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「能力があるから」は、なぜハラスメントの免罪符になるのか。

    「能力があるから」は、なぜハラスメントの免罪符になるのか。

    ダメなことをダメと言えない場所から、若者は静かに去っていく。女性も去っていく。そして最後に残るのは、その文化を心地よいと感じている人たちだけだ。

    「能力があるから、関わらせてあげてほしい。」

    コンプライアンス違反を繰り返した人物に対して、複数の男性がそう口を揃えた場面に、私は立ち会ったことがある。

    守られていたのは、その人物だった。
    守られなかったのは、声を上げられなかった側だった。

    広島県福山市を拠点に若者と地域をつなぐ活動を12年間続けてきた。3,000名以上の若者と関わる中で、「場を守る」ということの意味を問い続けてきた。その問いが、あの場面と深くつながっている。

    なぜ、能力があることがハラスメントの免罪符になるのだろう。

    そもそも、その「能力がある」という評価自体を疑ったことがあるだろうか、と感じている。

    かつては必要とされていた人かもしれない。過去に成果を出した時期があったのかもしれない。けれど、それは「今、能力が高い」こととは違う。時代は変わり、求められるものも変わっている。にもかかわらず、過去の実績や肩書きに引きずられて「あの人は優秀だ」と思い込み続けているだけではないのか。その思い込みを疑わないからこそ、目の前で起きているハラスメントにも蓋をしてしまう。「能力が高いから多少のことは仕方ない」のではなく、能力が高いという前提そのものが、もはや幻想かもしれないと私は見ている。

    人の本質を見抜くとは、過去の看板ではなく、今その人が何をしているかを見ることだと考えている。凝り固まった評価軸を持ち続ける自分自身を、まず見直す必要があるのではないかと感じている。

    これは特定の誰かを糾弾したいわけではない。ただ、社会のいたるところで繰り返されているこの構造を、一度ちゃんと解体してみたいというのが正直なところだ。優秀な人材だから。成果を出しているから。代わりがいないから。そうした理由で、被害を受けた側が口をつぐみ、「大人の対応」を求められる。声を上げた側が「空気を読めない人」にされる。これは個人の問題ではなく、組織や社会が無意識に持っている価値観の問題だと考えている。

    擁護する側の心理には、少なくとも三つの層があるように見える。

    まず「自分は被害を受けていないから実感がない」という認知のずれだ。ハラスメントには、された側にしか見えない景色がある。していない側、あるいは見ていた側にとっては「そこまでのことだったのか」という温度差が生まれやすい。悪意なく、被害を受けた人の言葉を軽く扱ってしまう。これは個人の問題というより、当事者性の非対称から来る構造的なすれ違いだと捉えている。

    次に「能力」と「人格」を分離して評価できるという思い込みがある。仕事ができることと、人として信頼できることは切り離せないと私は考えている。特に、人と関わる仕事においては。「能力がある人を外すのはもったいない」という論理は、無意識のうちに被害者の痛みより加害者の能力を天秤の上に乗せている。その天秤の傾き方自体が、すでに一つのメッセージを発しているように感じている。

    そしてもう一つ、「許さない側が狭量だ」という無言の圧力がある。

    「もう反省しているのだから」
    「チャンスを与えるべきだ」
    「いつまで言うのか」

    一見寛容に聞こえるこれらの言葉が向いているのは、加害した側だけだ。許すかどうかを決める権利は、被害を受けた当事者にある。それを関係のない第三者が「許してあげなよ」と急かすことは、もう一つの加害になり得ると見ている。

    そしてここに、さらに根深い問題が重なる。

    擁護した人たちは、その後に何が起きても責任を取らない。

    「関わらせてあげてほしい」と懇願した人が、そこから発生したトラブルの責任を引き受けたケースを、私は一度も見たことがない。

    ダメなものをダメと言わず「能力がある」という言葉で包んで場に通すこと、それが本当にその人のためになっているのかと、素直に疑問を感じている。自分が悪者になりたくないだけではないのか、とも。

    場を預かる側には、何が起きるかを想像する責任があると考えている。

    想像できるから、ダメなものはダメだと言う。それは冷たさではなく、その場にいる全員への誠実さだと思っている。

    ここで一つ、明確にしておきたいことがある。

    ハラスメントを行った人が、一生どこにも居場所を持てないと言いたいわけではない。その人にはその人の人生があり、能力を活かせる場所は他にもある。ただ「その場所には戻れない」ということがあるだけだ。

    学生や若者と関わる事業、ボランティアや行政と連携した公共性の高い活動、そうした場において、過去にコンプライアンス違反を繰り返した人を「能力があるから」と関わらせることは、参加者の安全を脅かすことと同義だと感じている。これは排除ではなく、場を守るということだと捉えている。社会にはたくさんのフィールドがある。この場所に関われないことは、すべてを失うことではない。それなのに「この場所にも」と第三者が懇願すること自体が、その場にいる人たちへの配慮を欠いているように見える。

    さらに厄介なのは、周囲がその人の問題を「知っている」ケースだ。

    「あの人はパワハラ気質だ」と認識している。
    けれど「言い方がきついだけ」「昔のやり方についてこれない人がいるだけ」「根は悪い人じゃない」と、無数の言い換えで問題を薄めていく。認識しているのに容認する。これは無知よりもたちが悪い側面があると感じている。なぜなら、リスクが見えているのに目を閉じているからだ。

    そのリスクを最終的に引き受けるのは、容認した側ではない。その場にいる若いスタッフであり、声を上げられない立場の人たちだ。知っている人は静かに離れていく。関わらないという判断をする。それは逃げではなく、自分と自分が守るべき人たちを守るための選択だと考えている。

    なぜこの構造がなかなか変わらないのか。声を上げることのコストが圧倒的に高いからだと感じている。被害を訴えた側が「面倒な人」になり、場の空気を壊した責任を負わされる。結果、多くの人が黙る。その沈黙が「問題は解決した」という錯覚を生み、また同じことが繰り返される。特に男性が多数を占める場では、自分が経験したことのない被害に対する想像力の射程が届かないだけで、結果的に加害の構造に加担してしまう。「そんなつもりはなかった」は、被害を受けた側には何の意味も持たない。これは誰かを責める話ではなく、構造の話だと見ている。

    忘れてはいけないことがある。こうしたやりとりが行われている場には、若者がいるということだ。

    高校生も、大学生も、新社会人もいる。彼らはその空気を見ている。「ハラスメントをしても、能力があれば許されるんだ」「声を上げるより黙っていた方が得なんだ」「結局、力のある人が正しいんだ」。言葉にしなくても、その空気は確実に伝わる。そしてその空気を吸った若者たちは、静かにその場を、その組織を、その町を離れていく。

    地方の若者の転出超過には、さまざまな要因がある。けれど、その一つに「ダメなことが許される文化」が潜んでいるのではないかと感じている。

    おじさんたちが心地よく過ごすためにうやむやにされる場所を、若者は選ばない。女性も選ばない。選ばれなかった企業は衰退し、選ばれなかった町は人を失う。それはもう、始まっていると見ている。

    この文章を書いているのは、誰かを攻撃したいからではない。

    ただ、同じ場面に出会ったとき、少し立ち止まって考えてほしいと感じている。「能力があるから」と擁護しようとしたとき、自分が守ろうとしているのは本当は誰なのか。その人を守ることで、若者や女性、子どもたちに何を押し付けているのか。声を上げられない人たちの沈黙を「問題がない」と読み替えていないか。

    他人を守っているつもりで、実は自分を守っている。その構造に気づかないまま、課題はいつも立場の弱い側に流れていく。ハラスメントがなくならない理由の一つは、ここにあると考えている。

    この文化を変えられるのは、女性と若者だと感じている。

    なぜなら、彼らは「選ぶ力」を持っているからだ。
    どの組織に属するか、どの町に住むか、誰と働くか。
    その選択の積み重ねが、社会の構造を少しずつ変えていく。

    場を作る側の人間には、場を守る責任がある。誰を入れるかだけでなく、誰のためにその場があるのかを問い続けることが、私にとっての誠実さだと思っている。

    能力は大事だ。けれど、安全はもっと大事だと感じている。その優先順位を間違えた瞬間、場は壊れる。そして一度壊れた信頼は、能力では取り戻せない。若者や女性から選ばれない場所に、未来はないと見ている。


    角田千鶴(つのだ・ちづる)
    有限会社山陽不動産 取締役副社長
    一般社団法人ミライゴト 代表理事
    山陽管理株式会社 代表取締役。

    広島県福山市出身。東証1部上場企業勤務を経て2004年にUターン。家業の不動産会社を15年連続増益増収へ導く。2019年から高校生・大学生向け創業体験プログラム「Sta-sh」を立ち上げ、7年間で370名以上が参加。経済産業省中小企業庁創業機運醸成賞受賞。2024年10月、一般社団法人ミライゴトを設立し代表理事就任。若者とアスリートのキャリア支援を通じた地域創生に取り組む。

    ▷ 連載#1「新しいものを、既存の何かに当てはめようとするのはなぜだろう。」はnoteで公開中です。
    ▷ 並走する哲学シリーズ「夢がなかった普通の私が、自分の人生を選べるようになるまで。」も連載中です。

    「ミライゴト理論への道」は、12年間の実践が持つ構造を言語化していく連載。「哲学シリーズ」は、その理論を生んだ一人の人間の物語。二つは別々に進みながら、最終回で交差します。理論と物語が重なったとき、何が見えるのか。それは私自身もまだ分かっていません。

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    一般社団法人ミライゴト代表理事| 山陽不動産34 取締役副社長|㍿山陽管理 代表取締役|経済産業省中小企業庁創業機運醸成賞受賞| 0→1を実践する経営者|24歳で赤字会社を15年連続増益増収へ|起業支援|シェアオフィス5棟運営|学生創業イベント主催|新しい就活|人材紹介業許可取得

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