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アフリカのナイロビで、僕は『We Are the World』をかけられなかった。

    ナイロビの巨大なクラブで、最後の一曲を選ぼうとしたとき、頭に浮かんだのは『We Are the World』だった。

    でも、僕はその曲をかけられなかった。

    その頃、僕は東京でプロのDJになってから、すでに十年以上がたっていた。国内外のクラブで回すことには慣れていたし、客が多くてもブースに立てば平然とした顔をする術も覚えていた。内心では不安でも、それを見せない。要するに、格好をつけるのがうまくなっていた。

    それなのに、その夜の僕はビクビクしていた。

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    「日本人DJのセンスを見せてみろ」

    2000年代後半、僕はケニアにいた。その夜は、現地で活動していた日本人のNGOスタッフたちと、ナイロビの老舗大型クラブ「Florida 2000」、通称フロリダへ遊びに行った。仕事をするつもりなどなく、音楽を聴いて、酒を飲んで、踊るだけのつもりだった。

    ところが、どこから伝わったのか、僕が日本でDJをしていることをクラブのスタッフに知られた。「日本からDJが来ている」とでも話が広がったのだろう。気がつけばDJブースへ連れていかれていた。自分から売り込んだわけではない。感覚としては、ほとんど連行だった。

    しかも、ブースへ向かう途中で、この店では日本人DJがまだ一度もプレイしたことがない、と聞かされた。その一言は、名誉より先にプレッシャーになった。

    ブースに上がってフロアを見下ろすと、人で埋まっていた。正確に数えたわけではないが、僕には千人近くいるように見えた。そのほとんどが現地の客で、日本人は僕とNGOスタッフの数人だけだった。

    日本人として最初にここで回す。その緊張までは、いま考えても当然だったと思う。でも、その先は違った。

    僕は完全なよそ者で、フロアには体格のいい男たちも大勢いた。もし、ここで盛大に外したらどうなるんだろう。選曲を間違えたり、曲と曲のつなぎを失敗したり、「日本から来たDJ」という期待を裏切ったりしたら、そのあと自分はどんな目に遭うんだろう。そんな想像が、勝手に膨らんでいった。

    もちろん、誰かに脅されたわけではない。そこから先は、僕が勝手に怯えていただけだ。

    当時の僕にとって、アフリカ大陸はまだ「知っている場所」ではなかった。

    ニュースで見た映像、本で読んだ話、子どもの頃から耳にしてきた貧困や紛争。そうした断片が頭の中で勝手につながり、目の前にいる人たちとは関係のない恐怖まで作り上げていたのだと思う。

    日本は冬だった。けれど、千人近い人間の熱気がこもるクラブの中は汗ばむほどだった。それなのに、僕の背中は冷たくなっていた。

    DJブースにはTechnicsのターンテーブルが2台、CDJが2台、合わせて4台が並んでいた。設備を見れば、本格的な現場であることはすぐに分かった。

    その夜に流れていたのは、今で言えばEDM寄りの王道ハウスに、アフロハウスの色を少し濃くしたような音だった。隣にいたレギュラーDJたちは、僕の内心など知るはずもない。

    正確に何と言われたのかはもう覚えていないが、僕には「日本人DJのセンスを見せてみろ」と挑発されているように聞こえた。

    だったらやってやろうと思った。こちらも十年以上やってきたプロだった。

    僕が選んだのも、長年得意にしてきたハウスミュージックだった。何をかけたのか、一曲一曲のタイトルはもう覚えていない。選曲よりも、外したらどうなるかという考えのほうが、圧倒的に頭を占めていた。

    それでも四つ打ちのキックを落とし、次の曲をつなぎ、さらにもう一曲を重ねていくうちに、フロアの反応が変わった。歓声が上がり、身体の動きが大きくなっていく。

    いちばん激しく反応したのが、メインDJのJ君だった。彼はジャンプするように僕へ飛びつき、そのまま強く抱きしめた。

    「You are great Japanese DJ, man!」

    そして、「いつでも連絡くれ。待ってるぞ」と言った。

    あの言葉はうれしかった。同時に、少し恥ずかしかった。

    音楽には国境がない。それまで何度も聞いてきた言葉を、その夜ばかりは本当に信じてもいいような気がした。

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    最後の一曲

    そろそろ最後に何をかけるかと考えたとき、頭に浮かんだのが『We Are the World』だった。

    正確には原曲ではない。クラブで使えるようにアレンジされたバージョンだった。ハウスミュージックの流れを切らず、そのまま最後の一曲としてつなぐことができた。

    僕は昔からマイケル・ジャクソンが好きだった。中学生の頃には、アフリカの貧困問題を取り上げて弁論大会でスピーチしたこともある。クラス代表として、人前で「遠いアフリカで起きていること」を話した。

    1985年、エチオピアの飢饉への救援を背景に生まれた『We Are the World』は、当時の僕にとって、音楽が世界を少し変えられるかもしれないという象徴だった。世界的なミュージシャンたちが集まり、苦しんでいる人たちのために歌う。音楽には何かができる。そう信じたかった。

    それから二十年以上がたち、僕自身がアフリカに来ていた。しかも今、ナイロビのDJブースに立っている。物語として考えれば、これ以上きれいな締めくくりはなかったと思う。

    日本から来たDJが、ナイロビの巨大なクラブで最後に『We Are the World』をかける。映画なら、そのままエンドロールに入れそうだった。

    でも、手が動かなかった。

    フロアを見ると、人々が笑っていた。友人同士で話し、酒を飲み、身体を揺らし、週末の夜を楽しんでいる。すぐ横には、さっき僕を抱きしめて「いつでも連絡くれ」と言ったJ君がいる。

    僕が日本で長い間見てきた「アフリカ」と、何かが違っていた。

    もちろん、この街には貧困があった。巨大なスラムもあり、僕自身、その現実を目の前で見ることになる。しかし、それだけがナイロビではなかった。高層ビルがあり、車が走り、レストランがあり、クラブがあり、若者たちが朝まで踊っていた。

    考えてみれば当たり前のことだった。

    僕の前にいたのは、「アフリカの人々」ではなかった。ましてや、「支援される人々」でもない。土曜の夜に友人と遊びに来た、ナイロビで暮らす一人ひとりの人間だった。

    そこで、日本から来た僕が『We Are the World』をかける。彼らがどう受け取ったかは分からない。喜んだかもしれないし、大合唱になったかもしれない。僕が考えすぎていただけなのかもしれない。

    それでも、僕はかけられなかった。

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    僕の中にあったアフリカ

    そのとき、僕とターンテーブルのあいだに、『2001年宇宙の旅』のモノリスのような巨大なものが立った気がした。

    でも、いまなら分かる。あれは彼らとの間にあった壁ではない。僕の中にあった「アフリカ」だった。

    貧困、飢餓、援助、救済。善意と結びついていたはずの言葉が、急に重くなった。

    『We Are the World』が悪いわけではない。あの曲によって遠い場所で起きていた飢餓を知り、寄付をしたり、行動したりした人がいる。何より僕自身が、あの曲に影響を受けて育った。

    ただ、一つの作品の意味は、作品の中だけで決まるものではないのかもしれない。誰が、どこで、誰に向けて使うのか。その関係が変われば、同じ音楽の意味も変わる。

    日本の中学生だった僕が聴いた『We Are the World』と、ナイロビのDJブースで僕が手にした『We Are the World』は、まったく同じ曲なのに、僕には違うものに感じられた。

    今になって思う。かけなかったことも、結局は僕が彼らの代わりに決めたことだった。あのフロアには、この曲が大好きな人だっていたかもしれない。

    音楽は国境を越える。僕は今も、そう思っている。

    でも、国境を越えた先にいる人たちは、こちらが用意した一つの「世界」の中に住んでいるわけではない。それぞれに仕事があり、友人がいて、好きな音楽があり、土曜の夜がある。こちらが知らなくても、彼らの生活はずっと続いている。

    J君とは、その後も何度か連絡を取り合った。「またナイロビで回そう」と約束した。でも、日本と東アフリカは遠かった。その約束を果たせないまま、いつしか疎遠になった。

    僕をいちばん激しく抱きしめてくれた人の顔は覚えている。けれど、その人の暮らしを、僕はほとんど知らないままだ。

    結局、あの夜、最後に何をかけたのかは覚えていない。

    でも、かけなかった一曲だけは、今もはっきり覚えている。

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    映画や音楽、アート、AI、社会について、実際に見て、つくって、関わるなかで生まれた違和感を書いています。

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