
【飯食ったか。】 最終話
【最終話】
「飯食ったか?」
そう言いながらドアを開けようとして、手が止まる。
――今日は、法事か。
奥さんが亡くなったとき、あいつは気丈に振る舞っていた。だが、美咲ちゃんが出ていってからは、まるで抜け殻のようだった。
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俺は、何のために頑張ってきたんだ。
家族を守るためだったはずなのに、その家族を失った。
大の大人が、あそこまで泣く姿なんて見たことがない。思わずもらい泣きしたのを思い出す。
……今となっては、少しだけ笑える。
今度は「飯食ったか?」じゃなくて、「もう泣き止んだか?」って言ってやろうか。
くだらないことを思い出して、ひとり小さく笑った。
「さ、飯食いに行こう」
有村はそう言って、階段を降りていった。
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成瀬が寺に着いたときには、すでに美咲たちは来ていた。
「今日はご足労いただき、ありがとうございます」
美咲の夫、今井孝太郎に丁寧に頭を下げる。
孫の昴は美咲の足にしがみついて隠れているようだ。
「美咲」
名前を呼ぶと、目を合わせないまま、軽く会釈だけが返ってきた。
「お義父さん、少し時間がありますし、外で一服しませんか」
「ああ、そうだな」
振り返るが、美咲はもうこちらを見ていなかった。
「孝太郎くん、いつもありがとう」
写真を送ってくれた。誕生日も、七五三も。孫の成長を知れたのは、彼のおかげだ。
美咲は、いい人と結婚した。
そう思うほどに、胸の奥が熱くなる。
「昴、来年から幼稚園なんです。そしたら美咲もパートに出るって」
孝太郎は笑う。
「結構おっちょこちょいなんで、心配なんですけどね」
――おっちょこちょいか。
誰に似たんだろうな。
思わず、笑みがこぼれた。
「こうちゃん、お坊さん来たよ」
その声に、ほんの少しだけ胸が痛む。
――お父さん、じゃないのか。
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法事は滞りなく終わった。
このまま解散かと思ったとき、思いがけない言葉が耳に入る。
「こうちゃん、ちょっと実家に寄ってほしいんだけど、いい?」
心臓が、大きく跳ねた。
――帰ってくる。
毎日、窓を開けていた。いつ来るかもわからない部屋の空気を入れ替え、埃を払っていた。
そんな日が、本当に来るなんて。
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家に着くと、美咲は「すぐ戻るから」外で待ってていいよ。と言い残し、中へ入っていった。
「お義父さん、上がりましょう」
「でも……いいのか?」
「大丈夫ですよ。昴、行くぞ」
孝太郎に促され、後を追う。
リビングに通すと、昴は最初こそ隠れていたが、すぐに打ち解けた。
「じぃじ」
その呼び方に、胸がほどける。
人懐っこいところも、愛嬌があるところも――美咲にそっくりだ。
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美咲は、自分の部屋に入ったまま立ち尽くしていた。
「……何これ」
長く放置された部屋のはずなのに、空気は澱んでいない。埃も見当たらない。
まるで、今朝まで誰かが使っていたみたいに。
「こんなふうにしてくれてても……」
唇を噛む。
それでも、許せない気持ちは消えることはない。
探していた卒業アルバムを手に取り、部屋を出る。
視線の先に、父の書斎。
家にいるとき、父はずっとそこにいた。扉の向こうに閉じこもり、話しかけても――
「お母さんに聞いてもらいなさい」
その一言で終わった。
あんなの、父親じゃない。
そう思っていた。
だが――
ドアノブには、白い埃が積もり、上には蜘蛛の巣が張っている。
(……開けてないんだ)
自分の部屋は、あんなに手入れされていたのに。
そのとき、下から父の笑い声が聞こえた。
一瞬、幼い記憶がよみがえる。
肩車。
高くて、怖くて、でも嬉しかった。
昴と同じくらいの頃。
胸の奥が、じわりと痛む。
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「こうちゃん、お待たせ。帰ろう」
昴が言う。
「もっと、じぃじと遊ぶ」
「また今度ね」
美咲はそう言って、昴の頭を撫でた。
振り返らずに玄関を出ていく、その背中。
「また来るね」
その一言だけを残して。
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階段を上がり、美咲の部屋の前に立つ。
さっきまで、ここにいた。
それだけで、胸が熱くなる。
ふと、隣の扉に目をやる。
紙が貼られている。
――美咲の字だ。
【この部屋の掃除もしましょう】
視界が滲む。
声を押し殺すこともできず、成瀬は泣いた。
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その夜。
仏壇の前で、手を合わせる。
「もう七年か。早いもんだな」
「今日な、美咲が“また来る”って言ってくれたんだ」
嬉しかった。
それと同じくらい、苦しかった。
「家族を守るって、一人で突っ走ってた」
「金さえあれば、守れると思ってた」
「……間違ってたな」
しばらく黙る。
「ごめんな」
「たまには、お前の話も聞かせてくれよ」
蝋燭の炎が、静かに揺れた。
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次の日
いつものようにドアが開く音と共に
「飯食ったか?」有村の聞きなれた声だ。
「またそれかよ」
成瀬は笑う
。
「美咲ちゃん、会えたか?」
「……ああ。“また来る”ってさ」
「そうか」
と、有村の声がこもっている。
「……泣いてるのか?」
「なんでお前が泣くんだよ。」と成瀬は笑った。
「うるせぇな」
涙を拭う。
「ところでさ、前に言ってた“成婚率100%の裏技”って何だよ」
「ああ、あれな」
成瀬は、指をさした。
そこには、二見奈津美の結婚式の写真があった。
「彼女に聞いてみろ」
「え?なんで?」
「俺の技を使いこなしていたよ。」
そう言って、声を上げて笑う。
ひとしきり笑ったあと、ふっと息をつく。
胸の奥に、心地好い風が吹いた。
「さ、飯食いに行こう」
そう言って、成瀬はドアの外へ出ていった。
その後ろ姿を見ながら、有村は、ようやく成瀬が戻ってきたのだと感じた。
ただ元に戻ったのではない。
これまで身につけていた色々な鎧を脱ぎ捨てて、身軽になった最強の成瀬だ。
「なかなか来ないから戻ってきてみれば、何ひとりで笑ってんだよ。はたから見たら結構キモイぞ」
素の顔に戻った成瀬の声が飛んでくる。
さっきのは撤回しよう。
「早くしろよ」
今までの俺の苦労も知らずによく言うよ。
キモいと言われたのにも関わらず、また一人で笑ってしまった。
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その夜、いつものように仏壇の前に座った。
向坂一樹さん。
彼が最初に来たときは、胸が痛んだ。
昔の自分を見ているようで。
悩んで考えて苦しんで。
でも、気づいてからの変化はすごかった。
人って、あんなに変われるんだな、と驚いたよ。
この前、奥さんと一緒に会いに来てくれた。
話すのを忘れていたわけじゃないけど。
少しの間、こっそり胸にしまっておきたかったんだ。
……なんて言っても、君にはお見通しか。
AIに見せてもらったままの向坂さんが、そこにいたんだよね。
二見奈津美さんも、
結婚しましたって葉書をくれた。
君にも見せたよね。
今は事務所に飾ってある。
重い鎧を脱ぎ捨てて、清々しい笑顔だった。
最初は鎧を身につけてることさえもわからなかったのにね。
身につけてる、とわかったらすぐに脱げるものなのかもしれないね。
松瀬三香さんは、留学したそうだよ。
日本は空気を読めないと息苦しいって言って、自分で決めたんだ。
家に籠っていたと思ったら、いきなり海外なんて。家からだからか日本からも出ちゃうなんてすごい行動力だよね。
色々な人に出会って改めて思ったんだ。
人生は一度きりでも、どう生きるかは、いつだって選び直せるんだって。
有村には心から感謝してる。
彼がいなかったら、俺はこんなにたくさんの人と出会うこともなかったと思う。
君が亡くなって、俺の前からいなくなった。
今でも信じられないけどね。
そして美咲の目の前からいなくなった。
大きなスーツケースを持って出ていく後ろ姿は、今でも忘れられない。
思い出すたび、胸が痛む。
でも、まさか自分のしてきたことが、こんな形で返ってくるなんて思ってみなかった。
何も信じられなかった。
何を信じていいのかもわからなくなっていた。
そんな時に、有村は「飯食ったか?」って言ったんだ。
あれから何年も経ってるのに、今でもそうやって声をかけてくれる。
そのたびに、もう大丈夫だと思っていたのは、自分だけだったと気づかされた。
美咲が書斎の扉に貼った、あの紙。
「この部屋も掃除しなよ」
ああ、そうだ。
あの書斎は、封印したい過去そのものだった。
忘れてしまいたい場所だった。
開けることさえできなかった。
でも今日、やっと掃除をしようと思えたんだ。
君にも辛い思いをたくさんさせてしまったね。
明日、あいつが来る前に、三階の事務所のドアを開けて言ってやろうと思ってる。
「飯、食ったか?」って。
了