見出し画像

昨日見た地獄《3》

第1話→https://note.com/ra_wa/n/n25700f8a7754 
第2話→https://note.com/ra_wa/n/ne75eed9f7ca0 

「蔵野、今日は遅かったね」
「すみません」
「始業には間に合ってるから、謝ることじゃないって。ちょっと心配したけどさ」

    私が到着する頃には、宮村室長はいつもの珈琲を飲み終えていた。

    この執務室は現在、私と室長の二人だけで回している。
    本当はあと二人スタッフがいるはずなのだが、一人は着任早々に転職し、もう一人は私が来る前からずっと休みを取っている。

    宮村室長のもとですら働けない人間が他で成果を出せるとは私には思えないのだが、それ以上に譲れないものがあったのだろう。

    人員の補充がきかず、二人分の仕事を回せる人間を、というオーダーで私が派遣されたという。
    私の仕事量は一人分以上でも以下でもないが、それでも半人前二人分は補填できる。

    私としては、中途半端な時期に離脱されるよりは、ずっとやりやすい。
    それよりも。

「ひとつ、うかがっても良いでしょうか」
「ん?   なに?」

「先日、私が近々指導役となるような話をおっしゃっていましたが、補充の当てができたということでしょうか」
中途半端な加入などは、かえってストレスだ。

「あー、うん。蔵野がずっといてくれるならいいけどさ、あんたはどうせすぐ偉くなるでしょ。だから、あたしの方でお願いしたの」

「不要です」
「そういうと思ったよ。でも、だめ。上司判断。来月には配置されるはずだから、よろしく」
「……承知しました」

    朝のこの空間が乱される予感に、嫌気がさした。
    しかし、乱されるというのなら、先日の人身事故から私はずっと乱されている。

「……もうひとつ、関係のないご質問をよろしいでしょうか。雑談のようなものです」
「お、珍しいじゃん」

「フラッシュバック。あれは、どういう感覚なのでしょうか」
ぴくり、と、室長の手が止まった。

「あたしにそれを聞くの?」
「室長ならご存じかと。健康診断の際、注射は嫌な思い出がぶり返すから嫌いだとおっしゃっていましたので」

「……蔵野は、たまに本気でイラっとさせてくるね。些細なきっかけで、過去のトラウマやらが鮮明に蘇る感じだよ。あたしの場合は、針。刃物もちょっと苦手かな」

「ええ。定義は存じております」
「あんたさあ」
「私が知りたいのは、それがどれ程耐えがたいものなのかということです」

「……ふーん。何かあったんだ」
「はい。蜜蜂は、どうやら相当にそれを恐れているようでした」
「ミツバチ?」

    ぶるり、と室長が竦み上がる。
    針を連想するだけでも苦手なのだろう。

「人名です。芸名なのかは、わかりませんが。私としては、蜜蜂には安心して7時28分の電車に乗っていただきたい。少し強引に呼び掛けてしまったので、明日来てくれるか微妙なところですが」 


   宮村室長は、ぱちくりと瞬きをした。
「はあ、そうか。蔵野もそっちにいくのか」
「そっち、とは?」

「男ってバカだねぇ。あんたに限って、浮いた話はないと思ってたよ。蔵野みたいなのが変な女にハマると始末が悪い。その蜜蜂ちゃんにでかく貢がされそうになったらまず相談しな、あたしが止めてやる」

    なにか、非常に不愉快な誤解を受けている気がする。

***

    帰りに乗る18時42分発の電車は、朝のそれほどは好きになれない。
    職場最寄りの駅は始発ではないので、確実に席をとることができない。

    音楽をかけようとしたが、イヤホンを忘れてしまったことに気づいた。
    不愉快にさいなまれていると、朝話した顔が声をかけてきた。

「あ、蔵野さん」 
「おや、蜜蜂さん。朝は失礼しました」
「いえ。帰りも、蔵野さんは蔵野さんなんですね。すぐわかりました」
「そうですか」
正しい反応がわからない。

「このホームも、蜜蜂さんには『何かのホーム』になっていますか?」
「いえ。ただの帰り道のホームです」
蜜蜂は笑った。

「蔵野さんって、なにをされている方なんです?」
「国立精神保健調査センターで、事務官をしております」

「国お抱えの有名な機関じゃないですか。ドラマとかで見たことありますよ」

「撮影許可を出すと、色々と面倒なのですがね。私は残業を嫌う人間なので、立ち会いは上司に任せていますよ。蜜蜂さんは?」

「おれはペンギンラボという会社でデザイナーをしています。公的機関にもたまにお世話になっていますよ」

    名刺を渡された。
    派手なデザインで、室長に見つかったら誤解が加速しそうだった。

「あまり大きな仕事は苦手ですが、小回りは利きます。何かあれば是非、お見積などご用命ください」

    蜜蜂は、ずいぶんとハキハキする。
    売り込みなどに慣れているのだろう。

「……随意契約の範囲で、ご相談するかもしれません」
「お待ちしています」

    電車がいつのまにか着いていた。
    ホームに並ぶ後ろの人間に舌打ちをされたのは、初めての経験だった。

第4話→https://note.com/ra_wa/n/ndb15b0a0b6e9


いいなと思ったら応援しよう!