
1年で小説の公募50件超落ちて見えた世界
私はそこそこの公募ガチ勢である。
どれくらいガチかというと、創作をする時間を捻出するために、時間に融通の利くフリーランスになり、一人暮らし環境を選んだくらい。
学生時代にも公募勢をしていたが、社会人になってからはそうもいかず、今の環境が整うまで15年ほどかかった。その間、創作活動もほぼストップしていた。
去年の2月にリハビリがてら、2000文字のショートショートのコンテストに応募し、受賞。
そこで、いい感じに「いける!」と勘違いできたため、その後もぽつぽつと応募するようになり、秋ごろから大量に送り始めた。
本日時点での応募数は99件。
うち、8件で受賞。
56件で落選。
残りは結果待ち。
56件で落選!
受賞数の7倍である。5倍くらい落ちている自覚はあったが、それ以上だった。サバ読んでました。ごめんなさい。
コンテスト×部門数でカウントしているため、一つのコンテストの同じ部門に複数送った場合も、1としてカウントしている。
つまり、作品数で数えるともっと落ちている。
受賞経験だけに目を向けていたいところだが、これだけ落ちたからこそ見えるようになった世界もある。案外悪いことばかりでもないので、今回はその件について綴ってみたいと思う。
ちなみに、ここで言及するのは小説のコンテストのみである。短いものは140文字、長くても8万字程度の中編。5000文字に満たないショートショートがメインである。
短歌・川柳・俳句等も出しているが、こちらは絶望的に向いておらず、100件超応募して、今のところ勝率ゼロである。
そろそろやめるか、きちんと学ぶかした方が良さそうだが、今回は割愛する。
小説の公募50件超落ちて見えた世界
①一つ一つの落選に落ち込まなくなる
久々に出したコンテストで受賞して気を良くしていた私だが、その後は続かなかった。
受賞後の最初の落選経験は、2025年創作大賞・ファンタジー部門。気合いを入れて、体調をぶち壊しながら8万字弱書いたものだったが、中間選考すら通らなかったので、当時はちょっとショックだった。
それから、ショートショートのコンテストである「5分後に意外な結末」大賞の最終選考に残ったという連絡があったのだが、こちらも落選。一度期待しただけに、創作大賞以上にショックだった。
その後も、2025年のうちは一度も受賞がなかった。それだけ続くと、さすがに落ち慣れて、何も感じなくなってくる。むしろ、もっと出さねば、とモチベーションになる。屍を越えて、着実に鋼の精神が鍛えられた。
ちなみにその後、創作大賞の落選作はCaitaという小説投稿サイトのコンテストで受賞し、「5分後に意外な結末」大賞は、関連の別の賞に新作を応募して受賞することができた。
落ち込んでいる暇があったら、見出してくれるところを探せ、改稿しろ、次の作品を書け、というのも、落選経験から得た学びである。公募はたくさんあるのだから。
②同志が見つかる
いろいろなコンテストの選考結果を見て、気が付くことがあった。
「この人、ここにもいる……?」
公募ガチ勢を舐めてはいけない。彼らは驚くほど、どこにでもいる。
最近、地元の小さな珈琲店が小説のコンテストをしていることを知り、詳細を見に行ったところ、過去の受賞者に見知った名前を見つけて戦慄した。
公募のあるところ、彼らはどこにでもいる。その執念には狂気すら覚えるほどである。
そして、彼らは目を剥くほどの数の作品を出している。一つのコンテストに10作以上出している猛者もいるのである。
たった1作出して落ち込んでる場合ではなかろう、と気が引き締まる。
そういう人たちの受賞は、我が事のように嬉しい。
大量の落選経験をしているであろう、ということを知っているから。
直接連絡を取ったことのない人が大半だが、私は彼らを勝手に、同志であり戦友だと思っている。
いつか、どこかの授賞式でご一緒できますように。
③筆を折らない人間だと気付く
これが一番大きい。
これだけ落ちて、まだ書きたいと思える。
受賞はしたいし、賞金も欲しいし、本なんて出せたら最高である。
でも、それ以上に書きたい。書き続けていたい。書くことと生きることがほぼイコールなのだと気付けた。
体が動く限り、私が筆を折ることはなさそうである。
――というわけで、本記事も、創作大賞のエッセイ部門に応募してみることにする。落選しようとどうなろうと、今後も書き続ける所存である。
良かったら戦友になってください。