ダムが堰き止めて出来た「南部片富士湖」湖畔に出ます。南部片富士とは岩手山の別称で、富士山の片側が削げているように見えること から、そう呼ばれています。

南部片富士湖で驚いた事は、湖畔の橋上から約20m下の草むらを眺めていたら、獣道が見えた事です。その付近は人が到底立ち入れるとは思えない場所で、鹿が歩いた跡だと思われます。

改めて驚いたのが、盛岡市内からたったの8kmで原生林の様な絶景に辿り着ける事でした。私が歩いたすぐ後に盛岡市内に出没した熊は、川を下って来たと言われてますが納得が出来ました。

南部片富士湖を過ぎると、奥州街道は蛇行する北上川と共に約30km北上、源流を通過して青森県境に近づいて行きます。
寄り道 白鳥の湖
湖ではありませんが、街道沿いには多くの池や沼がありました。その画像を眺めていたところ半数近くに白鳥が映っています。白鳥と湖は切り離せない関係の様です。最後にダイジェストで紹介しますので、チャイコフスキーの白鳥の湖を思い浮かべてご覧ください。
皇居日比谷濠 2021.09.04
甲州道中 東京都千代田区

初めて夫婦で歩いた街道が甲州道中、日本橋を出立してすぐ、皇居日比谷濠に白鳥が浮かんでいました。冬に飛来するイメージがありましたので不思議な光景でしたが、とにかく白鳥は皇居に似合います。
羽田沼 2023.11.27
奥州道中 栃木県大田原市

奥州道中の途中に地元の小学生が描いた可愛らしい看板「ようこそ羽田沼へ」があります。街道から2km弱逸れますが、行かないわけにはいかず、白鳥がいる事を期待して行ってみました。10羽程度でしたがいて良かったです。
洗足池 2024.07.27
中原街道 東京都大田区

真夏日に中原街道を歩いていると、都会の真ん中にオアシスの如く、洗足(せんぞく)池が現れます。暑すぎてスワンボートは誰も乗っていません。日蓮聖人が足を洗った事からこの名が付いたとの説がある、由緒ある池です。
大塚池 2025.12.28
結城街道 茨城県水戸市

真冬の結城街道、水戸市内に入ると上空を優雅に飛来する大きな鳥の群れが何度も通過していきます。飛んでいく方角に近づくとそこには白鳥の楽園、大塚池がありました。ここで休んでは、餌をとりに行く事を繰り返しているようでした。
大濠池 2026.02.17
唐津街道 福岡市中央区

大濠池は福岡市民の憩いの場所。ランナーの聖地でもあり、1周2kmのコースには多くの人々が元気に走っていました。その後ろの池には、寒くて乗る人がいないスワンボートの群れがが浮かんでいました。
これにて、「湖と街道」の定線観測は終了。海や川の定線観測もありますので、ご興味がある方はご覧ください。