
乙女創作シナリオ【問題児バンド預かりました】第3話どうせまた壊れる
2話目までのあらすじ
高校2年生の朝倉陽葵は、「好きなことを諦める人を減らしたい」という思いから、廃部寸前の軽音楽部にマネージャーとして関わることを決意する。けれど部員は、停学経験のある司、自由奔放な蒼、作曲優先のルカ、女子トラブルの多い蓮、短気な大牙と問題児ばかり。さらに、学園祭で結果を出せなければ廃部だと告げられる。陽葵はそれでも彼らが音楽にだけは本気だと信じ、バラバラの部員たちを一人ずつ集めて初めての練習へこぎつける。演奏は散々だったが、少しずつ同じ方向を向き始めていた。
昨日より、ほんの少しだけ空気がやわらいでいる。
――そう思ったのは、たぶん気のせいじゃない。
放課後の部室には、昨日の続きを信じたくなる痕跡がいくつかあった。
出しっぱなしの譜面。机に置かれたままのペットボトル。大牙くんが乱暴に置いたドラムスティック。ルカくんの五線譜ノート。
どれもきれいじゃない。
でも、何もかも放り出された部屋の散らかり方じゃなかった。
続きがある部屋の、散らかり方だ。
こういうのは、なんとなくわかる。
人の気持ちって、案外きれいに言葉にならないかわりに、置きっぱなしの物とか、視線の逃げ方とか、返事の間とかに出る。
――で。
そういう“ちょっとした違和感”は、だいたい当たる。
私は部室を見回して、すぐに気づいた。
足りない。
ギターケースがない。
陽葵
「……蒼先輩は?」
誰もすぐには答えなかった。
この沈黙がもう、答えみたいなものだった。
司先輩はベースの弦を指で弾きながら、視線だけを上げる。
大牙くんは露骨に舌打ちした。
速水くんはスマホを見たまま、笑いもしない。
ルカくんは譜面に目を落としたまま、ページをめくる手だけが止まっている。
同じ沈黙でも、意味はいくつもある。
諦めの沈黙。
苛立ちの沈黙。
どうせ来ないだろう、という慣れの沈黙。
今ここにあるのは、たぶん全部だ。
司
「来ていない」
陽葵
「……また、ですか」
司
「また、だ」
きっぱりした声だった。
怒りを抑えている人って、たまに妙に発音がきれいになる。
大牙
「来るって言ったくせに」
速水
「既読はついてる」
速水くんの声も、今日は軽くなかった。
人を本気で傷つけたあとでも、ちゃんと部室には来る。
でも蒼先輩は、そもそも来ない。
どっちがひどいかは、たぶん単純じゃない。
陽葵
「探してきます」
司先輩が私を見る。
一瞬だけ。
昨日みたいに「無茶はするな」と言うのかと思った。
でも司先輩は、すぐに表情を戻した。
司
「勝手にしろ」
冷たい、というより。
線を引かれた感じがした。
部員として認められたわけじゃない。
昨日ちょっと空気が動いたからって、今日いきなり仲間になれたわけでもない。
そのことが、少しだけ痛かった。
でも、痛いからって止まれるほど、私は器用じゃない。
陽葵
「……はい」
私は部室を出た。
蒼先輩は、思った通り屋上にいた。
こういう人は、隠れない。
むしろ、いちばん見つかりやすい場所で、見つからない顔をする。
フェンスにもたれて、ギターを鳴らしている。
アンプにつないでいない生音なのに、空気だけは妙に支配している。ほんと、腹が立つくらい絵になる。
陽葵
「神代先輩」
蒼
「来ると思った」
振り向きもしない。
陽葵
「来るって言ってたのに」
蒼
「気が変わった」
陽葵
「最悪です」
蒼
「知ってる」
それを悪びれずに言えるのが、もっと最悪だ。
私は蒼先輩の横まで歩く。
風が強い。
前髪が揺れるたび、蒼先輩の横顔が少し見えて、また隠れる。
陽葵
「みんな待ってます」
蒼
「待たせとけばいいじゃん」
陽葵
「軽く言わないでください」
蒼先輩は、そこでようやくこちらを見た。
蒼
「軽いよ」
笑っている。
でも、その目は冷たいというより、遠い。
蒼
「どうせまた壊れるんだから」
昨日も聞いた言葉だった。
けれど今日は、昨日よりずっと本気に聞こえた。
投げやりだからじゃない。
あまりにも言い慣れているからだ。
自分に何度も言い聞かせてきた言葉って、こういう響きになる。
陽葵
「……壊れるって決めつけてるのは、先輩です」
蒼
「決めつけじゃなくて経験則」
陽葵
「嫌な経験則ですね」
蒼
「だろ」
普通なら、ここで笑ってごまかすんだろう。
でも蒼先輩は笑わなかった。
その代わり、ギターの弦をひとつ鳴らした。
乾いた音が、妙に短く響いた。
蒼
「前のバンドも、最初は楽しかった」
私は黙った。
蒼先輩が自分から昔の話をするのは、たぶん珍しい。
珍しいことが起きるとき、人はだいたい少し弱っている。
蒼
「下手でも勢いだけで笑えてさ。ライブ決まったときとか、全員バカみたいに浮かれてた」
蒼
「で、本番前に、もっと良くしたくて俺がフレーズを変えた」
陽葵
「……勝手に?」
蒼
「半分は。半分は、“お前ならもっとやれるだろ”って煽られた」
その言い方に、私は少しだけ息を止めた。
蒼
「ライブはぐちゃぐちゃだったよ。ボーカルはミスるし、ドラムは走るし、全員ぴりついて」
蒼
「そしたらさ」
蒼先輩は、そこで一度笑った。
でも、それは笑顔じゃなかった。
蒼
「終わったあと、俺にやれって言ったやつが、真っ先に“全部お前のせいだ”って言った」
風が、急に冷たく感じた。
蒼
「信じてたんだけどな」
蒼
「……そこで、ああ、こうやって壊れるんだって思った」
胸の奥が、じくりと痛んだ。
この人は自由なんじゃない。
一度、本気で信じた相手に裏切られて、
そのあとずっと、信じることのほうから目をそらしてきただけなんだ。
だから最初から近づかない。
だから本気になる前に離れる。
だから誰より音楽が好きなくせに、誰よりバンドから逃げている。
陽葵
「だから来ないんですか」
蒼
「来たら期待するだろ」
陽葵
「したらだめなんですか」
蒼先輩は答えない。
返事の代わりに、小さく息をついた。
その沈黙は、否定というより、怖がっている人の沈黙だった。
陽葵
「私は」
喉が少し熱くなる。
でも、ここで飲み込んだら駄目だと思った。
陽葵
「先輩が音楽を諦めるの、嫌です」
蒼先輩の目が、ゆっくり私を見る。
逃げ場をなくしたみたいな目だった。
蒼
「……ずるいな、お前」
陽葵
「先輩ほどじゃないです」
そのとき、また強い風が吹いた。
髪がばさっと顔にかかって、視界がふさがれる。
思わず目を閉じた瞬間。
「……じっとして」
低い声。
頬の横に、指先が触れた。
蒼先輩が髪を耳にかける。
無造作なのに、妙にやさしい。
近い。
急に近い。
胸が一気に跳ねる。
蒼
「見えねえだろ、それ」
それだけ言って、手はすぐ離れた。
何でもないみたいな顔で。
そういうところが、いちばんずるい。
でも、指先が離れたあとも、熱だけがそこに残っていた。
逃げたいわけじゃない。
なのに、これ以上近づいたらたぶん危ない――そんな予感だけが、やけにはっきりあった。
陽葵
「……急にそういうことしないでください」
蒼
「何、意識した?」
陽葵
「してません!」
蒼
「ふーん」
絶対楽しんでる。
悔しい。ほんとに悔しい。
でも、その直後。
蒼先輩が、ふっと真顔になった。
蒼
「でも、お前といると退屈しない」
その一言だけ、軽口じゃなかった。
私は返事ができなかった。
何か言おうとしたのに、心臓の音がうるさすぎて無理だった。
蒼先輩は私の顔を見て、今度は悪い笑い方をした。
蒼
「その顔、反則」
陽葵
「……もう、何なんですか」
蒼
「さあ」
そう言ってギターケースを持ち上げる。
でも、そのまま歩き出さずに、蒼先輩は私を見下ろした。
蒼
「あんま無防備に追いかけてくんなよ」
陽葵
「え?」
蒼
「……本気にしたら困るだろ」
低い声だった。
からかっているようにも聞こえるのに、その目は少しも笑っていなかった。
どくん、と心臓が大きく跳ねる。
冗談だと言ってほしいのに、冗談じゃない気もしてしまう。
そういう曖昧さが、いちばんずるい。
蒼
「行くぞ、マネージャー」
陽葵
「え?」
蒼
「今日はちゃんと行く」
その言い方が、少しだけ照れ隠しに見えたのは、たぶん私の都合のいい勘違いだ。
でも、勘違いでもよかった。
蒼先輩が、部室に戻る。
今はそれだけで十分だった。
部室に戻った瞬間、空気が変わった。
さっきまでの重さが、そのまま残っている。
司先輩は壁際で腕を組み、大牙くんはスティックを弄び、速水くんは椅子に深く座り、ルカくんは譜面を見ているふりをしている。
蒼先輩が入ってきた瞬間、司先輩の視線が鋭くなった。
司
「遅い」
蒼
「来たじゃん」
司
「来ればいい問題じゃない」
蒼
「細かいなあ、委員長」
空気が一段冷える。
こういうときの司先輩は静かだ。
静かな人ほど、本気で怒っているときは怖い。
司
「勝手な行動をするな」
蒼
「勝手にやって何が悪いんだよ。結果出せばいいんだろ」
司
「そのやり方で、まとまるわけがない」
蒼
「……まだ説教すんの?」
司
「説教じゃない。勝手な行動を正当化するなと言っている」
蒼
「結果出せばいいんだろ」
司
「過程を壊して出る結果に意味はない」
低い。
短い。
そのぶん痛い。
蒼
「は。出たよ」
笑っているのに、全然笑っていない。
蒼
「そういう顔してるから、みんな息苦しくなるんだよ」
司
「お前みたいに、気分で壊す方がよほど迷惑だ」
次の瞬間、蒼先輩の手が机を叩いた。
鈍い音。
私は反射的に二人の間へ入っていた。
陽葵
「やめてください!」
自分でもびっくりするくらい大きな声だった。
二人とも止まる。
胸が痛い。
やっと少し進んだと思ったのに。
また壊れる、その言葉が頭の中で嫌になるほどはっきり響く。
陽葵
「……それで終わるんですか」
誰も答えない。
陽葵
「また壊れるって、先輩たち自身が決めるんですか」
蒼先輩が私を見る。
怒っているような、困っているような、そんな目。
司先輩は何も言わない。
でも拳がきつく握られているのが見えた。
陽葵
「私は嫌です」
喉が少し震える。
それでも続けた。
陽葵
「やっと少しだけ前に進んだのに、ここでまた壊れるなんて嫌です」
沈黙。
重い。
息が詰まりそうなくらい重い。
その沈黙を破ったのは、ルカくんだった。
ルカ
「……うるさい」
小さい声。
でも全員がルカくんを見る。
ルカは譜面を持ったまま、こちらを見ない。
ルカ
「今、続き浮かんでたのに」
大牙
「は?」
ルカ
「壊れるなら、曲できない」
それだけ。
それだけなのに、妙に説得力があった。
速水くんが、ふっと力のない笑いをこぼす。
速水
「それ、ルカなりの引き止め?」
ルカ
「知らない」
大牙くんが小さく舌打ちする。
でも、その音はさっきまでより弱かった。
司先輩が長く息を吐く。
司
「……今日はここまでだ」
蒼
「は?」
司
「これ以上やっても無駄だ」
切り捨てるみたいな言い方。
でも本当は、壊さないために止めているのだと、今なら少しわかる。
司先輩は蒼先輩を見る。
司
「だが、次は逃がさない」
蒼先輩は答えない。
代わりに、私のほうを見た。
その視線の意味がわからなくて、また心臓が変な鳴り方をした。
帰り際。
みんなが少しずつ部室を出ていったあと、私は窓際でひとり、今日のことを整理しようとしていた。
でも、全然まとまらない。
うれしかった。
腹も立った。
怖かった。
少しだけ、期待してしまった。
感情って、もっと一個ずつ順番に来てほしい。
現実はそうじゃないから困る。
そのとき。
「まだ帰ってなかったんだ」
振り向くと、蒼先輩が扉のところに立っていた。
陽葵
「神代先輩」
蒼
「怒ってる?」
陽葵
「怒ってます」
蒼
「だよな」
意外なくらい素直に言って、蒼先輩は苦く笑う。
蒼
「……でも」
一歩、近づく。
また、距離が近い。
さっき屋上で感じた危うさが、そのまま戻ってくる。
蒼
「それでも、お前が追いかけてくるなら」
そこで一度、言葉が切れた。
ほんの少しだけ、迷ったみたいに。
蒼
「少しは、期待してもいいのかもな」
胸が、跳ねた。
今のは、たぶん軽くない。
そう思った瞬間、蒼先輩はすぐ笑ってみせる。
蒼
「ま、気のせいかも」
陽葵
「……ずるいです」
蒼
「知ってる」
そのまま手を振って出ていく。
私はしばらく、その場から動けなかった。
期待してはいけない気がする。
なのに、期待したくなる。
たぶんそれが、いちばん厄介だった。
窓の外では、夕焼けが少しずつ色を深くしていた。
バンドは、まだ壊れていない。
でも、何かが始まってしまった気もした。
それが何なのか、今の私にはまだわからない。
ただひとつだけ、はっきりしていることがある。
神代蒼。やっぱりこの人はいちばん面倒で、いちばん目が離せない人だ。