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MVP ARCHIVE CIVILIZATION | RIGHTS : Women's Suffrage / 女性参政権 - 女性にも政治へ参加する権利を認めた民主主義の大きな転換点

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    Women's Suffrage / 女性参政権 - 女性にも政治へ参加する権利を認めた民主主義の大きな転換点

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    女性参政権

    女性にも政治へ参加する権利を認めた民主主義の大きな転換点

    近代民主主義は、自由、平等、国民主権、法の下の平等、という原則を掲げて発展したが、その政治に参加できる「 市民 」の範囲には、長い間、大きな境界が残されていた、女性である。

    多くの国で、国家を統治する代表を選ぶ権利は認められていなかった。
    19世紀から20世紀、この境界を変えようとする運動が各国で広がり、Women's Suffrage Movement 女性参政権運動 それは、単に女性へ投票用紙を渡すための運動ではなかった。

    民主主義における、「 誰が政治的主体なのか 」という境界そのものを変えていく運動だった。

    Equality - But for Whom?

    平等 しかし、誰の平等なのか

    1776年、アメリカ独立宣言は、“ all men are created equal ” と宣言した。
    1789年、フランスの Declaration of the Rights of Man and of the Citizen
    人間と市民の権利の宣言
    人は自由かつ権利において平等に生まれるとした。

    しかし、政治参加の現実は別だった。
    女性は、近代国家が掲げる「権利」の理念の中に存在しながら、多くの場合、選挙権や公職への参加から排除されていた。
    ここに、宣言された普遍性 と 実際に権利を持つ人々の範囲 との間に大きな隔たりが生まれた。

    1791

    Olympe de Gouges

    フランス革命 の最中、1791年、Olympe de Gouges|オランプ・ド・グージュ は、Declaration of the Rights of Woman and of the Female Citizen
    女性および女性市民の権利宣言
    を発表した。

    1789年の 人権宣言 の形式を用いながら、女性にも男性と同じ権利があることを主張した。

    革命が「 普遍的な権利 」を掲げるなら、なぜ女性は政治的権利から排除されるのか、この問いは、後の女性参政権運動につながる根本的な問題をすでに示していた。

    Seneca Falls

    女性の権利を政治課題へ

    1848年、アメリカ・ニューヨーク州セネカフォールズ。
    女性の権利をめぐる重要な会議が開かれた。
    Seneca Falls Convention セネカフォールズ会議。

    会議では、Declaration of Sentiments「 感情宣言 」が採択された。
    その冒頭は、アメリカ独立宣言 の言葉を意識して、“ all men and women are created equal ”「 すべての男性と女性は平等に創られた 」と宣言。
    1776年の理念を、女性にも明示的に適用するその構造だった。

    The Right to Vote

    投票する権利

    セネカフォールズ会議では、さまざまな女性の権利が問題とされた。
    その中でも、特に大きな争点となったのが、選挙権 だった。

    投票できなければ、法律を作る代表を選べない。
    代表を選べなければ、自分たちに適用される法律を作る政治過程に直接参加できない。
    女性の権利問題は、ここで政治参加そのものへ接続した。

    Susan B. Anthony

    投票を求める運動へ

    19世紀後半、アメリカでは、Susan B. Anthony スーザン・B・アンソニー とスタントンらが、女性参政権運動 を組織化していく。

    1872年、アンソニーは大統領選挙で実際に投票した。
    しかし当時、女性に連邦憲法上の選挙権は認められていなかった。
    アンソニーは逮捕され、翌年、有罪判決を受ける。

    「 女性に投票権があるのか 」という問題は、理念上の議論だけではなく、国家の法律と直接衝突する政治問題になっていった。

    New Zealand — 1893

    国政レベルでの大きな転換

    女性参政権の歴史で重要な転換点となったのが、New Zealand|ニュージーランド だった。

    1893年、ニュージーランドは、女性に国政選挙で投票する権利を認めた。
    運動の中心人物の一人が、Kate Sheppard ケイト・シェパード だった。

    大規模な請願運動が展開され、女性参政権を求める署名が議会へ提出され、女性が国政選挙へ広く参加する制度が、現実の国家制度として成立する。
    女性参政権は、理念から制度へ移り始めた。

    Suffragists and Suffragettes

    イギリスで激しくなる運動

    イギリスでも、19世紀後半から女性参政権運動が拡大した。
    合法的・漸進的な運動を進めた人々は、一般に Suffragists と呼ばれる。
    一方、20世紀初頭には、より直接的で対立的な行動を採用する運動も現れた。

    1903年、Emmeline Pankhurst エメリン・パンクハースト らは、Women's Social and Political Union|WSPU を結成する。
    その活動家たちは、Suffragettes として知られるようになる。女性参政権をめぐる対立は、イギリス社会の大きな政治問題となった。

    Votes for Women

    「女性に投票権を」

    この時代を象徴した言葉が、VOTES FOR WOMEN だった。
    女性たちは、政治的意思を持つ主体として自分たちの存在を社会へ可視化し、選挙権を持たない人々が、選挙制度そのものを変えるために政治運動を行い、女性参政権運動には、その構造があった。

    1918 - Britain

    女性が選挙へ参加する

    第一次世界大戦 は、ヨーロッパ社会を大きく変えた。
    男性の大量動員によって、それまで男性中心だった多くの職場や社会機能を女性が担うようになる。

    戦争だけが 女性参政権 実現の原因ではなかった。
    しかし、長年続いていた参政権運動と社会構造の変化が重なる中で、政治制度も動く。

    1918年、ギリスで Representation of the People Act 1918 が成立。
    一定の条件を満たす30歳以上の女性に、国政選挙の投票権が認められた。
    同時に男性側の選挙権も大きく拡大された。
    ただし、まだ男女の条件は同じではなかった。

    1928

    男女が同じ条件へ

    1928年、イギリスで、Equal Franchise Act が成立。
    女性の選挙権年齢は男性と同じ21歳となった。

    ここで、男女が同じ年齢条件で国政選挙へ参加する制度が成立する。
    女性にも投票権がある という段階から、男女を同じ政治的市民として扱う 段階へ進んだ。

    United States — 1920

    第十九修正

    アメリカでも、女性参政権運動 は長期化した。
    州単位では、連邦より早く 女性参政権 を認める地域も現れていた。
    しかし、全国的な憲法上の保障には至っていなかった。

    1920年、Nineteenth Amendment アメリカ合衆国憲法第十九修正 が成立。
    合衆国または州は、性別を理由として 合衆国市民の選挙権を否定または制限してはならないと定めた。

    1848年のセネカフォールズ会議から、72年。
    女性参政権 は、合衆国憲法 に組み込まれた。

    Rights on Paper and Rights in Practice

    法律が変わっても、すべてが同時に変わったわけではない

    第十九修正によって、性別を理由とする選挙権制限は禁止された。
    すべての女性が直ちに同じ条件で投票できるようになったわけではない。

    特にアメリカ南部では、アフリカ系市民に対する、識字試験、人頭税、威圧、その他の差別的制度や慣行が残り、女性参政権 の成立と、人種による投票権制限の解消は、別の歴史的課題として重なっていく。

    ここでも、法律上の権利 と 権利を実際に行使できること は同じではなかった。

    Japan

    日本の女性参政権

    日本では1925年、普通選挙法によって、納税資格を撤廃した男性普通選挙が成立した。

    しかし、女性には国政選挙の選挙権も被選挙権も認められていなかった。
    女性の政治参加を求める運動は、戦前から続いていた。
    市川房枝 らは、女性の政治的権利を求める運動を展開した。

    1945

    女性が有権者になる

    第二次世界大戦 終結後、1945年、衆議院議員選挙法 が改正され、女性に国政選挙の選挙権 と 被選挙権 が認められた。
    選挙権年齢も、男女とも満20歳以上となった。
    日本の選挙制度は、男性普通選挙から、男女普通選挙 へ転換する。

    April 10, 1946

    日本女性、初めて国政選挙へ

    1946年4月10日、第22回衆議院議員総選挙。
    日本の女性が、初めて国政選挙で投票した。
    女性候補者も立候補する。

    そして、39人の 女性衆議院議員 が誕生した。
    女性は、政治によって統治される存在であるだけではなく、代表を選び、自ら代表となる政治的主体として、国政へ正式に参加した。

    Constitution of Japan

    普通選挙を憲法へ

    1947年施行の 日本国憲法、第15条は、公務員を選定し、罷免することを、
    国民固有の権利 とする。

    そして、成年者による普通選挙を保障した。
    女性参政権は、戦後の選挙法改正だけではなく、新しい憲法秩序の中へ組み込まれていった。

    More than the Right to Vote

    変わったのは有権者数だけではない

    女性参政権によって、単純に投票できる人数が増えただけではない。
    政治共同体の定義そのものが変化した。
    それまで、女性も国家の法律に従っていた。

    しかし、国家の意思決定へ参加する権利は制限されていた。
    参政権の獲得によって、政治によって決定される側 と 政治を決定する側
    の境界が変わった。

    From Universal Rights to Political Equality

    近代民主主義は、人間は平等であると宣言、国民主権を掲げ、政府の権力を憲法によって制限した。

    しかし、その国家を誰が選ぶことができるのかという問題には、長い間、
    性別という境界 が残されていた。

    女性参政権 の歴史は、その境界を取り除いていった歴史だった。
    女性も法律に従うから、女性も税を負担するから、というだけでもない。
    民主主義が、政治権力の正統性を国民に求めるのであれば、女性もまた、その国民を構成する政治的主体である。

    その原則が、長い運動を経て制度へ変わっていった。
    女性参政権 は、女性だけの権利の歴史ではない。
    「 誰を一人の市民として数えるのか 」という民主主義そのものの境界を変えた、近代政治史の大きな転換点だった。

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    Women's Suffrage / 女性参政権 - 女性にも政治へ参加する権利を認めた民主主義の大きな転換点
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