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虚に針がさして 〈5. Results II〉


    最初の話:〈1. Introduction〉

    前の話:〈4. Results〉



    かつて雲隠くもがくれ神社と呼ばれていたその神社は、M市郊外の住宅街から田畑と荒地を抜けた、その先にある。

    奥山の麓にせり出した高台の上に鎮座しており、正面に位置する石鳥居までは何十段とある階段を登らなければならない。神社を取り囲む鎮守ちんじゅの森は、鬱蒼と茂っている。
    辛うじて西空に残る黄昏の薄光も木々に遮られ、鳥居奥の境内は消え入るような暗闇に鎖されていた。
    階段には朽ちた倒木が幾らか横たわり、鳥居は崩れかけている。手入れが施されなくなって久しいことが、遠目にも見て取れた。

    四十年前ぐらいを境に宮司をはじめとした神主たちが悉ことごとく不在となり、すっかり廃墟と化してしまったという。ネット検索にすぐ出てくる程度の浅瀬を掘り起こしても、もはや祭神や縁起に関する確かな情報は残っていない。

    人間的な日常の営みから断絶され、辛うじてその痕跡だけを留める虚飾の空間。卯木にすらも、明らかに異質な雰囲気が漂っていると感じられた。

    春休みに針生らサークルメンバーはこの近場に野宿し、植物と共生する昆虫を探索するべく周辺の山々を練り歩いたという。
    その時に針生は異様な気配を察知したと、卯木はそう聞いていた。まさしく、これのことであったか。

    確かに針生の経験則からして、この社に「何か」が潜んでいる可能性は高いのかもしれない。調査には値するだろう。
    でもだからといって、ここ以外に選択肢がなかったわけでもない。わざわざ、こんな辺境の異界を選ぶ必要はあったのか?……


    *


    今更気にしても仕方ない、卯木は雑念を振り払う。
    二人は、本日最後の調査に臨んだ。

    時刻は18時半をとうに回っている。遅くならないように時短しようと、別行動を取ることにした。
    卯木と通話を開始した針生は、そのままスマホを片手に階段を登っていき、鳥居を潜って境内へと入る。スマホの明かりは心許こころもとなく、針生はすぐに階段下から見えなくなってしまった。

    卯木は方位霊針を携え、神社を覆う鎮守の森の外周に沿って反時計回りに歩き始めた。

    神社を外から囲う曲線を描きつつ、10mごとに立ち止まる。
    その都度、方位霊針の揺らぎが止まるまで待ち、記録された霊気場の向きと大きさを端末の表計算ソフトに打ち込んでいく。簡単なマクロを組んだところなど、さながら学生実験の様相を呈していた。

    「いやはや、ここは、すごいねぇ」

    通話越しに声が届く。卯木が行っている計測の結果に影響を受けぬよう、先に境内へ入った針生から主観報告をしてもらうのだが——

    「今まで、感じてきたのの、非じゃないくらい、ゾワゾワ、する」

    ぶつ切りの言葉を辛うじて繋げようとする針生の呼吸は、異常に荒くなっていた。

    「針生、大丈夫?」

    「そこら中に、潜んで、いそうな、気配が、うわ」

    「……針生?」

    「ああ、ごめんなさい、ごめんなさい、ねえ」

    「…………」

    「置いて、いかないで、ねえ、寒い、お願い、暗い、やだ、何で、冷たい、一人に、しな、いで、せんせい」



    「針生!!!しっかりして!!!!!」

    柄にもなく声を荒らげてしまった。
    今にも針生が、何処かに行ってしまいそうだったから。

    電話の向こうから、ハッと息を呑む音がする。

    「……ごめん、取り乱し、てた」

    「本当にキツそうなら、今すぐにでも帰ろう」

    「いや、続けて。お願い、これは、私が、始めた、ことだから」

    その覚悟は理解している。これは針生自身にとって必要な一時の苦しみであり、未来に向けた通過儀礼。
    それでも初めて聞く針生のもがき錯乱した悲痛な叫びに、ギュッと方位霊針を握りしめる力が強くなる。

    他人に構ってばかりもいられない。
    卯木のいる神社の外に街灯は一切なく、空は刻一刻と光を失っていく。先ほどまで辺りに響いていたカラスの鳴き声は、もう聞こえない。

    既に交差点の一件で、方位霊針が不可解に動く現象を卯木は目の当たりにしている。しかし今回は、さらに勝手が違った。

    コツコツと歩いている間、長針はきっかりと神社の中心に向き続けている——かと思えば、そこから50mほど進むと、徐々に針は首を振り始める。ついには、神社とは真反対の方角を指した。
    そうやって長針が、何度も行ったり来たり向きを変えている。
    短針はというと、もうほとんど上限ギリギリまで振れてしまっている。

    なおも卯木は、コホンと咳払いした。

    「半分ぐらいは行ったかな。あと15分もすれば、鳥居のところまで戻れる。針生はもう、境内から出て良いよ」

    電話相手に語りかける。出来る限り、淡々と。
    自分まで冷静さを失って、針生がパニックに陥るような事態だけは避けねば。

    「うん、ありがとう、鳥居のとこで、待ってるわ」

    唾を飲み込んで、震えながらも針生は返事した。
    鎖に繋がれた重い足を引き摺るような靴音が、卯木の耳にも微かに届く。

    針生の気を紛らわせるためには、何か議題が必要だ。
    話を振らねば。思いつけ。



    「ところでさ」

    悩み抜いた結果、辛うじて以前の会話の記憶が捻り出された。

    「結局何で、この話を相談してくれんだっけ? そんな物は信じてないって、言ってた筈なのに」

    それはぼんやりと、卯木の中に残っていた謎だ。

    暫しばらく針生は質問を咀嚼そしゃくしていたのか、沈黙が訪れる。
    ザザッ、ザザッという歩調に、少しずつ呼吸音がシンクロしていくような気配。卯木は眼前の霊気計測を注意深く行い、辛抱強く応答を待っていた。

    「……正直、ダメ元だった節も、あるけど」

    繰り返される深呼吸の末に、電話相手は揺らぐ喉を懸命に張って口火を切る。少し落ち着いたのか、声が低い。

    「むしろ卯木だからこそ、建設的な議論に、乗ってくれるんじゃないかと思ってね」

    これはまた非自明な意見だ。どういうことだろう。

    「卯木はよく、何らかの仮定から演繹的に、様々な定理や補題が導かれていく、そういう数学の世界観が好きって言うじゃない。現に私が話を持ちかけた時だって、霊気場の概念を導入して、方位霊針の機能が確からしいと仮定した場合に予想されることをいろいろ提示してくれた。結果的に、それがこの幽霊の存在判定法に繋がったわけだし」

    やはりこうやって懸命に言葉を紡いでいる時の針生は、多少落ち着けるようだった。

    「卯木が幽霊を信じていないのだとしても、その存在を仮定して議論を進めてくれたのは事実でしょう。それどころか、こんな怪しい調査にも乗ってくれたんだし」

    それが建設的という意味か、と卯木は解する。そういう意識で行動していた自覚はなかったが。

    「……確かに仮定とか一般化とか、そういう抽象的な話は好きだよ。逆に世界の実際の姿がどうであるかなんて、今までそんなに興味なかった。ましてや、多くの人が真偽に疑いを向ける心霊現象なんて、考えることすら無駄に思ってた」

    しかし、と卯木は今日見聞した事象を振り返る。

    「……少なくとも針生の主観じゃ、その確からしい恐怖の根源とやらは実在するんでしょう。今はそれを、見届けるべきな気がして」

    目の前の針の奇怪な揺らぎは、全てを物語っている。
    直ちに心霊現象と結びつけるのは早計かもしれないが、この針に掛かる外力のメカニズムを突き止める意味はあるだろう。

    「……以前からこうして卯木と話せているのも、そういうところなのかな」

    そう語る針生の声には、余裕が芽生えていた。境内の中心から離れつつあるからだろうか。

    「やっぱり卯木も凄いよ。客観的な視点から問いを明確にして、それに向き合い解決する力がある」

    卯木には何だかむず痒い。嬉しいような、苦しいような。

    「そんな、買い被りだよ」

    ——自分の将来像という、大局的な問題には全く歯が立たないのだから。


    *


    もう少し外周に沿って曲がっていけば、神社の正面に戻る。

    針生は何とか鳥居まで着いたとのこと。一息つけそうだ。
    針生の主観報告も済んだことだし、と卯木は電話越しに状況を報告する。

    方位霊針の長針が幾度となく向きを変えた結果、この時点で足し合わされている暫定的な積分値は1.7程度であった。

    「一応まだ150mぐらい残ってるし、最後まで計測は続けるけど……」

    「変だね。さっきの交差点とは大違いだ。それでいて、内針はずっと反応していると」

    「うん。長針の挙動も見るに、霊気場が入り乱れていそう。聞いている限り、いつもの針生の体感ともかけ離れていたりする?」

    「……交差点ももちろん怖かったけど、普段遭遇するそれらとはそんなに変わらない感じだった。ただ今回は全くの別次元。魔境だよ、ここは」

    「全部針生の気のせいだったら早い話なんだけど、今更そうも言えないしな」

    以前のようにこれが伝聞のみだったら、話半分で流していたかもしれない。

    「今日調べたビル・公園・交差点の例もそうだし、個人的に試した範囲でも、幽霊の存在判定法として成立しそうなケースはそこそこありそう。ただこの神社の一件を踏まえると、改良は必要かな。存在判定だけでなく強度判定にも使えるのか、イマイチ検証できてないし」

    「霊気場が3次元的に回転しているのか、とかそういう話をもう少し深掘りする必要があるかも」

    「あと普段の生活空間だったら、毎度こう測るよりも定点観測とかやれたら良いな。流石に何個も買ったら破産するけど、ちょっとは数を用意してさ」

    良かった。針生の声にもう怯えの色は見えない。口がよく回っている。

    「大学の教室とかに設置許可を取るのは流石に難しいだろうけどね」

    「まあね……他に何か、測っていて気になるところあった?」

    「やっぱり、いちいち立ち止まって手作業で記録しないといけないのは面倒だね」

    話は尽きず、発散していく。

    「分かる。方位霊針の値を肉眼じゃなくてセンサーで読み取って自動化するとか?」

    「できたらいいね」

    こういう議論はやっぱり楽しい。

    「それをスマホ上のアプリに送れたら便利そう」

    「積分計算は多分簡単に実装可能だし、歩きながら自動で算出してくれるシステムを作れると良いかも」

    でも今日自分が一番聞いてもらうべきだった話は、まだ出来ていない。
    依然として卯木は躊躇っていた。

    「方位霊針そのものを加工して、スマホや腕時計型のデバイスに組み込んだらやりやすいんじゃないかな」

    「確かに。その辺りは工学部に行きそうな誰かにでも声かけてみると良いかも。もちろん、こちらでも出来ることがあれば協力するよ」

    卯木のその言葉を受け、少し間をおいて針生が大きく息を吐き出した。

    「それにしても、こんなことに付き合ってくれて本当にありがとう。もう怯えるだけじゃない。少しは前向きにやっていける気がする。来週末サークルの探鳥会があるんだけど、もう1回足を運んでみるよ」

    解放され、針生の震えた笑い声が溢れる。
    先刻までとは違い、電話越しにも晴れやかな表情が浮かんだ。

    「いえいえ、こちらこそ。まだ半信半疑とはいえ、生の現象を見るってことの真髄がちょっとは分かったかも。それに今大学で学んでいることの実践にもなったし」

    「それなら何より。最近の卯木、いろいろ思い悩んでそうだったから」

    ……勘づかれていたか。
    こうした機微にも敏い針生だ。どうせ、時間の問題だったのだ。

    「あ、あのさ」

    今しかない。ここで踏み出さなければきっと後悔する。
    卯木はそう感じた。

    「進路に悩んでるって話、したことあったっけ?」

    答えの分かり切った前置きである。
    えっ、という一瞬戸惑ったような針生の声。
    暫くして、少し間延びしたような呼び掛けが聞こえてきた。

    「……まだ、だよ」

    意外に思っているのだろうか。そんなところだろうと、納得しているのか。
    手に汗を滲ませたまま、再び卯木は握る手に力を込める。

    「藪から棒に、ごめんね。でも……」

    正直なところまだ、いろいろ整理できていない。

    「今すぐってのは難しいけど……」

    それでも今回の遠出を通して、自分の価値観に細やかな変化の起こる兆しが見えた。少しだけ、先の景色が拓けるような。

    「もし良かったら今度……」

    恥を忍んででも、幻滅されてでも。
    かけがえのない友人に聞いてほしい、自分のこれからの話。

    「相談に乗ってくれない?」

    それはかつて、針生が卯木に初めて幽霊の相談を投げ掛けた言葉だった。



    ほんの僅かな静寂が、何時間にも感じられた。

    「……もう、いいよ」

    返ってきたその声は、少し照れくさそうにも、全てを受け容れているようにも聞こえる。

    抜ける肩の力。上がる口角。

    「ありがとう」

    卯木は噛み締めながら一言だけ吹き込んだ。



    次の話:〈6. Discussion〉


     
     
    コペンハーゲン🇩🇰で脊髄の神経物理学を研究する大学院生。留学・研究生活を書き留めつつ、エッセイや小説、音楽を細々と。そのあわいを模索しています。 Amazonのアソシエイトとして、Purplish Pinusは適格販売により収入を得ています。

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