
乙女創作シナリオ【問題児バンド預かりました】第5話怒る理由
4話までのあらすじ
高校2年生の朝倉陽葵は、「好きなことを諦める人を減らしたい」という思いから、廃部寸前の軽音楽部のマネージャーになる。けれど部員は、停学経験のある司、自由奔放な蒼、作曲優先のルカ、女子トラブルの多い蓮、短気な大牙と問題児ばかり。学園祭で結果を出せなければ廃部という条件の中、陽葵は彼らを一人ずつ集めて初練習へこぎつける。さらに、蒼の抱える“また壊れる”ことへの恐れや、司の不器用な優しさにも触れながら、少しずつバンドの距離は変わり始めていく。
司先輩の家に行った日から、数日が過ぎた。
軽音楽部の空気は、前より少しだけまとまりを覚えはじめていた。
もちろん、急に仲良くなったわけじゃない。
蒼先輩は相変わらず気分屋だし、蓮くんは時々どこまで本気なのかわからない。ルカくんは譜面のことしか見ていない瞬間があるし、司先輩は相変わらず隙がない。大牙くんだって、口を開けばだいたい刺々しい。
でも。
前みたいに、最初から諦めた空気ではなくなっていた。
少なくとも、私はそう思いたかった。
だからこそ、そのざわつきに気づいたとき、胸の奥が嫌なふうに沈んだ。
昼休みの終わり。
廊下を歩いていた私の耳に、ひそひそとした笑い声が届く。
「また軽音楽部、なんかやるらしいよ」
「学園祭でライブとか正気?」
「どうせ問題起こして終わりでしょ」
何気ない声。
でも、何気ない顔で向けられる悪意ほど、たちが悪い。
私は足を止めなかった。
止めたら、聞いてしまったことを認めるみたいで嫌だった。
けれど、その直後。
「……は?」
低い声が、廊下の端で響いた。
まずい、と思ったときには、もう遅かった。
人だかりができていた。
その中心にいたのは、大牙くんだった。
男子生徒が三人。
そのうち一人の胸ぐらを、大牙くんが掴みかけている。
大牙
「今、なんつった?」
男子生徒A
「べ、別に……」
男子生徒B
「軽音学部のことだろ。図星じゃん」
男子生徒Cが、笑いを噛み殺すみたいな声で言う。
男子生徒C
「マネージャーの子も大変だよな。あんなのの世話係とか」
その言葉に、大牙くんの肩がぴくりと動いた。
ああ、だめだ。
私は人だかりを押しのけた。
陽葵
「大牙くん!」
大牙くんは振り向かない。
でも、拳がぎり、と鳴るみたいに強く握られているのが見えた。
大牙
「もう一回言ってみろ」
男子生徒B
「は? 図星だから怒ってんの?」
男子生徒C
「っていうか、朝倉もよくやるよな。あんな問題児の面倒見てさ」
その瞬間。
大牙くんの腕が、大きく動いた。
完全に掴みかかる寸前で、私は反射的にその腕にしがみついていた。
陽葵
「だめです!」
大牙
「離せ」
陽葵
「離しません!」
大牙くんの息が荒い。
普段の苛立ちとは違う。
今の大牙くんは、本当に殴る一歩手前の顔をしていた。
そのとき、背後から鋭い声が飛ぶ。
日向先生
「何をしている!」
空気が凍った。
続けて司先輩の低い声。
司
「大牙」
大牙くんの肩が、びくりと揺れた。
数秒。
誰も動かなかった。
それから大牙くんは、舌打ちして腕を振りほどいた。
大牙
「……チッ」
男子生徒たちは先生の顔を見て、そそくさと距離を取る。
でももう遅い。
騒ぎになった時点で、全部遅かった。
職員室の前は、妙に静かだった。
静かすぎて、逆に落ち着かなかった。
私は廊下の壁際で立ち尽くしていた。
軽音楽部のみんなもいる。
司先輩は腕を組んだまま無表情で、蒼先輩は窓の外を見ている。
蓮くんは珍しく何も言わない。
ルカくんだけが、手にした五線譜ノートを閉じたままじっと床を見ていた。
しばらくして、日向先生が職員室から出てきた。
その顔を見た瞬間、胸の奥が冷えた。
日向先生
「今回は、相手に怪我がなかったから大事にはしない」
誰も何も言わない。
日向先生
「だが、次はない。瀬戸、次に同じことがあれば、停学も視野に入る」
大牙くんの表情は動かなかった。
でも、奥歯を噛みしめているのがわかった。
日向先生
「それから軽音楽部もだ。学園祭を控えている時期に、これ以上問題を起こすなら、部活動停止も検討される」
胸の中が、ひやりとする。
学園祭で結果を出せなければ廃部。
そこへさらに、部活動停止の可能性。
冗談じゃ済まない。
日向先生
「反省文は今日中。部としても、校内奉仕を一週間やってもらう。信用を失っている自覚を持て」
そう言って先生が去ったあとも、誰もすぐには動かなかった。
大牙くんだけが、ふいに背を向ける。
司
「大牙」
大牙
「……うるせえ」
低く吐き捨てて、そのまま歩き出した。
陽葵
「大牙くん!」
呼んでも、止まらない。
司先輩が追いかけるかと思った。
でも司先輩は動かなかった。
その代わり、少しだけ目を伏せて言う。
司
「……今は追うな」
陽葵
「でも」
司
「今のあいつは、誰の言葉も入らない」
正しいのだと思う。
理屈ではわかる。
でも、それで放っておけるなら、私は最初からこんなところにいない。
陽葵
「……探してきます」
司先輩が私を見る。
一瞬だけ。
止められるかと思った。
でも、司先輩は小さく息をついただけだった。
司
「心当たりはあるのか」
陽葵
「たぶん……非常階段です」
第二校舎の裏。
人があまり来ない、古い非常階段。
前に、体育の準備で通ったとき、大牙くんが一人でそこにいたのを思い出した。
司
「……暗くなる前に戻れ」
ぶっきらぼうな声。
でも、それは許可だった。
私はうなずいて、走り出した。
第二校舎裏の非常階段は、やっぱりひっそりしていた。
風だけが通って、古い手すりがかすかに鳴る。
その下に、大牙くんはいた。
壁にもたれて座り込んでいる。
制服のシャツは少し乱れていて、右の拳には擦り傷。
足元には開けてもいない缶ジュースが転がっていた。
私は少し息を整えてから、声をかける。
陽葵
「大牙くん」
大牙くんは顔を上げない。
大牙
「来んなよ」
陽葵
「それは無理です」
大牙
「説教ならいらねえ」
陽葵
「説教しに来たんじゃないです」
大牙
「じゃあ何だよ」
私は一歩だけ近づく。
陽葵
「放っておけなかっただけです」
大牙くんが、ようやく顔を上げた。
睨むみたいな目。
でも、怒っているというより、ひどく疲れて見えた。
大牙
「お前さ」
陽葵
「はい」
大牙
「そういうの、面倒くせえ」
陽葵
「知ってます」
大牙
「……は?」
陽葵
「大牙くん、面倒くさいです」
そこで初めて、大牙くんの眉が少しだけ動いた。
陽葵
「放っておけないくらい面倒くさいです」
大牙
「褒めてねえだろ、それ」
陽葵
「褒めてません」
大牙くんが、小さく舌打ちする。
でも、さっきみたいな尖った音じゃなかった。
私は非常階段の手前で立ち止まったまま、少しだけ声を落とす。
陽葵
「どうして、あそこまで怒ったんですか」
大牙くんは何も言わない。
陽葵
「軽音楽部のことを言われたからですか」
沈黙。
陽葵
「それとも」
私は一度だけ息を吸った。
陽葵
「私のことを言われたからですか」
その瞬間、大牙くんの視線が跳ねた。
図星だ。
でも、ここで逃がしたくなかった。
大牙
「……別に」
陽葵
「別にじゃないです」
大牙
「うるせえな」
陽葵
「うるさくても聞きます」
大牙くんは、顔を逸らした。
その横顔は不機嫌なのに、どこか苦しそうでもあった。
大牙
「俺のことは別にいい」
ぽつりと落ちた声に、私は息を止めた。
大牙
「軽音楽部が何言われようが、今さらだ」
視線はこっちを向かないまま。
でも、その声だけは誤魔化していなかった。
大牙
「でも」
拳が、膝の上で強く握られる。
大牙
「お前まであいつらにごちゃごちゃ言われんのは、ムカつく」
胸が、どくんと鳴る。
乱暴で、ぶっきらぼうで、全然甘くない。
なのに、その一言のほうが変に心臓に悪かった。
陽葵
「……どうしてですか」
大牙
「は?」
陽葵
「どうして、そんなに」
大牙くんは苛立ったように舌打ちした。
大牙
「知らねえよ」
陽葵
「知らないで済ませないでください」
大牙
「見てらんなかっただけだ」
その言葉が、思っていたよりずっとまっすぐで、私は何も言えなくなる。
大牙
「お前、何も悪くねえだろ。なのにあいつら、勝手なこと言いやがって……気に食わねえんだよ」
それ以上は言わなかった。
でも、もう十分だった。この人は短気なんじゃない。
たぶん、守りたいものを馬鹿にされたときに、止まれなくなるだけだ。
不器用で、危なっかしくて、でも、ひどくまっすぐだ。
陽葵
「大牙くん」
大牙
「何だよ」
陽葵
「前にも、こういうことありましたか」
大牙くんの眉がぴくりと動いた。
聞きすぎたかもしれない、と思った。
でも、もう遅い。
大牙
「……ある」
低い声だった。
私は黙って待った。
大牙くんは、すぐには続けなかった。
風の音だけが、細い階段の隙間を抜けていく。
やがて、絞り出すように言う。
大牙
「中学んとき、つるんでたやつがいた」
陽葵
「……はい」
大牙
「そいつ、あんま要領よくなくてさ。すぐからかわれて、目ぇつけられて」
そこで言葉が切れた。
大牙くんは視線を下に落とす。
大牙
「最初は、たいしたことねえと思ってた」
大牙
「でも、気づいたらそいつ、学校来なくなってた」
胸の奥が、ひやりとした。
大牙
「後から知った。俺がいねえとこで、ずっとやられてた。俺、何も知らなくて」
握られた拳が、また少し強くなる。
大牙
「気づいたときには、もう遅かった」
声は低いのに、その一言だけ妙に生々しかった。
大牙
「守れなかった」
私は、何も言えなかった。
大牙
「そのあと、そいつ転校した。で、残ったのは、“何もできなかった”って感じだけ」
沈黙。重い沈黙だった。
でも、目を逸らしたくなかった。
大牙
「だから今は、先にキレる。また後から“遅かった”になるくらいなら、先に全部ぶっ壊したほうがマシだって思ってる」
乱暴で、極端で、間違っているのかもしれない。
でも、その奥にある後悔だけは、痛いほど伝わってきた。
陽葵
「……それで、軽音楽部も」
大牙くんが、少しだけ目を細める。
大牙
「ここ、今の俺の居場所だからな」
その言葉に、胸が詰まる。
大牙
「うるさくて、面倒で、まとまんねえけど。ここだけは、いなくなれって言われなかった」
思ったより静かな声だった。
大牙
「だから失くしたくねえ。馬鹿にされんの、嫌なんだよ」
私はそこで、ようやくわかった気がした。
この人にとって軽音楽部は、ただの部活じゃない。
やっと見つけた、残っていてもいい場所なんだ。
だから、笑われると止まれない。
だから、壊れるのが怖い。
だから、自分のことより先に、そこにいる誰かを守ろうとしてしまう。
陽葵
「大牙くんって」
大牙
「何だよ」
陽葵
「やっぱり、不器用すぎます」
大牙
「うるせえ」
吐き捨てるみたいな声。
でも、いつもほど強くなかった。
私は少しだけ笑ってしまう。
陽葵
「でも、ありがとうございます」
大牙
「礼なんかいらねえ」
陽葵
「いります。だって、私のこと庇ってくれたんですよね」
大牙くんの耳が、ほんの少しだけ赤くなった気がした。
気のせいかもしれない。
でも、たぶん気のせいじゃない。
そのとき、私が一歩踏み出した足が、階段の端に引っかかった。
あ、と思った瞬間。
ぐい、と腕を引かれる。
陽葵
「……っ」
強い力だった。
気づいたときには、大牙くんのすぐ目の前に引き寄せられていた。
近い。
思ったよりずっと近い。
大牙
「何やってんだ、危ねえだろ」
低い声。
怒っているみたいなのに、手は私の腕をしっかり掴んだままだった。
陽葵
「……大牙くんのほうが今、心臓に悪いです」
言ってから、またしまったと思う。
でも遅かった。
大牙くんが、一瞬だけ目を見開く。
大牙
「知らねえよ」
ぶっきらぼうに言って、ようやく手が離れる。
でも、そのぬくもりだけが腕に残った。
陽葵
「大牙くん」
大牙
「何だよ」
陽葵
「今度は、一人で守ろうとしないでください」
大牙くんの表情が、少しだけ変わった。
陽葵
「私もいます」
風が吹く。
その言葉が、ちゃんと届いたかはわからない。
でも、大牙くんはすぐには目を逸らさなかった。
大牙
「……お前、そういうこと平気で言うよな」
陽葵
「だめでしたか」
大牙
「だめじゃねえけど」
そこで言葉を切る。
珍しく、続きを選ぶみたいに。
大牙
「調子狂う」
胸が、また鳴った。
その言い方は乱暴なのに、今までで一番大牙くんの本音に近い気がした。
陽葵
「停学、嫌ですよね」
大牙くんは、今度はすぐに答えなかった。
しばらくして、ぽつりと落ちる。
大牙
「……俺がどうなるかは別にいい」
陽葵
「よくないです」
大牙
「でも、俺のせいで部まで止まんのは最悪だ」
その言葉に、胸が締めつけられる。
やっぱりそうなんだ。
大牙くんは、自分の処分より、バンドを止めることの方を怖がっている。
陽葵
「じゃあ、戻りましょう」
大牙
「は?」
陽葵
「反省文も、奉仕活動も、やるしかないです」
大牙
「……だりい」
陽葵
「そうですね」
大牙
「そこで否定しろよ」
陽葵
「でも、やるしかないです」
私は大牙くんを見上げる。
陽葵
「バンド、終わらせたくないんでしょう?」
数秒。
風が吹き抜ける。
それから大牙くんは、大きく息をついた。
大牙
「……ほんと、お前面倒くせえな」
陽葵
「知ってます」
大牙
「自覚あんのかよ」
陽葵
「あります」
そこで初めて、大牙くんが少しだけ口元をゆるめた。
笑った、というほどじゃない。
でも、確かにさっきまでより柔らかい顔だった。
大牙
「……戻るぞ」
陽葵
「はい」
立ち上がった大牙くんは、私より半歩前を歩き出す。
でも、非常階段を降りるときだけ、さりげなく私が外側に寄らないようにしていた。
それに気づいてしまって、また胸が変な鳴り方をする。
ずるい。
この人は全然甘くないくせに、こういうところだけ変にやさしい。
部室に戻ると、空気がわずかに変わった。
司先輩が最初に大牙くんを見る。
何も言わない。
ただ、その視線だけで十分だった。
大牙
「……悪かった」
小さく、低い声。
聞き逃しそうなくらい短い謝罪だった。
でも、確かに謝った。
蓮くんが少しだけ目を丸くして、蒼先輩は「へえ」と面白そうに笑いかけて、でも何も言わなかった。
ルカくんは譜面から顔を上げて、大牙くんを一度だけ見た。
司先輩は、長く息をついてから言う。
司
「次はない」
大牙
「わかってる」
司
「反省文は出せ」
大牙
「もう書いた」
司先輩の眉が少しだけ動いた。
蒼
「早」
蓮
「そこは真面目なんだよなあ」
大牙
「うるせえ」
でも、その「うるせえ」はもう、さっきまでみたいな荒れた響きではなかった。
司先輩が部室を見回す。
司
「奉仕活動は部全体でやる。異論はあるか」
誰も言わない。
というか、言える空気じゃない。
でも私は、その沈黙が前とは少し違うことに気づいていた。
逃げる沈黙じゃない。
飲み込む沈黙だ。
司
「……なら決まりだ」
そのとき、大牙くんがドラムスティックを手に取る。
無造作な仕草。
でも、その音だけで、なんだか少しだけ安心した。
まだ大丈夫だと思えた。
壊れていない。
少なくとも、今は。
私はそっと息をつく。
問題児だらけの軽音楽部。
短気で、面倒で、危なっかしい人たちばかりだ。
それでも。
知れば知るほど、ただの問題児じゃなくなっていく。
乱暴で、不器用で、まっすぐすぎるその優しさに、私は少しだけ息をのみそうになった。
そしてきっと、このバンドにはまだ、私の知らない顔がたくさんある。
だからこそ――目が離せないのだと思った。
だけど、そのときの私はまだ知らなかった。
校内奉仕の始まりとともに、大牙くんがずっと閉じ込めていた過去まで動き出そうとしていることを。