
乙女創作シナリオ【問題児バンド預かりました】第4話黒崎先輩の家は、思っていたより落ち着かない
3話までのあらすじ
高校2年生の朝倉陽葵は、「好きなことを諦める人を減らしたい」という思いから、廃部寸前の軽音楽部にマネージャーとして関わることを決意する。だが部員は、停学経験のある司、自由奔放な蒼、作曲優先のルカ、女子トラブルの多い蓮、短気な大牙と問題児ばかり。学園祭で結果を出せなければ廃部という条件の中、陽葵は彼らを少しずつ動かし、初練習へこぎつける。さらに蒼の抱える傷や“また壊れる”ことへの恐れにも触れ、バンドは不器用なまま前に進み始める。
蒼先輩との一件から、二日ほど経った放課後。
軽音楽部の部室には、まだあの日の余韻がうっすら残っていた。
蒼先輩と司先輩がぶつかった空気。
それを無理やり飲み込んだ沈黙。
そして、壊れかけたところでどうにか踏みとどまった、ぎりぎりの手応え。
何も解決していない。
でも、全部が終わったわけでもない。
そんな曖昧な空気の中で、いちばん変わらない顔をしているのが司先輩だった。
変わらない、ように見せているだけかもしれない。
この二日、司先輩はいつも以上に細かく全体を見ていた。
ルカくんの譜面。
大牙くんのテンポ。
速水くんの歌詞の入り。
蒼先輩の気まぐれなアレンジ。
全部を見て、必要なところで抑えて、全部を崩れないように支えている。
それなのに、誰にもそれを悟らせない。
そういうところが、この人らしい。
けれど同時に、そういうふうにしか立っていられない人なのかもしれない、とも思った。
陽葵
「黒崎先輩」
司
「何だ」
陽葵
「今日も顔怖いです」
司先輩の眉がわずかに動く。
司
「元々だ」
陽葵
「いえ、今日は三割増しです」
大牙くんが、机に肘をついたまま小さく吹き出しそうになった。
蓮くんも肩を揺らす。
蓮
「それはちょっとわかる」
司
「お前たちは練習しろ」
冷たい声なのに、怒鳴らない。
それがかえって、ちゃんと余裕がない証拠みたいだった。
私は少しだけ司先輩を見上げる。
陽葵
「無理してませんか」
司
「していない」
即答だった。
でも、即答すぎた。
こういうとき、人は大抵ほんとのことを言っていない。
陽葵
「してますよね」
司
「していない」
陽葵
「今の言い方、してる人です」
蓮くんが「強いなあ」と小声で笑う。
司先輩は、ほんの少しだけ視線を落とした。
そして、小さく息をつく。
司
「……朝倉」
陽葵
「はい」
司
「今日、帰りに時間はあるか」
いきなりだった。
私は思わず目を瞬かせる。
陽葵
「え、ありますけど」
司
「なら来い」
陽葵
「どこにですか」
司先輩は一瞬だけ黙った。
そして、少しだけ視線を外してから言う。
司
「……家だ」
部室の空気が止まった。
大牙
「は?」
蓮
「えっ」
蒼
「へえ」
ルカ
「……意外」
いや、いちばん驚いているのは私だ。
陽葵
「い、家ですか!?」
司
「文化祭の過去映像と、歴代の軽音楽部の進行メモが家のパソコンにしか入っていない。俺の代より前のものもある。外付けの機材もあるし、学校に持ってくるよりその場で見た方が早い」
今回は、珍しく説明が長かった。
しかも少し早口だった。
蓮くんが堪えきれずに口元を押さえる。
蓮
「黒崎先輩、今日めちゃくちゃ説明してる」
大牙
「余計に怪しいな」
蒼
「無防備に行くなよ」
陽葵
「なんで皆さんそういう言い方するんですか!」
司先輩は、盛大にため息をついた。
司
「……来たくないなら別にいい」
その言い方はいつも通りそっけない。
でも、その最後にほんの少しだけ引く感じがあった。
たぶんこの人は、誘ったあとにこんなふうに茶化される想定をしていない。
そして、そういうときにどう立て直せばいいのかも、あまり得意じゃない。
陽葵
「い、行きます」
司先輩が、少しだけ目を上げる。
陽葵
「資料、大事ですし」
司
「……そうか」
短い返事。
でも、その声の最後だけ、少しだけやわらかかった。
蒼先輩がそれを見逃すはずもなく、にやっと笑う。
蒼
「ふーん」
嫌な予感しかしない。
放課後。
司先輩の家は、学校から少し離れた住宅街の中にあった。
落ち着いた通りに建つ、二階建ての戸建て。
庭は広くないけれど手入れがされていて、玄関先には小さな鉢植えが並んでいる。
もっと無機質な家を勝手に想像していた。
白い壁。
整いすぎた空間。
生活感のない静けさ。
でも、実際は違った。
ちゃんと誰かが暮らしている家だった。
門の前で足を止めた私に、司先輩が鍵を出しながら言う。
司
「何だ」
陽葵
「……ちょっと緊張してます」
司
「なぜ」
陽葵
「黒崎先輩の家だからです」
司先輩の手が一瞬だけ止まる。
そして、そのまま鍵を差し込みながら、視線を逸らした。
司
「意味がわからない」
陽葵
「こっちの台詞です」
そのとき、玄関の扉が内側から開いた。
「あら」
やわらかい声だった。
そこに立っていたのは、上品な和柄のエプロンをつけた女性だった。
落ち着いた雰囲気の中に、どこか司先輩と似た端正さがある。
みく
「司、おかえりなさい……って」
その視線が私に向く。
一拍。
二拍。
そして次の瞬間、表情がふんわりとやわらいだ。
みく
「まあ」
陽葵
「こ、こんにちは!」
みく
「こんにちは。司のお友達?」
司
「部のマネージャーだ」
あまりに事務的で、逆に変な空気になる。
私は慌てて頭を下げた。
陽葵
「朝倉陽葵です。軽音楽部でお世話になってます」
みく
「みくです。司の姉です。どうぞ、上がって」
声までやさしい。
陽葵
「お邪魔します……」
みくさんは、私を迎え入れながら、くすっと笑った。
みく
「司、ちゃんと説明したの?」
司
「した」
みく
「それはたぶん、してないときの返事ね」
断言だった。
司先輩が黙る。
あ、これは完全に強く出られない相手なんだ。
そう思った瞬間、廊下の奥からぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。
あや
「え、なに? 司ほんとに女の子連れてきたの?」
明るい声と一緒に現れたのは、華やかな雰囲気の女性だった。
片手にスマホを持ったまま、司先輩と私を交互に見ている。
あや
「うわ、本当じゃん」
司
「あや、うるさい」
あや
「えー、だって堅物メガネが女子を家に連れてくる日が来るなんて、姉としては騒ぐでしょ」
司先輩が、露骨に嫌そうな顔をした。
でも学校にいるときより反撃が弱い。
やっぱり家だと違う。
陽葵
「は、はじめまして……」
あや
「あやです。次女。司のことならなんでも聞いて」
司
「余計なことを言うな」
あや
「ほらね、この感じ。よそいきの顔」
みく
「こら、あや」
司
「……両親は海外赴任中だ。今は俺と姉二人で暮らしている」
不意に司先輩がそう言った。
たぶん、私が家の中を見て気にしたのを察したのだと思う。
陽葵
「そうなんですね」
みく
「もう何年かになるの。司もすっかりしっかり者になっちゃって」
あや
「いや、元から真面目すぎるくらい真面目だったけどね。さらに堅くなった」
司
「やめろ」
そのやり取りを聞きながら、私は少しだけ納得していた。
両親がいなくて、姉二人と三人暮らし。
その中で、司先輩はきっと自然に“ちゃんとしている側”に回ってきたんだろう。
だからあんなふうに、人一倍崩れることを怖がるのかもしれない。
家の中はあたたかいのに、どこか静かだった。
ちゃんと誰かがいる家の空気。
でも、その真ん中に長く残っている寂しさみたいなものも、少しだけ感じた。
司先輩は、そういう静けさの中で大きくなったのだろうか。
司先輩の部屋は、予想通り整っていた。
でも、整いすぎて息が詰まる感じではない。
本棚には音楽理論の本、古いライブDVD、ファイル、ノート。
机の上にはパソコンと、きれいに積まれたメモ。
壁際にはベースケース。
その隣には、使い込まれた小さなスピーカー。
どこを見ても、司先輩の部屋だと思う。
陽葵
「……黒崎先輩っぽい部屋ですね」
司
「どういう意味だ」
陽葵
「きっちりしてるけど、ちゃんと音楽の匂いがする感じです」
司先輩は一瞬だけ黙った。
それから、少しだけ視線を逸らす。
司
「……そうか」
この人はほんとうに、褒められ慣れていない。
陽葵
「資料って、何を見るんですか?」
司
「文化祭の映像だ。成功した年と、失敗した年の両方ある」
陽葵
「失敗した年もですか」
司
「成功例だけ見ても意味がない」
すごく司先輩らしい。
パソコンに映し出された映像を、二人で並んで見る。
成功した年の軽音楽部は、音がひとつにまとまっていた。
観客の空気まで巻き込んで、自然に前へ引っ張っていくようなステージ。
失敗した年の映像は、それとは正反対だった。
音がずれるというより、気持ちがそろっていない。
全員が別のところを見ている感じが、画面越しにもわかる。
しばらく黙って見てから、私はぽつりと言った。
陽葵
「黒崎先輩って、本当に軽音楽部のこと大事なんですね」
司先輩の手が止まる。
表情は変わらない。
でも、空気は少し変わった。
司
「……当たり前だ」
陽葵
「当たり前って言う人ほど、たぶんすごく大事にしてます」
司
「朝倉」
陽葵
「はい」
司
「お前は、たまに人の懐に入りすぎる」
少し低い声だった。
責めているわけじゃない。
でも、軽い声ではなかった。
陽葵
「すみません」
司
「責めてはいない」
返しが早い。
早すぎる。
司
「……ただ」
その一拍が、妙に長い。
司
「簡単に踏み込まれると、困る」
胸がどくんと鳴った。
意味を理解するまでに、一瞬かかる。
でも、たぶん今のは、この人なりのかなり本音だ。
陽葵
「それは……」
私は喉を鳴らした。
陽葵
「黒崎先輩が、困るってことですか」
司先輩が、私を見る。
まっすぐに。
眼鏡の奥の視線はいつも冷静なのに、今だけ少しだけ逃げ場がない。
司
「……そうだ」
短い。
でも、まっすぐすぎた。
心臓がうるさい。
なんでそんなふうに、はっきり肯定するんだろう。
陽葵
「ずるいです」
司
「なぜ俺が責められる」
陽葵
「そうやって急に真面目な顔で本音を言うの、ずるいです」
司先輩は一瞬だけ目を見開いて、それから小さく息を吐いた。
その仕草が、少しだけ困っているように見えて、胸の奥がきゅっとした。
司先輩は、きっと昔からこうやって一人で抱えてきたのだと思った。
誰にも見せず、弱音にもせず、壊れないために自分を固めて。
その静かさが、少しだけ痛々しかった。
私はなんとなく視線を逸らそうとして――その瞬間、机の端に置かれたファイルに肘が当たりそうになった。
司
「危ない」
伸びてきた手が、私の手首を先に掴んだ。
息が止まる。
ほんの一瞬。
でも、距離が急に近い。
司先輩の指先はあたたかくて、驚くほどしっかりしていた。
司
「……何をしている」
陽葵
「す、すみません」
司先輩はすぐに手を離した。
でもそのあと一瞬だけ、私の指先を見た気がした。
陽葵
「今のほうが危ないです」
司
「何がだ」
陽葵
「心臓に悪いです」
言ってから、しまったと思った。
何を言ってるんだろう、私。
司先輩がぴたりと止まる。
司
「……朝倉」
陽葵
「はい」
司
「今のは忘れろ」
耳まで赤かった。
それを見てしまったら、もうだめだった。
気づけば、窓の外はすっかり夜の色に変わっていた。
さっきまで薄青かった空は、もう群青に近い。
部屋の中には、やわらかな明かりが落ちている。
その光の中にいる司先輩は、学校にいるときより少しだけ輪郭がやわらかく見えた。
陽葵
「……あっ」
思わず声が漏れる。
思っていたより、ずっと長くここにいたらしい。
そのとき、部屋の外からやわらかな声がした。
みく
「司、朝倉さん。そろそろご飯できるけど、どうする?」
陽葵
「えっ」
扉が少し開いて、みくさんが顔をのぞかせる。
みく
「よかったら、食べていかない?」
あまりにも自然な言い方で、一瞬返事に詰まった。
陽葵
「い、いえ、そんな、悪いです……!」
あや
「えー、むしろここで遠慮されるほうが気まずいよ?」
いつの間にか後ろからあやさんまで顔を出している。
みく
「今日は少し多めに作ってるし、大丈夫よ」
私は思わず司先輩を見る。
司先輩は少しだけ黙って、それから視線を逸らした。
司
「……遅い時間に一人で帰すのも気になる」
陽葵
「え」
ぼそっとした声だった。
でも、たしかにそう聞こえた。
あや
「はい出た、司の不器用な引き止め」
司
「違う」
あや
「違わない」
みくさんがくすっと笑う。
みく
「じゃあ、決まりね」
断る隙は、もうなかった。
食卓は、思っていた以上ににぎやかだった。
みくさんの作ったご飯は、どれもやさしい味がした。
炊きたてのご飯。味噌汁。煮物。卵焼き。焼き魚。
どれも派手じゃないのに、ほっとする。
この家には、ちゃんとあたたかさがある。
でも、そのあたたかさに守られることに、司先輩はあまり慣れていないのかもしれない。
誰かに気づかうより先に、自分が気を張ってしまう癖が、まだ抜けていない気がした。
陽葵
「……おいしいです」
みく
「よかった」
あや
「司、こういうときぐらい何か言えば?」
司
「何を」
あや
「“口に合ってよかった”とか」
司
「……姉さんが作ったんだろう」
みく
「そこじゃないのよ」
思わず笑ってしまう。
司先輩が、少しだけ居心地悪そうに箸を持ち直した。
その顔が、学校では見たことのないくらい年相応で、少しだけ胸がくすぐったくなる。
食事の途中、みくさんがふと私を見る。
みく
「朝倉さん、司は学校でちゃんとしてる?」
陽葵
「はい。すごくちゃんとしてます」
あや
「ちゃんとしすぎて面倒くさいでしょ」
陽葵
「それは、ちょっとだけ」
司
「朝倉」
陽葵
「でも」
私は少しだけ笑った。
陽葵
「ちゃんとしてるから、みんな助かってると思います」
司先輩の箸が、ぴたりと止まる。
みくさんとあやさんが、同時に司先輩を見る。
あや
「司、今ちょっと照れた?」
司
「照れていない」
みく
「耳、赤いけど」
司
「気のせいだ」
わかりやすい。
でも、そのわかりやすさが妙にうれしかった。
食事が終わるころには、すっかり夜だった。
玄関まで送ると言い張ったのは、また司先輩だった。
あやさんに「そこはちゃんと送るんだ」と茶化されて、みくさんに「また来てね」と微笑まれながら、私は靴を履く。
陽葵
「今日は、ほんとうにありがとうございました」
司
「礼を言うほどのことではない」
陽葵
「あります。資料も見られたし、ご飯もごちそうになったし」
一瞬迷って、それから続ける。
陽葵
「……黒崎先輩のことも、少しだけわかった気がします」
司先輩が、ぴたりと止まる。
司
「何をだ」
陽葵
「家だと、ちょっと違うんだなって」
司
「忘れろ」
陽葵
「無理です」
即答すると、司先輩はまた小さく息をついた。
でも、その吐息はもう完全な諦めではなかった。
玄関の外に出ると、夜の風が少しだけ冷たい。
さっきまでの食卓の湯気が、まだどこか胸の奥に残っている気がした。
門のところまで来たとき、不意に司先輩が私の腕を軽く引いた。
陽葵
「……っ」
一瞬、体が止まる。
車道側に出かけていた私を、歩道の内側へ寄せただけだと、すぐにわかった。
でも、わかったあとで余計に胸が跳ねた。
司
「前を見ろ。危ない」
低い声。
いつもと同じ注意みたいなのに、距離だけが近かった。
陽葵
「……はい」
顔が熱い。
司先輩はすぐに手を離した。
何でもないことみたいに。
でも、何でもないわけがない。
夜の風は冷たいのに、胸の奥だけが妙に熱かった。
この人はたぶん、優しいのに優しいままではいられなかった人だ。
そう思ったら、目をそらす方が難しかった。
その沈黙のまま数歩歩いて、ようやく司先輩が言う。
司
「朝倉」
陽葵
「はい」
司
「ちゃんと食べていって正解だった」
陽葵
「え?」
司
「お前、遠慮すると本当に食べなさそうだから」
呆れたみたいな言い方なのに、その実ちゃんと見られていたことがわかって、胸が熱くなる。
陽葵
「……見てたんですか」
司
「見ていた」
さらっと言うから、余計に困る。
司
「今日見たことは、部のために使え」
陽葵
「はい」
司
「……あと」
また、一拍。
この人の一拍はずるい。
司
「家のことは、あまり部で話すな」
陽葵
「お姉さんのことですか?」
司
「全部だ」
陽葵
「どうしてですか」
司先輩は少しだけ視線を外す。
そして、ぼそっと言った。
司
「面倒だからだ」
陽葵
「本音は?」
司先輩はしばらく黙った。
それから、観念したみたいに小さく息をつく。
司
「……お前に見られたなら、もうそれでいい」
心臓が、一回大きく跳ねた。
今のは、たぶん聞き間違いじゃない。
司先輩は自分でも言いすぎたと思ったのか、すぐに眉を寄せた。
司
「忘れろ」
陽葵
「無理です」
さっきと同じ返事なのに、今度はちゃんと笑って言えなかった。
司先輩の耳が、また少しだけ赤い。
それを見てしまったら、もうだめだった。
司
「……気をつけて帰れ」
陽葵
「はい」
少し歩いて、振り返る。
司先輩は門の前に立ったまま、こっちを見ていた。
まっすぐで、静かで、でも学校にいるときより少しだけやわらかい目だった。
胸の奥が、じんわり熱くなる。
冷たい人じゃないって、私はもう知っている。
でも。
知れば知るほど、この人は難しい。
難しいのに、もっと知りたくなる。
それが今の私には、いちばん困ることだった。