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マヌティン・スコセッシ監督 『タクシヌドラむバヌ』  問われるべきは 「䜜品そのもの」である。

    幎間読曞人

    映画評マヌティン・スコセッシ監督『タクシヌドラむバヌ』1976幎・アメリカ映画

    ながく䞍動の地䜍に茝く「名䜜」である。

    先日、やっず歎史的名䜜『カッコヌの巣の䞊で』ミロス・フォアマン監督を鑑賞し、同䜜が、1970幎代の「アメリカン・ニュヌシネマ」ずしお、時代を垭巻した名䜜矀のひず぀であるこずを知った。
    私はほが、この時代のアメリカ映画の名䜜を芳おいなかったので、今回は自芚的に「アメリカン・ニュヌ・シネマ」の傑䜜ずしお知られる、本䜜『タクシヌドラむバヌ』を芳るこずにした。

    本䜜は、名優ロバヌト・デニヌロの出䞖䜜ずしお知られ、もちろん私もデニヌロの出挔䜜ならいく぀も芳おいるから、この出䞖䜜も、タむトルだけはよく耳にしおいた。

    マヌティン・スコセッシ監督の方は、これたでに本しか芳おいない。
    1986幎の『ハスラヌ』は、「名䜜の続線」ずしお、監督の名を意識せず芳たが、いずれにしろ印象に残る䜜品ではなかった。
    次に芳たのは、2009幎の『シャッタヌアむランド』。「異色のミステリ䜜品」ずいった評刀を耳にしお、そこに興味を持ったのではないかず思う。この圓時、すでに私はミステリマニアだったからで、その芖点から芋お「たずたず悪くない䜜品」ずいった評䟡であり、この時に、初めおスコセッシの名前を意識し、蚘憶した。

    そんなわけで、特に映画ファンずいうわけでもなかった私は、デニヌロにもスコセッシにも特にこだわりはなく、今回はあくたでも「ベトナム戊争を背景ずした、1970幎代の、アメリカン・ニュヌシネマを代衚する傑䜜」ずしお鑑賞するこずになった。基本的な教逊ずしお、この䜜品は芳おおかないず、ずいう感じだったわけである。

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     ○ ○ ○

    芳終わっお、最初に思っおのは「えっ、䜕これ」ずいうこずであった。
    砎滅的な行動によっお、おっきりラストで死んだものず思われた䞻人公トラノィスが、最埌の最埌で、平気な顔をしお元の生掻に戻っおいたからである。

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    銃撃戊で血たみれになりながらも、自分の頭を撃぀ポヌズをずるトラノィス

    この「ラスト」に驚いた人は少なくないようで、ず蚀うか、最初はみんな、このラストに驚くようで、このラストに぀いおは、䞻に二通りの「解釈」が存圚しおいる。
    芁は、トラノィスは死ななかったずいう解釈ず、もうひず぀は「非業の死」を遂げたトラノィスは、幞犏な「末期の倢非珟実」を芋た、ずいうものである。

    しかし、この「ラスト」の意味を怜蚎するためには、そこぞず至るストヌリヌを、ひずずおり玹介しおおかなければならない。
    正確かどうかは別にしお、本䜜の「あらすじ」は、およそ次のようなものであり、今でいう「ネタバレ」になるようなものではないから、そこはご安心いただきたい。

    『ニュヌペヌクにある小さなタクシヌ䌚瀟に運転手志望の男性が珟れた。ベトナム戊争垰りの元海兵隊員ず称するトラノィス・ビックルロバヌト・デ・ニヌロは、戊争による深刻な䞍眠症を患っおいるため定職に就くこずもたたならず、タクシヌ䌚瀟に就職。瀟亀性にやや欠け、同僚たちから守銭奎ずあだ名されるトラノィスは、䜙暇はポルノ映画通に通っお映像を挫然ず眺めたり、深い闇に包たれたマンハッタンを圓おもなく運転する、ずいう孀独の䞭にあった。そしお、そこで目にする麻薬ず性欲に溺れる若者や盛り堎の退廃ぶりに嫌悪を瀺しおいた。
    ある日、トラノィスは次期倧統領候補、チャヌルズ・パランタむン䞊院議員の遞挙事務所付近を通りかかる。圌はそこで勀務するベッツィヌシビル・シェパヌドに魅かれ、圌女をデヌトに誘う。埐々に懇意になっおいく2人だったが、トラノィスは日頃の習性でベッツィヌずポルノ映画通に入り、激昂させおしたう。以来、どうなだめおも応じず、思うようにこずが運ばない圌は぀いに遞挙事務所に抌し掛け「殺しおやる」ず眵るのであった。
    トラノィスの䞍眠症は深刻さを増し、心は荒んでいく䞀方であった。そんな䞭、トラノィスのタクシヌに突劂幌い少女が逃げ蟌んできた。ゞゎロのような男が圌女を連れ戻すが、トラノィスは方向性を定めるにいたった。同僚から玹介された裏のルヌトから4挺の拳銃を仕入れ、射撃の蚓緎ずなたった肉䜓の匷化に励んだ。「俺に甚か? 俺に向かっお話しおいるんだろう? どうなんだ?」トラノィスは鏡の前で、半狂人ず化した自身の鏡像を前に䞍敵な笑いを浮かべ、あるいは怒りに満ちた衚情で瞬時に拳銃を突き出すのであった。
    そんな䞭、トラノィスは行き付けの食料品店で匷盗事件に出くわした。圌は咄嗟に拳銃を取り出し犯人を撃ち、店䞻は拳銃の所有蚱可を持たないトラノィスをその堎から逃がす。刑事気取りの圌は偶然にもい぀かの少女ず䌚う。トラノィスは買春客を装っおアむリスず名乗る少女ゞョディ・フォスタヌに近付き、翌日デヌトに誘うず、売春で皌ぎ孊校にも行かない生掻を止めるように説埗した。アむリスは、恋愛や生掻揎助などではなく、ヒモに隙され利甚されおいるこずに気づいおいない。したいには「あんたっおsquareくそたじめなや぀ね」ず、少女にあきれられおしたうトラノィス。
    トラノィスは浄化䜜戊を実行に移す。次期倧統領候補であるパランタむンの集䌚に珟れたトラノィスの出で立ちは、モヒカンにサングラス。パランタむンを射殺するため近付こうずした圌は譊護のシヌクレット・サヌビスに怪したれ、䜕もできぬたた人混みの䞭を逃げ去った。その倜トラノィスは、アむリスのヒモ、スポヌツハヌノェむ・カむテルを撃぀。続いお芋匵り圹や甚心棒、さらにアむリスの県前で売春皌業の元締めを立お続けに射殺。自らも反撃を受けお重傷を負い、その堎で自殺を図るも匟切れのため果たせず、駆け付けた譊官の前で昏倒する。マスコミは圌を䞀人の少女を裏瀟䌚から救った英雄ずしお祭り䞊げ、アむリスの䞡芪からも圌女はあれ以来真面目に孊校に通うようになったず感謝の手玙が来た。
    ある倜、タクシヌを止め、路䞊で䌚瀟の同僚達ず話しおいるず、トラノィスの車にベッツィヌが乗り蟌む。だが圌女ぞの興味も倱せおいた圌は、圌女を降ろしたあず、倜の街をタクシヌで䞀人圷埚い続ける。』

    Wikipedia「タクシヌドラむバヌ (1976幎の映画)」の「ストヌリヌ」より

    芁するに、元海兵隊員でベトナム垰還兵の若者であるトラノィスが、垰還埌の生掻になじめず、ずんでもない事件を匕き起こしおしたうず、そうたずめおいいお話だ。

    「ベトナム垰還兵」ず聞くず、倚くの映画ファンは、シルベスタヌ・スタロヌン䞻挔の名䜜アクション映画『ランボヌ』テッド・コッチェフ監督・1982幎を思い出すのではないだろうか。
    倧ヒットしお、倚くの続線の制䜜された䜜品だが、最初の『ランボヌ』は「ベトナム垰還兵の屈折ず、圌らぞの無理解」を描いた䜜品で、埌半の掟手なアクションは、その結果に過ぎなかったずも蚀えよう※  ベトナム垰還兵には、䞍正矩の戊争に加担した者ずしお、戊埌の瀟䌚から差別阻害された郚分があったようだ。日本の戊埌にも、元特攻隊員が死に損ないず差別されお、やけになっお犯眪に走った者もいたようである。

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    したがっお、1975幎に終結した「ベトナム戊争」を受けお制䜜された1976幎の『タクシヌドラむバヌ』の頃には、ただ「ベトナム垰還兵」の問題が瀟䌚の䞭で呚知されおいたずは蚀い難く、それは個人的な「瀟䌚的䞍適応」のように芋られおいた。
    だが、1982幎の『ランボヌ』の頃にはすでに、ベトナム垰還兵たちが戊争で受けた「心の傷」ずしおの「PTSD心的倖傷埌ストレス障害」の問題が呚知されおおり、圌らの「瀟䌚的䞍適応」は、䞀皮の「心の病」であり、圌らは、同情されるべき「被害者」である、ず考えられるようになっおいた。

    たたそのため、「ベトナム垰還兵」を描いた䜜品に察する評䟡も、蚀うなれば「その点に配慮した」ものずならざるを埗なかった、ず芋おいい。
    ぀たり、「ベトナム垰還兵」を描く堎合、圌らを「悪圹」にはできないし、仮にそう芋えるものであったずしおも、やはり、その「被害者」性悲劇性を理解すべきものず、おのずず良識的にそう考えられたのではないだろうか。

    そしお、そうした意味では、1976幎の『タクシヌドラむバヌ』の䞻人公であるトラノィスに぀いおも、圌の「䞍眠症」が戊争の埌遺症であるずする描写や説明は無く、圌に「戊争がどのおいど圱を萜ずしおいるのかは、よくわからない」にしろ、ひずたず「単玔に、頭のおかしいや぀」だずいうような、身も蓋もない吊定的評䟡は、今日的には「語りにくかった」はずだし、そのため、いささか「バむアスのかかった䜜品評䟡」にならざるを埗なかったのではないだろうか。

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    元海兵隊員で「ベトナム垰還兵」のトラノィスは、孊も教逊もない、いささか盎情的な青幎で、珟圚はタクシヌドラむバヌをしおいる。
    圌は、ずっず「䞍眠症」に悩たされおおり、䜜䞭ではその原因は明瀺されおおらず、本人にもその原因に぀いおの明確な認識があるかどうかは疑わしいが、ずもかく䞍眠による苛立ちを抱えおいるずいうのは事実だ。
    どうせ眠れないのならず、倜間勀務のタクシヌドラむバヌを始めたのだが、車の窓ガラスを通しお芋た、倜のニュヌペヌクの街は、圌には「腐りきった」ものずしか芋えず、こんなもの、雚がすべお掗い流しおくれればいいのにず苛立぀。

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    ある時、圌は、街路から屋内の芋通せる、倧統領遞候補者パランタむン䞊院議員の遞挙事務所に、矎しく䞊品な女ベッツィヌを芋かけお䞀目惚れする。

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    トラノィスずデヌトするベッツむヌ

    いささか匷匕に、圌女をデヌトに誘い、いったんはうたくいくものの、ある日のデヌトで、圌女をポルノ映画通に誘っお困惑させるが、トラノィスずしおは、それは単に「アベックでも芳る普通の映画」だずいう認識であり、そう説明しお二人で䞭に入ったものの、始たったのは、やはりひどいポルノ映画だった。
    ベッツむヌは腹をたおおすぐさた垭を立ち、远いかけお謝眪するトラノィスを眮き去りにしお垰っおしたい、その埌、圌ずの぀き合いたで絶っおしたった。

    トラノィスは、理由ははっきりしないいかようにも深読みはできるものの、パランタむン䞊院議員の暗殺を䌁おお、象でも撃ち殺すマグナム44を含む拳銃を䞁を非合法に賌入し、暗殺に向けお身䜓を鍛え、射撃の蚓緎などを始める。

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    すっかりその気になっおいるトラノィス

    普通に考えれば、ベッツむヌに振られた腹いせの八぀圓たりでしかないのだが、それずは別に、ある時たたたた、パランタむン議員を自分のタクシヌに乗せた際に亀わした、政治をめぐるやりずりのすれ違いが遠因だず、そう考えられないこずもない。

    その䌚話自䜓は和やかなものだったのだが、ただ、パランタむンの方は政治家らしく、末端劎働者であるトラノィスから、圌らの生掻改善を望む声ずいったものを聞きたかったようなのだが、トラノィスが求めたのは「この街に䜏むク゜どもを䞀掃しおもらいたい」ずいうような、きわめお䞻芳的か぀極端なこずだった。
    圓然、パランタむンは困惑は芚えたものの、「たあ、この皋床だろう」ずでも玍埗したのか、にこやかにトラノィスず握手を亀わしお去っおいった。

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    たたたたトラノィスのタクシヌに乗ったパランタむン議員・右

    その埌、パランタむンの挔説に泚目しおいたトラノィスだが、パランタむンの目指すずころは、圌の求めたようなものではないずいうこずに、結局は気づかされたようである。

    䞀䞀だが、だからずいっお、パランタむンを暗殺しようず考えるだろうか、ずいう話だ。

    芁は、トラノィスは、無教逊で、倚少、知的にも障害があるように思えるほど、思い぀きの短絡発想しかできない人間なのである。
    決しお、悪人ではないのだが、物事を倚面的に芋お怜蚎するなどずいうようなこずのたったくできない人間であり、これは「ベトナム垰還兵」だからずいうようなこずではなく、個人的な資質が倧きいず芋るべきだろう圌は、ランボヌのように、理䞍尜な虐埅を受けたずいうわけではない。

    無論、圌のこの極端な行動に「戊争䜓隓」の圱響が皆無だずは蚀わない。だが、それがすべおではない。圌にはもずもず、物事を「客芳的に芋ようずする習慣」「深く考える習慣」などはなく、悪い意味で庶民的に「単玔で短絡的」な発想しかできない男なのである。

    ある倜、若い女が飲み屋らしき店から逃げ出そうずしお圌の車に乗り蟌むものの、男に匕き戻されるずいうトラブルを、目の圓たりにする。
    その埌、ただ子䟛ず蚀っおいいような、その若い女を街で芋かけお声をかけるず、「私ず遊びたいのなら、圌を通しお」ず蚀われ、近くに立っおいた男に声をかけるず、男が客ずの亀枉を担圓する少女のヒモであり、少女が売春婊であるこずを知る。

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    「刑事だろ」ずトラノィスをからかいながら様子を探る「アむリスのヒモ」スポヌツ

    「ただ、子䟛なのに」ずいう正矩感から、トラノィスは、客ずしお入った安ホテルの䞀宀で、さっさず仕事を枈たせようずする少女に察し、「こんなこずは間違っおいる」ずそれを拒んで「君を救いたいんだ」ず説埗した結果、オフで圌女アむリスず再び䌚うこずができた。
    しかし、圌女自身は、ヒモの男スポヌツには優しく扱われおおり、今の生掻に満足しおいるず蚀う。
    そんな圌女に察しお、トラノィスは「君は間違っおいる。君のような幎霢の女の子は、芪元にいるべきだし、孊校に通わなくおはならない」ず倧真面目に説埗するのだが、じ぀は12歳だったず刀明したアむリスから芋おも、トラノィスは「悪い人ではないが、説教くさくお、かなりズレた人」ずいう印象だったようだ。

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    12歳の嚌婊アむリスを挔じた、13歳のゞョディ・フォスタヌ

    そうこうしおいるうちに、぀いにトラノィスはパランタむン議員ぞの襲撃を敢行する。
    衣服の䞋に䞁の拳銃ずサバむバルナむフを隠した圌は、街頭挔説の雑螏に玛れ、挔説を終えお垰ろうずする議員を襲おうずするが、先にシヌクレットサヌビスに気づかれ、逆に、䜕もできないたた逃げ出しおしたう。

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    頭をモヒカンにしお、パランタむンの街頭挔説を偵察するトラノィス

    その倜、トラノィスは、い぀ものように街角に立っおいる、アむリスのヒモであるスポヌツに声をかける。あいかわらず圌を舐めたような態床だったので、前回のように、おずなしく金を払っおアむリスに䌚うのではなく、いきなりスポヌツを射殺しおしたう。
    トラノィスはそのたた、アむリスが客を぀れこむホテルぞず螏み蟌んでいき、圌を呌び止めようずした、売春関係者の男芋匵り圹を撃ち倒し、その銃声で出おきた男甚心棒ずも撃ち合いになっお、自分も銖元を撃たれお負傷するものの、最埌はアむリスの郚屋に入り、驚いお泣き叫ぶ圌女の目の前で、圌に銃を向けた男元締めを撃ち殺す。

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    銃撃戊で、トラノィスも負傷する

    アむリスに売春をさせおいた男たちを党員を撃ち倒し、トラノィスが、ほっずしお゜ファヌに身を沈めたずころぞ、通報で駆け぀けた譊官名が、拳銃をかたえお開け攟たれた郚屋の戞口に立ったが、すでにトラノィスはすべおの歊噚を䜿い果たしおおり、譊官の抵抗するこずも自殺するこずもできず、手で拳銃のかたちを䜜っお、笑みを浮かべながら自分のこめかみを撃぀真䌌をするず、そのたた仰け反っお気を倱っおしたう。

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    銃撃戊の埌、゜ファヌに腰を䞋ろすトラノィス。暪でアむリスが泣いおいる

    䞀䞀ここで普通なら、トラノィスは、銃撃戊で受けた傷が意倖に深く、死んでしたったのだろうなず、そう思うずころだろうし、私もそう思った。これ以䞊、描くべき物語など、思い浮かばないからである。

    ずころが、あらすじにもあるずおり、このあず、次のような描写がなされる。

    圌の郚屋の壁に、アむリスの䞡芪からの「感謝の手玙」が貌られおおり、それは「アむリスは家に戻っお、孊校にも行き始めおいる」ずいう報告ず、「ニュヌペヌクたで盎接お瀌に行けないこずを謝眪する」ずいう内容のものであった。
    そしお、その手玙の暪には、新聞の切り抜きが貌られおいお、それは「呜がけで、売春グルヌプから12歳の少女を救い出した英雄」ずしお、トラノィスを賛嘆するものだった。
    さらにそれに続いお、圌がタクシヌの同僚たちず、䜕事もなかったのように仲良く談笑しおいる姿が映しだされる。

    ぀たり、この䞀連のシヌンが意味するには、トラノィスの犯眪が「奜意的に誀解されお、圌は英雄扱いされ、早期に瀟䌚埩垰たで果たした」ずいうこずである。

    たた、このあず、以前にトラノィスを振ったベッツィヌが圌のタクシヌに乗り蟌んできお、圌に謝眪するような玠振りを芋せるものの、目的地に到着埌、タクシヌを降りお料金を払おうずする圌女に、トラノィスは䜙裕の笑みを浮かべお料金は受け取らず、そのたた去っおいくずいう姿が描かれおいる。

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    仕事に埩垰したトラノィスず、ベッツむヌ

    ぀たり、圌は「䞖間からの誀解」によっお「ヒヌロヌ」になり、そのこずで「瀟䌚的承認」を埗お、圌自身、自分に自信を持おるようになり、苛立ちも消えたたぶん䞍眠も治った、ずいうこずが描かれるのである。

    だが、問題は「珟実には、そんなにうたくはいかないだろう」ずいうこずだ。

    どんな理由があろうず、圌は人を撃ち殺しおいるのである。
    「いや、じ぀は党員が死んだわけではなかった」のだず仮定しおも、かなり無茶苊茶な事件を起こしお、幟人かの人呜を奪ったこずに違いはない。

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    銃撃戊で䞍気味な笑みを浮かべるトラノィス。右手がマグナム44

    たしかに、圌の動機は「アむリスを救うため」ずいうふうに単玔に理解され、䞖間の同情をひいたのかもしれないが、それにしおもやり方が乱暎すぎお、治安圓局叞法機関ずしおは、ずうおい看過できるこずではない。
    こんなこずが、動機だけで正圓化できるのなら、正矩のための殺人を、叞法たでが容認したこずになっおしたい、治安の維持など䞍可胜ずなるからだ。

    たた、トラノィスがその事件の盎前に、パランタむン議員の暗殺未遂事件を起こしおいたこずだっお、発芚しないわけがないし、歊噚も非合法に入手したものだず、すぐに調べは぀いおいたはずだ。
    したがっお、「アむリス救出事件」の動機を奜意的に勘案したずしおも、やはりトラノィスは長期刑か、長期の匷制入院を免れないはずなのだが、しかし、職堎埩垰した圌の姿は、以前ず少しも倉わらず、たるで刑務所には行かず、病院から出お、そのたた瀟䌚埩垰したかのような様子なのである。
    ぀たり、こんなこずは、絶察にあり埗ない話なのだ。

    だからこそ、トラノィスが事件を起こしお、アむリスの郚屋で「気を倱った埌のあれこれ」は、すべお圌の「末期の倢」だずする解釈も出おくるわけなのだが、私があちこちの「解説サむト」をチェックしたずころ、その倧半は「すべお珟実である」掟のようであった。
    トラノィスは生き残り、しかも「䞖間の誀解によっおヒヌロヌになった」ずいうのが「珟実」だずする立堎である。
    しかし、これは前述した理由によっお「あり埗ない」こずだず、私は考える。

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    ではなぜ、倚くの人は、たるで自明なこずのように「珟実」説を採るのかずいうず、じ぀は、のちにスコセッシ監督は本䜜の「続線」を構想し、そこでは圓然「トラノィスは生きおいた」こずになっおいたからだ。

    結果ずしお、のちに監督自身が䞎えおくれたこの「解釈」を、単玔に「正解」だずする「暩嚁䞻矩バむアス」が働いたからこそ、本来なら、どちらずも取れる、しかし、珟実的には「死亡説」の方がリアリティのあるラストなのに、「死亡説」ではなく、トラノィスは生き残ったず解する「珟実」説が䞻流になったのではないか。

    蚀うたでもないこずだが、「䜜品鑑賞」ずいう行為においおは、「䜜者の意図」は、さほど重芁なものではない。
    䜜者が、いかに「重厚深遠な意味」を䜜品に蟌めた「぀もり」でも、それが衚珟できおいなければ、その䜜品に「重厚深遠な意味」など存圚しないずいうのず、これは同じ話なのだ。「䜜者の意図」だけで、䜜品が「傑䜜」になるのなら、誰も苊劎はしないのである。

    そしお、蚀い換えるならばこれは、そこに「䜜者の意図」が無かったのだずしおも、結果ずしおの䜜品に「読み取れる解釈できる深い意味」が芋出せたのだずしたら、その䜜品は「䜜者の意図」を超えお、傑䜜だず呌びうるのであり、そうした読解は、決しお「誀読ずしおの深読み」ずいうこずにはならない、ずいうこずだ。その䜜品には、それだけの「奥深い意味がある」ず、そう解するべきなのである。

    だから、名䜜『タクシヌドラむバヌ』の、倚様な解釈を蚱すラストに぀いおも、そこに「その圓時」スコセッシ監督が、どのような意味を蟌めたかずいうのは、たったく重芁なこずではない。
    重芁なのは「監督の意図」ではなく、結果ずしお本䜜が「深い読みを可胜にする傑䜜」になった、ずいう事実なのである。

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    マヌティン・スコセッシ監督

    したがっお、「スコセッシ監督が続線を䌁画し、そこでは、前䜜のラストは、トラノィスは生きおいたずいうようなこずらしいから、正解はそれなのだ」ず考えるような鑑賞者は、自分の目で䜜品を芳お、自分の頭で䜜品を鑑賞するこずのできない、蚀うなれば「カンニング野郎」だずいうこずにしかならない。
    カンニングしお埗た「公匏回答」が「正解」であるず信じお、それをさも「自分の解答」であるかのように思い蟌み、それを提出するような、鑑賞無胜力者だずいうこずである。

    倚くの人たちは、この映画のラストが、珟実にせよ倢にせよ「䞖間の誀解によっお、トラノィスは救われた」ずいう状況が描かれおいるず、そう理解した。
    そしお、その「䞖間の誀解」を「愚かなもの」だず思っおいるのだが、しかし、私に蚀わせれば、「監督の意向」が「正解」だず思いこめるような鑑賞者ずは、このラストに描かれた「誀解した、愚かな䞖間の人々」ず、䜕ら遞ぶずころのない存圚にしか芋えない。

    トラノィスの「凶行」を「正矩の行動」だず誀解した人たちの頭にあったのは「薄っぺらな完党懲悪の物語」だったのだけれど、本䜜『タクシヌドラむバヌ』のラストを「監督の意向」に埓っお「珟実」だず解釈したような、単现胞な「暩嚁䞻矩者」たちもたた、同皋床に「頭が悪い」ずいうこずにしかならないのである。

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    この時、トラノィスは死んだのか

    たしかに本䜜『タクシヌドラむバヌ』は、考えるべきずころのある「ナニヌクな䜜品」だずは思うけれども、本䜜を、単玔に「名䜜」ずしお祭り䞊げおいる人の倚くが、この皋床だずいう珟実を知るならば、本䜜をこずさらに「名䜜」ずしお鑑賞するのは、倚くの堎合、単なる「偏芋」に過ぎない、ずも疑えるのではないだろうか。

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    なお、䟋によっお、䌌たり寄ったりの解釈が倚い䞭で、『タクシヌドラむバヌ』論ずしお出色だったのは、以前、『ファむトクラブ』デむノィッド・フィンチャヌ監督のレビュヌでも玹介した、サむト「レビュヌ・アン・ロヌズ」の「ヒラヒ」氏のよるそれであったので、ここでもそれを玹介しおおこう。

    この論の玠晎らしさは「䞖評に流されず」に、自分の目ず芋識で、埓来の「解釈」を䞀新しおいる点である。

    「ヒラヒ」氏のこの論に぀いお「今の芖点による、深読みのし過ぎではないか」ずいう人もいるだろう。だが、そうではない。

    たしかに「䜜品理解」にあたっおは「䜜品の䜜られた時代背景」を考慮する必芁はあるだろう。しかし、䜜品ずいうものは、䜕もその「時代に瞛られる」ものではない。

    よく蚀われるように「いた芳るず、なんず予蚀的な䜜品だったのか」ずいった「読み」は、決しお「誀った深読み」ではなく、䜜品に蟌められた「時代を超えるポテンシャル」を、時を経お匕き出し埗た、圓たり前の「鑑賞結果」なのだ。

    そうした意味でも、「名監督の意図」ばかり忖床しお、自分で目で芋お、自分の頭で映画を鑑賞すこずのできないような者は、自身の䞍明をこそ恥じるべきなのである。


    2023幎5月5日

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