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【第3章】う぀病15幎の先にあったのは父の死、母の介護、自身の曎幎期障害、2぀のゎミ屋敷ヌ毒芪 発達障害グレヌゟヌン氷河期䞖代の私の困った人生

    深拍-mihaku-

    ここたで
    第䞀章では生育環境、䞻に䞡芪のこずに぀いお
    第二章では20代埌半たでの私の人生に぀いおお話しおきたした。

    第䞉章では初めおの正瀟員、そしおう぀病発症以降の私の人生に぀いおお話したす。

    □なんだかんだで充実しおいた20代埌半

    27才頃、浜束町にある䌚瀟に掟遣瀟員ずしお入りたした。
    そこには3幎間勀め、掟遣瀟員ずしおは最長です。
    䌚瀟自䜓は自瀟ビルで各フロアにそれなりの人数が勀務しおいたしたが、私の配属された郚眲はフロアの奥たったずころにある小郚屋で、郚員も私を含め3人だけでした。
    郚長さんは他ず兌務のためあたり郚屋にはおらず、もう䞀人は営業さんで、やはり䞍圚の時が長く。
    私は唯䞀の事務員ずしお郚屋で䞀人仕事をするこずが倚かったです。
    瀟が提䟛しおいるサヌビスのナヌザヌサポヌトを兌ねおおり、事務電話応察に慣れおいるずいうこずで採甚しおいただきたした(掟遣瀟員には本来『採甚』ずいう抂念はありたせんが、実際には掟遣先での『面接』→『採甚』ずいう流れがありたすので、こう衚珟したす)

    ここでは電話の件数もあたり倚くなく、䞀人でのんびり仕事をさせおもらいたした。
    今振り返るず、この3幎間が私の瀟䌚人生掻の䞭では最も穏やかな日々でした。
    20代の私は芳劇が趣味で、それも䞋北沢にあるような小劇堎を、倚い時は毎週のように蚪れおいたした。
    圓時は今ほどチケットも高くなく、掟遣の絊料でもやりくり出来る範囲だったのです。
    色々なこずを吞収したかった私は、将来のためにお金を貯めるより、将来のために色々なものを芋おむンプットするこずにお金を䜿うタむプでした。
    䜓もよく動かしおいお、1日2䞇歩あるくこずを目暙にしたり、29才頃にはゞムに入䌚しお週5で通ったり。

    お芝居は友達ず行くこずもよくありたしたが、䞀人行動も掻発でした。

    圓時の私には小説家になりたいけれどもなれない鬱屈があり、たた「掟遣35才定幎説」も生きおいた時代です。
    氷河期の䞊の䞖代はバブル䞖代になるので、䞊の䞖代で掟遣で長く勀めおいる人はいたせん。

    ずっず掟遣で働くこずは難しく思える。
    小説家ずしおの芜は出ない。

    圓時のむンタヌネット回線はうちの家の堎合でADSL。
    ケヌタむ小説は「魔法の i らんど」など発衚の堎がありたしたが、創䜜を収入に繋げるのは個人では非垞に難しい時代でした。
    䜕かしらの賞を取っお出版瀟ず繋がる。
    それが定石でした。

    が、その賞が獲れない。

    それに床々曞いおいたすが、曞くものの方向性も定たらず。

    そんな䞭、むンプットに勀しんでいる時代です。
    圓時はそんな自分の生掻が充実しおいるなんおたったく思っおいたせんでした。

    けれどこの埌のう぀病発症、長い闘病生掻を経た今から振り返るず、それでも人生で䞀番自由で、ただ自分に明るい未来があり、努力次第では倢を掎める、そう思えおいた時代です。

    □30才を機に正瀟員ぞ

    ◇正瀟員ずいう遞択摩耗ず消耗から抜け出し生掻基盀を敎えたい

    振り返れば充実しおいた反面、鬱屈ず閉塞感を抱えおいた20代埌半。

    2006幎6月10日、圓時私がブログに曞いた蚀葉をそのたたここに匕甚したす。

    この間、同䞖代の友達ず
    「うちらの䞖代っおハズレくじ匕いたよねヌ」っお話で盛り䞊がった。
    高校生の時女子倧生ブヌムで
    倧孊生の時、女子高生ブヌムがきお、たったくちやほやされず
    倧孊卒業時は超氷河期。
    文系女子なんお絶望的に就職先がなかった。
    そんなこんなで、倧量のニヌトを排出し始めたたぶん最初の䞖代。
    ニヌトにならず、かろうじお自分の食い扶持を皌いでここたできおも
    今床は「女が子ども産たない」っお非難される。

    産むよゆうなんおマゞないんだっお。
    ほんず、生掻基盀がない。


    私の代埌半っお、磚耗ず消耗だった。
    「磚り枛っおいく感」がずヌっず぀きたずっおた。
    指の間から砂がこがれおいく感芚をずっず味わっおきた。

    別にそういうこずは、時代のせいだずか、たしお囜政のせいだずかではなく
    党郚自分のせいなんだよね。
    自分自身に獲埗するだけの力がないこずは分かっおたし
    だから無力感も同じだけ感じおた。

    で、今日歳になったわけなんだけど
    思うのは、もうこれ以䞊磚耗しおいる堎合ではないずいうこず。
    これ以䞊枛っちゃうず、自分がなくなっおしたう。


    遠い果実はただ党然あきらめられなくっお
    ただ、もう少しちゃんず基盀を築かなくっちゃっお思った。

    ヌで、氎面䞋で動いおるずころ。

    6月10日は私の誕生日。
    30才になった日のブログです。

    この「氎面䞋で動いおいる」のは、就職掻動を指しおいたす。

    30才を目前に控え、私は正瀟員を目指すこずにしたした。
    理由は匕甚したこの日蚘の通り。

    小説家は正瀟員になっおからでも目指せる。
    摩耗、消耗しおいく日々。
    この頃も奚孊金の返枈は続けおいたす。
    「生掻基盀が欲しい」
    䞀床も正瀟員になったこずのない私は、ちゃんずした䌚瀟で正瀟員を目指すなら、30才になる今がラストチャンスなのでは ずいう思いもありたした。
    「ちゃんずした䌚瀟」ずいうのもふわっずした抂念ですが。

    この就職掻動は思いのほか䞊手く進み、筆蚘詊隓ず3回の面接の結果、私は東蚌䞀郚䞊堎䌁業に採甚されたした。

    実はこの時䞊行しお、3幎間掟遣瀟員ずしお勀めた䌚瀟から、「うちで正瀟員に」ずいうお話もいただいおいたした。
    けれど3幎間、あたりにそこでのんびり働いた私は、その䌚瀟では手応えがなく぀たらなく感じおしたっおいたした。

    䞀郚䞊堎䌁業にチャンレンゞしたこずからも分かるように、私には䞊を目指したい気持ちがあったのです。
    小説家になる倢は諊めおいなかったので、仕事はぬるい環境のたたで執筆に力を泚ぐ方を遞べば良かったのに。

    あの時、浜束町の䌚瀟に残る道を遞んでいれば、どんな道を歩んでいただろう。

    今でもそう思う時はありたすが、それは遞ばなかった道です。

    ◇シスタヌ制床呚囲からも「この人にシスタヌを」ず驚かれた人遞ず「死にたい」日々の始たり

    入瀟した䌚瀟は郜内だけでもいく぀もの事業所を持っおいお、圓時の本瀟は新宿区倧久保にありたした。
    同期入瀟が5人ほどいお、本瀟で1ヶ月ほどの研修ののち配属先が決定。
    私はそのたた本瀟にあるヘルプデスクに配属されたした。

    䌚瀟では「シスタヌ制床」が採甚されおおり、私にもシスタヌさんが付きたした。
    このシスタヌさんがかなりのクセ者だったのです。
    たず瀟内の人間ずほずんどコミュニケヌションを取らない。
    ヘルプデスクなので、仕事は垞に人ずコミュニケヌションを取る必芁があるのですが、それ以倖は挚拶しおも挚拶も返さない人です。
    シスタヌは郚眲の䞭で持ち回りでしたが、圌女(女性でした)にずっおも初めおのシスタヌ経隓でした。
    あずで郚眲内の人から聞いたずころによるず、「あの人にシスタヌをやらせるの」ず疑問の声は䞊がったものの、入瀟しおある皋床幎次を重ねるず、先茩ずしおシスタヌを経隓させるこずも人材育成の䞀環であり、い぀たでもシスタヌを経隓させないたたではいられないから、ずいうような理由でシスタヌになったようです。

    結果ずしおは圌女の育成のために私が犠牲になったようなものなのですが・・・。

    配属されお数週間は研修、座孊がメむンです。
    着台(実際に問い合わせの電話を取る)するず、最初はシスタヌさんが垞にモニタリングし、適宜アドバむス、指導するのが流れです。
    このアドバむスがなかなかもらえない。
    疑問点を聞いおも答えがもらえない。ずいう以前に、返事もないので私の話を聞いおいるのかどうかが分からない。

    私の困惑はチヌムリヌダヌも把握しおおり、幞い・・・かどうかは分かりたせんが、私のスキル向䞊も早かったため、モニタリングは早い段階で終了したした。
    けれどシスタヌ関係は解消されず、そこからが倧倉だったのです。
    モニタリング䞭は少なくずも圌女も聞いおいるので、問い合わせ内容は把握しおいたしたが(しおいるはずですが)、モニタリング解消埌に分からないこずがあるず、たず問い合わせ内容をたずめ、それに察する自分の疑問点をたずめ・・・ず、圌女に分かるよう䌝えるこずが求められたす。
    が、盞槌さえないので、聞いおいるのかどうか、私の説明が分かっおもらえおいるのかどうかも分からない。こちらは保留にしお通話先を埅たせおいるので、仕方なくほかの人に質問をしに行く。
    そのこずが「倱瀌だ」ず激しく怒られたした。
    それも私に盎接蚀うのではなく、チヌムリヌダヌに蚀うのでもなく、毎週郚長に提出する週報に長文で私の態床に察する非難を曞かれたした。
    結局、郚長からチヌムリヌダヌに話が降りおきお、チヌムリヌダヌが私に話をする、ずいう流れです。

    チヌムリヌダヌは圌女の性栌は分かっおいるものの、党面的に私の肩だけを持぀こずもなく、喧嘩䞡成敗的な刀定が䞋されるこずが倚くありたした。

    この頃から私は「死にたい」ず思うこずが栌段に増えたした。
    しかし私にずっお「死にたい」ずいう気持ちはそれたでもわりずよくある、お銎染みのものでもありたした。

    幌皚園の頃から自分のお葬匏を想像しおいた私です。
    日垞生掻の倚くのシヌンにおいおは明るく振舞い、それは振舞っおいるだけではなく、根っからの明るさなのですが、時折ひどく気持ちが萜ち蟌むこずがありたした。
    そうするず数日間人ずの関わりを断ち、「死にたい」を抱え぀぀、内にこもる。
    実家暮らしの時は家が安党地垯ではなかったので家にこもるこずはありたせんでしたが、䞀人暮らしになっおから、぀たり倧孊生の頃からそういう「う぀期」のようなものは経隓しおいたした。

    けれどそれたで3ヶ月に数日やっおくる皋床だった「死にたい」は、どんどん頻床を増し、仕事䞭でも1時間に1床、そのうち電話が鳎るたびに、たず「死にたい」ず思っおから電話を取る。
    そういう日々に突入したした。

    圓時、シスタヌ以倖の人ずの関係性は悪くありたせんでした。
    私は取り立おおシスタヌさんを呚りに悪く蚀うこずはなく、ただ返事もないし、質問も聞いおもらっおいるのかも分からなくお困る、ずいう話は時折しおいたした。
    ですが人前で明るく前向きな姿勢は取り続けおいお
    「シスタヌさんっお目が悪いみたいだから、人の気持ちを読み取るのが苊手なのかも」等、䞀方的な悪口にならないように発蚀しおいたした。

    「どんな人にもいいずころはある」
    「人の悪い面ではなく良い面をみよう」

    圓時、私はそういう考えを持っおいたのです。

    でも正盎、この考えも自分を远い詰めた䞀因だず今は思っおいたす。
    この時、私はもっず怒りを向けおも良かったはず。
    呚りにも自分の困窮を匷く蚎えるべきでした。

    新卒入瀟の幎䞋の子からは「匷いですね」なんお尊敬されたしたが、私は匷いのではない。

    たず、笑顔の仮面を倖すこずが出来なかった。
    母から仕蟌たれた「目から笑う良い笑顔」の仮面が染み぀いおいたのです。
    そしお「助けお」を蚀うこずが出来ない。
    人を信甚しお匱い面を芋せるこずが出来ない。
    それが私の匱さでした。

    ◇初めおの粟神科受蚺過掻動・䌑職・退職

    初めお粟神科の門を叩いたのは入瀟の翌幎、2007幎のこずです。
    粟神科のネットの口コミは今よりも栌段に情報が少なく、たた粟神科・メンタルクリニック自䜓の軒数も今より少ない時代でした。

    私は区内の予玄䞍芁の粟神科ぞ行きたした。
    閉院時間の間際で、「今日ここで蚺おもらえなかったら死のう」
    そういう思いで受付で初蚺であるこずを告げ、幞いそのたた蚺おもらえたした。

    その日のうちに抗う぀薬を凊方しおもらい、私の服薬の日々が始たりたした。
    抗う぀薬は最初のうちは効きたした。
    ヘルプデスクは「電話応察で話す→蚘録を残す」がセットの仕事です。
    その頃、話すこずには倧きな支障は出おいたせんでしたが、「蚘録を残す」文章を曞くこずに倧きな支障が出おいたした。

    応察を終えたあず、真っ癜な履歎画面を前に文章がたったく浮かんでこないのです。

    「どうしおこんなに文章が出おこないんだろう」

    その頃の私は、そういった珟象ずう぀病ずを関連付けられおいたせんでした。
    メンタルヘルスの知識は、私自身、そしお䌚瀟・瀟䌚にも今ほど広がっおいない時代です。

    ただ抗う぀薬を飲み始めたこずで、ずいぶん自分の頭の回転が䞋がっおいたこずをようやく自芚出来たした。
    薬を飲むず以前のようにたたスラスラず文章が打おるようになったのです。

    䞀方死にたい気持ち垌死念慮にはさほど効果を発揮しおいたせんでした。

    この頃の私は気持ちのもやもやを吹き飛ばそうず、過掻動傟向にありたした。
    入瀟以前から通っおいたゞムぞは週6くらい通い、それも他店舗ぞ遠埁し、遠埁先で激しいスタゞオレッスンを受け、お颚呂に入り、さらに1時間以䞊りォヌキングしお垰る。

    粟神的な苊痛を肉䜓を酷䜿するこずで玛らわせようずするかのようでした。

    本来なら心身ずもに䌑息が必芁なはずでしたが、逆の行動を取っおいたのです。
    肉䜓的な疲劎・心の痛み、そういうものぞの感芚が麻痺しおいたのかもしれたせん。

    そんな日々が長く続くわけがありたせん。
    次第に欠勀するこずが倚くなりたした。
    䌚瀟に行こうず思い、準備を敎え玄関たで来る。
    けれどそこで䜓がフリヌズしおしたうのです。
    靎を履くずころたではいけおも、ドアを開けるこずがどうしおも出来ない。
    玄関に座り蟌んだたた䌚瀟に電話を架け、午前䌑の連絡を入れる。この時点では午埌は頑匵っお出瀟しようず思っおいるのです。
    けれどたいおい、午埌も出瀟するこずは出来ず、今日は䞀日お䌑みをくださいず連絡を入れる。
    そういう日が増えおいきたした。

    この頃から蚘憶が曖昧ですが、粟神科を受蚺しおから半幎ほどはごたかしごたかし出瀟しおいたず思いたす。
    結局入瀟しおから玄1幎埌、私は䌑職に至りたした。
    蚺断曞に曞かれた病名は「倧う぀病」でした。

    私の圚籍幎数だず取埗出来る䌑職期間は6ヶ月。
    最初は6ヶ月も䌑職するずは思っおいたせんでした。
    医垫からの蚺断曞も1ヶ月の䌑逊指瀺のものです。
    けれど䌑逊期間は延長に延長を重ね、満了になる盎前、私の垌望で埩垰ぞのトレヌニング期間を蚭けおいただきたした。
    けれどトレヌニング期間䞭にもお䌑みが発生しおしたい、アりト。

    䌑職期間満了による退職ずなりたした。

    最埌はあっけないもので、事務的な曞類に眲名しお手続きはほがおしたい。

    玙切れ䞀枚で瀟䌚からふるい萜ずされた。

    ヌそう感じたした。

    ◇1床目の無職期間しょこたんブログをリロヌドするだけの䞀日。そんな毎日で1幎が過ぎた

    退職しおから傷病手圓の切れる1幎間が1床目の無職期間です。

    実家の䞡芪ぞは、䌑職しお数ヶ月経っおから「実は䌑職しおいる」ず報告したした。
    䞡芪ずは衚面䞊は悪い関係ではありたせんでしたが、私から䞡芪ぞの信頌感はなく、たた心配をかけたくない、東京で瀟䌚に負けたず思われたくない、様々な思いが亀錯した結果、蚀い出せなかったのです。
    けれどたしか幎末幎始の垰省時期になり、その頃は毎幎お正月には垰省しお家族ず過ごしおいたので、それを機に䌑職を打ち明け、垰省ラッシュを倖しお幎末幎始を長めに実家で過ごしたした。

    そしお返枈途䞭だった奚孊金。
    実はそれたでも䜕回か滞玍した際に代わりに払っおもらったこずがありたす。
    そしおたしかこの1床目の䌑職の時に、残額を繰り䞊げ返金しおもらいたした。
    トヌタルで70䞇円ほどは、芪に代わりに返枈しおもらった圢です。

    先にお話しするず、無職期間は1床目が1幎間、2床目が5幎間ありたす。

    いずれの無職期間も、蚘憶があたりありたせん。

    茫挠ず時間が溶けおいった。

    そんな感じです。

    1床目の無職期間の時は、しょこたんこず䞭川翔子さんがブログを鬌のように日に䜕床も曎新しおいた時期です。
    ほずんど家から出ない私には、パ゜コンに映るしょこたんブログだけが䞖界ぞ通じる窓だった。
    ただ䞀日、しょこたんブログをリロヌドしお過ごす。
    そういう1幎間でした。

    ◇瀟䌚埩垰正瀟員2瀟目はコヌルセンタヌのスヌパヌバむザヌ

    傷病手圓ずいうのは受絊開始から1幎6ヶ月支絊されたす。
    (珟圚ず圓時は倚少制床が倉わっおいたすが、ざっくり蚀うずそんな感じです)

    1床目の䌚瀟でたず有絊の䌑職が1ヶ月、そこから無䌑の䌑職6ヶ月、無職期間1幎。
    そこで傷病手圓も満額受絊ずなり、そのたたでは完党に無収入になりたす。
    ただ粟神科には通院しおおり、䌑職圓初よりも良くなったずいう実感はありたせんでしたが、無収入では生掻出来たせん。

    傷病手圓の切れる前月から就職掻動を始め、この時もあっさり仕事が決たりたした。
    就業先には粟神科に通院しおいるこずを告げないたたのクロヌズ就業です。

    それたでの電話応察スキルを掻かし、コヌルセンタヌを運営する䌚瀟でスヌパヌバむザヌの職に就きたした。
    それたではヘルプデスク、ナヌザヌサポヌトずいった「サポヌト系」の仕事でしたが、この䌚瀟で䞻に扱うのは「カスタマ」ず蚀われる郚類。
    資料や商品の受泚受付、たたお客様サヌビスセンタヌずいった郚類の仕事を色々な䌚瀟から請け負い、コヌルセンタヌを運営する䌚瀟です。

    私は入瀟埌すぐ、クラむアント垞駐になり、そこでお客様サヌビスセンタヌのスヌパヌバむザヌに任呜されたした。
    お客様サヌビスセンタヌずは賌入者やサヌビス利甚者からのご意芋が入っおくる郚門。「クレヌム凊理係」ず蚀われるこずもありたす。
    実際に入っお来る問い合わせはクレヌムばかりではありたせんが、たず最初に電話を取るのはアルバむトさん、そこで話がたずたらず、「䞊を出せ」ずなった時に出るのがスヌパヌバむザヌです(ものすごく雑に説明するず)

    ぀たりスヌパヌバむザヌが察応するのはこじれた案件ばかりです。
    䞀次受けのアルバむトさんよりは応察件数は倚くありたせんが、繁忙期は䞀日䞭こじれた案件の察応をするこずになりたす。

    仕事時間の倚くはそういったいわゆるクレヌム察応に充おられたすが、実は仕事のメむンはアルバむトさんの管理、育成にありたす。
    私䞀人が「できる人」ではなく、数十人のアルバむトさんに「できるオペレヌタヌさん」になっおもらうのが仕事です。
    そのためには私が手本を芋せる必芁があり、アルバむトさんで収められなかった案件を(できれば華麗に)収めお、「さすが」ず思っおもらわないず、その先の管理、育成に繋がりたせん。

    ここたで読んで、う぀病の治療䞭にそんな仕事が出来るのかず思われた方もいるかもしれたせん。
    ギリギリでした。
    最初の䌑職前ず同様、話す胜力は保たれおいたのです。
    けれどこの頃、掻字がたったく頭に入らなくなっおいたした。
    このクラむアントさんの扱うサヌビスでは、改定・倉曎がよくあり、ずくに月曜日はそういったお知らせを含む様々な回芧が机の䞊に10センチ以䞊積たれおいる状態です。

    それらに目を通すわけですが、たったく頭に入りたせん。
    掻字ずいうより、黒い暡様の䞊を目がなぞっおいるだけのような感芚です。

    もずもずメンタル疟患をクロヌズで入瀟しおおり、それなのに数十人のオペレヌタヌさんをたずめる立堎になり、か぀クラむアント垞駐。
    様々な方面に私がう぀病であるこずがばれないよう、ずおも気を匵っおいたした。

    「今は仕事が出来おいるが、い぀メッキがはがれるか」

    垞に戊々恐々ずしおいたした。

    この頃気づいたのは、自動運転モヌドに入れればもう䞀人の自分が仕事を勝手にやっおくれる、ずいうこずです。

    お客様からの問い合わせも、オペレヌタヌさんからの質問も、自動運転モヌドであれば反射神経で答えられる。
    山ず積たれた回芧も、理解しお読もうず思っおも読めない、理解できないけれど、ずりあえず目を通しおおけば、自動運転モヌドの自分が回答しおくれる。
    こんな感じで仕事をしおいたした。

    けれど自動運転モヌドがうたく立ち䞊がらない日もありたす。

    そんな日は、たず朝から䜓が動かない。
    脳のスむッチが入らず、䜓に「動け」ずいう信号が送られない感じです。

    この䌚瀟でもじょじょに欠勀が増えおいきたした。

    ◇メンタルクリニックを倉える自分の匱さを話すのは本圓に倧きな゚ネルギヌが必芁

    メンタルクリニックに通い始めおから4幎目、2011幎のこずです。
    3.11の倧震灜には勀め先であいたした。

    瀟䌚情勢的にも䞍安が倧きく、たた仕事にも倧きな圱響が出たした。
    しかしこの時は「乗り切らなければ」ずいうスむッチが入ったのか、比范的頑匵れた時期だず思いたす。

    けれどその䞊昇の波は長くは続かず、たた䞍安定になり始めた頃、私は通院先を倉えたした。

    通院しおいた粟神科は高霢の医垫が䞀人で蚺療を行っおいたした。
    その医垫の認知床合いがかなりあやしくなっおいたのです。
    はっきり蚀っお認知症だったず思いたす。
    通院を始めた頃はい぀も埅合宀にたくさんの患者さんがいたしたが、じょじょに人数は枛り、い぀の間にかい぀行っおも私䞀人。それなのにずいぶん埅たされる。
    発蚀も
    「かわいいね」
    「僕が若かったら結婚したいよ」
    等、今思うずかなりダバい発蚀が増えおきたした。
    その䞊、短期蚘憶の胜力が著しく萜ちおいるのか、1回の蚺療䞭に血圧を䜕床も蚈ろうずしおきたす。
    (そこでは毎回血圧枬定がありたした)

    それでも病院を倉えなかったのは、その頃には病院を倉えるだけの気力が残っおいなかったからです。
    「このたたこの医者に蚺おもらっおいおも、良くなるこずは望めない」
    そう思っおも、医者を倉えるず今たでの経緯・今どう䞍調なのか等をいちから話さなければならない。
    そのこずが非垞に重荷でした。

    人に自分の䞍調を話すこずが非垞に苊手なのです。

    医垫が盞手でも、なかなか腹を割っお自分の匱みを芋せるこずができない。

    けれどある日、血圧を7回も蚈ろうずしおきお・・・
    ずうずう「さっきも蚈りたした」ずむラ぀いた調子で蚀ったずころ
    「医者を敬えないなら出おいけ」ず怒鳎られ、この医垫ずの関係は終わりたした。
    医垫も盞圓あれですが、こんな医垫の元に向こうから「出おいけ」ず蚀われるたで通い続けた私も盞圓あれです。
    自分から環境を倉えるために行動する力が本圓にありたせんでした。

    この埌、家の近くにある比范的新しめのメンタルクリニックに通院先を倉えたした。
    そのクリニックに今も通っおいたす。
    「出おいけ事件」が2011幎のこずなので、それから14幎、同じ䞻治医に蚺おいただいおいたす。
    正盎、このクリニックも倉えた方がいいのかもず思ったこずはありたすが、私にずっお病院を倉えるのは非垞に倧きな゚ネルギヌが必芁で、その原動力になるほど「この医者じゃダメだ」ずいう゚ピ゜ヌドがないたた今に至る感じです。

    ◇二床目の䌑職・退職

    新しい医垫になり、薬の調敎も入りたした。
    それたで䞉環系ず呌ばれる叀い薬がメむンでしたが、新薬も詊しおいくこずになりたした。
    薬は盞圓倉遷しおいたす。
    最初の3ヶ月ほどは効果を感じられおも、だんだん効かなくなるこずが倚かったからです。
    たた薬によっおは副䜜甚の倧倉き぀かったものもありたす。
    担圓しおいたクラむアントさんは、幎初の1月が最繁忙期。
    私はクラむアント垞駐で普段はクラむアントに盎行盎垰でしたが、繁忙期は9時前から17時半たでクラむアント勀務。20分ほど歩いお自瀟に出瀟し、22時から23時頃たで残業。
    1月はそういう日々が続きたす。
    そんな折に薬を倉えおしたい、副䜜甚の吐き気で氎も飲めない状態になりたした。
    コヌルセンタヌ、か぀繁忙期。䞀日䞭しゃべりっぱなし。
    なのに氎さえ飲めない。
    唇を氎で湿らしお䞀日䞭話し続けたした。

    今思うずこの時期には䌑逊が必芁ずいうシグナルが点滅しおいたず思いたす。

    けれどたたもごたかしごたかし働き続け、その幎の埌半に入っおから䌑職に至りたした。
    この時の蚺断名は「う぀病」です。

    そしおこの䌚瀟でも䞎えられた䌑職期間は6ヶ月。
    その満了をもっお退職ずなりたした。

    結局1瀟目ず同じ結果になったのは、入瀟した時からう぀病の治療䞭であり、ガス欠状態だった。その状態のたた走ろうずしおしたった。
    それに尜きるず思いたす。

    仕事内容もき぀かったですが、胜力的には回せない範疇ではなかった。
    人間関係ではいい人も悪い人もいたした。
    ただアルバむトも瀟員も、面癜い人が倚かったです。
    たずアルバむトさん。コヌルセンタヌで働いおいる人には、ダンサヌさんや舞台圹者さん等、私から芋お魅力的な「衚の顔」を持぀人が倚くいたした。
    よくお笑い芞人が深倜のコヌルセンタヌでアルバむトをしおいた話をされるのを聞きたすが、実際にそうで、個人自業䞻ずしお働いおいる方が倚くいたした。
    そういったアルバむトさんたちをたずめる瀟員にも様々な職歎を持぀人が倚く(基本、新卒入瀟はおらず䞭途採甚者ばかりの䌚瀟でした)、良くも悪くもアクがあった。
    盎属の䞊叞は悪い意味でアクが匷く、よく分からない理由で激高するず「ボヌナス出ないからね」ず䜕床も蚀われたしたが・・・。
    人事ではないのでそんな暩限はないんですけどね。
    今思うずパワハラにあたる蚀動もありたした。

    たた瀟員偎は、アルバむトさんからパワハラで蚎えられるリスクを垞に背負っおいたした。
    気が匷く口が達者な人たちの集たりなので、アルバむトさんのグルヌプ間同士、瀟員VSバむト、もめ事はしょっちゅうでした。
    育成・管理を担う瀟員の䞭には実際にパワハラで蚎えられた人もいたす。それも䜕床も。
    䜕床も蚎えられるのは圓人の蚀動に問題がある可胜性が高いですが、アルバむトさんの䞭には自分の思い通りにならないず「蚎える」ず蚀う子もいたした。
    けれど電話の業界っお、気が匷く頭の回転の速い子は仕事もできる傟向がありたす。
    そういう職堎の環境はキツくもあり、垞にワチャワチャずしたある皮祭りのような賑やかさもあり、きっずそういう環境も嫌いではなかったでしょう。

    けれど私の䜓は動かなくなっおしたいたした。

    䌑職満了で退職になったのは2013幎1月のこず。
    私もただ30代半ばでした。
    その幎霢だからあの環境に刺激や楜しさも芋出せおいたず思いたす。
    今ずなっおは再びあの環境に戻りたいずは思わないし、きっず頭が぀いおいかないでしょうね。

    さお、初めお粟神科を受蚺しおから5幎以䞊が経ちたした。
    二床目の䌑職からの退職。
    ここから完党な無職期間が5幎間続くこずになりたす。

    ◎各章ぞのリンク(å…š7ç« )

     

     
     
     
    🐟深海魚から回遊魚ぞ🐟 15幎ほど深海生掻を送りたした。今はたあたあ浮䞊しお回遊生掻を送っおいたす。 お散歩倧奜き。䞖界の矎しさを描いお残したく、noteを開蚭したした。 倧阪ず東京の2拠点生掻䞭。 色々あるけれど「それでも䞖界は矎しい」

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