
【十五の曖昧】 Ep.25 超党派議員の結集|東京都宣言の前夜
あらすじ:二〇三二年三月十八日、神宮前の佐藤愛議員事務所に、東京都知事室から一通の封筒が届く。中には、X都知事の手書きの便箋と、「東京都シンジケートボンド構想協力・基本合意書(案)」が入っていた。便箋には「七日間、熟考致しました。協力致します」と。記者会見まで残り十一日。基本合意書には、共同記者会見、超党派議員連合の発足、佐久間勝の学術顧問就任、三省庁への事前通告、東京都議会側の合流など、七つの条件が並ぶ。佐藤は松原、美紀、ロボとともに準備を始める。松原は十二年ぶりに人脈を使い、美紀の父も野党第一党への橋を架ける。三日間の調整を経て、国会議員二十八名と都議五名、合計三十三名の超党派議員連合が発足する。さらに佐藤は財務省の大竹主計局長と再会し、中立声明を引き出す。経産省、金融庁も続き、佐久間勝は学術顧問として表に出る。会見前夜、東京都宣言まで、あと十八時間。
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📖 シーズン1全話(Ep.01〜Ep.10)
📖 シーズン2全話(Ep.11〜Ep.19)
📖 Ep.20 本編「慣性の番人」──財務省と15マス交渉【S3開幕】
📖 Ep.21 本編「地域からの証明」──立岩町、会計基準を先行実装
📖 Ep.22 本編「最初の反対者」──労働力を資産と呼ばないで
📖 Ep.23 本編「裏戦略の胎動」──正攻法は裏戦略の布石だった
📖 Ep.24 本編「X都知事との直談判」──指揮者を見つける日
一 封筒、東京都知事室から
二〇三二年三月十八日、木曜日。
午前八時四十七分。
東京都渋谷区神宮前。
佐藤愛議員事務所。
佐藤愛、三十二歳。
参議院議員一期目。
当選千六十二日目。
三月十一日。
X都知事との四十五分から、七日が経っていた。
一週間、考える。
X都知事は、そう言った。その期限が、今日だった。
佐藤は、午前八時十分から事務所に来ていた。
美紀は九時出勤の予定だった。
まだ来ていない。
ロボは、起動六時間目に入っていた。
robo> 愛さん。七日間、お疲れ様でした。
「まだ、終わってない」
robo> 承知しています。
机には、三つの封筒が並んでいた。
一つ目は、佐久間への報告書。
二つ目は、松原への礼状。
三つ目は、美紀宛ての論文試験への激励状。
一週間、渡せないままになっていた。
どの封筒も、今日、使わないかもしれない。
午前八時四十九分。
事務所の呼び鈴が鳴った。
来客予定はなかった。
佐藤は、扉を開けた。
宅配便の配達員だった。
「佐藤愛様、お届け物です」
「はい」
封筒は、厚みのあるA4サイズだった。
差出人欄に、印字がある。
東京都知事室・秘書課
佐藤は、印鑑を押した。配達員が去る。
扉を閉める。
封筒を机に置いた。手が、少し震えていた。
椅子に座る。深呼吸を一回。
封筒を開けた。
中には、二通の便箋が入っていた。
一通目は、短い手書きの便箋だった。
佐藤愛議員 殿
三月十一日の対話、感謝致します。
七日間、熟考致しました。
協力致します。
詳細は添付の書面を参照ください。
X都知事
佐藤は、その便箋を机に置いた。
動けなかった。
二通目は、タイプされたA4三枚だった。
東京都シンジケートボンド構想協力・基本合意書(案)
一、条例制定日程は本年度内を目処とする。
二、記者会見の共同開催は、三月二十九日月曜日午後二時、都庁第一本庁舎とする。
三、超党派議員連合の発足。最低二十名の賛同が必要。
四、佐久間勝の学術顧問正式就任が必要。
五、財務省、経済産業省、金融庁への事前通告が必要。
六、世論調査を事前実施し、支持率六十パーセント超を目標とする。
七、東京都議会・X都知事派議員五名が合流する。
佐藤は、七項目を読んだ。
一つずつ、目で追った。
三項目目から七項目目まで。
どれも重い。
けれど、不可能ではない。
「ロボ」
robo> はい。
「X都知事、動いた」
robo> 承知しました。
「十一日、残っている」
robo> 三月十八日から三月二十九日まで、十一日です。
robo> 四項目から六項目まで、ただちに準備が必要です。
佐藤は、四項目目に視線を戻した。
佐久間勝の学術顧問正式就任が必要。
「ロボ。都知事は、先生の名前を知らなかったはず」
robo> 三月十一日時点では、伏せられていました。
robo> 七日間で、X都知事側が独自に到達した可能性が高いです。
robo> 構想の学術的起源は、一九九四年、ロンドンLSEの論文に遡れます。検索可能な痕跡です。
佐藤は、松原の言葉を思い出した。
佐久間先生の話は、最後まで出すな。
最後の奥の手として残す。
その奥の手を、X都知事は自分で見抜いていた。
佐藤は、便箋をもう一度見た。
協力致します。
その六文字が、事務所の空気を変えた。
「始めよう」
robo> はい。
午前九時二分。
美紀が出勤してきた。
「佐藤さん、おはようござ──」
美紀は、佐藤の顔を見て、途中で言葉を止めた。
「……動きましたか」
佐藤は、頷いた。
「動いた」
美紀も、便箋を読んだ。
一瞬、泣きそうになった。
けれど、飲み込んだ。
「十一日、ですね」
「はい」
「私、今日から事務所に住み込みします」
「大学は」
「春休みです」
佐藤は、短く頷いた。
「ありがとう」
九時五分。
十一日間が、始まった。
二 松原、十二年ぶりに人脈を使う
同日、午前九時四十二分。
佐藤は、松原に電話した。
三コールで、出た。
「佐藤さん」
「先生。動きました」
「X都知事の方か」
「はい」
「条件は」
「七項目あります」
「主なものは」
「超党派議員連合、最低二十名。東京都議会・X都知事派五名の合流。佐久間先生の学術顧問就任。三省庁への事前通告です」
「期限は」
「十一日後。三月二十九日、記者会見です」
「了解だ」
佐藤は、少し息を吸った。
「先生。お願いがあります」
「どうぞ」
「議員二十二名の候補リストを、先生にお願いできますか」
「二十二。なぜ」
「最低二十名に、想定脱落二名を加えました」
「堅実な見積もりだ」
「先生の人脈が必要です」
電話の向こうで、松原は少し黙った。
「私が人脈を使うのは、十二年ぶりだ」
「よい機会だ」
「先生」
「午後、事務所に行く。二時間あれば、リストを作れる」
「お願いします」
松原は、電話を切った。
佐藤は、美紀を見た。
「美紀さん。午後、松原先生が来る」
「了解です」
「午前中に、議員会館の会議室を押さえてください」
「日時は」
「三月二十二日、月曜日。午後三時」
「人数は」
「三十人収容」
「二十二名プラス、スタッフですね」
「そう」
美紀は、すぐに電話を取った。
佐藤は、もう一度、X都知事の便箋を見た。
協力は、決まった。
けれど、動かすのは、ここからだった。
三 藤野恵一、三日前に決まっていた
同日、午後二時二分。
佐藤議員事務所。
応接スペース。
松原が到着した。
鞄は、いつもより重そうだった。
「佐藤さん。候補リストを持ってきた」
松原は、A4五枚を取り出した。
表紙には、こう書かれていた。
超党派議員連合候補リスト 松原案
二枚目以降に、二十八名の名前が並んでいた。
党派。選挙区。専門分野。連絡経路。
佐藤は、目を通した。
「与党七名、野党十四名、無所属七名」
「合計二十八名」
「想定脱落六名を織り込んだ」
「堅実ですね」
「特に、与党七名は全員、党執行部の説得が必要だ」
「誰が説得しますか」
「党幹事長代行、藤野恵一」
佐藤は、顔を上げた。
「藤野さん、先生はご存じですか」
「大学同窓だ。一つ下」
「お願いできますか」
「既に電話した」
佐藤は、目を上げた。
「結果は」
「藤野、三月二十二日午後三時の勉強会出席、了承」
「……先生、仕事が速い」
松原は、表情を変えなかった。
「三日間あった」
「え」
「X都知事が動く可能性は、二月五日に森田経由で依頼状を渡した時点から三十パーセントと見ていた」
「三十」
「ロボ分析の三十五パーセントより、私はやや悲観的だ」
松原は、続けた。
「三月十五日、X都知事が動くと確信した」
「なぜですか」
「森田から電話が来た」
松原は、短く言った。
「『松原さん、X都知事、今週決断する予定です』と」
「森田さん、知っていたんですね」
「森田は副知事だ。直属は知事室」
佐藤は、黙った。
「藤野への連絡は、その夜に入れた」
「先生、私は気づきませんでした」
「独立した議員は、君だ。私は表舞台に出ない。ただ、裏方の準備は独自に進めた」
佐藤は、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」
松原は、少しだけ目を細めた。
「礼はいらない」
一拍置く。
「弟子の仕事のためだ」
四 石戸明、美紀の父からの一本
松原は、リストのページをめくった。
「野党十四名の内訳だ」
「はい」
「野党第一党八名。野党第二党四名。その他二名」
「野党第一党は、誰が動かしますか」
「政策調査会長、石戸明」
佐藤は、頷いた。
「石戸さんは、無形資産への関心が高い方です」
「二〇三〇年、人的資本開示義務化を党内で推進した」
「接触は」
松原は、美紀を見た。
「美紀さん経由でお願いできるか」
美紀が、目を丸くした。
「私ですか」
「君の父上、斉藤裕介さん。証券会社勤務。石戸さんの後援会幹事だ」
美紀は、明らかに驚いていた。
「父が、石戸さんの後援会に」
「十五年前からだ」
「知りませんでした」
「君、父上に連絡できるか」
美紀は、すぐにスマートフォンを取った。
「父は今、福岡出張です。でも、連絡は取れます」
佐藤は、頷いた。
「お願い」
美紀は、席を外した。
松原は続けた。
「野党第二党は、国会対策副委員長の川口千夏」
「川口さんは、存じ上げません」
「昨年初当選。四十六歳。元都市銀行の国債運用担当だ」
「金融専門家ですね」
「シンジケートボンドの理解は早い」
「接触は」
「私が直接電話する。元取引先だ」
佐藤は、思わず言った。
「先生、本当に何でもご存じですね」
松原は、少しだけ笑った。
「二十二年、七百件の案件。人の記憶だ」
松原は、次のページを示した。
「無所属七名は、全員、佐藤さん本人で連絡可能な範囲だ」
佐藤は、七名の名前を読んだ。
全員、顔が浮かぶ。
「全員、話せます」
「よし」
美紀が戻ってきた。
「父から折り返しがありました」
「どうでした」
「石戸さん、三月二十二日の勉強会出席、了承です」
佐藤は、頷いた。
松原が、少し眉を上げた。
「美紀さん。父上と石戸さんの間で、今、話が進んだのか」
「はい。父が石戸さんに電話して、すぐ返答があったそうです」
「早いな」
「石戸さんは、『人材版伊藤レポートの延長線なら、待っていました』とおっしゃったそうです」
佐藤は、黙って頷いた。
待っていた人が、いる。
この構想は、佐藤一人のものではなくなっていく。
松原は、リストを閉じた。
「もう一つ確認する」
「はい」
「X都知事側からの合流。東京都議会・X都知事派五名」
「基本合意書の第七項目です」
「五名については、私は面識がない」
「X都知事側で手配済みです。三月二十二日の勉強会に、オンラインで参加予定です」
「国会議員二十八名候補。都議五名。合計三十三名」
「はい」
「会場の整列、再設計が必要だ」
佐藤は、美紀を見た。
「美紀さん、お願い」
「了解です」
午後四時四十七分。
二十八名の接触経路が確定した。
加えて、都議五名。
X都知事側で合流確定。
佐藤は、依頼状の起草を始めた。
五 三日間、二十七名了承
三月十九日、金曜日。
三月二十日、土曜日。
三月二十一日、日曜日。
三日間。
佐藤、美紀、松原は、二十八名の個別連絡を展開した。
結果。
与党六名、了承。
一名保留。党執行部確認待ち。
野党第一党八名、全員了承。
野党第二党四名、全員了承。
野党その他二名、了承。
無所属七名、全員了承。
合計、二十七名了承。
robo> 二十七名プラス佐藤議員。合計二十八名候補。
robo> 要件、最低二十名をクリア済みです。
佐藤は、頷いた。
三月二十一日、日曜日。午後八時十分。
神宮前の事務所。
佐藤、美紀、松原は、まだ残っていた。
「残り一名、与党保留は誰」
松原が訊いた。
「沢木太一。与党政務調査会財政小委員長。六十八歳」
「財政族の重鎮だ」
「はい」
「保留の理由は」
「財務省との兼ね合いを気にしている、と」
松原は、頷いた。
「沢木と私は、一度接触したことがある」
佐藤は、顔を上げた。
「お願いできますか」
「今夜、電話する」
「先生、もう八時半です」
「沢木は夜型だ。十時まで事務所にいる」
松原は、廊下に出て電話した。
二十三分。
戻ってきた。
「沢木、了承した」
「先生」
「条件が一つついた」
「どうぞ」
「財務省への事前通告を、会見七十二時間前までに行うこと」
「はい。それは基本合意書にも入っています」
「沢木は、『佐藤議員には、ぜひ大竹主計局長まで挨拶に来てほしい』と」
「承知しました」
松原は、短く言った。
「二十八名、全員確定」
佐藤は、美紀を見た。
美紀は、小さく頷いた。
「超党派成立」
佐藤は、そのまま机に突っ伏した。
松原は、少し笑った。
「佐藤さん。今夜は十時間寝なさい」
「はい」
松原は、事務所を出た。
美紀は、佐藤の肩に毛布をかけた。
「佐藤さん。お疲れ様でした」
「美紀さん」
「はい」
「明日、勉強会資料の仕上げ、お願い」
「了解です」
佐藤は、そのまま眠った。
午後九時四十七分。
十一日のうち、三日が終わった。
六 勉強会、二十七名全員挙手
三月二十二日、月曜日。
午後二時五十三分。
東京都千代田区永田町二丁目。
参議院議員会館第三会議室。
三階。
三十人収容。
佐藤は、三十分前に会場へ入った。
松原も同席した。
ただし、会場後方の椅子に、オブザーバーとして座った。
佐久間は招待を受けていたが、辞退した。
「今日は君の日です」
そう、佐藤に言った。
美紀は、受付担当。
タブレットは前方。
ロボは音声で同席した。
午後二時五十五分。一人目が到着した。
藤野恵一。与党・党幹事長代行。
「佐藤議員。本日はよろしく」
「藤野先生。ご協力、感謝致します」
午後三時二分。最後の一人が到着した。
石戸明。野党第一党政策調査会長。
午後三時三分。二十七名が着席した。
佐藤が、二十八人目だった。
佐藤は、立ち上がった。
「皆様、本日はご多用の中、誠にありがとうございます」
二十七名が、佐藤を見た。
「本日、東京都発・地方自治体シンジケートボンド構想を、皆様と共有致したくお集まりいただきました」
佐藤は、後方のホワイトボードに、四十五マス曖昧論点表のポスターを貼った。
「本日の構想は、M&Aの現場で使われてきた十五マス論点表を、国家、地域、企業の三層に拡張したものです」
藤野が、資料から目を上げた。
「縦の五本は、買収対象物、評価方法、収益力、純資産、FCF」
石戸のペンが止まった。
「横の三本は、定義、実態、配分」
川口千夏が、頷いた。
「企業層の十五マスを、地域層、国家層に転写すると、四十五マスになります」
二十七名が、ポスターを見た。
「本日、皆様にご納得いただきたい論点は、この四十五マスの中の七つに絞られます」
ここから四十分。
佐藤は、構想の全容を説明した。
要点は、七つだった。
一、国政の正攻法では十年かかる。
財務省・大竹局長の公式発言により、法案成立の困難性は記録された。
二、東京都発の条例なら、来年の発行準備が可能。
東京都債の信用力は、日本国債に匹敵する。
三、企業内部留保六百兆円の受け皿を作る。
企業に眠っている資金を、地域と人への投資に循環させる。
四、ベーシックインカム型給付の財源を設計する。
年間七兆二千億円規模でも、東京都の財政健全性は維持可能。
五、首都圏と五大都市圏を結ぶ。
東京が、地方都市の自律的成長を支えるハブになる。
六、シンジケートボンドの償還構造を設計する。
三十年償還、半額満期、信用補完の仕組みを条例に組み込む。
七、X都知事の協力は、すでに得ている。
東京都側も、都議会五名をオンラインで合流させる。
午後三時四十四分。説明が終わった。
質問タイムに入る。
藤野が、手を挙げた。
「佐藤議員。一つ確認」
「はい」
「X都知事は、なぜ協力を決断したのですか」
佐藤は、考えた。
「論理として、反論の余地が少なかったからだと思います」
藤野は、頷いた。
「我々与党が支持する場合、党としての整合は取れますか」
「可能です」
「根拠は」
「二〇二三年六月の党政策大綱に、人的資本経営の推進が明記されています」
藤野は、少し笑った。
「佐藤議員、党政策大綱を読みましたか」
「はい」
「与党議員の中でも、読む者は少ない」
次に、石戸が手を挙げた。
「佐藤議員」
「はい」
「野党としての関わり方に、論点があります」
「どうぞ」
「超党派構想が、野党主導と誤解される可能性がある」
佐藤は、頷いた。
「ご指摘の通りです」
「避ける方法は」
「X都知事の冒頭発言を主とし、私は次に話します。党派背景を前面に出さない構成にします」
石戸は、頷いた。
「良い設計です」
「ありがとうございます」
次に、川口千夏が手を挙げた。
元都市銀行、国債運用担当。
「佐藤議員。シンジケートボンドの発行主体の法的位置づけは」
佐藤は、タブレットを見た。
「ロボ。答えて」
robo> 川口議員。地方債発行の根拠法は、地方財政法第五条です。
robo> 本構想では、東京都と参加自治体が個別に発行し、協調発行形式を取ります。法的位置づけは、それぞれ独立です。
robo> 信用補完条項は、東京都条例改正案に規定します。
川口は、小さく笑った。
「AIの国会答弁を、初めて聞きました」
藤野も笑った。
川口は、資料に目を戻した。
「技術的問題なし、と理解します」
佐藤は、頷いた。
午後四時二十二分。
二十八項目の質問応答が終わった。
佐藤は、立ち上がった。
「最後に、皆様。ご賛同いただけますか」
会場が、静かになった。
最初に、藤野が手を挙げた。
次に、石戸。
川口。
沢木。
一人ずつ。
二十七名全員が、手を挙げた。
佐藤は、深く頷いた。
「ありがとうございます」
松原は、後方で小さく頷いた。
前方のタブレットに、別ウィンドウが開いた。
東京都議会。
X都知事派、五名。
オンラインで、五名全員が挙手していた。
佐藤の耳元に、ロボの声が聞こえた。
robo> 超党派議員連合、成立。
robo> 国会議員、佐藤議員を含め二十八名。
robo> 東京都議会・X都知事派、五名。オンライン合流確認済み。
robo> 合計三十三名。超党派議員連合、発足です。
佐藤は、目を閉じた。
一つの輪が、できた。
七 五か月半ぶりの主計局長室
三月二十六日、金曜日。午前十時三分。
財務省本庁舎四階。
主計局長室。
佐藤は、単独で入室した。
五か月半ぶりだった。
同じ部屋。
同じ机。
同じ空気。
大竹信也、六十三歳が、机の向こうに立っていた。
佐藤は、お辞儀した。
「大竹局長。ご無沙汰致しております」
大竹は、頷いた。
「佐藤議員。お変わりなく」
「はい」
「どうぞ」
応接ソファに座る。
「佐藤議員」
「はい」
「今朝、朝刊を読みました」
「はい」
「東京都シンジケートボンド構想の観測記事」
「はい」
「沢木先生からも伺っておりましたが…」
「はい」
「話が違うのでは」
「大竹局長」
佐藤は、深呼吸を一回した。
「違いません」
大竹の眉が、わずかに上がった。
「法案提出は、この構想の前提条件でした」
大竹は、沈黙した。
十秒。
「……前提条件」
「はい」
「法案は十年成立しない。そのことを公式に記録した上で、現行法下の別経路を探す必要がありました」
大竹は、深く息を吸った。
「五か月前」
「はい」
「十月七日の対話。君は、最初から分かっていた」
「…」
「私が反対することも」
「…」
「十年と言うことも」
「…はい」
大竹は、三秒黙った。
「全て、記録された」
「議事録に残っています」
佐藤は、淡々と言った。
「人的資本会計法案は、十年は成立しない。大竹信也主計局長、二〇三一年十月七日発言」
大竹は、笑った。
今度は、ゆっくり笑った。
「……一本取られました」
佐藤は、黙っていた。
「佐藤議員」
「はい」
「私は、四十年官僚をやった」
「はい」
「若い議員に戦略敗北したのは、初めてです」
佐藤は、首を振った。
「局長。敗北ではありません」
「何」
「局長の反対発言は、この構想を成立させるための必須要素でした」
大竹は、黙った。
「局長の公式反対があったから、私は東京都を動かせる正当性を得ました」
大竹は、少し頷いた。
「共同作業だったと」
「そう解釈できます」
大竹は、また笑った。
「佐藤議員。君は、交渉が巧い」
「松原謙吾から学びました」
「あの、読点の多い喋り方の男」
「はい」
大竹は、頷いた。
「佐藤議員。三月二十九日の記者会見」
「はい」
「財務省は反対せず、中立声明を出します」
佐藤は、息を止めた。
「局長」
「理由は二つあります」
「一つ。財政健全性判断は、地方自治体の権限です」
「二つ。東京都発行への国政介入には、現時点で法的根拠がありません」
佐藤は、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ただし」
「はい」
「成功しなければ、財務省は責任を負わない。そこは明記します」
「承知しました」
大竹は、手を差し出した。
佐藤は、その手を握った。
「佐藤議員」
「はい」
「二十年後、私はこの議事録を読み返す予定です」
佐藤は、何も言わなかった。
「君の成功を祈ります」
「ありがとうございます」
午前十時三十一分。
佐藤は、退室した。
同日、午前十一時二十分。
経済産業省。
大臣官房総括審議官が、中立表明。
同日、午後二時十五分。
金融庁。
総合政策局長が、中立表明。
三省庁への通告が、完了した。
八 佐久間勝、三十八年待った者の席
三月二十七日、土曜日。午後三時二分。
長野県立岩町役場、二階の大会議室。
佐藤と美紀は、記者会見の二日前、立岩町の最初の決算書の報告会にいた。
午後に入って、ひと区切りついていた。
窓の外に、雪の残る低い山並みが見えた。
佐藤は、会議室の隅で、バッグから携帯を取り出した。
隣の美紀が、手元の報告書を、静かに閉じる。
「佐久間先生に、ですか」
「うん。この町を見て、決めたことがある」
佐藤は、廊下に出た。美紀も、ついてきた。
窓際に立ち、番号を押した。
佐久間勝、七十六歳が自宅書斎で電話をとった。
「先生」
「佐藤くん」
「一つ、お願いがあります」
「はい」
「三月二十九日の記者会見で、学術顧問としてお話ししていただけませんか」
佐久間は、黙った。
「……概念を話すということですね」
「はい」
「君に、覚悟はありますか」
「はい」
「私にも、覚悟があります」
「先生」
「一九九四年、ロンドンLSEで書いた論文が、三十八年、埋もれていました」
「はい」
「今日、世に出る時だと思います」
「ありがとうございます」
佐久間は、少しだけ声を低くした。
「佐藤くん」
「はい」
「君の記者会見、私は最前列に座ります」
「先生」
「三十八年待った者の席です」
佐藤は、電話を切ったあと、動けなかった。
同日、午後四時十七分。
佐久間のプレスリリースが、報道機関各社に配信された。
佐久間勝、学術顧問就任のお知らせ
午後五時。
日経新聞速報。
佐久間勝・元C大教授、佐藤議員のシンジケートボンド構想に学術顧問就任
午後五時五分。
松原から電話が入った。
「佐藤さん」
「先生」
「佐久間先生、出たな」
「はい」
「学術界、震度五です」
「そうなのですか」
「佐久間先生は、三十八年間、公的発言が極端に少なかった」
「はい」
「それが今日、公式顧問発表」
佐藤は、黙っていた。
「記者会見、明後日、歴史的になる」
「先生」
「明日の会見前日に準備することは、一つだけです」
「何でしょうか」
「佐藤さんが休むことです」
「休む、ですか」
「最低八時間、眠ってください」
「先生」
「明後日は、九時間立ちっぱなしになる。体力が必要だ」
「はい」
松原は、電話を切った。
夕暮れの立岩町を出た新幹線の中。
佐藤は、座席の背に、深くもたれた。
窓の外を、雪の残る山並みが、後ろへ流れていく。
隣の席で、美紀が、そっと言った。
「佐藤さん」
「明日、会見前日です」
「うん」
「最終リハーサルは、午後予定です」
「うん」
「東京に着いたら、私が送って行きます。家についたら、眠ってください」
佐藤は、頷いた。
「ありがとう」
午後九時三分、二人は東京駅に着いた。
九 最初の五秒
三月二十八日、日曜日。午前十時。
最終リハーサル。
午前中は、スクリプトの通しを三回。
午後は、質疑応答訓練を四時間。
午後三時。
松原立ち会いで、最後の評価に入った。
「佐藤さん。一つ、気をつけて」
「はい」
「明日、最初の五秒で空気を整えてから話し始めなさい」
「五秒」
「会見室に入る。マイク位置を確認する。深呼吸する。それから言葉を出す」
「はい」
「五秒。あなたの十五マスの一瞬です」
佐藤は、頷いた。
午後六時。
リハーサル終了。
午後七時。
佐藤は、一人で事務所に残っていた。
タブレットを開く。
「ロボ」
robo> はい。
「明日、何時起動」
robo> 私は、起動を続けます。
「え」
robo> 今夜、電源を切りません。
robo> 愛さん。明日、一緒にいます。
佐藤は、頷いた。
「ありがとう」
robo> 愛さん。一つ質問があります。
「どうぞ」
robo> 今夜、眠れそうですか。
佐藤は、三秒考えた。
「……たぶん、寝る」
robo> 心拍、毎分九十。通常より十四速いです。
「緊張してる」
robo> 深呼吸。四秒吸う。七秒止める。八秒吐く。
佐藤は、やった。
robo> 十五拍、戻りました。
佐藤は、少し笑った。
午後八時。
佐藤は、事務所を出た。
春の夜風は、少し冷たかった。
窓の外には、三月の満月に近い月が浮かんでいた。
二〇三二年三月二十八日、日曜日。
午後八時十二分。
会見まで、十八時間。
佐藤は、家路を歩いた。
歩きながら、一人で呟いた。
「五秒」
深呼吸を一回。
そして、もう一度呟いた。
「曖昧さは、処理するもの」
街灯と道路が、白く光った。
佐藤は、静かに頷いた。
東京都宣言の前夜。
協調の連鎖は、もう止まらなかった。
第二十五章 了
次回予告
Ep.26 幕間「小さな町の、最初の決算書」──見えない仕事を未来へ渡す
二〇三二年三月二十七日、土曜日、午前十時。
記者会見の、二日前。
長野県立岩町役場…人口三千余りの小さな町が、国の法整備を待たず、自分たちの手で「もう一つの決算書」を作った。
配食を続ける人。バスを走らせる人。子どもを見守る人。
… 篠原町長「国の法整備を、待つ余裕は、ありませんでした」。
見える化は、入口にすぎない。
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本作『十五の曖昧──労働力を資産に変える女・佐藤愛』は、新米M&Aコンサルタント・佐藤愛が、五つの交渉軸と十五の曖昧さを処理する技術を身につけていく成長物語です。
シーズン3では、シーズン2で立ち上がった労働力の資産化仮説を、国会、地方自治体、首長、金融機関、会計実務、AIとの協調を通じて、社会の制度へ接続していきます。
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