
MVP ARCHIVE PEOPLE | Intellectuals : Inazo Nitobe 1862–1933 / 新渡戸稲造 - 日本と世界のあいだに橋をかけた人

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新渡戸稲造
日本と世界のあいだに橋をかけた人
日本が近代国家へと変わり、世界との距離を急速に縮めていった時代。
その境界を歩いた一人の日本人がいた、新渡戸稲造。
教育者、農政学者、著述家、そして後には、第一次世界大戦 後に誕生した 国際連盟 で事務次長を務め、日本と世界の間に、橋を架けた。
盛岡から札幌へ
新渡戸稲造 は1862年、現在の岩手県盛岡市にあたる地域に生まれた。
明治維新 によって日本社会そのものが大きく変化していく時代だった。
新渡戸 は東京で学んだ後、札幌農学校へ進学する。
札幌農学校は、北海道開拓と近代的な農業教育を担うために設立された学校で、新渡戸は農学を学び、キリスト教とも出会った。
1881年に札幌農学校を卒業、その後さらに学問を深めるため、東京大学へ進むが、やがて退学し、海外へ向かう。
アメリカとドイツへ
1884年、新渡戸 はアメリカへ渡った。
ジョンズ・ホプキンス大学 で経済学や政治学などを学び、その後ドイツへ渡って農政学・農業経済学の研究を続ける。
日本が西洋の制度・科学・教育を急速に導入していた時代、新渡戸 自身もまた、西洋社会の内部でその思想と制度を学んだ人物だった。
帰国後は 札幌農学校教授 となり、農政学などの教育・研究に携わった。
Bushido
『武士道』
新渡戸 を世界的に知られる存在にした著作の一つが、Bushido: The Soul of Japan 『 武士道 』である。
特徴的なのは、この本が最初から日本語で日本人へ向けて書かれたものではなかったことだった。
新渡戸 は英語によって、日本の武士道や倫理観を西洋社会へ説明しようとしたが、明治維新によって武士という身分そのものが消滅した後、日本は急速に近代国家へ変わっていた。
『 武士道 』は、その問いに対する 新渡戸 自身の一つの回答でもあった。
後世、この著作は広く読まれ、「 Bushido 」という言葉が海外で知られていく重要な経路の一つとなった。
ただし、新渡戸 の『 武士道 』と歴史上の武士社会そのものは同一ではなく、この本は、近代を生きた 新渡戸 が武士道を体系化し、西洋の読者へ説明した著作として位置づける必要がある。
教育者として
新渡戸 の活動は、札幌農学校教授をはじめ、第一高等学校校長、東京帝国大学教授などを歴任する。
そして1918年、新渡戸 は新しく開学した東京女子大学の初代学長となる。
当時、日本で女性が高等教育を受ける機会はまだ大きく制限されていた。
東京女子大学は北米のプロテスタント諸教派からの支援を受けて開学し、新渡戸、安井てつ、A.K.ライシャワーらがその創立期を担った。
開学時には教員12名、学生76名、仮入学生8名から出発している。
新渡戸 の活動の中には、国際交流だけでなく、近代日本の教育そのものを形成していく仕事があった。
国際連盟へ
1914年、第一次世界大戦 が始まる。
ヨーロッパを中心に巨大な戦争が続き、1918年に終結。
その反省から、国家間の紛争を国際的な枠組みで解決しようとする新しい組織が生まれた、League of Nations 国際連盟 である。
新渡戸 はその事務次長となった。
これは彼の人生にとって大きな転換であると同時に、日本と国際社会の歴史においても重要な位置を占める。
新渡戸 は教育や学術の国際協力にも深く関わった。
国際連盟 の知的協力活動では、後の ユネスコ へつながっていく国際的な学術・文化協力の初期段階に関与している。
国連図書館 に残る資料からも、事務次長だった 新渡戸 が知的協力活動へ深く携わっていたことが確認できる。
「太平洋の橋」
新渡戸 の人生を振り返ると、いくつもの世界が交差している。
国立国会図書館 は、新渡戸 が「太平洋の橋」になろうという信念のもと活動し、国際連盟事務次長 や 太平洋問題調査会理事長 などを務めた人物として紹介している。
新渡戸 にとって国際交流とは、単に外国を知ることではなかった。
異なる社会の間に立ち、一方の世界をもう一方へ伝える仕事でもあった。
国際協調が揺らぐ時代
しかし、新渡戸 が国際協調を追求した時代は、その理想がそのまま実現していく時代ではなかった。
第一次世界大戦 後に作られた国際秩序は次第に不安定化する。
そして日本と 国際連盟 との関係も悪化していき、1933年、日本は 国際連盟 からの脱退を通告する。
同じ年、新渡戸 はカナダのビクトリアで死去、享年71歳だった。
Legacy
新渡戸稲造 は、農政学者、教育者、『 武士道 』の著者、東京女子大学初代学長、国際連盟 事務次長。
日本を世界へ伝える、世界で学んだものを日本へ持ち帰る。
そして、異なる社会の間に接点を作る。
明治維新によって世界へ開かれた日本から、国際連盟 という最初期の世界的国際機構へ。
新渡戸稲造 の人生そのものが、近代日本が世界と接続していった時代の一つの軌跡だった。
CONNECTION
新渡戸稲造 を見ることは、近代日本が世界をどう理解し、世界へ自分自身をどう伝えようとしたのか、その過程を見ることでもある。



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