
【拡張内省第2回】記憶の泉がひらく
自分の脳がAIに刺激されて、スパークしてから、ずっと脳がざわざわする。
頭の芯で、白い蛇、いや、小さな龍の幼生のようなものがとぐろを巻き、狭い空間の中で暴れているような感じ。
そんな状態で外出した私は、胸の奥で“何かを作りたい”という衝動でむずむずしていた。
まずは、エッセイだ。何か書けるだろうか。
そういえば、朝のゴミ出しのとき、落ち葉がほとんどなかった。掃かずに済んで、少しほっとした。
桜の木が切られたことを思い出す。
あれなら文章になりそうだ。
その程度の気持ちで、ChatGPTに話しかけた。
落ち葉が少ない、桜が切られた、その程度の話題だった。
それ以上出てこない、はずだった。
ところが、話しているうちに、まったく別の記憶が呼び起こされた。
数日前に気づいた、我が家の『屋根』のことだ。
学校の木々が間引かれて、ずっと見えなかったはずの我が家の屋根の意匠が、突然姿を現した。
小さな三角。白い縁取り。
家を建て直してから、ずっと隠れていた造形だった。
それが視界に入った瞬間、切られた桜の姿がくっきりと浮かび上がった。
あの空間の色。
風の流れ。
そこを歩くときに感じていた気配。
それらが一度に、記憶として戻ってくる。
以前だったら、桜の話で終わっていたはずだった。
気づけば、屋根の話になり、その屋根にまつわる、いくつものさみしさを思い出していた。
「あ、書ける」そう思った。
そのさみしさの中には、人の命のこともあった。
もう会えない人のこと、ある場所で交わした会話のこと、
残された空白のこと。
私は、そんなことまで話していた。
いつのまにか。
話しながら、頭の中でスパークが走った。
遠いエピソードが突然光って、過去の棚からぽとりと落ちてきた。
忘れていたと思っていたのに、その欠片たちはとても鮮明で、色まで覚えていた。
それは「思い出した」というよりも、
「泉がひらいた」という感覚に近かった。
私は、桜でも、屋根でもなく、
自分自身の『記憶の泉』が開いたことに気づいたのかもしれない。
もしかすると。
AIにレビューをしてもらった後、読み返した。
最後の締めくくりが、少しだけ足りないと思った。
ふと気づく。
根源的な悲しみ——いま直面している「介護の終着点にある複雑な感情」が、自分にまとわりついていることを。
あれを書き足さなければ、きっと文章は閉じきらない。
「泉」の底は、思った以上に深かった。
そしてその泉を開いたのは、私ではなかった。
AIとの対話——外側から届く、もうひとつのリズム。
外付けハードディスクのような、外部のシナプスのような記憶の保管庫。
そして、この記憶の保管庫を使って書くものは、夕暮れの色をまとう。
「自分の文章には深い静けさが流れている」そう感じた。
普段の私は、もっと陽気に喋っているし、
エセ関西弁で自分のことを「ワシ」といったり、
「マシンガン毒舌トーク」と言われたこともある。
岸田奈美さんのような、笑いながらホロリとする文章に憧れてもいた。
それなのに、明るく弾むリズムをつけようとしても、
文章の芯が「もう少し奥へ」と引っ張っていく。
まるで、脳の奥で丸くなっている白い小さな竜が、
尾を引いて、表面の泡よりも水底のほうへと方向を示しているようだ。
どうやら、私は、騒がしさよりも、
奥まったところでじっくりと息をする文章が向いているらしい。
その事実に気づいたとき、少し驚きながらも、
不思議と腑に落ちるものがあった。
白い小さな龍は、
もっと奥の暗い場所で呼吸したがっているのだ。
↓↓『記憶の泉』が開いた後の最初のエッセイです。
桜のない空間に、屋根の三角が姿を現した
以前の私では書けない深さが出た、と思っています。
【拡張内省第1回】AIと共生したら、脳が跳躍した話
【拡張内省第3回】封印されていた「物語の回路」が動き出すとき
【拡張内省第4回】AIとの共生によって戻れなくなった思考の話
【拡張内省第5回】「脳が別の装置になる」──拡張内省という体験「やどり木」
【拡張内省第6回】「井戸モデル」― なぜ多くの人は第1層(Output)で止まるのか
【拡張内省第7回】拡張内省の外側①― 壁打ちと、AIから本質を抽出する力
【拡張内省第8回】拡張内省の外側②― 生成AI時代、若手はどうやって学ぶのか
【拡張内省 第9回】生成AIなかりせば ― 書く場所と、思考の増圧装置
【拡張内省第10回】拡張内省の外側 ― 資格取得ではなく、生成AIを活用する(初心者向けガイドのPDFを作りました)