
【拡張内省第8回】拡張内省の外側②― 生成AI時代、若手はどうやって学ぶのか
第7回では、拡張内省の外側で起きている変化として、「壁打ち」と「読む力」について書いてきた。
生成AIは、考えを言語化し、反応を返してくれる相手にはなる。しかし、そのやり取りをどう扱うかには、人間側の技量が問われる。
そして、その技量が最も問われているのが、いまの若手なのではないか。
今回は、生成AIによって「見習いの場」が失われつつある中で、若手はどこで、どのように学んでいけばいいのかについて考えてみたい。
3. 若手は「見習いの場」を失いつつある(どうやって学ぶのか)
● いま少しずつ失われているもの
これまでは、「下書きや叩き台を用意する」といった「見習い」の作業は、若手が行っていた。
そして、先輩や上司にレビューしてもらい、自分の手で直すことで、作り方・構成を学んできた。
その部分が、生成AIによって置き換わり始めている。
例えばこんな部分だ。
議事録を作る
FAQやマニュアルを作る
プログラムのうち、個別の部品を書く
その結果、若手は学ぶ前に成果を求められる構造に置かれている。
極端な例としては、アメリカのプログラムの世界では「新人の職が見つかりにくい事象」まで発生している。
●生成AIにできない「痛みを伴う学習」
人は失敗によって学ぶ。長く仕事をしてきた人は、「何か嫌な感じ」といった直感で、問題を回避することがある。
(逆に、問題が発生した後に、「あ、あの違和感をスルーしたからだ」と思うことも多いが)
これは、自分の痛みを、身体によって覚えているからだ。
生成AIには身体がない。
失敗しても痛くないし、責任も取らない。
だから、「自分が言ったことに責任を取る感覚」は育たない。
生成AIはさっき言ったことを、平気で、覆す。謝罪も無しだし、
謝罪があっても、まさに「口先だけ」だ。
これは、生成AIの持つ、「もっとも近い(と思われる)回答」を導き出す性質のためで、
「わからない」という代わりに、「近い(らしい)回答」をするのだ。
● 学習を身体化させるために
では、学習の場を奪われた若手はどうすれば学べるのか。
一つの案でしかないが、まずは古典的な対応として「とにかくOutputする」ことを考える。
自分で考える
自分の名前で出す
未完成でも外に出す
そこには必ず痛みがある。
間違うかもしれないし、恥をかくかもしれない。
だが、その痛みを引き受けない限り、
学習が身体化することはない。
若手に必要なのは、正解に近づくことではない。
自分の言葉で出す場だ。
道具として生成AIを使っても構わない。
その場合、一度自分で、たたき台を作って見てAIにレビューを依頼するのがいい。
そして、意見や質問があったときに「生成AIが作ったから」という言い訳は無しだ。
生成AIからの出力も、自分の身体を通す必要がある。
会社で機会が取れないなら、勉強会に入ったり、Noteなどの媒体で発表するなどでもいい。
とにかく、AI以外の他人にレビューしてもらう機会を何とか見つけることだ。
それから、様々な資料を見ながら、どうしてこう書かれているかを探ることだ。
・写経と独自まとめ
もう一つは、いにしえから言われている「写経」だ。
プログラムの世界では、はじめは「コードをそのまま書き写すのがいい」と言われているが、
いまは、そこまでする必要はないが、何をやっているか、生成AIがどう書いているか、もう一度自分の言葉でまとめ直してみる。
この作業は、面倒くさいし、時間もかかるが、必ず発見がある。
「読むだけ」というのは驚くほど頭に入らないのだ。
書いた結果を生成AIにレビューしてもらう。
ここにも生成AIはとても役立つ相棒だ。
● 「所要時間」を軽視したプログラム
簡単な例を挙げる。
以前、ある部署で「簡単なプログラムを作ってもらった」と相談を受け、
その中身をレビューしたことがある。
内容は、複数のファイルを取り込み、
それらを順番につなぎ合わせて一つのファイルとして出力する、というものだった。
使い方はこうだ。
処理したい複数のファイル名と場所を入力し、ボタンを押すと、
一気に処理が始まる。
ただし、この処理は一つずつ順番に実行され、全体で30分以上かかる。
問題は、途中でエラーが起きた場合だった。
たとえば、最後のファイルだけパス(場所)が間違っていた場合、25分間処理したあとに
「パスが見当たりません」
というエラーが出て、そこで処理が止まってしまう。また一からやり直しだ。
それまでにかかった時間は、すべて無駄になる。
依頼した側が、そこに気づけば良かったが、
プログラムを作るプロが、こうしたケースを想定していなかったことにも驚いた。
しかし、現実にはこういうことは起きる。
(「動けばいい」という作り方をして、かかる時間を軽視するプロもいるのだ。
それは実際に使って、PCの前で無駄な時間を過ごした経験が無いため、「想像できていない」ことによる。)
このプログラムはリリース時の修正は間に合わず、後から以下の修正をした。
・すべてのファイルが存在するかを最初にチェックする。
(ここでエラーになったら、ファイルの場所・ファイル名を直せるので、すぐ、やり直せる。)
・「ファイル名・場所(パス)」の指定も毎回、一から入力する必要があったので、
前回と同じ場所・ファイル名を予めセットしておき、直す箇所を少なくした。
生成AIがコードを書いた場合でも同じだ。
AIは、上のような事前チェックに気づくこともあれば、気づかないこともある。
身体をもたないAIは、PCの前で「がっかり」を経験したことがないからだ。
結局重要なのは、
「どういう失敗が起こり得るか」
「それをどう防ぐべきか」
という自分の引き出しを持っているかどうかだ。
そして今振り返ると、
そもそも処理時間をもっと短くできる書き方もあった、ということにも気づく。
後から自分の引き出しが増えたからだ。
● 新しい時代の「見習い」
私たちの時代と違い、自ら「学びの負荷」を設計しなければならないのは過酷だ。
しかし、AIという史上最強の「家庭教師」を壁打ち相手にできる今の若手は、正しく負荷をかければ、かつてないスピードで高みに到達できる可能性も秘めている。
井戸の外側で、今考えていること
第7、8回では、拡張内省そのものは深掘りしない。
その代わり、そこに至らない場所で起きている変化を記録した。
壁打ちの使われ方
読む力の変質
若手と学習の空白
どれもまだ途中の考えだ。
ただ一つ、はっきりしているのは、
井戸の中で起きた私の体験が、外の風景を変えてしまったという感覚だ。
井戸に潜らなければ、こんな考えは思いつかなかったろう。
次回は、「生成AIなかりせば」と題して、もしAIがなければ、
自分はどうなっているか考えていきたい。
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