
乙女創作シナリオ【問題児バンド預かりました】第6話閉じ込めていた過去
校内奉仕の初日。放課後の校舎は、いつもより少しだけ静かだった。 遠くで響く運動部の声に混じって、ほうきがコンクリートを擦る乾いた音だけが耳につく。軽音楽部に課されたのは、中庭の清掃と音楽準備室の片づけという、ひどく地味な作業だ。 けれど、誰にも余計な干渉をされず一日が終わってほしいと願う今の私たちには、これくらいがちょうどよかった。
陽葵
「……人数、足りないですね」
落ち葉を集めながらこぼすと、司先輩はほうきを動かしたまま短く答えた。
司
「蒼がいない」
昨日の時点でメッセージに既読はついていたはずだ。ルカくんが段ボールを抱え直しながら「……来ない気はしてた」と息を吐き、蓮くんも「まあ、そうだよねえ」と苦笑する。 大牙くんは何も言わず、ただ黙々と手を動かしていた。第5話のあの一件以来、彼が無理やり尖っているような気配は、以前より少しだけ薄れた気がする。
司
「終わったら音楽準備室に回る。さっさと済ませるぞ」
蓮
「はいはい、委員長」
司
「お前は口より手を動かせ」
蓮
「今日の黒崎先輩、いつもより容赦ないなあ。ね?」
陽葵
「それはいつも通りです」
「ひどっ」と笑う蓮くん。そんな何気ないやり取りに、少しだけ救われる。 軽音楽部はまだ、ここにちゃんとある。そう思いたかった。
*
ごみをまとめていた時だった。少し離れたベンチの近くで、甲高い笑い声が弾けた。 視線を向けると、サッカー部のジャージを着た上級生二人が、掃除中の下級生を面白半分に小突いている。一年生は笑い返すこともできず、汚れた雑巾を握りしめてうつむいていた。
「だから要領悪すぎだろ」
「使えねえなあ」
無遠慮な声が響いた瞬間、私の隣で空気が張り詰めた。 大牙くんのほうきが止まっている。 表情こそ変わらないが、今にも飛び出しそうな体を、見えない鎖で必死に押さえ込んでいるような異様な静けさがあった。
一年生が手から雑巾を落とし、上級生が再び嘲笑した途端、大牙くんの踵が動いた。 咄嗟に、私は彼の手首を両手で掴んでいた。
大牙
「……放せ」
地を這うような低い声。
陽葵
「放しません」
大牙
「今の見ただろ。……また遅かったら、どうすんだよ」
怒りよりも、焦燥と後悔が混じったような響きだった。昨日聞いたばかりの彼の過去が、まだ生々しい傷なのだと突きつけられる。
司
「瀬戸」
後ろから、司先輩の静かな声が飛んだ。先輩は立ちすくむ私たちの横を通り抜け、上級生たちを一瞥で追い払う。そして、こちらを振り返りもせずに「朝倉、こっちはいい」と告げた。 私は大牙くんの腕を掴んだまま、小さく頷いてその場を離れた。
*
音楽室の裏手。少しきしむ古いベンチに腰を下ろした大牙くんは、しばらく言葉を探すように俯いていた。 夕風が吹き抜け、吹奏楽部の音が微かに届く。無理に言葉をかければ、脆い均衡が崩れてしまいそうだった。
陽葵「さっきの子……中学のときのお友達、思い出しましたか」
大牙くんの肩が、わずかに揺れる。
大牙「お前さ、容赦ねえな」 陽葵「今さらです」
彼は小さく鼻で笑い、すぐにその笑みを消した。
大牙「……似てたんだよ。何も言い返せなくて、笑ってごまかすとこ」
搾り出すような声だった。
大牙「中学んとき、つるんでたやつ。別に強くねえし、要領も悪いし。……でも、ギター好きでさ。ヘタクソなくせに」
大牙くんの口元が、ほんの少しだけ緩む。
大牙「そいつに引っ張られて、俺も音楽やり始めた。最初はうるせえって思ってたのに、気づいたら一緒に鳴らしてた」
足元の枯れ葉が、風に流されてカサリと音を立てる。
大牙「……気づかなかったんだよ。しんどかったのも、やられてたのも。気づいたときには、もういなかった」
守れなかった。その一言が鉛のように沈む。彼はずっと、自分自身を許せていないのだ。
大牙「だから、今は先にキレる。また遅かったってなるくらいなら、先に全部止めたほうがマシだ」 陽葵「でも、それで大牙くん自身が苦しくなっています」 大牙「……うるせえ」
否定の言葉は返ってこない。私はゆっくりと口を開いた。
陽葵
「軽音楽部が居場所だって言ってましたよね。ここなら、誰も大牙くんを『余計なやつ』扱いしないって」
大牙「……覚えてんのかよ」
陽葵「大事なことなので」
ふいに、大牙くんは私を見ず、視線を逸らしたまま吐き捨てるように言った。
大牙「……失くしたくねえ。お前もだよ」
陽葵「えっ」
大牙「お前も最初から普通に入ってきただろ、変なやつだけど。……お前まで悪く言われんのが、気に食わねえだけだ」
綺麗な言葉じゃない。けれど、その不器用な本音が痛いほど真っ直ぐに届く。
陽葵
「大牙くん。今度は、一人で抱え込まないでください。守れなかったことまで、一人で背負わなくていいです」
彼の表情がかすかに揺れる。
陽葵「軽音楽部が居場所なら、私もそこにいますから」
大牙「お前、そういうこと平気で言うよな……調子狂う」
呆れたように息を吐く彼を見て、私は思わず立ち上がろうとした。その拍子に、足元がベンチの脚に引っかかりバランスを崩す。 倒れる、と思った瞬間、制服の袖口を強い力で引き寄せられた。
大牙
「何回危なっかしいことすんだよ」
至近距離で、不機嫌そうな顔と目が合う。
陽葵「……大牙くんがいると、余計に危ないです。心臓に悪くて」
大牙「は?」
数秒の間のあと、彼はひどく渋い顔をした。
大牙「……知らねえ」
乱暴な口調とは裏腹に、袖を掴むその手は、私が完全に体勢を立て直すまでしっかりとホールドされていた。
*
中庭に戻ると、掃除はほぼ終わりかけていた。 けれど、空気がおかしい。日向先生が厳しい顔で立ち、司先輩は腕を組んでいる。 その視線の先――木陰のベンチには、蒼先輩が面倒くさそうに座っていた。
陽葵「……蒼先輩」
蒼「そんな顔しなくても来たじゃん」
そのあまりにも軽いトーンが、場の空気をさらに冷やす。
司「来れば済む問題じゃない」
蒼「でも来た」
日向先生がこめかみを押さえながら声を荒げた。
日向先生
「神代、今日だけじゃないぞ。授業もほとんど出ていない。出席日数が危険域に入っている自覚はあるのか」
蒼「つまらないし。別に」
本当にどうでもいいという顔だ。その虚無感が怖い。
司
「蒼、ふざけるな」
低い声で睨みつける司先輩に、蒼先輩は少しだけ目を細めて笑った。
蒼
「ふざけてないよ。最初からそういうやつだって知ってたでしょ」
ぞくりとした。 過去の痛みに縛られ、前に進もうともがく大牙くんとは違う。蒼先輩は、最初からどこにも留まる気がないのだ。
陽葵「……それでいいんですか。軽音楽部も、学校も、全部」
思わず口をついて出た言葉に、沈黙が落ちる。 蒼先輩はすぐには答えなかった。ただ、一瞬だけその目が揺れたように見えた。
蒼
「……さあ」
煙に巻くようなその返事が、ひどく不安だった。
*
奉仕活動が終わったあとも、ざわめきは収まらなかった。 同じ問題児でも、壊れ方はまるで違う。知れば知るほど厄介で、傷だらけだ。それでも、彼らの奥にある本気を私は見過ごせない。
司「神代の件、次はもう誤魔化せない。このままなら学園祭を待たずに、あいつは学校から外されるかもしれない」
帰り道、司先輩がぽつりとこぼした言葉の重さに、私は鞄の持ち手を強く握りしめた。 蒼先輩がいなくなる。 『どうせまた壊れる』――そう言い続けてきた彼の、もっと深い孤独に触れることになるなんて、このときの私はまだ知る由もなかった。