
不格好で、にぎやかで、愛おしい。生後5ヶ月の息子から学んだ「生きる」こと
生後5ヶ月の息子と、メルボルンで暮らしている。
そんな彼との日常で、生まれた時からずっと思っていることがある。
それは、「生きるって、とても生々しい」ということ。
息子に限らず、赤ちゃんはみな、泣きたいときに泣き、声を出したいときに出し、オナラもゲップも身体の自然な反応としてそのまま受け入れる。ありのままの姿で、必死に生きている。
「ゲフゥ!」と、小さな体からは想像できないほど大きな音を響かせて、こびさんはよく私たちを笑わせてくれる。
ここ最近、20代の頃によく聴いていた楽曲のフレーズが、頭をよぎることが増えた。
いつからか根づいてしまった 教養のせいで 身動きが取れない
私たちは大人になるにつれて、文化や風習、マナーのようなものを身につけていく。
くしゃみをするときは手で押さえるし、おならやゲップはなるべく控える。仕方ない場面もあるけれど、マナーのない人と思われないように、無意識のうちに「正しく」振る舞おうとする。社会性が身についた、ということなのかもしれない。
けれど、その自然な反応や所作を「マナー」で覆い隠すことで、どこか「生々しく生きること」から遠ざかっている気もする。変な表現かもしれないけど、私はそう思う。
🕊️
今年の春に経験した初めての出産は、想像をはるかに超えて苦しかった。
お産の進みが早すぎて、無痛分娩に切り替えることすらできず、痛みを全て体験した。
痛すぎて「死んでしまうんじゃないか」と本気で怖くなった。初めてだから進んでいるのかも分からない。怖くて、痛くて、とにかく叫ぶしかなかった。
あんな大声を出したのは生まれて初めてだと思う。
メルボルンで日本の恥をさらしたんじゃないか、というくらい叫んだ。
今となっては笑い話だけど、あのときの私は本当に「生々しい姿」をしていたのだと思う。
この前も書いたけれど、私の出産シーンは動画で残っている。息子が生まれるその瞬間は、それはそれは生々しい映像だった。
先日、白黒に加工することでようやく見ることができた。愛おしい息子の誕生シーンとはいえ、やっぱり数ヶ月は怖くて見られなかった。
便利で快適な世の中に暮らしているからこそ、動物として生きている実感は薄れがちだ。
でも、お腹を空かせた息子が勢いよく乳首に吸いつく姿は、まさに「小さいけれど大きく生きている」証そのもの。
「命を産み、育てる」という営みは、こうした生々しさの積み重ねの上に成り立っている。子育ての只中で、「生きることの生々しさ」を痛いほど感じる場面が増えた。
できることが少しずつ増える息子と、毎日べったり過ごせる時間は、この先の人生でも限られているだろう。
なかなかお昼寝してくれなかったり、ずっと抱っこで、汚れた洋服を洗う時間すら取れないような日もある。眠ったまま抱っこしてソファから動けないこともしばしば。
「ああ、何もできない日だな」と思うのは嫌だから、「今日はまとまった読書ができる」と考えるようにして、息子が寝ている隙にKindleで積読本を少しずつ読んだりする。
このnoteも、胸元で口を開けて眠る息子を抱きながら書いた。
まだ、たった5ヶ月しかこの世界を経験していない息子だけど、生きることは、こんなにも不格好で、にぎやかで、それでも愛おしい、ということを、全身を使って伝えてくれる頼もしい存在だ。
つい惰性で携帯をいじってしまうこともあるけれど、今日も必死に生きてくれている彼との日々を、慈しみ、楽しんでいきたいと思う。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
なんだか、携帯で一気に書き上げた文章だったけど、個人的には好きな記事になった気がします。

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