昨日見た地獄《4》
第1話→https://note.com/ra_wa/n/n25700f8a7754
第3話→https://note.com/ra_wa/n/nac71a0ffe862
専門家というのは、どうしようもない偏執狂の集まりだ。
自分の正義は、世界のどこにいても優先されるべきだと信じている。
私は前の部署で、自分が現場の人間と折衝するには向かない人間だと主張した。
しかし、「最初は誰もがそうだから」などと主査に言いくるめられ、仕方なく調整に赴いた。
驚くほど交渉はスムーズだった。
それは私の成果でもなんでもなく、ただなにも期待されていないからだった。
彼らは、もう疲れきっていた。
普段患者達から理不尽なほどの生の熱量を浴びせられ、役所からは厳格なルールを求められる。
しかし、そういう生き方を決めたのは自分だ。
我々は決裁を通さなければならないし、一度決裁されたことは必ず実現しなければならない。
私なりに情報は整理した。
ヒアリングのための出張は煩わしかったが、少なくとも間違いのある資料を主査にあげることはなかった。
チームの人間や、一つ下に入った新人に、適切な応援を依頼した。
私が定時で終わらせられる仕事だった。
けれど、私が行う業務を、他の人間は私と同じようにこなせなかった。
なぜか、業務をこなせない同僚や新人よりも、私の方が遠ざけられるようになっていった。
新人は、やってられないと言ってすぐに転職していった。
「蔵野くんは、間違ってない」
主査は、面倒な市民団体をみるのと同じ目で私をみた。
「だけど、正しくはないんだよ。大人って、そういうもんなんだ。……それでも、君は若いし優秀だ。事務官として経験を積んだら、きっとこの部署にいる誰よりもいい行政官になれる」
そうは思えなかった。
管理職に求められる能力は、私が好むルーティンからかけ離れている。
「宮村室長なら、蔵野くんの良さを上手く生かしてくれるだろう。経験を積んで、戻ってきてくれ。間違わないだけでなく、正しさを執行する男として」
***
……ちっ。
起床時間が、いつもより一時間も早い。
生活リズムが崩れている。
終業時間後に他人と話すなどという、慣れないことをしてしまったせいだ。
暗い朝は苦手だが、二度寝などというリスクのある行為には抵抗がある。
水を飲み、顔を洗う。
イヤホンを忘れずに、スーツの懐に入れる。
蜜蜂とペンギンラボのことは、簡単にネットで調べあげた。
妙な癒着をしてしまっていたらまずい。
蜜蜂は、薬物依存や自殺防止のキャンペーンポスターなども手掛けているらしい。
ああいうものは、役所では子どもたちに名誉と引き換えにタダで書かせることが多いのだが。
あの男にまた、聞きたいことができた。
いつもホームで読むニュースを、あくびをしながら先に読んだ。
***
「トラウマには、ならないのですか」
「え、ええと……」
蜜蜂は私と同じ、7時28分の電車を待って並んでいる。
「いえ、言葉が足りませんでしたね。蜜蜂さん、おはようございます」
「あ、そうじゃなくて。いきなり、なんの話ですか」
「あなたが手掛けた作品は、どうも切実さを訴えるものが多い。すぐにフラッシュバックするというのなら、あまり深刻な内容を描くのは精神衛生上良くはないと思いますが」
「……見てくれたんですか?」
「ええ。あなたの会社の実績報告や、snsなど。少しばかり時間がありましたので、一通りは」
「ありがとうございます! 蔵野さんの会社でも、お力になれると思います」
役所やその出先機関を外で『会社』と呼ぶ文化は、どこか滑稽だ。
その文化を知っているくらいには、行政のお得意様ということだろう。
「それは、見積もりの金額次第ということで」
「はは、それもそうですね。ええと、ご質問に答えますと。お得意様は指定が多いですから、悩む範囲が狭くてありがたいです」
「あくまで下請け、ということですか。デザイナーという人種は、もっと芸術家肌だと思っていました」
「芸術なんて売れませんし。売れないことがまたトラウマになるくらいなら、下働きの方がましです」
「理屈はわかりますが、説明がつきませんね」
私が呟くと、蜜蜂は営業スマイルを崩した。
「あなたの作品には、理屈にならない圧がある。そして私には、あなたが口でいうほど器用な人間とは思えない」
「……ほんと、蔵野さんって何者なんですか」
「つまらない事務官ですよ」
「そっすか」
蜜蜂は少しうっとうしそうに、ため息をつく。
「おれは、作品に少しずつ自分の呪いを渡しています」
「呪い?」
「おれの感じる苦しさや、痛み。それを作品に押し付ければ、少しだけ楽になれるんですよ。みんなに代わりに覚えてもらって、俺の負担をなくすんです。ま、ほとんどの人は長々見ないでしょうから、気の持ちようなんですけどね」
気の持ちよう。
しかし、それはあるいは、生きるためにもっとも大切な知恵かもしれない。
「ありがとうございます。朝から、ぶしつけにすみませんでした」
「いえ。電車、来ましたね。……蔵野さん?」
蜜蜂は、イヤホンをつける私を怪訝そうにみた。
「どうしました?」
「いや、もうお話は終わりですか?」
「はい。この電車の中では、この音楽を聴くと決めているので」
そのまま蜜蜂は、私のとなりの席に座った。
音漏れはしていないはずだが、彼はどうも不愉快そうだった。
