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鐘を鳎らすな、象が通る

     貞十郎は、䞃官からの曞状ぞ目を戻した。

     「象、死す」の四文字のあずには、ただ続きがあった。

     䞃官は唐通事の埡甚で江戞に詰めおおり、瓊版で象の死を知っお、䞭野たで足を運んだこず。小屋は粗末ながら、䞖話の家の者たちは、よく尜くしおいたこず。亡骞は埡公儀の沙汰に埓っお扱われ、小屋の裏手には、村の者が塚を䜜ったこず。そしお文の終わりに、急に改たった筆で、䞀節が足しおあった。

     い぀ぞやお蚊ねの歌の儀、いたが、しかるべき時かず存じたす。

     あれは広南の象方が、仕事仕舞いの倕べにうたう歌にございたす。意味は、ごく短い。仕事は枈んだ、家ぞ垰ろう、垰り道はわたしが知っおいる――それだけの歌にございたす。

     阿犏どのは、海を枡るあの象に、ずっずあれを歌っおおりたした。あの埡方は、象が二床ず広南の土を螏めぬこずを、誰より先に知っおおいでだった。知っおいお、垰り道の歌をうたい続けなさる。手前には、いただにあの蚳ができたせん。蚳すず、歌でなくなりたすので。

     貞十郎は曞状を膝に眮いた。

     行灯あんどんの灯心が、じりりず鳎る。劻子はもう寝おいる。四十䞀になった。勘定組頭の埡甚は垳面の山で、山のどれひず぀にも、象の字はない。

     膝の䞊の曞状ず、机の䞊の叀い垳面ず、抜斗ひきだしの奥の竹の短杖。十䞉幎ぶりに、䞉぀が同じ郚屋に揃った。

     翌朝の奉行所で、象の話をする者は、誰もいなかった。十䞉幎前に長厎じゅうを無蚀にした生き物の死は、瓊版䞀枚分の出来事ずしお、もう流れたあずである。同圹の小川が老県の目を䞊げお、䜕かありたしたかな、ず蚊く。䜕も、ず答えた。腰はもうよいのですか、ず蚊き返しそうになり、やめおおいた。

     幎が明けお、勘定方の埡甚で江戞ぞ出府する沙汰が䞋りた。道䞭の宿割りを組みながら、貞十郎は䞭野村たでの行皋を、誰にも蚀わずに組み入れた。

    ◇

     寛保䞉幎の春、䞭野村。

     江戞の町では、象の話はもう䞋火だった。湯屋の象の暖簟は圹者絵に掛け替わり、菓子屋の萜雁の朚型は鯛に戻ったずいう。隒がれたものほど、忘れられる時はあっけないものである。十䞉幎前、その隒ぎのもずを江戞たで連れお歩いた身ずしおは、文句を蚀える筋でもない。

     江戞の埡甚を䞉日で枈たせ、四日目の朝、貞十郎は䟛も連れずに村ぞ入った。

     象の小屋は、ただ残っおいた。柱の倪さだけが、尋垞の厩ず違う。䞖話をしおいたのは村の癟姓の家で、家の者を蚪うず、出おきたのは嚘だった。さず、ずいう名の若い嚘である。

     長厎から来た、昔この象を江戞たで連れお歩いた者だ、ず名乗るず、さずは目を芋開き、家の奥ぞ駆け蟌んで、䞡芪から祖母たで呌んできた。象を歩かせたお圹人。この家でその蚀葉は、貞十郎が思っおいたよりも重かった。

     思いのほか、話は倚く聞けた。

     飌料の埡手圓が幎々少なくなったこず。芋物の客足は䞉幎で絶えたこず。それでも䞀家が畑の䜜物を分け、村の子どもらが草を刈っお運んだこず。冬が、䜕より応えたこず。

    「寒さに、匱いのです」ず貞十郎は蚀った。十䞉幎前、癜州の砂の䞊から怜䜿越しに答えた問いず、同じ答えである。

    「ええ。冬はずっず、藁を積み増しお。それでも、最埌の冬は」

     さずは蚀いさしお、湯呑みを眮いた。眮いおから、思い盎したように顔を䞊げた。

    「あの。劙な話を、しおもよろしいですか」
    「劙な話を聞きに参った」
    「倏の盛りに、桶で氎をかけおやるず、目を぀ぶっお、錻で吞い䞊げおは背䞭ぞ、䜕床も䜕床も。い぀たでもやめないんです。あれはきっず、海の぀もりだったず思うんです。海なんお、芋たこずもないでしょうに」

     芋た、ずは蚀わなかった。あれは海を二床枡った獣である。枡る船の䞊で、歌も聎いた。だが、それを蚀えば、この嚘が芋おきた象ずは、少し違うものになっおしたう気がした。

     それから、ず、さずは指を折った。饅頭は村の婆さたたちが、代わる代わる懐に入れおきたこず。字の曞いおある玙が奜きで、叀い瓊版を芋せおやるず、読むように錻先でなぞったこず。

    「墚の匂いが、奜きなのです」

     ず、これは貞十郎の方が答えた。さずが、なぜ埡存じなのですずいう顔をしたので、十䞉幎前に私がやられた、ず手の甲を出しお芋せる。芋せたずころで䜕が残っおいるわけでもないが、さずは声を立おお笑った。その笑い声に、貞十郎は少し救われた。

    「それず、これは婆ちゃんしか信じおくれないんですけど」

     さずは少しだけ声を䜎くした。

    「ずきどき、倕方に、誰もいない方ぞ耳を立おるんです。じっず。䜕かを聎いおるみたいに。  颚の音だったんでしょうけど」
    「  でしょうな。颚の音でしょう」

     そう答えた自分の声が、分かるほどに揺れた。あれは颚の音だった。そういうこずにした。

     垰り際、さずは戞口たで送りに出お、蚀い残した。最埌たで、桶の氎を济びたがったこず。いたも村の子が、笹を䟛えに来るこず。それから少し迷っお、ここに来おからのこずも、聞いおいただけおよかったです、ず蚀った。

    ◇

     塚は、小屋の裏手の畑の隅にあった。

     土は、十䞉幎前に芋た唐人屋敷の塚より、よほど螏み固められおいる。その前には誰かの䟛えた饅頭がひず぀ず、萎れかけた笹の束。

     耳の扇ぎも、錻の動きも、足の眮き方も、もう芋るこずはできない。読みようを芚えた者だけが残り、読む盞手がいない。匕き継ぎの写しに曞いた笊牒のひず぀ひず぀を、いただに諳そらんじおいるこずが、今日は少しばかり恚めしい。

     貞十郎は懐から竹の短杖を出した。

     䟛える぀もりで、持っおきた。塚の前にしゃがんでから、眮くのをやめた。曞く者が、持っおおけ。十䞉幎前の玄束は、ただ枈んでいない。

     立ち䞊がっお、村の寺ぞ寄った。垃斜を包み、䜏職に頌みごずをひず぀する。䜏職は怪蚝な顔で蚊き返した。

    「鐘を、でございたすか」
    「あの象の通った道筋では、十䞉幎前、鐘ずいう鐘がみな止められたのです。觊れを曞いたのは、この私でしおな。  䞀床くらい、あれに聞かせおやりたい」

    ◇

     塚の前ぞ戻り、貞十郎は垳面を開いた。

     象埡甚留。衚玙に曞いたその字は、今芋るず少し気負っおいる。最埌の頁には、墚で消した䞀行の跡が、十䞉幎倉わらずに残っおいる。消した晩の、宿の灯心の音たで、ただ耳にある。

     矢立を抜き、その跡の䞋ぞ、今床は止たらずに曞いた。

     享保十四幎䞉月、関門枡海の倜。海の䞊にお、象、楜しげなりき。暋口、同じく。

     曞き終えお、読み返した。怜分曞の蚀葉ではない。入甚にも里皋にも曞きようがない。曞くのに、十䞉幎かかった。それでよい。䞖の䞭には、也くのに十䞉幎かかる墚がある。

     寺の方で、鐘が鳎った。

     䞀぀目が畑を枡り、二぀目が塚の土に届く。象の通らない道に、鐘の音は、よく響いた。

     貞十郎は垳面を閉じ、竹の短杖ず重ねお懐に収めた。江戞ぞ戻る道を、ひずりで歩き出す。歩幅はずうに、人のものに戻っおいる。戻っおいるが、思い出そうずすれば、いたでも足が芚えおいた。䞀日に䞉里、止たっおは草を食い、氎があれば济びる、あの速さを。

     仕事は枈んだ。家ぞ垰ろう。――垰り道は、わたしが知っおいる。

    了

     
     
    AIChatGPT、Geminiなどに぀いおわかりやすく曞いおいたす。お気軜にフォロヌくださいたたに投資の話もしたす。

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