メタ要素のある絵本をいろいろ探してみた
絵本出版のお知らせ🎉
— みゅたろー (@myutaro_ooooo) July 6, 2025
アルファポリス様「第15回絵本・児童書大賞」ちょっとこわい絵本賞受賞!
『たべていいよね』が出版されました✨
子供から大人まで「怖い」を楽しめる絵本ですので、ぜひ読んでみてください🐺
書籍情報↓https://t.co/VKyMrMyn0n pic.twitter.com/CxBuhyWKdv
みゅたろー氏の絵本『たべていいよね』がツイッターで話題になっていました。
ヒエ…
— 紀伊国亭 むじな 🦡ムジラー🦡 (@mujina_kinokuni) April 9, 2026
絵本でやっていいんだこの演出… pic.twitter.com/pDns2qePzh
お腹をすかせたオオカミが動物たちを食べ尽くしてしまい、「…まてよ まだいるぞ ずーっとみているやつが」とひとりごちて、とつぜん読んでいる "こちら" 側を向いて「きみだ」と笑いかけてくる。
いわゆる第四の壁を破るメタフィクションのホラー演出がある絵本ということで話題を集めていました。
こちら↑の公式サイトから全ページ試し読みできるので、ぜひ読んでみてください。個人的には、誰かを食べるたびに、背景が黒くなり「たべていいよね」というタイトルがどでかく表示される演出が何度もリフレインされるのが、センスのいい映画っぽくてよかったです。(公式の朗読動画もある)
ただ、元ツイートの文言「絵本でやっていいんだこの演出…」が少しだけ頭に引っ掛かりました。
・・・こういうメタ要素がある絵本ってむしろありふれているのでは?
と。
私もべつに絵本に詳しいわけではないため、パッとメタ絵本の例が思い付きはしないのですが、子どもの頃読み聞かせされていた記憶を振り返ると、「こちら側」に語り掛けてきたり、「こちら側」が絵本のなかに働きかけることのできる絵本は、珍しくなかったように思います。だって、子どもって絶対こういうの好きですからね。
「読み聞かせ」を前提にしている絵本も多いでしょうから、子どもたちが物語に興味を持って主体的に参加できるような仕掛けはどう考えても効果的でしょう。
……『たべていいよね』に新規性がないと言いたいわけでも、元ツイートの方に「お前は間違ってる!!」と言いたいわけでもありません。
せっかく絵本がバズっているのだから、この機会にメタ絵本が他にないか調べてみよう!と思いました。
まずはインターネットの集合知に頼って、このツイートの引用RT欄を開き、近しいメタ絵本を挙げてくださっている方がいないかザーっと眺めてみました。
また、運のいいことに、親が絵本にそこそこ詳しいため、LINEでメタ絵本がないか訊いてみました。
すると、何冊かのメタ絵本を知ることができたので、それを1冊ずつ紹介したいと思います。順番はテキトーです。
1冊目『ぜったいに おしちゃダメ?』
ビル・コッター作、アメリカ、2017年邦訳

累計110万部を突破している『ぜったいに おしちゃダメ?』シリーズの1作目。
本をひらくと、ラリーという紫色のキャラクターがいきなり「こちら」に話しかけてきます。


左ページにある赤いボタンをおしちゃダメだし、ボタンのことをかんがえてもダメだといいます。

おしちゃダメだと言われたら、ひとはおしたくなるものです。(読み聞かせならば、ここで聞き手の子どもたちに本を近づけて「どうする? おしちゃう?」と問いかけたりするところでしょうか)
誘惑に負けてこのボタンを押してしまう前提で、物語は1ページごとに進んでいきます。
読み手が、本のページのなかの物体にさわったり、この本を振ったり(シェイクしたり)することで、ルールが破られてどんどん不思議な、おかしなことになっていく……という構成の物語です。
登場人物が読者に話しかけてくるだけでなく、読者が絵本に働きかけることで、作中世界に変化が起こる、という双方向の越境をあつかっているタイプのメタフィクション絵本でした。
やはり、絵本とは、この電子書籍が一般的になったデジタル社会においても、最後まで紙の、物質としてそこにある媒体であることに意味がある芸術メディアなのでしょう。児童の発達心理的にも、スクリーンではなく紙の本のほうが読書/読み聞かせ効果は大きそうですよね、なんとなく。
作者ビル・コッターさんのインタビュー記事
2冊目『まくらのせんにん そこのあなたの巻』
かがくいひろし作、2010年

枕モチーフの「まくらの仙人」、敷布団の「しきさん」、掛け布団の「かけさん」の3人組の道中を描いた《まくらのせんにん》シリーズのひとつ。
ある日まくらのせんにん一行は、ゾウやキリン、ウサギなどの動物たちが地面に埋まっている光景に出くわします。


そして遂にはまくらのせんにん自身も埋まってしまう始末。この大ピンチに、せんにんはいいます。
「う~む。こうなったら、”そこのあなた”にたのむしかないな」
ここで第四の壁が破られ、読者はまくらのせんにん達を助けるために、言われた通りに、この絵本をさかさまにひっくり返して、うえをトントンと叩くことになります。
これもやはり、読み手が作中世界に働きかけることを前提とした物語であり、本作はなかでも、シリーズ過去作で親しみを育んできたまくらのせんにんを助ける、というポジティブな影響を与えられるメタ作品です。プリキュアの応援上映みたいなものですね。
大人がなんとなく思っているのとは正反対に、子ども向けの物語ほど、作品内と外との垣根はゆるいものであり、いとも容易く超えられるものなんだと思います。幼かったころは、実在の友だちも、物語のなかのキャラクターも、そんなに区別せずに頭のなかで認識していた……という経験が、誰しもあるのではないでしょうか。
『そこのあなたの巻』は、単体作品のメタフィクションではなく、(とくにメタ要素のない)シリーズのなかの単なる1作品、という位置づけなのもいいと思います。メタがあってもいいし、なくてもいい。そういう、肩肘張らない軽やかなスタンスが伝わってくるような気がするからです。
3冊目『まるまるまるのほん』
エルヴェ・テュレ作、フランス、2010年邦訳


フランス発・ポップな色づかいがオシャレな絵本。
えほんの まる がうごきだす
ほんを ひらいて、 まる をおして、
こすって、くりっくして ごらん・・・・・・
あかちゃんからおとなまで、すべてのひとの感じる心へ
こちらはまだ読めていないんですが、『ぜったいに おしちゃダメ?』と同様に、ページに描かれているものに触れたり、本をゆすったりすることでページが進んでいく絵本のようです。(というか、こちらが元祖らしい)

フランスの絵本作家エルヴェ・テュレさんの作品を、詩人の谷川俊太郎さんが翻訳した、2010年刊行の元祖・読者参加型絵本。
「きいろい まるを おして つぎへ いこう」の一文から始まるこの絵本は、「読む」だけではなく、「本全体を使って遊ぶ」ように楽しむユニークな1冊です。ページの「まる」を押して、こすって、ゆすって……次は、どうなるかな? インタラクティブ絵本が馴染み深いものとなった現在でも、シンプルな色と形で大胆に展開するその内容は、いつまでも新鮮さを失わない傑作絵本です。
「元祖・読者参加型絵本」! 「インタラクティブ絵本」というジャンルがあるんですね。知りませんでした。
こちらは「物語」というよりも、語り手がいて、ページには色とりどりの「まる」が描かれているだけ。登場人物と呼べるものはいません。絵本ってなんて自由なんでしょう・・・
4冊目『きみは しっている』
五味太郎 作、1979年

先ほどの『まるまるまるのほん』が2010年刊で「元祖・読者参加型絵本」と謳っていましたが、"元祖" はこちらでは……? 30年以上前に刊行されています。
今回紹介した本は『たべていいよね』を含めてどれも面白かったですが、なかでもこの『きみは しっている』は特にすごかったです。さすが、絵本界のレジェンド五味太郎・・・・
何がすごいって、メタネタを、一回きりの衝撃のギミックとしてではなくて、二転三転させて使っているんですよね。
ちょっと丁寧にあらすじを追ってみます。

まず、
いいかい!? このほんを いま よんでいる きみ!
これは ぼくのにくだぞ。
ここに かくして おいたことを, よく おぼえておいて くれたまえ。
と、冒頭から作中キャラの鳥(コンドル)が読者に語りかけてくる上に、頼みごとをしてきます。
つまり、作中の登場人物と作品外の読み手のあいだに「会話」と、そして「約束」が(一方的ではあるものの)交わされました。
しかし、「よくみはってておくれよ」と頼んで鳥が去ってからすぐに、キツネに肉が盗まれてしまいます。
読者は鳥に頼まれたことを完遂できません。
つまり、ここでは読み手が作中へと干渉できない、という本質的な断絶性・不能性が提示されているのです。
だれかに とられたんだ!
きみに ちゃんと みはりを たのんで おいたのに!
そうして、怒った鳥は、肉を盗んだ犯人を見ていた読者に尋ねるのではなく、自分で犯人探しをはじめます。
この時点で、物語冒頭に生じていた鳥と読者の信頼関係・共同性は損なわれています。

鳥はいろんな動物を犯人だと疑うものの、真犯人を見つけられません。
そして
だれかが みていたことだけは たしかだ。ゆうべのこと……つまり,
このほんの さいしょから……だれかが みていた……!! そうか! わかったぞ!
はんにんは
きみだ!!
と、顔面ドアップの構図でこちら側を指差してきます。
さいしょから このほんを みていたのは きみなんだ!
にくを ぬすんだのも きみだ……!?
肉を見張っていたはずの「読者」が、まさしく「みていた」ことによって、肉を盗んだ「犯人」にされてしまうのです!
ここでは、本を読む(みる)ということの不能性ではなく、作中世界への侵食可能性に話がすり替わっています。
ところが、その隣のページで鳥は
ごめん ごめん!!
つい, かっとしちゃって, まさか きみが ほんのなかのにく
ぬすめるはず ないよね。ぼくって あわてんぼうだねえ……。
と態度をコロッとあらためます。
読者が「ほんのなかのにく」を盗めるはずがない、と再び非-越境性が(今度は登場人物じしんの口で!)明言されるのです。
次の見開き2ページでは、さまざまな動物たちが平原に描かれているイラストがあり、
そっと おしえて おくれよ……
ぼく, もう おなかが ペコペコ, つかれたよ。はんにんは じぶんで
さがすって いっちゃったけど……, ねえ, きみ おしえてくれないか……。
と、再び鳥が読者に助けを求めてきます。
読み聞かせであれば、ここで子どもたちから「キツネ! キツネ!」「そこ! 右下にいる!」と、多くの声が飛び交う場面でしょう。
これまでちゃんと話を聞いて観察していれば答えられる、簡単なクイズになっています。こうして子どもが作中世界に主体的にのめり込むことができる仕組みです。実にすばらしい。
鳥の最初のお願い──肉を盗まれないよう見張ることは叶わなかったけれど、今回のお願いならば、鳥に情報を提供して助けることができる。つまり、読者の有能性がまたまた立ち現れ、今度は実際にそれが効果を発揮する(というプロットになっている)んです。
さて、ここまで、登場人物が「みている」読み手を認識してお願いをしてくることで、読者がフィクション世界へ働きかけることができるか否か、その可能性と不可能性について、鳥との信頼関係の揺れ動きのもとで二転三転する様子が描かれてきました。
これ自体が、単にキャラが第四の壁を超えて読者に話しかけてくるだけのメタフィクションではなく、読者とフィクションの関係に対する見事な議論であり批評になっています。
ところがこの絵本はさらに、ここから大オチを仕掛けてくるのです。
ぜひ実際に読んでみてほしいので、ここでオチを詳らかには書きません。
──このほんの 4ページ, 5ページ, そして6ページ, 7ページを
もっと よく みなおして ごらん!
ただ、こうした「ページ」という、作中世界が絵本であるとまで認識しているようなキャラの言及や、犯人をキツネだと教えてあげられる先ほどの場面でいった「よく観察していればわかる」という言葉の意味が再び読者に襲いかかってくる、とだけ言いましょうか。
肉を盗まれることをただ見ているしかなかった読者の「無能性」が、覆されて問い直される展開が待っています。
そして、最後の鳥の
もうひとりの あわてんぼうって だれのこと?
という台詞によって、鳥と読者のあいだに再び、共犯関係ならぬ共同性が復活して、この楽しい絵本は終わります。
実に見事なメタフィクション作品だと思いました。
簡潔にしてよくできた犯人当てミステリでもある。そう思いました。
なにより、物語展開のみならず絵がめっちゃ良かったです。夜の月の表現とか、魅入ってしまいました。
さすがに「不朽の名作」すぎる・・・・・・
ちょっと五味太郎作品を読み漁ってきます…………
5冊目『いるのいないの』
京極夏彦作、町田尚子絵、2012年

岩崎書店の「怪談えほん」シリーズの1冊にして、怪奇ミステリの大家・京極夏彦と、猫の絵でも有名なイラストレーター・町田尚子がタッグを組んだ作品。
こちらも引用RTで挙げられていたのですが、まだ読めていません(昔読んだ気もする)。
怪談・ホラーとメタフィクションって古来より相性いいですよね。そもそも『たべていいよね』がそうですし。
登場人物が「こちら側」を認識して見られているという恐怖と驚きは根源的なものがあります。「視線」をめぐるドラマこそホラーの華でしょうから。
ほんとうにメタ要素があるのか、ないのかは、これから読んで確かめてみます……!
6冊目(おまけ)『どこいったん』
ジョン・クラッセン作、カナダ、2011年邦訳

最後に、元ツイートの引用RTにて挙げられてはいたものの、メタ絵本というわけではなかった『どこいったん』を(せっかく読んだので)紹介します。
『たべていいよね』に近い絵本として挙げられていたのは、メタ要素ではなくて、「食べちゃう」要素でした。

ぼうしを無くしたくまが、いろんな動物を尋ねて歩きます。

のぼーっと突っ立ったくまのシルエットと「ぼくのぼうし どこいったん?」という台詞がページごとに反復される構成は心地よいです。
なにより、日本語の翻訳が関西弁なのがとてもいい味を出しています。

ドキッとするオチですが、そのあとの余情がたまりませんでした。
『いるのいないの』然り、絵本って残酷だったり恐ろしかったりするものも結構多いですよね。
なのにわれわれはいつの間にか、大人になってそれを忘れて、「絵本なのにこんなコワい展開でいいの? 子ども泣いちゃわない?」などと言ってしまうのです。絵本だからこそ、なのに…… かなしいですね。
「子どもには刺激が強すぎない?」と心配する大人がよくいますが、「子どもは刺激が強いものほど好き」なのだと、忘れてしまったんですね……
まとめ感想:絵本とメタフィクション
『たべていいよね』が話題になっていたことで興味を持った「メタ絵本」というジャンルですが、やはり過去にもいろんな作品があったのだとわかりました。
やっぱり絵本って、電子書籍ではなく物質的なモノとしての「本」がそこにあることが重要だし、その物質性が、読み手(子ども)を物語へと主体的に参画させるためのギミックに使われることの多いメディアだと感じました。
そして「読み聞かせ」も主要な用途として前提にされていることから、いかにダイナミックに、キャッチーに、聞き手の子どもたちを引き込むか……という試行錯誤の積み重ねがあるからこそ、メタフィクション要素だって盛んに取り入れられてきたのでしょう。
よくゲームの感想で「プレイヤーと作中世界/物語のインタラクティブ性がすごい!」といわれますが、絵本ってゲームよりもずっとインタラクティブなメディアなのかもしれないですね。
今回、メタ絵本を何冊か読んでみて特に思ったことは2つあります。
①絵本を「子ども向け」だと侮らないほうがいい
絵本は、想像力豊かな、まだ現実と虚構の区別があいまいな子どもを主要な対象としていることから、大人向けのジャンルよりもずーっと実験性に富んだジャンルです。子どもは正直です。つまらない絵本には見向きもしない。だから、いかにして趣向を凝らして子どもたちを物語の虜にするのか。そうした大人たちの研鑽が絵本に結実しています。だからメタ演出だって盛んに取り入れられてきたのです。
絵本だけでなく、「子ども向け」とつくものは、それが真に子どものことを想って作られているものであれば「大人向けのジャンルよりも程度が低い/浅い」のではなくて、むしろ「大人には楽しみ方を忘れてしまったほどに自由で豊かである」のだとわたしは信じています。
そしてもうひとつ。
②メタ演出を「大人向け」だと思いすぎないほうがいい
大人は、というかネットのオタクは、メタフィクションを過剰に持ち上げるきらいがあるように私は常々思っています……とある同人恋愛ノベルゲームがsteamで大ヒットしたときくらいからでしょうか。
けれど、メタ絵本がありふれているように、メタ要素って、実は大人になってから出会うべき、ものすごく込み入っていて高尚なもの……というよりは、子どもでも楽しめる、もっともキャッチーで初歩的で原始的で「幼稚」な演出のひとつだとわたしは思っています。
もちろん今使った「幼稚」とはネガティブな意味ではありません。子ども向けの絵本で仕掛けられるメタ要素は、繰り返すように子どもを物語の世界へ引き込みたい、フィクションを好きになってほしい、少しでも楽しい体験をしてほしい、という想いが詰まったものですから、この幼稚さはどこまでも尊いものです。
大人向けのメタフィクションでは、それが単にメタフィクションである、という事実に胡坐をかいて、それだけで褒めそやされるものだと誇っているような作品ならば、わたしは苦手です。
好きなメタフィクションはいっぱいありますが、それは「メタだから」ではなく、メタなのは前提として、メタであることで何を表現しようとしているのか、どこに到達しようとしているのか、何を問い直そうとしているのか──という「その先」が面白いからです。
メタ要素は、子どもを含めてまず誰しもが触れる、もっとも手前にある幼稚な演出なのだから、使いどころは難しいです。やり方が下手だと、その作品が一気に陳腐でしょうもないものに堕ちてしまいます。だからこそ、すべてのメタ作品は、その「低すぎるハードル」の扱い方・乗り越え方に注意するべきなのだと思っています。
だからわたしは──賛同を得られるかどうか分からないけれど、こう宣言してこの記事を終えたいと思います。
メタフィクションを好きな皆さん、もっとメタフィクションに厳しくなって、この世により良いメタフィクションを溢れさせましょう!
あと、みんなでもっと絵本を読みましょう!!
自戒をこめて。
~毎月更新しているシリーズ~
