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🌿 整える日々 #4 ┃ 男三世代の暮らしの終わりに、整えたこと

    義父を見送り、息子は新たな道へ──
    男三世代の暮らしに、静かに幕が下りた。
    あの日々は、ただの日常ではなく、
    私にとっての“通過儀礼”だったと気づいたのは、ずっと後のことだった。


    「行ってこい」と言われたまちへ──再び、背中を押されて
    そんな地方のまちでの時間が一段落し、次の一歩をどう踏み出すか──
    そんなことを、ぼんやりと考えていた頃だった。
    別のまちから、新たな役割の声がかかった。

    ある企業の経営を立て直す“社長代理”という役割だった。

    再び、見知らぬ場所へ行くべきか。
    やりきった気持ちと、もう一度挑むべきかという迷いが交錯した。

    ──支援するだけで、終わっていいのか?
    ──組織の内側から、変えていく経験をまたしてみたい。

    これまで私は、経営企画や業務改革、地域支援のプロジェクトに携わってきた。
    どこかで、いつも「変革の外側」に立っている感覚は拭えなかった。

    けれど、このまま「助言する側の人生」だけで終えるのは、
    やはり物足りなさを感じていたのだと思う。

    そんなとき、息子と義父が、それぞれの言葉でまた背中を押してくれた。

    「行ってこい」「行きなよ」──
    その言葉に応えるように、私は次のまちへ向かう決心をした。

    すぐ辞める人、心を閉ざした人たち
    着任してみれば、そこには想像以上の“リアル”が待っていた。

    中堅社員の多くはすでに辞め、残された若手リーダー候補たちの士気も、地を這うようだった。
    若手社員の中には、メンタルを崩して長く休んでいる者もいた。

    「聞いてたより、ずっとひどいな……」

    笑うしかなかった。
    営業部門長が辞め、続けて開発部門長も「辞めたい」と言い出す。
    その両方を兼務しながら、現場の声を拾い、顧客対応に奔走する日々が始まった。

    私はただ、丁寧に耳を傾け、問いを投げかけた。

    「正直なところ、いま何がいちばんつらい?」
    「この状況、どんなふうに見えてる?」
    「どうすれば、少しでも前に行けると思う?」

    彼らの頭の中を一度、すべて吐き出してもらい、整理し、再び問い返す。
    最初は言葉も少なく、うつむいたままだった彼らが、少しずつ話すようになった。
    そうして、現場に“会話”が戻ってきた。

    『助言する人生』では終われなかった
    「しくみを整えること」と「人を育てること」。
    どちらか一方ではなく、伴走しながら両方を整えていく。

    それは、まさに「整える経営」の実践そのものだった。

    ただし、そう簡単にはいかなかった。
    会社の代表としての視点と、現場に寄り添う伴走者としての視点。
    その両立は、想像以上に難しかった。

    経営者からは「正解をすぐに伝えて実行させてほしい」と強く求められた。
    一方で私は、「考え方から育てなければ意味がない」と思っていた。
    マネジメントのあり方そのものが、根底からズレていたのだ。
    伝えるべき“価値”と、求められる“結果”が、かみ合わなかった。

    現場に即効性が必要なときもある。
    けれど私はどこかで、自分の“やり方”に囚われすぎていたのかもしれない──大切にしたい考えだったからこそ。
    「問いを重ね、関わりながら育つ」ことの意味を、自分自身にも問い直していたのだと思う。

    その葛藤もまた、ひとつの“整える”プロセスだったのだと思う。


    息子の言葉と、成長の気配
    その頃、東京の自宅では、息子は義父と二人で暮らしていた。

    週に何度かはリモートで声を聞き、LINEで近況を伝え合う。
    就職活動の話、家事の話、義父の体調のこと。
    彼は、淡々と、けれど確実に「生活」を回していた。

    そんなある日、彼がぽつりと言った。
    「友達に、就活とか将来のこととか、いろいろ相談されてさ。そういうの、最近増えてるんだよね」
    「なんか、自分が経験してきたことが、役に立ってる気がして──」

    その言葉の向こうに、私は彼の“成長の輪郭”を感じた。

    家のことも、自分の将来も、まっさらだったあの頃から、
    少しずつ、暮らしの感覚や、自分なりの答えを身につけていったのだろう。

    今では、誰かの問いに応えられる存在になっていた。
    “生活力”も、“言葉の温度”も、たしかに変わっていた。

    ある朝、息子から電話がかかってきた。
    「おじいちゃんが……死んじゃった」
    声が震えていた。

    前の晩、ふたり並んでテレビを見ていたらしい。
    朝になって、呼びかけても返事がなく、そっと触れると──もう息はなかったという。

    「最後に一緒にいてくれて、ありがとう」
    私がそう伝えると、彼は「うん……」とだけ答えた。

    ──そういえば、妻の病状を彼に初めて伝えた日も、こんな声だった。
    長い時間うつむいて押し黙っていた彼が、一言だけ。
    「話してくれて、ありがとう……」

    その姿と、電話口で泣いている今の彼が、ふと重なった。

    私は、すぐに東京へ戻った。

    葬儀と相続、そして「最後の時間」
    葬儀の手配、相続の準備。
    やることは山ほどあったが、私は息子との時間を、何よりも大切にしたかった。

    彼の卒業までの数ヶ月を、もう一度、同じ屋根の下で過ごすと決めた。

    会社を辞め、東京の家に戻り、残りの学生生活をともに送った。
    旅行にも行った。美味しいものを食べた。
    くだらない話をして、よく笑い合った。

    そして彼は、東京の会社に就職し、配属先の地方都市へと旅立っていった。

    家の前で、握手を交わし、軽く抱き合って、
    それぞれの新しい一歩を踏み出した。

    あの時間が、教えてくれたこと
    「整える」という営みは、
    食卓の上だけでなく、
    別れのときや、巣立ちのときにも、きっとあるのだと思う。

    見送ること。手放すこと。
    そして、次の誰かに“手渡す”こと──

    あのまちでの日々、
    息子との時間、
    義父の看取り。

    いくつもの「見送り」が重なったその時間は、
    私にとって、次の人生を整える“通過儀礼”だったのかもしれません。

    そう思えるようになったのは、少し時間が経ってからのことでした。
    そして今もまた、あの時間の続きを、問いながら整え続けています。

    【あとがき】──「整える」という言葉の再定義
    振り返ってみれば、
    “整える”とは「きちんと片づけること」ではなかったのかもしれません。

    むしろ、ぐちゃぐちゃなものと向き合いながら、
    問い続けること。葛藤を抱えること。
    不器用なまま、日々を積み重ねていくこと──

    そのプロセスそのものが、「整える」という営みの本質なのではないかと、今はそう思っています。


    次回は、“旅立ち”と“整える暮らし”について。
    父として、ひとりの生活者として。
    息子を見送り、東京に戻ってからの日々を綴ってみたいと思います。
    よろしければ、また続きをのぞいてみてください。

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