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Photo bymarunohi_kei

🌿 整える日々 #3┃暮らしの先にあった“整える”日々

    「整える」って、何だろう──
    妻を見送ったあと、息子と義父との、男三人の暮らしが始まりました。

    あの日々のなかで、私はある“選択”を迫られました。
    それは、自分の人生をもう一度整えなおすような、静かな決断でした。

    今回は、新しい土地での再出発と、そこで出会った“整える営み”について綴ってみました。

    📘 本note記事は、3話目です
    ▶︎ 第1話「整える日々#1┃“整える”という営みのはじまり」はこちら

    「あのときの選択が、いまの私の背中を、そっと支えてくれている──」

    妻を見送ってから、男三世代の”不器用な”暮らしが始まった。
    義父と息子と、家のなかは静かだったが、食卓には、言葉にしなくても伝わるやりとりがあった。
    目を合わせるでもなく、声をかけるでもなく、それでもどこか、互いの気持ちを感じ合っていたように思う。
    私は、洗濯、料理、掃除。手を動かすことで自分を保ち、暮らしを整えることに集中する日々を過ごしていた。

    けれど、心の奥では問い続けていた。
    このまま、ここに留まっていていいのだろうか──と。

    そんな時期に、いくつかの出来事が重なった。
    息子は大学進学を控え、ふるまいの一つ一つから、彼の中に育った自立心が感じられた。
    私の様子を見ながら、自分にできることを少しずつ探しているようにも見えた。

    洗濯物をたたんでいると、黙って隣に来て、靴下をペアにしてまとめてくれる。夜遅くまで机に向かっていると、「明日、ゴミの日だよ」と声をかけてくれる。
    言葉にはしないけれど、私の背中をずっと見ていたのだろう。
    小さなことの積み重ねに、彼なりの「覚悟」を感じることがあった。

    そんな頃、大手企業に勤めていた私に、「早期退職制度」の案内が届いた。
    非常に恵まれた条件で、コンサルタントとしてのキャリアを自分の意思で再設計できる、またとない機会だった。

    このふたつの出来事が、私の心に静かに波を立てた。

    とはいえ、迷いはあった。
    家族の暮らし、義父の体調、これからの生活……
    簡単に決断できる話ではなかった。

    ある夜、夕食後の食卓で、その話を息子にした。
    すると彼は、少しも迷わず、こう言った。

    「おじいちゃんのことは、僕がみるから。もう大丈夫だよ。」

    その言葉に、私は思わず、手にしていたコーヒーカップを見つめた。
    想定外だった。
    いや、気づかぬうちに、そう言ってくれる日をどこかで待っていたのかもしれない。

    後日、義父にも話をした。
    しばらく黙っていた義父は、窓の外を見ながら、ぽつりとつぶやいた。

    「孫のことは心配いらん。自分の経験も伝えて、責任もって、立派な男になるように見てあげるから。
    ……きみは行きたい道を行けばいいと思う。」

    背筋がすっと伸びるような感覚があった。
    張り詰めていたものが、すうっとほどけていく。

    「家族のために」と思い込んでいた私の肩の荷を、
    あの言葉が、そっと下ろしてくれた。

    支えていたつもりの私が、
    実はずっと、支えられていた──
    そのことに、ようやく気づいた。

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    そうして私は、東京を離れることにした。
    向かった先は、これまで一度も訪れたことのない、地方の小さなまち。

    地域の企業と自治体をつなぎ、経営の相談や支援の仕組みづくりに携わる日々。ときには、地域課題をどう解決するかを、住民や外部企業と一緒に考える場も担った。
    新しい土地、新しい人々、そして自分自身と向き合うなかで、
    私は、ある組織の現場を預かる立場として、新たなキャリアの一歩を踏み出した。

    最初は正直、不安のほうが大きかった。
    見知らぬ土地、聞き慣れない方言、独特の距離感。
    東京とは違う、“あたりまえ”が、そこにはあった。

    通勤は車。
    地元の人たちの目が届くこのまちでは、どの飲食店に入っても、
    誰かに見られている気がして、常に気を遣った。
    「よそもの」である自分を、完全に拭いきることはできなかった。

    けれど、日々の仕事を通して、少しずつ見えてきたものがあった。

    地方の中小企業の現場には、「課題」よりも、「悩み」や「困りごと」があふれていた。
    そしてそれらは、会議室の中ではなく、工場の片隅や事務所の休憩スペース、あるいは懇親会の帰り道で、ぽつりとこぼされるものだった。

    私は、都市部で数多くのプロジェクトに関わり、
    ロジックや再現性、成果スピードを重視する視点を磨いてきた。
    けれど、地方の現場でまず必要とされたのは、
    「答える力」ではなく、「聴く姿勢」だった。

    プロジェクトの進め方も、東京とは違っていた。
    計画よりも段取り、戦略よりも関係性。
    地元の金融機関、商工会、自治体、議員、住民代表──
    ひとつのプロジェクトを動かすには、想像以上の“調整力”が必要だった。

    一方で、私は省庁や企業をはじめとする中央側のプロジェクトに多く関わってきた経験もあった。
    地方創生スキームの構築、施策設計、収支シミュレーション、実行段階でのマネジメント──
    中央側の視点で“仕組み”を動かしていく経験は、それなりに積んできたつもりだった。
    と同時に、地域の声を受け止めつつ、中央側のリソースや制度をどう活かし、どう巻き込むか──
    だからこそ、地域のプロジェクトに対しても、少しずつ“動き”を与えていくことができたのかもしれない。

    単身での生活でも、私は変わらず「整える」ことを大切にしていた。
    朝起きてすぐに窓を開け、山々の風景と今日の天気を眺めながら、空気を入れ替える。
    地域のニュースに目を通し、地元の人との共通の話題になりそうなことを、ぼんやり確認する。
    小さな鍋でお湯を沸かし、ドリップコーヒーをゆっくり落とす。
    そうやって始まる朝が、心の輪郭を整えてくれる時間だった。

    仕事用の鞄や資料は、玄関近くの“定位置”にまとめてある。
    気持ちがざわつく日は、机の上を軽く拭いてから資料に手を伸ばす。
    そんなささやかなルーティンが、日々の中で自分を支えてくれた。

    地元の人との距離感にも、少しずつ慣れていった。
    特別な言葉があるわけではなかったけれど、
    回覧板を手渡すときのひと言や、会話の間合い、表情のやわらかさに、
    「ちゃんと受け入れてくれている」という気配を感じることがあった。

    言葉にできない気遣い。
    必要以上に踏み込まない間合い。
    そのひとつひとつが、私にとっては“学び”だった。

    今でもふと、あのときの言葉がよみがえる。

    「僕がやるよ。」
    「きみは、行けばいい。」

    背中を押してくれた、息子と義父。
    あの言葉がなければ、私はきっと、ここにはいなかった。

    整える、という営みは、食卓だけではない。
    仕事にも、人との関係にも、そして生き方そのものにも、静かに息づいている。

    この土地での暮らしが、私にとっての“再出発”になっていたことに、
    今、ようやく気づいている。

    【あとがき】
    新しい土地で、新しい役割を受け入れながら、
    私はもう一度、自分の人生を“整える”ことを始めました。

    それは、暮らしを立て直すというよりも、
    「自分の歩き方を見つめ直す」という行為に近かったのかもしれません。

    次回は、“見送る”という営みのなかで、
    息子との時間に込められていた、ある静かな感情について綴ってみたいと思っています。
    よければ、次もまた覗いてみてください。

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