【アメリカ南部工場で私が見たもの③】:アヒルがくれた自信と、トヨタ監査の試練
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毎日のように押し寄せる日本からの出張者。私は24時間、彼らの「アゴアシ」の世話に追われていた。 そして追い打ちをかけるように舞い込んだ、品質第一「トヨタ」の工場監査。目の前が真っ暗になった私の前に現れたのは、黄色いアイツだった――。
24時間戦えますか? 若手駐在員の悲哀
工場再生のためのテコ入れは、主力であり本社工場でもあるジョージアの工場から実施された。
まずは、古びた設備の更新(オーバーホール)である。これこそ、日本からやってきた「工機軍団」の真骨頂だ。プレス機、研削機、研磨機、検査機などを順番に日本に出荷し、日本でオーバーホールとアップグレードを行い、ジョージアに送り返す。 生産を継続しながら行うわけだから、当然、入念に受注状況をにらみながら出荷していく。工機の精鋭(?)部隊は入れ替わり立ち代わりジョージアに出張してきて、個々の機械をチェックし、日本に到着した時にはすぐに作業に取り掛かれるよう、あらかじめ部品や作業員の手配をしていく。この辺りの段取りの良さは、悔しいが感心するしかない。やはりプロ集団である。
当時、私の他にも3人、日本からの出向者がいた。一人は会長、もう一人は私より4歳くらい年上の経理の出向者、そして「ジム(下さん)」だ。 私が一番アメリカに長くいたのだが、なんせ私が一番若い。日本の恨めしい年功序列(Seniority)のせいで、雑用も含め「出張者の世話」はすべて私に回ってきた。
中小企業で海外出向を経験した人にしかわからないと思うが、若手独身で海外出向などするものではない。なんせ、顎足(アゴアシ)すべて、出張者の世話をしなければならないのだ。
彼らは言葉ができない。車の運転ができない。おまけに「自分たちは社命で出張に来ているのだから、世話をしてもらって当然」と思っている。これがタチが悪い。つまり、私には公私にわたって一切の自由時間がないのだ。
当時、私は社用車としてGMのアストロというミニバンを運転していた。これは事実上、出張者を運搬するバスだ。私は出張者の送り迎え、食事、週末の買い物やゴルフの手配までを一手に引き受けねばならなかった。彼らは仕事も私がいなければ回らない。なんせ誰も英語を話せないのだから。
私はシカゴにいたころ、会社の別事業である精機事業(工作機械の部品)のセールスエンジニアをやっていて、ジョージアに異動してからもその職務から解放されていなかった。出張者の世話を一通り終えてから、一人事務所に帰って自分の本業を片付けていたのだ。
さらに、令和の諸君には想像もつかないだろうが、私の住んでいたアパートは2ベッドルームだったものの、そこには常に日本の出張者が宿泊していた。私の会社はホテル代さえケチるのだ。 出張者の中には、私が買っておいた非常食のインスタントラーメンを勝手に食べてしまう課長もいて、人間不信になりかけた時もあった(笑)。
文字通り、私は24時間戦っていたのである。
現場の空気を変えた「体重計のイタズラ」
そういう工機の出張部隊の傍若無人ぶりを横目に、ジムは着々と工場の改善を進めていた。
ジムはベテランの品質管理課長なので、勘所が鋭い。工程のどこに弱点があり、どこで工数がかかっているのか、不良が出ているのかをすぐに特定する。工場のスーパーバイザー、マネージャー、フォアマン(職長)たちが彼を頼るようになっていくのは当然のことだった。また、現場の作業者も彼のことが大好きになっていった。
そんな中で、ジムにまつわるエピソードを2つほど紹介したい。
プレス工程に、入れ墨だらけの「デニス」という男がいた。私が赴任したころは、目つきが悪く、愛想のない不良としか思えなかった男だ。 彼のいる工程には、仕掛品(半製品)をロットに分けて管理するための大きな重量計が置いてあった。ここに仕掛品の入ったコンテナを積んで重さを量るのだ。 ジムは毎朝、工程を回る時にこの重量計に乗って自分の体重を量り、健康管理をするのが日課になっていた。その様子を、デニスは毎日横目で見ていた。
ある日、ジムが日課の体重測定を行うため重量計のそばに来た時、私がこっそり後ろからついて行き、ジムが乗ると同時に、後ろからこっそり自分の足を重量計に載せた。
急に1日で体重が激増したジムは慌ててポケットの中を確認し、目をこすりながらもう一度重量計に乗った。 私がまた同時に足を載せる。体重が激増している。ジムは激しく焦る。
その様子を横目で見ていたデニスが、ついにこらえきれずに大爆笑したのだ。
ジムが驚いて振り返ると、重量計に足をかけているフランク(私)がいた。ジムも大笑いした。 この日を境に、ジムと私はデニスと仲良くなった。いつの間にやら「デニやん」という愛称で呼び、何かと工程の相談をするようになった。
デニスは特に南部訛りが強く、標準アクセントのシカゴから赴任した私にとっては難解だったので、最初はミシガン出身のアメリカ人に間に入って通訳してもらっていた。「英語から英語への通訳」という、アフリカ奥地のような状況だった。 しかし、私も南部訛りにはすぐに慣れ、今では日本有数の南部訛り英語の理解者であると自負している。
ジム、南部の宙を舞う
ある日、ジムが「なあフランク、スカイダイビングしないか」と変なことを言い出した。彼は昔からやってみたかったそうだ。
私はひどい高所恐怖症で、建物の3階でも足がすくむタチだ。スカイダイビングなどは10万円もらってもしない(30万円なら考えるかもしれないが)。しかしジムはどうしてもしたいと言う。仕方がないので、インターネットなどが普及する10年近く前の当時、イエローページ(電話帳)で調べてアトランタの南の小さな飛行場でやっていることを見つけ、週末に予約を取った。もちろんジムの1人分だ。料金は200ドルだったと思う。私は「こんなことによく金を払うな」と閉口した。
土曜日、ジムともう一人の出張者と3人で、1時間ほどかけて飛行場に向かった。 スカイダイビングは、最初は一人では飛べず「タンデム」と言って、教官の前にハーネスでくくられて一緒に飛ぶ。飛ぶ前に30分の講習がある。
ジムは英語が分からないので、講習に私も入って通訳を始めたのだが、わがままなもう一人の出張者が「喉が渇いた」と言い出した。仕方がないので「ちょっと待ってて」と近くのガソリンスタンドへ飲み物を買いに行き、戻ってきた時には……ジムはもう他のジャンパーたちと一緒に、満面の笑みでセスナに乗り込んでいた。
説明が分かったのか分からなかったのか、通訳不在で少し不安になった私をよそに、そうこうしているうちにジムを乗せた小さな古いセスナ機はよちよちと飛び立っていった。
天気がよかったので、セスナが円を描きながら上昇していく様子は肉眼で見えた。しばらくすると、飛行機からポツポツと人が飛び出していく様子が見えた。確か4組くらいだったと思う。そのうち、パラシュートが3つ開くのが見えた。
「……1個足りないんじゃないか?」
ちょっと不安になった私は、縁起でもないが思わず地上に墜落していないか確認してしまった(笑)。
しばらくすると、長身の若いイケメンのインストラクターにくくりつけられた、お猿さんのような日本のおじさんが、満面の笑みで降りてきた。あんなに楽しそうなジムは見たことがない。無事地上に降りてきたジムは、長年の夢が叶ってとても嬉しかったようで、何日もその話をしていた。私はジムが嬉しそうにその話をするのを聞くのが、密かな楽しみになっていた。
絶望の知らせ:トヨタが来る
しかし、ジムの幸福は長く続かなかった。 出張者が入れ替わり立ち代わり来て、設備の更新も順次行われていく中、とんでもないことが起こった。起こったというか、起こっていたことが発覚したのだ。
我々が買収する前に出荷した製品に不良が混入しており、市場クレームが発生した。よりによってクレームの対象は「トヨタ」だった。
日本の親会社は品質管理が徹底しているので、このような市場クレームはまず起きない。したがって、OEMの自動車メーカー、しかもトヨタが直接監査に来るような経験は誰も持っていなかった。品質といえばトヨタである。ジムは「トヨタが来る、トヨタが来る」と焦りだした。
私は呑気に「そんなもの、我々が入る前(買収前)の問題じゃないですか。我々に言われても困ると言えばいいじゃないですか」と言ったのだが、これは今思えば完全に常識外れだった。
企業買収の際は分厚い契約書を交わす。日本などは「何かあれば善処する」的な曖昧さがあるが、アメリカは違う。あらゆる事態を想定して、すべて買い手か売り手か、どちらのLiability(責任の所在)かを書面化するのだ。私は買収前の精査(Due Diligence)にも参加していたが、品質クレームの責任は「買い手(我々)」が引き継ぐことになっていた。
何よりも、ビジネスにおいては買収した会社で起こったことに真摯に向き合うのは当然のことであり、当然トヨタもそれを期待しているため、甘い顔は絶対にしない。品質と信頼性第一のカーメーカーだ。市場クレームは絶対に許されない。
当時の若かった私にとっては、「アメリカに出て来てくれ」と言われて出て来たのに、問題が起きると「早く何とかしろ」と手のひら返しをされているようにしか思えなかった。私はまだ甘かったのだ。
絶対に誤魔化せない「現場主義」
ジムと私は監査までの間、様々な書類や工程をチェックした。当然、アメリカ人の品質担当者や工程のマネージャー、スーパーバイザーも一緒だ。
アメリカのビッグ3(GM、フォード、クライスラー)の監査は、実はあまり現場の工程を見ない。ほぼ事務所での書類チェックだ。しかし、日本のメーカー、特にトヨタは全く違う。超・現場主義なのだ。
書類のチェックなどはほとんどせず、すぐに現場に行く。現場では数人一組に分かれ、1人か2人が我々に質問をして対応させている隙に、他の監査員がふらっと現場の作業者に直接声をかけたり、我々があまり見られたくないところを意図的に見たりする。とにかく、誤魔化しが一切効かない「監査のプロ」なのだ。
日本の本社には対応できるベテランの品質保証部隊が大勢いるが、ここにはいない。どれだけ準備しても、し足りない。対応できる人数も足りない。目の前が真っ暗になった。 とにかく毎日、私に出来るのは工場の清掃状況を祈るようにチェックすることくらいだった。
緊迫の朝、アヒルが来た
監査当日。朝早く、現場の最終チェックに行った。研削工程だ。 工程に近づくと、Mat(マット)という作業者が私を呼んだ。
"Hey, Frank, over here."
彼の持ち場の研削機の方に行くと……研削機の油タンクの液面に、黄色いアヒルのおもちゃがおどけた顔をしてプカプカと浮いている。子どもがお風呂で浮かべる、例のアヒルだ。
Matはニヤニヤしている。私が喜ぶと思ったのだ。
私は一瞬あっけにとられたが、思わず吹き出してしまった。 「日本のやり方」を絶対とする工機部隊なら、不真面目だと激高していただろう。Matは毎日、焦った様子で工程を駆け回るジムとフランクを不憫に思ったようだ。私は、極度の緊張状態にあった私をリラックスさせようとしてくれたMatの心遣いに感謝した。
と同時に、アメリカ人の彼らとの間に、冗談を言い合えるほどの「信頼関係」が出来てきたことに、強烈に勇気づけられた。
もう、トヨタでも何でも来い。そんな腹の座った気持ちになっていた。
「サンキュー、Mat。でも……頼むから今日は、アヒルはしまっておいてね」
私はそう言って笑い、他の工程のチェックを続けた。
(第4回に続く)
【第4回の予告】絶体絶命のトヨタ監査!日米混成チームの死闘
黄色いアヒルを片付け、いよいよ始まったトヨタの工場監査。書類には目もくれず、現場の深部へと入り込んでいく「品質の鬼」たち。 頼れる本社部隊はいない。対応するのは、25歳のフランク、品質課長ジム、そして昨日まで反発し合っていたアメリカ人のワーカーたち。 次々と飛んでくる鋭い指摘と極限のプレッシャーの中、日米混成チームはかつてない「奇跡の連携」を見せ始める――。 次回、胃の痛くなるような監査の行方と、現場で爆発する「モノづくりの意地」。どうぞお楽しみに!
(第4回に続く)
▼ 続きはこちら! 第4回:震えるジム、そして運命のトヨタ監査
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1980年代のアメリカ南部工場、その「空気感」をより詳しく知りたい方は、こちらのブログ完全版も併せてご覧ください。👇
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