休憩は、止まることじゃなかった
休憩というと、
どんな時間を思い浮かべるだろう。
コーヒーを飲む時間。
ソファに座る時間。
昼寝をする時間。
何もしないで、
ぼんやりする時間。
たしかに、それも休憩だ。
でも最近思う。
休憩って、「止まること」だけじゃないのかもしれない。
コンビニまで、少し遠回りした
ある日の帰り道。
特別なことがあったわけじゃない。
ものすごく嫌なことがあったわけでも、
嬉しいことがあったわけでもない。
ただ、
「なんか疲れたな」
そんな日だった。
家に帰れば、
また日常が待っている。
だから、
いつも寄るコンビニまで少しだけ遠回りした。
ほんの数分。
たった、それだけ。
すると途中で、
小さな公園の横を通った。
夕方の公園には誰もいなかった。
昼間の熱を残したベンチ。
風に揺れている木の葉。
どこかの家から聞こえてくる食器の音。
少し遠くから、
子どもの笑い声も聞こえた。
そのとき、ふと思った。
「あぁ、今日も一日が終わっていくんだな」
時計を見れば、
いつもと大して変わらない時間。
世界だって、
何ひとつ変わっていない。
なのに、
さっきまで頭の中を占領していたものが、
ほんの少し遠くなっていた。
人は、場所を変えるだけでも休める
もしかすると私たちは、
「休まなきゃ」
と思いすぎているのかもしれない。
ちゃんと座らなきゃ。
ちゃんと眠らなきゃ。
何も考えないようにしなきゃ。
疲れを取らなきゃ。
……休憩にまで、
「ちゃんと」を持ち込んでしまう。
でも、
いつもと違う道を歩く。
自動販売機で飲み物を一本買う。
車の中で一曲だけ好きな音楽を聴く。
ベランダに出て空を見る。
スーパーへ行ったついでに、
季節のお菓子をひとつ眺める。
そんなものだって、
立派な休憩なんじゃないだろうか。
身体は動いている。
だけど、
心だけが少し、日常から離れている。
そんな休み方もある。
「役に立たない時間」が心を戻してくれる
私たちの毎日は、
役割でいっぱいだ。
仕事をしている自分。
家事をしている自分。
誰かを支えている自分。
誰かに気を遣っている自分。
親として。
夫婦として。
社会人として。
いつの間にか、
いろんな「自分」を着込んで生活している。
もちろん、
どれも大切な自分だ。
でも、ときどき。
名前も肩書きも役割もない、
ただの自分に戻る時間が必要なんだと思う。
公園の横を歩いている数分間。
誰かのために歩いているわけじゃない。
何かを達成するためでもない。
ただ歩いている。
風が吹いた。
少し涼しかった。
それだけ。
何の役にも立たない。
でも不思議なことに、
そういう時間のあと、
少しだけ優しくなれたりする。
休憩は「余った時間」にするものじゃない
忙しいと、
休憩はいつも最後になる。
仕事が終わったら。
家事が終わったら。
子どもが寝たら。
全部片づいたら。
余裕ができたら。
でも、
その「いつか」は、
なかなかやってこない。
日常というものは、
ひとつ片づけると、
どこからともなく次の用事を連れてくる。
だから休憩は、
時間が余ったときにするものではなく、
日常の途中に、こっそり挟むものなのかもしれない。
5分でもいい。
3分でもいい。
信号待ちで空を見るだけでもいい。
今日、どこかで寄り道しませんか
大きな休みじゃなくていい。
旅行に行かなくてもいい。
何時間も眠れなくてもいい。
今日の生活のどこかに、
ほんの少しだけ、
「何のためでもない時間」
をつくってみる。
帰り道を一本変えてみる。
コンビニで温かい飲み物を買う。
車を降りる前に、
好きな曲が終わるまで座っている。
夕焼けがきれいなら、
写真を撮らずに眺めてみる。
それだけでいい。
人生を大きく変えるような時間ではない。
明日から急に元気になるわけでもない。
悩みが全部消えるわけでもない。
それでも、
張りつめていた心の糸が、
ほんの少し緩むことがある。
その「ほんの少し」が、
案外、人を助けてくれる。
休憩とは、
何もしないことではなく、
自分の心が、自分に追いつくのを待つ時間なのかもしれない。
だから今日も、
急いで家へ帰る途中で、
ほんの少しだけ遠回りをしてみようと思う。
数分遅くなったって、
きっと大丈夫。
その数分は、
人生から失われる時間ではない。
むしろ、
忙しさの中に置き忘れてきた自分を、
迎えに行く時間なのだから。🍃
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