
【創作大賞2025応募作】『遺作』④
第三章:桐山雄介(二)
デビュー作『楽博島の殺人』が、4月末に発売されてからジワジワと口コミで話題になり、6月には映画化のオファーが来て一気に忙しくなった。あの事件から気持ちを切り替える暇もなく、仕事に忙殺される日々がやってきたのは、ある意味良かったのかもしれない。
あの事件の後、刑事の宮本さんがうちに訪れた時、思わず本音を漏らしてしまった。僕は広中が裁判で無罪になったことを冷静に見つめ直し、それを幸運だと思うようにした。この国の法律では裁けない。そのルールを変えることは簡単ではない。であれば、自身で裁けばいいではないか。
安直な考え方で、復讐に流された私刑などやるべきではないという声もあるだろう。それこそ、もし実行しようものなら、法の下では僕が裁かれる側になる。それはそれで構わないのだけれど、やはりどこか理不尽さを感じる。
心神喪失による責任能力の有無ー。これまでも、自分のミステリー小説に大罪として使おうと考えたことから調べたことがあった。法律において、殺人犯を裁くにあたり、あらゆるケースを想定しておくことは必要不可欠だと思う。けれど、こうして自分の身に納得しかねる判決が降りかかろうとは思ってもみなかった。
これから僕は広中に復讐するために生きる。
裁判の後、そう誓って控訴を取り下げた。真っ向から復讐してもすぐに捕まってしまう。あらゆる可能性を考え、自分自身もこの国の法律では有罪にならないやり方で復讐を果たしたい。完全犯罪モノの小説は書いたことがないけれど、必死に頭を働かせながらいくつもの復讐方法を考えていた。
7月。
テレビや雑誌のインタビューなどがようやく少し落ち着いたころ、かつての上司から連絡があった。
「桐山。買ったぞ!『楽博島の殺人』。普段小説を読まねぇおれが一気読みしちまってよ。おもしろかった!」
「藤山さん!ありがとうございます」
「テレビでも見たぞ、インタビュー。めちゃくちゃ緊張してたな」
笑ながら話す藤山さん。
その明るい声に元気をもらえる。小説についてのたわいない話が一段落着くと、ふいにあらたまった口調で藤山さんが話を変えた。
「…ところで。家族の事故の件…こっちでも新聞で見たよ」
「…あぁ。大阪でもニュースになったんですね」
「大丈夫か?」
「…まぁ、なんとか。小説の仕事が忙しかったので、それに助けられたというか…少し忘れられていたっていうのがよかったかもしれないです」
「…そうか。結局、犯人は無罪になったんだってな」
東京で起きた親子5人の殺人事件。
全国的にも取り上げられたことで藤山さんも目にしたようだ。事件と自分のデビューが重なったこともあり、一部の雑誌ではそれと絡めた取り上げ方もされていた。そこに口を挟む余裕もなかったのだけれど。
「桐山よう。お前、納得してるのか?」
藤山さんが暗い、でも真剣さが伝わってくる声でつぶやく。
「……どうでしょうね。いま少し仕事が落ち着いて。やっぱり許せないですよ」
「…許せない…か。そうだろうな」
しばらくの沈黙の後、藤山さんがボソリと話す。
「実はな。おれの娘が事故で亡くなったって話したろ。あの事故の犯人な。広中敦だったんだよ」
「えっ」
何を言ってるのか。
「今回のニュースを見てまさか、と思った。春香は…娘は遅くに出来た子だったからよ、まだ6年前の話なんだ…。広中に…あいつに春香は殺された」
「…そんな…」
広中敦も僕と宮本さんと同い年の26歳。ということは、広中が20歳の時に藤山さんの娘さん、春香ちゃんが殺されたということか。そんな偶然があるのか。
「春香はまだ3歳だった。事故のことは…思い出したくもねぇ…。でも、でもな…春香が轢かれたのは、公園の前の見通しのいい道だったんだ…。普通に運転してりゃ、間違いなく事故なんか起きやしないはずだったんだよ」
「公園の前の道…」
「あぁ。一瞬の出来事だった。嫁さんの義母さんと公園で遊んでたんだけどな。道路に面したところに花壇が並んでるんだ。そこに飛んでたチョウチョを追いかけてたんだと。でも、道路には出てなかった。…あいつの車がまっすぐに春香に向かってきやがったんだ」
藤山さんは、事故当時の状況を思い出しながら話してくれている。
その声からは怒りや苦しみ、悲しさが感じられた。
「春香は即死だった。義母さんも春香をかばおうとしたが少し離れたところにいてな。とはいえ、あいつは春香を轢いた勢いのまま義母さんも巻き込んだ。なんとか一命は取り留めたが、両方の足を失った」
壮絶な結末に啞然とする。その事故でも同じく無罪となった。
「…藤山さん、広中を恨んでますか…?」
「恨んでるなんて話じゃねえよ。おれと嫁さんは…いや両親も含めて未だにあの日から動き出せないでいる。おれはこの6年、仕事に向き合うことで自分をだましてきたけどよ…。許すなんてとてもじゃないができねぇよ」
「6年…」
「あぁ。だからな…。桐山には伝えておきたかったんだ。残された遺族はいつまで経ってもこの苦しみからは抜けられないぞってな…。言いたくはねぇし、お前はまだ若いからな。前を向いていってほしいっていうせめてものエールもあるんだが…」
僕はこれまでの話を聞いて決意した。
「…藤山さん。力を貸してくれませんか?」
「…え?」
「僕は広中敦を殺すつもりです」
一週間語後、藤山さんと大阪で会う予定にしていた居酒屋に、
なぜか木村さんの姿もあった。広中への復讐について聞かれるのはまずい。どういう意図なのかと藤山さんに目を向けると、
「木村さんな。実は娘さんを殺されたんだ」
まさか。そんな偶然…。
「二人とは違って事故じゃない。娘は学校からの帰宅途中に殺された。家の近くの空き家の中で、喉を切られて死んでいるのを近所の人が見つけたんだ。目撃情報もなかったし、広中が犯人だという証拠は見つかっていない」
木村さんがゆっくりした口調で話した。
「…じゃあ、広中の犯行ではないんじゃ…」
「あぁ。かもしれん。だがな。広中が容疑者として挙がった事件…」
「木村さんの娘さんと春香の事件の間に起きた殺人だよ」
「あの事件の被害者も、同じように喉を切られていた。犠牲者は小学生の男の子だったが、その時に使われた凶器…サバイバルナイフが同じものである可能性が高かったそうだ」
「…事件は大阪で?」
「いや、私も以前は東京に住んでいたんだ。娘はその時に殺された。藤山さんと出会ったのは大阪に来てからだ。迷いはあった。東京に残ることで娘の側にいられると考えたこともあったが…。結局は大阪に引っ越してきた」
広中は僕の家族の事故を起こすまでに、
木村さんの娘を殺害し、小学生男児を殺害し、春香ちゃんを事故で殺害したことになる。こんな身近なところで被害者の遺族が集まることになるとは思ってもみなかった。
「木村さんとはこの居酒屋で仲良くなったって言ったけどな。本当は遺族の会で出会ったんだよ」
「…じゃあ、木村さんと藤山さんと…もう一つの家族が遺族としていらっしゃるということですか」
「…そうだ。佐山さんという方でな。殺害された陽太くんは佐山さんの孫にあたる。陽太くんの両親は早くに亡くなっていたから、祖父母の佐山さんが親代わりとして面倒を見ていたんだよ」
「陽太くんの遺体も…私の娘と同じように、人気の少ない住宅街の空き家の裏で見つかったそうだ…」
場に重い沈黙が下りる。
僕は家族を5人殺された。目の前の二人は娘さんを。佐山さんはお孫さんを。藤山さんも木村さんも、表向きは日常の生活に溶け込もうとしている。いや、気にして見ても、二人が娘さんの死を引きずっているようには見えないくらい、仕事に精を出し、日常を取り戻そうとしている、と言った方が近いかもしれない。
けれど、実情は違う。
それぞれの家族の時間は、それぞれの被害を受けたその日で止まっている。
藤山さんのお宅にお邪魔したとき、奥さんの美代子さんが明るくもてなしてくれた。けれど、どこか寂しそうな雰囲気が漂っていたのを覚えている。藤山さんも、一人で喫煙所にいた時は、どこか遠くを見つめていると同僚が話していた。
広中は、被害者の人生を終わらせただけでなく、被害者の家族の人生も奪ったのだ。それがやつの狙いだったのかもしれない。広中の家庭の事情はわからない。しかし、どの事件においても、父の順三は全く出てくることはなかった。裏では様々な根回しをしていたはずなのに。
そんな家族の事情から、広中が犯行に及んでいたのだとしたらどうだろう。幸せな家族を壊す。自身のコンプレックスをそうして満たしているのだとすれば。ならば、やつは退院後にまた違う犠牲者を生むだろう。そんなことになれば、いつかは有罪になるかもしれない。それは何としてでも止めなければならない。やつを殺すのは僕だ。
「その佐山さんという方には連絡が取れますか?」
「取れるよ。実は今日も誘おうかと思ってたんだけど、佐山さんは東京に住んでるからね。桐山のことを話したら、ぜひいつでも会いに来てくれとおっしゃってたよ」
「…佐山さんは普段なにを…?」
「不動産屋って言ってたな。70歳を過ぎてるけど、まだまだ現役で働いてるそうだ」
「不動産屋…ですか…。…藤山さん、木村さん。僕が広中敦を殺したいと言ったら協力していただけますか?」
二人は黙って見つめてくる。
わかっている。いくら憎くても実際の行動に移そうとするかは別の話だ。
「…桐山。今日木村さんを誘ったのはまさにその話をするためだよ」
「桐山くん。恐らく君は、私たちが犯罪に手を染めることに対して躊躇してるんじゃないかと思っているだろう」
「…はい。お二人とも…佐山さんも含めて、家族がいらっしゃいますから」
「うちの嫁さんもな。木村さんの奥さんも、佐山さんの奥さんもみんな同じだよ。広中に復讐したいと思ってる」
そうだ。よく考えれば当たり前の話なのだ。
僕が面と向かって話しているのは、藤山さんや木村さんだけだけれど、みんな被害者の遺族だ。女性たちだって憤りを感じているに決まっている。僕は心を落ち着かせ、一つ息を吐いた。頭の中で計画を練り上げる。藤山さん、木村さん、佐山さん、それぞれのピースを当てはめながら、いかに足がつかないように広中を殺すか。いや、ただ殺すだけじゃ足りない。少なくともやつには苦しんでもらわなければならない。
「…一つ。思いついた計画があります」
「…ああ」
「ただ、佐山さんにもできれば確認を取りたいです」
「ああ。伝えとくよ。東京に戻ったら会いに行くだろ?」
「はい。そこで、どうするかを決めます。広中は…本来の入院であれば1年以上は出てこないはずなんですけど…裏でどういう事情になっているかがわからないので…」
「やつは毎回きっかり一ヶ月で出てきやがる」
「え?」
「調べた」
藤山さんがキーボードを叩く動きをする。どうやら入院先の病院にハッキングをかけていたらしい。
「裏で手を回してる証拠もつかんでる。…けどな。どれだけ証拠を揃えてても結局正攻法じゃ握りつぶされておしまいだ。…要は、その情報のカードをどう使うかってことなんだけどよ」
「十分です。広中が退院する日と計画当日にいくつか情報操作をしてもらえれば計画はなんとかなると思います。…木村さんは…計画当日、引っ越し業者として動いてもらうことはできますか?…できれば以前話してもらっていた夜の引っ越しの方で…」
「もちろんだ」
頼りになる二人が味方でいてくれることが嬉しかった。
後は佐山さんがどんな人物か。二人にはまた連絡すると伝え、その日の最終の新幹線で東京に戻った。明日、早速佐山さんに会う約束を取り付けて。
「よく来たね」
穏やかな笑みをたたえながら、佐山不動産の応接室で迎えてくれたのが、佐山昇さんと文さん夫婦だった。奥さんの文さんも、昇さんと一緒に会社の屋台骨を支えてきたらしく、二人はまだまだ現役で働いているそうだ。
「仕事をね。しているのが一番の薬になるんだよ」
そう話してくれる文さんは、やはり少し寂しそうな表情を見せる。
「陽太が亡くなってから二人で色々と準備はしていたんだ」
「準備…ですか?」
「あぁ。広中敦の住所はわかっている。そして、そのマンションを管理している不動産屋とも顔なじみだ。先日、その不動産屋の社長から桐山くんのことを聞いてね」
「…もしかして、その不動産屋って…」
「岩田不動産だよ」
思わず感情が表に出そうになる。
まさかガッちゃんの不動産屋が広中のマンションの管理会社だとは思ってもみなかった。上手くいけばスムーズにことは運ぶ。しかし、失敗すれば岩田不動産に迷惑がかかることになる。思い悩んでいると、
「岩田さんはね。私たちや桐山くんに協力したいと言ってくれた。私はいまの社長の父親、君たちからすると祖父にあたる岩田宗也とは幼馴染でね」
「そう…だったんですか」
「小さい頃、孫といっしょに桐山くんが遊んでいたのをよく覚えていたよ。小学生相手に難しい話をしてしまったのに、桐山くんはいつも最後まで聞いてくれていたと喜んでいた」
「懐かしいです」
「今回の事件のことは、宗也も知っている。桐山くんが困っていることがあれば、何でも力になるから、ぜひ頼ってほしいと言っていたよ」
「…ありがたいです…本当に」
危うく泣きそうになった。そんな昔のことを覚えていてくれているとは思わなかった。僕はただ、ガッちゃんと遊んでいただけで、岩田不動産の温かい雰囲気が大好きだったのだ。あれから十年以上経ったいま、まさかこんな形で協力を申し出てくれることに、感謝しかなかった。
「佐山さん。藤山さんと木村さんにはもう話しています。いまから話す計画に協力していただきたいです」
「もちろんだ。私も文も、やつへの復讐のために生きてきた。しかし、我々だけではなんとも手が届かなかったというのが正直なところだ。復讐を果たすために…私たちができることならなんでも協力しよう」
「…ありがとうございます」
こうして、三人の協力者、そしてそれぞれのご家族を含めての計画を形にしていった。決行は広中が退院してからなるべく早い方がいい。やつが新しい犠牲者を生む前でないと意味がない。とはいえ、退院直後は警察が保護観察としてマークしている可能性が高い。いかにバレることなくやつを殺すか。ゴールから逆算して犯行計画を組み立てていく。現実に完全犯罪を完成させることはとんでもなく難しい。それでも、やり遂げなければいけない。広中を裁かなかったこの国の法律に、僕たち遺族が裁かれるわけにはいかないのだ。
なんとか計画を完成させ、僕の家に集まってもらった藤山さん、木村さん、佐山さんの四人に計画を伝えた。殺風景な部屋の中で、各自の役割と流れを説明していく。急ごしらえの計画だ。捕まる可能性もゼロではない。それでも、全員が決行を決意してくれた。それとは別に、一件連絡を入れ、一つだけお願いを聞き入れてもらった。なるべく迷惑をかけたくはないけれど、僕らは必ず復讐を果たしたい。
決行日はいまからちょうど一ヶ月後。広中が退院した八日後が復讐の日だ。
あっという間に一ヶ月が過ぎた。
この間、それぞれに準備をしながら表の顔をこなすことも忘れない。あくまでも自然に。バレないように。
僕は『楽博島の殺人』のブームも落ち着き、来年以降の映画化の打ち合わせと、次回作の打ち合わせを無難にこなしていった。次回作の案はいくつか持っていて、担当編集となった西山さんと中身を詰めていった。それと並行して、結構当日に使う道具を用意していった。問題は心の準備だと思う。不安もあったが、何よりも広中に対する怒りが全く小さくなっていないことだけが救いだった。
先週、広中が退院した。
藤山さんが病院のスケジュールと、警察による保護観察のスケジュールを調べ上げた。午前中と午後の二回、保護観察官が広中の部屋を訪れる。計画の結構は深夜。一週間が過ぎて問題がなければ、深夜に近くで待機する刑事や観察官もいないだろうという見込みだ。どちらにせよ、新たな被害者を生まないようにするためには一週間がリミットだと判断したのも事実である。
決行当日。時刻は22:00。
木村さんの引っ越しのトラックが広中の住むマンションの前に止まる。
トラックに描かれている引っ越し社のマークは隠され、廃品回収車のマークがプリントされたシートが貼られている。今日の木村さんは廃品回収業者である必要があるのだ。マンションのオートロックと住民が持つカードキーをかざさないと動かないエレベーターは、藤山さんがハッキングしているため、機能していない。防犯カメラには、何も変化のない映像が流れるようになっていて、決行時のエントランスやエレベーターの様子は映らないようになっている。
佐山さんは、岩田不動産に依頼し、常駐の管理人に長期休暇を取ってもらった。その代わりに管理人室に居座っている。佐山さんはこの一ヶ月、住人たちの生活パターンを観察し続けた。夜22時以降の出入りはほとんどない。仮にあったとしても、オートロックのドアが故障していると伝え、エントランスの監視カメラに映らない位置で裏口から出入りしてもらうように促す。これで住人たちも、後日監視カメラの映像に自分が映っていないことを不思議に思わないはずだ。
あらかじめ、広中が夕方過ぎに帰宅し、観察官と別れたのは確認済みだ。
木村さんと木村さんの甥、僕の引っ越しの際に来ていた若い男性の二人が、大型のブロックをエレベーターで運び上げる。そのブロックを広中の部屋のドアの前に置き、ドアが開かないようにしておく。
その後、僕がドアの郵便受けの口から睡眠ガススプレーを噴射した。音が出ないように、消音タイプのスプレー缶を使う。部屋の中がにわかに慌ただしくなり、こちらに向かってくる足音が聞こえた。ドアノブが下がるがブロックに止められたドアはビクとも動かない。しばらくガタガタと動いていたドアノブが、やがて静かになった。木村さんと甥がブロックをそっとどけて、慎重にドアを開ける。あらかじめ準備していたガスマスクを装着しているため、ガスを気にすることはない。
うっすらと煙った部屋の玄関で、広中敦が倒れていた。
木村さんと甥の二人は、急いでブロックをエレベーターに運び一階へと降りていく。二人がハンガーラックに似せた小型のクローゼットを運び上げてくるまで、僕と広中は二人きりだった。他の部屋の住人に見られないよう、広中の部屋の玄関に入っていた僕は、台所の換気扇を回し、睡眠ガスを排出する。
玄関で倒れている男。
この男に僕らの家族は殺された。倒れている様子を見ていると、そんな大したことを成せそうな男には見えない。いまここで殺すことも可能だ。でも、そんなことをしたいわけではない。それに、復讐したいと思っているのは僕だけじゃないのだ。ぼんやりと広中を見つめていると、木村さんと甥がクローゼットを置いてドアを開けた。
この小型クローゼットの中には、寝袋が入っていて、成人男性二人くらいなら運べるものになっている。中に人を入れた後、クローゼットの扉を閉めると、木でできた扉によって中が見えなくなる。ちょうど広中を隠し終え、エレベーターに乗せる。その時、ちょうど上の階でドアが開く音がした。三人は息を止める。
すでにエレベーターには乗り込んでいるため、後は一階に下りるだけだ。
広中の部屋は四階なので、五階の住人も恐らくエレベーターを使うだろう。降りて来る住人がいる。監視カメラはどうするか。クローゼットをトラックまで運びきれるか。三人の焦りが狭いエレベーターの中に充満する。
一階に着いてすぐ、木村さんと甥はクローゼットをトラックに向けて運び出す。僕はエントランスで待っていた佐山さんと藤山さんに事情を伝えた。
「大丈夫だ。少しここで開くボタンを押して時間を稼ごう」
佐山さんが落ち着いた口調で言う。
「…でも、降りてきたら監視カメラの映像に映りますよね?後日調べられた時に映っていなければ…」
「もう用事は済んだろ?クローゼットもエントランスを通り過ぎてるんだ。カメラの映像を通常モードに戻すよ。おれは裏口から出るから映らねぇ。佐山さんは管理人室にこの後もいるから、五階の住人がちゃんと映るだけだ。問題ねぇ。」
本当に頼りになる人たちでよかった。
胸をなで下ろし、僕もトラックへと走る。
周囲の人たちが見ていても、廃品回収業者が、寂れたクローゼットを積み込んでいるようにしか見えないはずだ。隙が無いわけではないだろうが、この辺りでは、お金を払って廃品回収業者に頼る家庭が少なくない。粗大ごみの回収が月に一回しかないからだ。仕事の都合上、夜にしか引き取りができない人も多く、この一ヶ月で三回廃品回収業者を見たと佐山さんが言っていた。
荷物を積み終え、木村さんと甥はトラックを運転して先に出発した。
僕は裏から出てくる藤山さんを待ち、マンションから少し離れた路上に止めてあったプリウスのエンジンをかける。この車は岩田不動産の営業車で、ナンバープレートは付け替えてある。道の途中で偽のプレートは処分する。なので、いま防犯カメラにこのプリウスが映っていたとしても追跡できない。
裏口から出てきた藤山さんを乗せ、木村さんたちの後を追って目的地へ向かう。車内で変装用のカツラやメガネ、着膨れさせるための服を脱ぎ捨て、いつも通りの見た目に戻った僕らはホッと一息ついた。
「なんとか、うまくいきましたね」
「あぁ。後は佐山さんがうまくやってくれるかどうかだな。木村さんも甥っ子さんもみんな変装してたんだろ?」
「はい。あれなら街中のカメラに映っていても僕らだとは気付かれないはずです」
元上司と二人でドライブしているのはなんだか不思議な気持ちだ。
「……さっき…広中を見たか?」
「…見ましたよ。木村さんたちが下りている間、玄関で二人きりでしたから」
「殺したくなったか」
「えぇ。ちゃんと気持ちが消えていなかったことが確認できたのでよかったです」
「…そうか。おれは…おれはあいつを見たらどう思うかな…」
藤山さん、木村さんの奥さんは、一週間前に目的地に向かっている。足がつかないよう、飛行機や新幹線、高速道路などは使わず、車で下道で向かってもらった。かなりの道程ではあるが、二人とも快く承諾してくれた。佐山さん夫婦は現地には来ないことに決めた。復讐は僕たちに託す、と言ってくれた。佐山さんがマンションの管理人を務めている間、佐山不動産を通常通り切り盛りしていられるのは文さんがいてくれるからだ。
「ところでよ。ここから何時間かかるんだよ」
「長いですよ。僕らは高速に乗るので奥さんたちよりは早く着きますが」
「広中は大丈夫なのか?」
「途中、木村さんたちが拘束する手筈になってます。また眠らせますしね」
「そうか。これからは長い一日になりそうだな。目的地はたしか…」
「岩手県です」