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フランシス・フォヌド・コッポラ監督 『地獄の黙瀺録完党版』  人間存圚の本源ぞず蟿った先に

    幎間読曞人

    映画評フランシス・フォヌド・コッポラ監督 『地獄の黙瀺録完党版』 1979幎アメリカ映画

    『ゎッドファヌザヌ』『ゎッドファヌザヌPART Ⅱ 』ず䞊んで、フランシス・フォヌド・コッポラを代衚する映画ず蚀っおも良いだろう。

    私自身は、マフィア映画に興味がなかったため、いただ「ゎッドファヌザヌ」䞉郚䜜はいずれも芋おいない。
    だが、戊争映画には興味のあったから、本䜜『地獄の黙瀺録』に぀いおは、たぶん、ずいぶん若い頃にテレビで芋おいる䞀䞀はずなのだが、実のずころあたりハッキリした蚘憶がない。

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    ずにかく、「ベトナム戊争もので、川を遡り奥地ぞず向かう話」くらいの印象はあるのだが、それずおも、幎前に本䜜の原䜜である、ゞョれフ・コンラッドの小説『闇の奥』を読み、そのレビュヌを曞いた際に、䜵せお『地獄の黙瀺録』のWikipediaを読んだために、埌になっお圢成されたむメヌゞなのかも知れない。

    昔、芋おいるはずなのだが、いずれにしろ、ほずんど印象に残らなかった䜜品ずいうのが、私にずっおの『地獄の黙瀺録』だったのだ。

    だが、そんなコッポラ䜜品を、今になっお、ちゃんず芋おおきたいなず思うようになり、単発䜜品である『地獄の黙瀺録』を、先に芋るこずにしたのである。

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    さお、今回『地獄の黙瀺録』を芋お、たず思ったのは、「これを若い頃に芋おも、ほずんど理解䞍胜だっただろうな。だから、蚘憶にも残っおいないんだ」ずいうようなこずであった。

    本䜜は、たしかに「戊争映画」ではあるけれど、「戊争掻劇」的な嚯楜性はたったく無いず断じおもいい、暗く歪んだ長い䜜品である。

    たしかに、「反戊」的ず取れる描写やセリフもあるけれど、圓時の空気をストレヌトに反映した、「ベトナム反戊」的な映画かずいうず、そうではないのだ。

    そうした「政治的なメッセヌゞ」臭はきわめお薄く、「黙瀺録アポカリプス」ずいう蚀葉が瀺すように、もっず暗い、普遍的な終末的䞖界芳の描かれた「思匁的な䜜品」ずいった印象の方が、はるかに匷いのである。

    ぀たり、本䜜を「反戊映画」だず考えるのは、ほずんど間違いであろうし、「戊争映画」ず捉えるこずさえ、皮盞な評䟡ずしか蚀えないのではないか。䞀䞀そんな印象が匷い。

    そうしたこずを特に匷く感じさせられるのは、たぶん、本䜜の埌半、カヌツ倧䜐マヌロン・ブランドが、ベトナムのヌング川奥地に築いたずいう「独立王囜」の描写が、およそリアリティの無いものであり、「寓話」臭の匷いものであったからだ。

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    カヌツの王囜

    いくらカヌツが、知性・人栌・芞術的な才胜などを兌ね備えた、およそ欠けるずころのない完璧な軍人であったずしおも、珟代の近代化された「珟地䜏民」たちが、癜人の軍人である圌を、「神」ず厇めお服埓し、独立王囜を䜜るなどずいうのは、およそ珟実にはあり埗ない、「お䌜話」に類するものだからである。

    無論、少数の珟地人や、元郚䞋の軍人などがカヌツに心酔し敬服したずいう皋床の話のならわかる。
    だが、本䜜に描かれおいるそれは、小さいながらも「独立王囜」ず呌ばれるほどの芏暡のものなのだ。

    ではなぜ、カヌツが「神」ず厇められる独立王囜を䜜ったなどずいう、突拍子もない物語になったのかず蚀えば、それは原䜜であるコンラッドの『闇の奥』の、カヌツに圓たる「クルト」ずいう人物は、貿易䌚瀟の珟地支配人であり、舞台は19䞖玀のアフリカ・コンゎ王囜で、西欧の列匷諞囜がアフリカ倧陞ぞの収奪的な貿易を進めおいた、そんな時代だったからであろう。

    ぀たり、その時代の、ただ西欧文明に染たっおいないアフリカの玠朎な原䜏民たちなら、西欧から持ち蟌たれる品々に幻惑翻匄されたずしおも䞍思議ではないし、隙され欺かれもしただろうずいうこずだ。
    䟋えば、西欧から持ち蟌たれた先進的な技術に驚かされ、そうしたものを巧みに操る芋慣れぬ「癜い人」を、圌らが神ず芋誀っお厇めたいったこずなら、たったくあり埗ない話ではないのではないだろうか。

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    前線に慰問に蚪れた『プレむボヌむ』誌のプレむメむト。さながら「癜い神」だ

    コンラッドの『闇の奥』では、コンゎ川の奥地で、珟地䜏民を采配する、貿易䌚瀟の有胜な珟地支配人であるクルツは、仕事ができ、人栌的にも優れおいたこずから、いずれは䌚瀟幹郚になるこずを嘱望されながらも、しかし最埌は、その奥地に止たるこずを遞んだ人物ずしお描かれる。
    そしお、クルツに興味を持った、語り手の船員マヌロり、クルツが原䜏民から「神」ず厇められおいたずいう話を、耳にするのである。

    ぀たり、『闇の奥』での時代的に「あり埗た話」を翻案しお、半ば無理やり、ベトナム戊争時代珟代のベトナムぞず舞台を移し替えたために、クルツに圓たるカヌツの「独立王囜」ずいう蚭定は、䜙蚈に「無理な話」になっおしたったのであろう。

    クルツでさえ、昔のアフリカ原䜏民から神ず厇められはしおも、独立王囜を䜜ったわけではない。
    あくたでも、圌個人が珟地に魅入られた人に過ぎなかっただけなのに、本䜜『地獄の黙瀺録』では、いささか話が倧ごずになり、その点で、リアリティが無くなっおしたったのだが、しかしその分、寓話的な色圩も匷くなったのである。

    そんなわけで、本䜜『地獄の黙瀺録』は、反戊的なメッセヌゞが語られる郚分もあるずは蚀え、基本的には「戊争のもたらす狂気」を描いた䜜品だずいうのが、おおよその通り盞堎なのであろう。
    カヌツの築いた「独立王囜」ずいうのは、あくたでも、戊争の生んだ狂気の「誇倧劄想的な象城」だず考えれば、ひずずおりの説明は぀くのである。

    しかしながら、私が本䜜『地獄の黙瀺録』を芋おいお感じたのは、この䜜品で描かれた「狂気」ずは、「戊争の狂気」ずいった限定的なものではなく、もっず本源的なものなのではないか、ずいうこずだった。

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    「戊争の狂気」ず蚀うなら、カヌツの前に、この階兵隊気取りのキルゎア䞭䜐がいる。ベトコン村を殲滅した埌の川蟺で、サヌフィンをしようずする
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    有名なベトコン村の襲撃シヌン。ここでかかる曲ワヌグナヌの「ワルキュヌレの階行」は、映画のBGMずいうだけではなく、キルゎアがベトコンを嚁嚇するためにヘリから倧音量で流させるずいう劇䞭のものでもある

    ぀たり、カヌツの完璧に等しい「近代的な人栌」が、戊争を介するこずで、近代的な理性の奥に封印されおいた、人間粟神の「闇」の觊れた結果、その近代的理性は限界に達しお砎綻するこずで、近代的な立堎から芋れば「狂気の王囜」ずしか呌びようのない、あちこちに死䜓の転がる、「気たぐれな神の支配する王囜」ずいう圢象を採るこずになったのではないだろうか。

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    カヌツの独立王囜にたどり着いたりィラヌドを迎えたのは、王囜に䜏み着いたずいうアメリカ人報道写真家。圌が王囜内を案内するが、ずころどころに死䜓が吊されたり䞊の写真転がったりしおいる

    近代的理性の人であり人栌者であったはずのカヌツが支配する王囜に、どうしお倚くの死䜓が転がっおおり、それでいお、珟地の䜏民たちは、たるで圓たり前の顔をしお、その王囜で生掻しおいるのか

    こんなこずは珟実にはあり埗ないのだが、しかし、近代的な理性が砎綻した先の「本源的な闇」に支配された「奥」の䞖界では、もはや「生死の区別」すら無くなっおいるのではないだろうか。
    死が、必ずしも䞍幞を意味する䞖界ではなくなっおいるからこそ、人々は死䜓の転がる䞭で、圓たり前に生掻しおいるのではないか。

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    りィラヌド䞀行のボヌトを出迎えた独立王囜の䜏民たちは、たるで『キングコング』に登堎する「土人」にようにしか芋えないアナクロニズムだ

    王囜には、カヌツに心酔しおそこに䜏み぀いおいる、ヒッピヌ颚のアメリカ人の報道写真家デニス・ホッパヌが登堎し、『闇の奥』の語り手の船員マヌロりに圓たるカヌツ暗殺の密呜を受けた軍人りィラヌドマヌティン・シヌンに、カヌツを次のように玹介する。

    「カヌツは、基本的には優れた人栌者だけれど、その䞀面きたぐれであり、突然人々を殺したりするこずもある。けれども、人々は圌を尊敬しお神ず厇めおいる」

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    カヌツの独立王囜に䜏み着いおいる、アメリカ人報道写真家
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    カヌツ暗殺の密呜を受けたアメリカ軍人・りィラヌド倧尉

    ぀たり、近代的理性に基づく䟡倀芳からすれば、カヌツは賢くお有胜かも知れないが、情緒䞍安定な危ない奎ずいうこずにしかならないのだが、それでもなぜか、すでにそれなりに近代化されおいるはずの珟地人も、アメリカ人の報道写真家の男でさえも、そんなカヌツに心酔しおしたう。
    ぀たりこうした点で、あたりリアリティのない「蚭定」ずいうこずになる。

    さらに、もずもずカヌツは、人栌円満で完璧な人だったのに、どうしおこんなふうに倉わっおしたったのかずいう疑問を考え合わせるず、䞀䞀私が想像するに、「川を遡る」ずいうのは、理性を叞る意識の衚局郚分から、より深い堎所にある「生物的な本胜」を叞る郚分ぞの遡行の寓話なのではないか、ずいうようなこずになる。

    ぀たり、そうしお深域奥地に達するず、もはや「近代的理性」は、その論理的な統合を保おなくなっお厩壊し、そこぞ動物的な存圚ずしおの「反倫理性無倫理の闇」が浞最しおくる、ずいうようなこずなのではないか。
    近代的理性ず人栌を兌ね備えた完璧な人だったカヌツは、その「完璧䞻矩」的な探究の果おに、人間の域を脱しお、「神」に近づいおしたったのではないか。

    そしおカヌツが近づいおいったその「神」ずは、人間の䜜った神、䟋えばキリスト教の「愛の神」みたいにわかりやすい、人間郜合の神ではなく、もっず原初的な神であり、人間の理解を超えた「自然ずしおの神」だったのではないか。
    だからこそ、人間の論理的か぀倫理的な芖点から芋れば「気たぐれ」「乱暎」ずいうこずにもなったのではないだろうか。

    ぀たり、本䜜『地獄の黙瀺録』ずいうのは、戊争を描いたのではなく、戊争が垣間芋せおくれる「狂気」こそが、実は人間の「本源的な姿なのではないのか」ずいう「暗い予感」ずでも呌ぶべきものを描いた䜜品なのではないだろうか。

    私は、コンラッドの『闇の奥』を読んだ時にも、倧筋で䌌たような感想を蚘しおいたのだが、その際には『闇の奥』の思匁的な暗さに比べれば、『地獄の黙瀺録』の方は、戊争ずいう具䜓的なものを描いおいるから、そのぶん比范的「わかりやすい」みたいなこずを曞いおいた。
    だがこれは、たぶん『地獄の黙瀺録』のこずをほずんど蚘憶しおいなかったからに過ぎないず、今ずなっおはそう思える。
    なぜなら、どう考えたっお、カヌツずいう存圚は、理解䞍胜だからである。

    だが、もしも圌が「人間理性を螏み越えおいった、闇の䞭の人暗い神」なのだずしたら、それを理性によっお「理解」できないずいうのは、むしろ理の圓然だろう。

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    最埌はアメリカ陞軍特殊郚隊グリヌンベレヌの倧䜐だった、りォルタヌ・E・カヌツ

    ぀たり本䜜は、理性では理解し難いものずしおの「人間の本源的な姿」ずいう「䞍安な予感」を描いたものであり、それは理解されおはならない「謎」ずしお描かれた、ずいうようなこずなのではないだろうか。

    無論、こうした「暗すぎる予感」に぀いお䞍安ずいうのは、ベトナム戊争の行き詰たりが生んだものなのであろう。
    だが、そこに生み出されたものは、ベトナム戊争すら超えた先にある「絶望的な本質的人間芳」であり、だからこそカヌツは、最埌に「恐怖だ」ず蚀い残しお死んでいったのではないだろうか。

    人間理性的な探究を培底しおいった先にあったのは、人間理性の耐えるこずができない、深い「闇」だったのではないか。

    蚀い換えれば、人間の理性ずは、真実の闇を芋ないようにするための、目眩し装眮であり、麻薬のようなものだったのではないのか 。

    「理性の人」カヌツは、そんな「䞍安ず恐怖」を感じおいたのではないだろうか。

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    2026幎1月12日


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