
【連載小説|ホラー】第五章:桃色鸚哥の羽化とデジタル毒素 第四話/Ma chérie
藤原が再び玖留美の元へやってくる頃には、アイスクリームが半分ほどの大きさになっていた。美しいピンクのソーダは今やどろどろした紫に変色しており、真っ赤なチェリーもグラスの底に沈んでしまっている。玖留美はスプーンを手に取ったまま、カタカタと震えていた。
「林様」
そんな様子は気にも留めず、藤原は背中に声を掛ける。短い悲鳴が上がり、乾いた音を立ててスプーンがテーブルに落ちた。
「お待たせいたしました…【Ma chérie】でございます」
まるで機械が声を発しているかの如く、抑揚のない口調で言いながら、藤原がテーブルに皿を置いた。こちらもソーダと同じく華やかなピンク色で、レース模様を象った縁が印象的なかわいらしい皿。
だが玖留美は、スマホを手に取ることも出来ず、再び悲鳴を洩らしそうになった。
皿に載っていたのは、動物の形をした数枚のクッキーだった。焼きたてだろうか、香ばしく甘い匂いが漂っている。しかも表面には、絵の具で描いたように見事なアイシングが施されていた。
しかしそれらの表情は、すべて苦悶と絶望に満たされていた。瞳は濁りきって、毛並みはぼろぼろに乱れ、やせ細っている。今にも動き出しそうなほど精巧で、玖留美の目尻にはうっすらと涙が滲んでいた。
「林様、どうぞ召し上がれ」
残酷な藤原の声が玖留美を促す。玖留美は弱々しく首を振ったものの、何故か意思に反して自分の右手は皿の上のクッキーへと伸びていた。
(いや…いや…食べたくない…!)
必死で抗おうとするが、成す術はなく1枚のクッキーを震える指先でつまんだ。そこに描かれているのは、命乞いをするようにこちらを見つめるトイプードルの顔。玖留美は涙目のまま、口の中に突っ込んだ。咀嚼するとクッキーがほろほろと崩れ、控えめな甘みが舌を包み込んだ。
その瞬間、玖留美の脳内にある光景がフラッシュバックした。
【@wallnut-dog:新しい家族をお迎えしましたー!ティーカッププードルのティアラです♡】
そ
れは、玖留美が最初に立ち上げたインスタグラムのアカウントの投稿画面だった。カップに入ったプードルを映した画像に、100件を超える『イイネ!』が集まっている。
その光景はすぐに切り替わり、次に映し出されたのは深夜のコンビニだった。外に置かれている傘立てに、ティアラのリードを繋いでいる玖留美の姿がある。
『あんた、もうかわいくないからいらない。トイプードルとかライバル多すぎて勝てないしね』
そう言い放ち、ティアラをそのままに玖留美は立ち去っていく。か細く鳴くティアラを無視し、スマホの画面を見つめたまま、夜の街へ消えていった。
「あ…あ…」
玖留美の目から、堪えきれなくなった涙がぼろぼろと零れ始めた。ピーチが先ほどとは反対側に首を曲げ、玖留美の泣き顔を凝視している。
「ティアラは幸い、コンビニ店員に発見され、保護施設に送られました。しかし強いトラウマ故、コンビニを見るだけでひどく怯えるようになったのです。散歩も一苦労だと、施設の方は語っています。…さあ、クッキーはまだ残っていますよ」
藤原の声は、玖留美にとっては最早無慈悲な宣告であった。口の中のクッキーは飲み込めず、水分を奪いカラカラに乾いていく。息が苦しくなり、首に手をあてた。
藤原がゆっくりと手を伸ばし、クッキーを1枚手に取る。アメリカンショートヘアの顔が、玖留美の前に掲げられた。
【@amesho-love:今日からインスタ開始しました☆主役はこの子、アメショのリリーです!】
「リリーが捨てられたのは、雨が降りしきるゴミ捨て場でしたね。野生ではない彼女は、自身で狩りをすることも出来ず、ずぶぬれのまま息絶えました」
『アメショ人気だって言ったのに、全然伸びないじゃん!』
あの時の玖留美は、スマホに向かって愚痴をこぼし、リリーの画像をすべて削除した。次はどの動物にしようか、そんなことばかり考え、リリーのことは既に忘れてしまった。
藤原はクッキーを取り換え、今度はハムスターを玖留美の眼前に近付けてやる。玖留美は涙を流しながら、フラッシュバックを享受するしかなかった。
【@gold-ham:かわいいでしょ?ハムスターのきなこです、これからよろしくね♪】
「きなこはあなたの管理体制の甘さ故、ゲージから脱走しました。だがあなたは気にすることもなく、探しもしなかった。本当はテレビの裏側で、見つけてくれるのをずっと待っていたと言うのに」
『あーあ、いなくなっちゃった…ま、いっか。あんまり需要なかったみたいだし?次はどうしよっかなー』
自身の暢気な声が脳内に響く。ゲージは知り合いに押し付け、何の予告もなく投稿は削除。その足でペットショップに向かい、新しく迎える『映え』を探したのだ。
「林様。これらはあなたが『バズの踏み台』として消費し、電子のゴミ箱へ捨ててきた命の記録です。そしてあなたの耳に届く声は、あなたがその汚れた指先で、画面の向こうへ送り続けてきた、あなた自身の『言葉のレプリカ』ですよ」
「や…やめ…」
とうとう許しを請うように玖留美は声を絞り出したが、藤原は応えずに漆黒の瞳を玖留美に向けるだけ。すべてを見透かし、もがき苦しむ彼女をただ観察している藤原は、死刑執行人のようであった。
「だ…だれか…たすけ…」
玖留美が助けを求めたのは、自分の命とも言えるスマホだった。ガタガタと痙攣する手で天板を探り、なんとかそれを握りしめる。
だが、スマホは彼女の救世主にはならなかった。
ぴし、と液晶画面に大きなひびが入り、パキパキと広がっていく。それは液晶画面に留まらず、自慢のスマホカバー、そしてネイルアートで彩られた玖留美の指先へ―――
「ああああ!!」
玖留美の絶叫が、室内に響き渡る。
彼女の指先は、まるでエラーを起こした液晶画面のように青白く明滅し、ノイズを上げながらカサカサと塵になって綻び出した。スマホは手から滑り落ち、粉々に散らばる。その間にも綻びは腕から顔面へと駆け上がり、彼女は二度と『映え』を語る声を出すことも出来なくなった。
あれほど電子の海の中にしか居場所を見出せなかった彼女は、最後は自らが冷たいブルーライトを放つ、ただの有害な『電子の破片』へと崩壊したのだった。
第五話へ続く