
🌿 整える日々 #2┃男三世代の”食卓”から始まったこと
「整える」って、何だろう──
妻を見送ったあと、息子と義父との、男三人の暮らしが始まりました。
あれから少し時間がたちましたが、今もあの”食卓”が、私の暮らしの中心にあります。
今回はその日々の続きを、思いだして書いてみました。
📘 本note記事は、2話目です
▶︎ 第1話「整える日々#1┃”整える”という営みのはじまり」はこちらからどうぞ。
かつて、わが家は“サザエさん一家”のようににぎやかだった。
義父母、妻、息子、そして私の六人暮らし。
いつも音楽が聞こえ、笑い声が響き、”食卓”にはいつも誰かしらいた。
多趣味な義父はよく楽器を弾いていた。妻は明るく人懐こい性格で、誰とでもすぐに打ち解けて、頼み事や頼まれごとも上手にこなす人だった。長く続けていたダンスを教えながら、自分自身もずっと踊りを続けていた。
息子は小さい頃こそ人見知りだったが、小学校に上がる頃には妻に似た社交的な性格になっていった。正義感が強く、負けず嫌いで、義父母にも可愛がられ、いろいろなことを教わって育った。
そんな日々が、少しずつ変わっていった。
義母が自宅で介護を受けながら亡くなり、しばらくして妻も病に倒れた。
気づけば、義父と息子と私の“男三人暮らし”になっていた。
誰も大きな声で嘆いたりすることはなかったが、家の空気は、どこかしんと静まっていた。
最初のうち、夕食は惣菜やコンビニ弁当で済ませていた。
温めるだけ、並べるだけ。正直、誰が何をどのように食べているか、あまり気にも留めていなかった。
自分自身、家族との食事を楽しめていたかというと、そうではなかった。
買ってきたものを並べても味気なく、息子の健康のことも気になっていた。食べ盛り・育ち盛りの息子にとっても、高齢の義父にとっても、あれが最適だったとは思えない。
そんなある日、義父がぽつりと「飽きてきたな」と言った。その言葉が引き金になった。記憶はあいまいだが、「だったら、やってやろう」と思ったのは確かだ。「おいしい」と言わせてみたくなった。
とはいえ、どこから始めればよいのか分からなかったし、正直、不安もあった。それでも、「やればなんとかなるだろう」という気持ちだけで、台所に立つようになった。
包丁を握るのも、まな板を出すのも、いつぶりだっただろう。
冷蔵庫の奥に残っていた鶏もも肉とピーマンを炒めることにした。
「鶏とピーマン レシピ」とスマホに打ち込み、出てきた簡単そうな調味料──塩、醤油、酒──を目分量で合わせてみた。焼きすぎて肉は少し固くなってしまったが、義父は「うん、こういうのも悪くないな」と言ってくれた。
息子は「コンビニのよりあったかい」と、よく分からない褒め方をした。
「……お母さんの味とはちょっと違うけど、これはこれで好きかも」
でも、それが嬉しかった。
最初は、妻がよく作ってくれた料理を思い出しながら、手探りで進めた。
調味料や材料をそろえても、何かが足りない。味が違う。
それでも、スマホ片手に試行錯誤するうちに、少しずつ自分なりに納得のいく味に近づいていった。
毎日の料理をこなすにつれ、“段取り”を意識するようになった。
米を研ぎ、炊飯器にセットし、その間にサラダと主菜と副菜を準備。味噌汁の具材を切り、出汁をとる。
家のキッチンが、どこか仕事場のようにも感じられた。
最初は、どこに何があるかを探すところから始まったが、段々と要領も掴めてきた。義父と息子の好みが似ていたのは救いだった。卵焼きの甘い味つけも、自分はしょっぱい派だったけれど、2人の好みに合わせることは、なぜか嫌じゃなかった。
平日は仕事を終えて帰宅後に料理を始めることが多く、食べるのはいつも遅い時間だった。
義父と息子の夕食を終え、片付けを終える頃には、どっと疲れが押し寄せることも少なくなかった。
それでも、日々の繰り返しの中で、段取りもうまくなっていった。
やがて、週末に「日曜仕込み」をするようになった。
スーパーでの買い出しから、1週間分の主菜・副菜をつくり、専用の容器に保存。
照り焼きチキン、豆苗とエビのガーリック炒め、筑前煮、きんぴらごぼう、鯖の味噌煮、ナスの煮浸し──
冷蔵庫が“家庭食堂”のようになるのは、ひとり悦に入る気持ちになったし、少なからず達成感があった。
作った料理の写真を撮っても、SNSにアップすることはなかった。
気恥ずかしさもあったし、「これは自分だけの営み」と、どこか思っていた。
でも、親しい友人に見せたとき、「これ全部つくったの?すごいね」と言われるのが、密かな自慢でもあった。
職場の主婦たちと、調味料や保存容器、献立の話をすることもあった。
“食卓を整える者”同士の目線で、会話が弾む。
それもまた、心の潤いになった。
この頃からだっただろうか、義父の食べた感想が少しずつ変わってきた。
「柔らかくて美味しいな」「このサイズがちょうどいい」
味の感想ではなかったが、そう言ってくれるのが嬉しくて、トマトは湯むきして甘酢に漬けて出すようにしたり、食べやすいよう小さなサイズに切ったり、さりげない工夫を増やしていった。
息子は、出来上がった料理を見ていつも「すげー」と笑った。
その反応もまた、うれしかった。
やがて、週末には息子から「オムライスを作ってほしい」とせがまれるようになった。
妻が元気だった頃から、休日の昼によく作っていた私の定番料理だった。
妻はオムライスの卵は固め、息子はとろっとした半熟がお好み。
2人の好みに合わせて作るのも、まったく苦ではなかったし、「おいしい」と言ってくれるのが、ただ嬉しかった。
息子は、小さい頃から「お父さんの作るオムライスは世界一」と言ってくれた。
大きくなってからも、妻が亡くなったあとも、何度もせがまれて作った。
いつも「お父さんの作るオムライスは世界一」「本当にそう思っているんだよね」と、笑って言ってくれた。
やがて、息子は「誕生日プレゼントにマイ包丁と砥石がほしい」と言った。
驚いたが、どこか誇らしくもあった。料理が“手伝い”ではなく、“自分ごと”になってきている証だと思った。
毎朝のお弁当づくりも、しばらくは私の仕事だった。
高校2年まで、息子の弁当を用意するのが日課だった。
買い物の際には、おかずに合うカップや箸、小物にも自然と目が行くようになっていた。
早朝のキッチンで弁当を詰める私の姿を、息子は何気なく見ていたのかもしれない。
ある日、息子が「もう、自分で買って食べるよ」と言ったとき、どこかホッとした気持ちと、少しの寂しさが入り混じった。
その頃からだろうか、息子は急に大人びていった。反対に、義父には老いの兆しが少しずつ見えはじめていた。
そんな私の姿を見てくれていたのかもしれない。
私が「単身で地方に行こうと思うんだけど。。」と話したとき、息子は「おじいちゃんのごはん、これからは僕が作るからさ」と言ってくれた。
「今度は、僕の番かなって思ってさ。。」
料理が“タスク”から“つながり”へと変わっていった。
気づけば、暮らしも心も、少しずつ整ってきていた。
“整える”という営みは、静かに、でも確かに、”食卓”から始まっていた。
静かに続けてきた日々の中で、
「整える」という行為が、暮らしや関係を少しずつつなぎ直してくれました。
この“整える”営みは、もう少しだけ続いていきます。よければ、次もまた覗いてみてください。
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