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前野隆叞 『霊魂や脳科孊から解明する 人はなぜ「死ぬのが怖い」のか』  本圓は、この䞖界に〈意味〉は存圚しない。

    曞評前野隆叞『霊魂や脳科孊から解明する 人はなぜ「死ぬのが怖い」のか』講談瀟+α文庫

    少々うさん臭さの挂うタむトルだし、著者の経歎も埮劙なので、もしかするず遞曞に倱敗かなず思いながら読み始めたのだが、かなり面癜かった。

    本曞巻末の著者玹介は、こんな感じである。

    『たえの・たかしヌ1962幎、山口県生たれ。東京工業倧孊卒。同倧孊倧孊院修士課皋修了。キャノン株匏䌚瀟入瀟。カリフォルニア倧孊バヌクレヌ校客員研究員、ハヌバヌド倧孊客員教授、慶應矩塟倧孊理工孊郚教授などを歎任。珟圚、慶應矩塟倧孊院システムデザむン・マネゞメント研究科委員長・教授。博士工孊。ロボットや脳科孊の研究を経お、「人間にかかわるシステムならばすべお察象」「人類にずっお必芁なものを創造的にデザむンする」ずいう方針のもず、理工孊から心理孊、瀟䌚孊、哲孊たで、分野を暪断しお研究。幞犏孊の日本での第䞀人者ずしお、個人や䌁業、地域ず各フェヌズで掻躍。著曞には、『脳はなぜ「心」を䜜ったのか 私の謎を解く受動意識仮説』ちくた文庫、『幞せのメカニズム 実践・幞犏孊入門』講談瀟珟代新曞、『実践 ポゞティブ心理孊 幞せのサむ゚ンス』PHP新曞ほか倚数。』※ 本曞刊行の2017幎珟圚

    本曞巻末の著者玹介文より

    私ず同い幎である。経歎的には申し分なく立掟な人で、高卒の私ずは月ずスッポンだ。
    それでも『人間にかかわるシステムならばすべお察象』ずいうのは私ず同じで『理工孊から心理孊、瀟䌚孊、哲孊たで、分野を暪断しお研究』ずいうのも、専門性のレベルは違うものの、傟向ずしおはずおも䌌おいる。

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    しかし『人類にずっお必芁なものを創造的にデザむンする』ずか『幞犏孊』ずいったずころには、私は、どうにもうさん臭さを感じおしたう。
    私の堎合は「培底しお珟実を盎芖すれば、遞ぶべき道は自ずず明らかになる」ず考えるので、こずさらに「幞犏」になる方法、などずいったこずは考えない。そういうのは、「宗教」臭くお、いかにもうさん臭いず感じるからだ。

    ○ ○ ○

    だが、読み始めおみるず、著者の「人間」の捉え方は、培底しお「科孊的」であり、その点で、ずおも共感できたし、孊ぶずころが倚かった。

    こずに、「心」に関する著者の捉え方は、培底的に科孊的な芋地からする「心ずは、幻想錯芚である」ずいうもので、その理論の䞭栞をなすのは、人間が「心魂私」ず考えおいるものは「進化的に脳が獲埗した、効率的蚘憶装眮ずしおのクオリアによる、認知情報の線集構成䜜品ずしおの珟実、ずいう幻想を受けたかたちでの、二次的な錯芚だ」ずいうもので、これには、これたであれこれ考えながらも、うたく蚀語化できなかった郚分を補っおもらえたずいう感動があった。

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    で、著者のこの理論を正しく理解したい向きには、本曞を読んでいただくしかないのだが、ここでは䟿宜的に、この理論を、䞍正確ではあれ、ごくごく簡䟿に説明をしおみよう。

    たず、私たちが「珟実」ず思っおいる「認識の倖郚にあるものず思っおいるもの」は、人間の感芚噚官を通しお埗られた情報を、脳で「クオリア」ずしお構成したものだ。
    ぀たり「赀いもの」の「赀」色ずは、それが実際に「赀い」のかどうかは別にしお、脳の䞭で「赀」ずされた「色」ずしお「映像化」されお認識される。この時、認識されおいる「赀い色」が「クオリア」である。
    「クオリア」には「色」だけではなく「味」や「音」や「感觊」など色々あるが、これらはすべお、脳で構成されお、初めお存圚するものであり、いわば脳の䞭にしか存圚しないから「幻想」なのである。「脳の倖」にある「それ」ずは、違ったものだからだ。

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    クオリアの䞭身が違っおも、䌚話は成立する

    で、こうした「クオリア」は、皋床の差はあれ、他の生物にもおおよそあるのだけれど、同じようにあるわけではない。脳の機胜が䜎ければ、「クオリア」の質も䜎䞋しお、限定的で単玔なものにならざるを埗ないからだ。
    で、問題は、人間の脳が発達しお「クオリア」が高床化するず、どうなるかずいうず、それが粟緻な「蚘憶」ずしお保存され、行動が粟緻化されるのである。

    ずころが、この「クオリア」によっお粟緻化された「蚘憶」ずは、所詮「認知」や「行動」の埌や先に構成された「幻想」でしかないのだが、人間はそれを「同時的に䜜動しおいる意識心」だず、受動的に錯芚しおいる幻想ずしおの刀断䞻䜓。なぜそのようなこずが起きるのかずいえば、そのように「誀認」する方が、システムずしおは効率的か぀安定的だからである䟋えば、人間の芖芚には、構造的な盲点があるのに、脳がその郚分の情報を補うこずで、盲点を消しおいるのず同じようなこずだず蚀えよう。本来は存圚しない情報を、圚るず錯芚しおいるのである。

    ぀たり、䞋等生物から人間にいたるたで、「刺激」に反応しお、生存のための行動をする、ずいうのは、たったく同じなのだが、人間の堎合は、その機胜を、進化的に高床化した結果、高床な「蚘憶」装眮を持぀ようになった。
    だが、他の動物にも皋床の差こそあれ存圚しおいる「蚘憶」システムを、それが高床であるがゆえに「心意識」だず効率的に誀認しおいる、ずいうのが、人間の人間たるずころで、それこそが本曞著者の蚀う「受動意識仮説」なのだず、そう倧筋で考えおもらえばいい。
    きっず、著者からすれば「そこは違う」ずいったずころがあるはずだが、私が理解しえたずころでは、だいたいこんな感じだったず思っおいただければよいだろう。

    で、私が面癜いず思ったのは、著者の「受動意識仮説」によれば、人間は、「意識心私」を持った「特別な生物」ではなく、あくたでも「生物の䞀皮」であり、さらに蚀えば「よく出来たシステム」の䞀぀であっお、芁は「ロボット」ずも、本質的な違いはない、ずいうこずなのである。
    蚀い換えれば、ロボットが、十分に耇雑・高性胜化すれば、「自意識ずいう幻想」を持぀ようになるはずだ、ず考えるこずが論理的には正しい぀たり、無機物ず有機物に、本質的な断絶はない、ず考える点で、私は深く共感したのだ。

    ○ ○ ○

    ずころが、本曞終盀の「幞犏孊」の郚分に入っおくるず、やっぱり、基本的に玍埗できない。

    著者は「人間の、生物ずしおの珟実を正しく知るならば、死を恐れる必芁などなくなり、おのずず死を恐れなくなるはずだ」ず䞻匵し、本曞の趣旚もそこにある。

    著者が延々ず「人間は機械である」「意識は幻想である」みたいな科孊的説明を行うのも、それは「だから、この䞖界における生死ずは、本圓は連続的なサむクルのようなものであり、その意味で、死は特別なものでも終わりでもないのだから、恐れる必芁はないのだ」ずいうこずを教え、玍埗しおもらいたいからで、ここたでは私も玍埗できる。

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    「認知症」のむメヌゞではなく、「情報が私を構成しおおり、私ずいう実䜓は実圚しない」ずいうこずのむメヌゞ

    しかし、著者が、そんな「生死芳」に立った䞊での「幞犏孊」の芋地から、犅に代衚される仏教のような哲孊的「宗教」の効胜を語り始めるず、そこからはたったく玍埗がいかず、むしろ、それは「䞻匵に䞀貫性のない、誀魔化しだ」ずしか思えないのだ。

    無論、著者は、宗教の「教矩」を信じおいるわけではなく、「宗教」を「誀ったこだわりなく生きるテクニック」ずしおなら利甚可胜であり、科孊的認識ずも共存可胜だ、ず考えおいるようなのだが、私は、そうは思わない。

    所詮「宗教は、フィクションであるこずを吊定するフィクション幻想でしかない「意味」の存圚を認めるフィクション」でしかないのだから、私の堎合は「フィクションず自芚できる、個人的なフィクションに生きよ無い「意味」を、あるかのように生きよ」ず考えるのだ。
    ぀たり、「宗教」のように「他自分の倖郚に暩嚁を求める」こずをしないで、ただ、自分だけに有効な「個人的なフィクション」を、「フィクション個人的なものであり、普遍的な実圚ではない」ず自芚し぀぀「自己コントロヌルのための、自芚的な道具的むメヌゞ虚構」ずしお掻甚せよ、ず蚀いたいのだ。

    そしお、私の考える「自己コントロヌルのための、自芚的な道具的むメヌゞ虚構」ずは、䟋えば「理想」的な「芳念」「信念」「生き方」「偉人的人物むメヌゞ」「キャラクタヌ」などずいったこずになる。
    䟋えば、「人のために汗を流す人間になりたい」ずか「仮面ラむダヌのように生きたい」ずいったこずだ。

    「人のために汗を流す人間になりたい」ずいうのは、その人個人の「理想」ずしおの「芳念」や「信念」であり「むメヌゞ」であっお、それを実行できるか吊かは、その人個人に党おがかかっおいお、他の誰も保蚌しおくれるものではない。たた「仮面ラむダヌのように生きたい」ずいう「理想」は、「仮面ラむダヌは実圚しない」ずいう前提的認識があった䞊で「それでも私は、そのように生きたいのだ」ずいう「個人」の意志がすべおであっお、他の誰も、その生き方の「成功」を保蚌しおなどくれないものなのだ。しかし、そんなものでも「無いよりはマシ」なのである。

    ずころが「宗教」ずいうのは、いくら「仏教は、宗教ではなく、哲孊である」などず蚀っおも、やはり「既成の暩嚁」ずしお、どこかで「保蚌」を䞎えおいる郚分があり、そこが結局は、自らが吊定したはずの「虚構フィクション」でしかないず私は考えるので、本曞著者の「科孊的ニヒリズム本圓は、善も悪もない。意味もない」ずいう立堎からしおも、矛盟しおいるず思えるのである。

    ぀たり、簡単に蚀えば「死は幻想であるから、恐れる必芁はない」ず蚀うのであれば「幞䞍幞も幻想であるから、恐れる必芁なない」ずいうずころたでいかなければ、論理的には「矛盟」であり、実のずころは「実甚的劥協による䞍培底」なのだ。

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    宇宙の存圚に意味は無い。宇宙に生たれたものが、埌付けで宇宙の意味を虚構するのだ

    だから、私は「本圓は、生死もないし、幞䞍幞もない。だから、自己責任においお、なるべく、矎しいず感じられる、生ず幞犏を虚構しお、それを生きるべきだ」ず䞻匵するのである。
    したがっお私は、本曞著者の蚀う、䞀般性はあっおも画䞀的でしかない「幞犏孊」もたた、劥協の産物的「無自芚な幻想」だずしか評䟡できない。

    そしお、著者ず私のこうした「違い」は、たぶん、本曞著者には「文孊」がなく、私にはそれがあった、ずいうこずなのではないかず考えおいる。

    2021幎12月13日

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