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芋出し画像
Photo byryokoyunoki

゚ピロヌグ

    門掛倕垌-Kadokake Yu ki-

    1


     私を蝕むしばむ病名を告げられたずき、父の凄惚な最埌が頭をよぎった。父は匷い人であった。平たく短い指ず爪の間にはどうやっお入り蟌んだかわからない土により黒く汚れおいた。父ず2人で湯济みに行ったずきに「指にバむキンは入らないの」ず、幎霢を片手で衚すこずができる子どもだからこその質問を問いかけた。若干の䞍安や心配もあっおのこずだろう。
     「父ちゃんは匷いから倧䞈倫だ」ず、笑っお答えた父の顔を今でも思い出す。
     父は劎働のため過床に焌かれた皮膚は、䜿い叀されたコヌドバンのような光沢ず匵りがあり、仕事により培われたに筋肉は父の蚀葉を真実であるこずを瀺しおくれた。
     しかし、その真実は氞遠には続かないずいうこずを、幌い私は知りもしなかったし、きっず父も考えおすらいなかった筈だ。子どもが10歳を迎える姿を芋るこずができないなんお。
     父の最初の異倉は、匂いだったず思う。高等郚にいた頃に長い期間新鮮な空気に觊れる機䌚が無かった矊皮玙の孊術曞を手に取ったこずがある。孊術曞を開いた瞬間、叀曞の若干の黎かび臭さずも違う〝もたれる〟様な嫌悪感を䌎う腐臭が錻を぀いた。それず同時に物心぀く前に逝った父の病床の姿を想起した。
     生きながらに父の䜓は朜ちかけおいたのだろう。
     父の病名は、父の職堎では避けおは通れない所謂〝倧人の嗜み〟の吞匕が原因であるず蚀われた。圓時の父の〝倧人の嗜み〟ぞの入れ蟌みようは自慢の歯を黄色に染め䞊げ、右手の人差し指ず䞭指からは父の吐く息ず同じ銙りがする皋であった。そのため、その病名が告げられた際に父はどこか玍埗しおいたのではないだろうか。
     今はどうしたっおその感情を知るすべはないが、そんな気がしおならない。
     
     父は気を遣い、厠かわやに立ち、身䜓を砕く様な音の咳を幟床も挏らした。その残酷な音は薄い戞板の壁など党く意味を持たなかった。泥酔者が幟床ず繰り返した嘔吐のあず胃液ずも唟ずもわからないものを吐き出す、あの濁流の音を父は懞呜に抌さえ蟌もうずしおいた。い぀しか父の咳には色が぀き始めた頃、それ以䞊の悪化はなく氞遠にその咳から解攟された。
     
     父のそんな姿を芋おいた私は、「遺䌝的な芁因が倧きいでしょう」ず、淡々ず口にする医垫に向っ腹が立ち、そこからは目の前の癜衣を着たク゜逓鬌に察する怒りに思考の領域が割かれたこずだけは蟛うじお芚えおいる。「ご家族ずの残された時間を有意矩に——」ダツの蚀葉が人道的な配慮に差し掛かったずころで、自分の奥歯を噛み砕かなかったのは奇跡的な快挙であった。䜕幎も同じ科癜を、この堎所で私ず同じ理由で来院した患者に話しおいるのだろう。今日の科癜も、きっず明日来院する私ず同じダツのための緎習に過ぎないのだろう。ダツは私の目を芋おいるようで、その実今この堎の状況を眺めおるに過ぎないのだ。膝を぀き合わせお話しおいるダツず私ではあるが、恒星むカロスず地球ほどの歩み寄りすら、私は感じるこずができず家路ぞず぀いた。
     
     「残念ですが——」その蚀葉はたるで遥か以前から準備しおいた様に、取り乱すこずなく聞き入るこずができた。今埌の生掻や残された時間に話が及んでも、私の心持ちは倉わらず平静そのものであった。しかし、いざ病院を埌にしお屋敷たでの道䞭に心の小さな揺らぎを感じた。その揺らぎが心残りずいう感情であるこずを、随分埌になっお知った。
     
     愛する人を遺しおこの䞖を去る無念、その気持ちがどうしお死んだ瞬間に消え倱せる。
     
     孊び発展させおきた道理が眷たかり通らない。
     
     今生きおいる、しかし、次の刹那には鬌籍かもしれない。
     
     䌝えるべきずきに䌝えるこずの叶わない事実。
     
     䌝えるべきこずの意味が倉わっおしたう。
     

    2


     私は絶叫しおいた。
     理由はわからないが、痛みのためではない。いや、その刀断すら私には぀かない。
     私はなぜ絶叫しおいるのか、そもそもい぀から私は絶叫しおいるのか、こずの起こり、始たりが思い出せないのだ。
     觊芚が䜓毛の隅々たで浞透し、
     その感觊により自身の茪郭をがんやりず理解できる。
     それらの情報は党お同時である。
     わからない。わからない。わからない。
     留めるべき蚘憶の取捚遞択ができない。
     觊られ、光が、音が、動けない。
     私は絶叫した。
     ただ死にたくなくお絶叫した。
     頭に響く叫びは地脈に赀赀ず掻きる溶岩、前埌䞍芚を匷いる暎颚雚、そんな超自然的な灜害の䞭でありながら、私は1人で時を積み䞊げおいる。
     私の絶叫が霎もたらした成果ずいえば、このような状況でも人はおろかその他の動怍物の呜を感じるこずができないずいう、絶望の蚌明だけが残った。
     頭蓋を揺らす絶叫の䞭、私はたず自分の目が閉じおいるのではなく開いおいるこずに気づいた。
     そしおたた絶叫。
     私の目は垞にカヌテン状の暖色に圩られたオヌロラが぀いおたわり、どんなに目を凝らしおも像がはっきりずしない。
     これは死期によっお霎される、意識の混濁なのかもしれない。
     私は力の限り絶叫を繰り返した。
     この絶叫だけが、私はただ生きおいるこずを自芚する唯䞀の方法であった。
     そしお、その絶叫ず混乱が入り乱れる䞭、忘れおはいけない愛しい人の名前だけがけが正気の支えであった。
     ——私はお前を初めお抱いたあの晩、守り抜くず誓ったあの玄束を果たしおいない。
     私は生きなければならない。
     愛する人が独りずなる時間を刹那でも取り陀くため、私は生呜掻動の限り幟床ずもなく絶叫した。
     

    3


     100幎が経った。
     いや、正確な期間はわからない。
     既に忘华の流砂に飲み蟌たれた、蚘憶もあるだろう。
     しかし、その蚘憶を探玢する䜙裕は皆無であった。䜕かをしようずする瞬間、感情に支配されるこずのない肉䜓が私の頭蓋ぞ、絶え間ない情報を流し蟌んだ。
     䞀芋するず穏やかに芋える湖畔の衚面も、絶え間ない揺らぎを受けおいる。
     その揺らぎは固着するこずなく䌝え運び波王を成す。
     そんな予枬のできない波の揺らぎが私の頭にも垞に抌し寄せおいた。
     波は揺らぎを無芖するこずはできなかった。
     
     それが私の肌からの信号であるこずを、随分埌から知った。
     連続した思考など、到底無理であった。断続した時間の䞭に、
     
    〝栂森〟の名前だけが浮かんでは消えた。
     
     どれくらいの時が経ったのだろう。
     
     栂森の蚘憶はもはや抜象画のような有様だった。
     感情の暎颚雚に晒され続けた幟倚の語圙は、悲運を遂げた䞖界䞀有名な豪華客船の劂く、忘华ずいう名の海底ぞず消えた。
     最早、日々の䞭に堆積されおいるこの蚘憶を手攟すのも時間の問題であった。
     次の瞬間、栂森は栂森であるこずを忘华しおもおかしくなかった。

    4


     〝栂森吏壱〟ず蚘された絵本ずの出䌚いは、それたでに抜象的であった蚘憶が再び意味を取り戻した瞬間であった。
     
     わたしはこの瞬間のために生たれたのだ。
     
     感情を読み解き、蚀葉にするずこの様になるだろう。
     
     俗物な衚珟ずなるが、私は愛す者のために転生した——いや、転生を成し遂げたのだ。

    5


     䞀瞬前の自分を信じるしかない。私は私だ。今私が芚えおいるこずだけを芚えおいればいい。
     倱う恐怖は垞に寄り添っおいた。倱う恐怖すら忘れるのではないか。それは自分を疑いだす恐怖。
     忘れおはいけない。ずいう抂念をもう理解できなくなるかもしれない。
     䌚いたい人がいるずいう䞀心のみで䞀瞬刹那を重ね、1日を終える。
     
     私は栂森。䌚わなければいけない人がいる。
     その愛する人が亡くなっおしたったら
     その愛する人が私に気付かなかったら
     そんな䞍安に幟床も絶叫をしながら、時を重ねるこずだけに幞犏を感じる、ただ耐え忍んだ。


     「どなたでしょうか」
     「このお屋敷、昔、女性の䞁皚奉公を雇っおいたせんでしたか」
     「さあ、どうでしょうね、わかりたせんね」
     「その女性には小さの子どもがいお、座敷の囲炉裏の火掻き棒で顔の巊偎に火傷を負ったそうです。その子が倧きく、立掟になっお、そのお屋敷が売りに、出たずき、その、おやしきを、ははずの、おもいでの、ばしょだからず、かっお、いたでもすんでるなんお、ほんずに、しらないの」
     愛する人ぞ玡ぐべき蚀葉は、呌吞すらたたならなくする嗚咜ず涙に阻たれる。
     「䜕が蚀いたいのですか」

     「りヌちゃん、ただいた」

     「母さん」
     理屈ではなく栂森吏壱は呟いた。そう、それは垞識ではありえない蚀葉を。

     瞬間、母の息子に䌚いたい䞀心で耐えた17幎は報われた。
     
     
     
     



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