
【創作大賞2025応募作】『遺作』①
あらすじ
宮本計が捜査一課の刑事を定年退職して3ヶ月。そんな彼の元に一冊の本が届いた。差出人の名前は文星書房・文芸編集部。包みから取り出した本のタイトルは『独白』。彼はその作者名を見て、自身が担当していた30年前の未解決事件を思い出す。この本が送られてきた理由は何なのか。「独白」と題されたこの本には何が書いてあるのか。有名ミステリー作家の遺作となった一冊に隠された真実とはー。
プロローグ
6月も後半に入り、梅雨らしいジメジメとした日が続いていた。
約40年、捜査一課の刑事を勤め上げ、定年退職したのが3カ月前。
宮本計は、それまでの多忙な日々から解放され、自宅で妻と穏やかな日々を過ごしていた。
明日は娘夫婦と孫が遊びに来る。
この日、昼からの買い出しで、孫に買うものを妻と相談しているとインターホンが鳴った。宮本は玄関に出ると「宮本計 様」と書かれた自分宛ての荷物を配達員から受け取った。差出人は「文星書房」と書かれている。
伝票にサインをして、配達員に礼を告げる。
届いた包みの封を開けると、中から一冊の単行本と封筒が出てきた。
単行本はどうやら小説のようで、黒い装丁に『独白」というタイトルが銀の字で書かれている。表紙に描かれていた黒いユリの花からは不気味な印象が漂っており、視線を下に滑らせた宮本はハッと息をのんだ。
桐山雄介
作者は、30年前に担当した事件で出会った人物と同じ名前だった。
そして、彼はその後に起きた"もう一つの事件"の関係者でもある。
宮本は気持ちを落ち着かせ、同封されていた封筒を開けた。
中から二枚の紙が出てくる。一枚は、謎の数字が書かれた紙、
もう一枚は、桐山が自分に宛てた手紙だった。
宮本計 様
お久しぶりです。お元気ですか?
突然の手紙で申し訳ございません。
30年前の事件ではお世話になりました。
当時、絶望していた私に、親身になって支えてくださった刑事は宮本さんだけでした。いまでも本当に感謝しています。
感謝の気持ちを直接お伝えしたいところではありますが、
この手紙を読まれているということは、私はもうこの世にはいません。
担当編集者に、私が死んだらこの手紙と一枚の数字を書いた紙、
遺作となる『独白』を宮本さんに真っ先に届けてもらうよう伝えています。なお、本書の初版第一刷は、宮本さんにお届けする一冊のみです。
実際に書店に並ぶ『独白』は、一部の内容を修正し、
初版本を宮本さんに発送してから半年後に出版してもらう予定です。
いまお手元にある『独白』には、私の本音が加筆されています。
何のことかは、きっとわかってもらえるでしょう。
『独白』の内容については、宮本さん自身でご判断ください。
お忙しいとは存じていますが、発売までにお読みいただけますと幸いです。
最後に、宮本さんとご家族のみなさまのご健康とご多幸を願いまして。
桐山雄介
「どうしたの?」
玄関から戻ってこなかった夫を不審に思ったのか、妻が声をかけてきた。
「いや、なんでもない。大丈夫だ。」
平静を装ってはみたものの、動揺が隠せない。
嫌な脂汗は、湿気のせいだけではないはずだ。
「美代子、すまない。急ぎの用事ができた。買い出し、明日でもいいか?」
「あの子たちが来るのは昼からだから、明日の朝でも大丈夫よ。…それよりあなた本当に大丈夫?すごい汗じゃない。」
「心配ない。大丈夫だ。」
自分でも、大丈夫という言葉を繰り返して無理矢理気持ちを落ち着かせる。
「少し部屋で本を読むから一人にしてくれ。昼も抜きでいい。」
「そう。わかったわ。無理はしないでね。作るのはすぐできるから、ほしくなったら言ってちょうだい。」
「ああ。すまない。ありがとう。」
刑事だった時から、一人で事件について考える時間が多かった自分のことを妻は理解してくれている。一人の時間を邪魔せずに放っておいてくれるのがありがたい。逸る気持ちを抑えて私は部屋に入った。不気味な黒いユリに向き合い、そこに書かれていることを想像する。
あの時の未解決事件ー。
桐山は、当時警察に語らなかった本音を小説として書いたのではないか。
「独白」というタイトルから嫌な胸騒ぎがする。一般に発売する本なのだ。事件の真相を語るような内容ではなく、あくまで小説としてのフィクションであるはずだ。
そう思いながらも、急速に当時の記憶が蘇ってくる。
だったら、わざわざ加筆してまで、自分に送ってくる意味はなんなんだ。
しばらくユリを見つめた後、深い息を一つ吐き、宮本は本を開いた。
第一章:桐山雄介(一)
「今月いっぱいで辞めさせていただきます。」
「え、何の冗談だよ?」
行きつけの居酒屋は仕事帰りの会社員でにぎわっている。
そんな雰囲気の中、上司の藤山さんに退職届を手渡して僕はそう言った。
「桐山、なんでだよ。仕事、イヤになったのか?」
「いえ…ただ、ずっと憧れだった作家になる夢が叶いそうなんです」
「は?」
藤山さんはビールの入ったジョッキを片手にポカンと口を開けている。
僕が勤めているのは、大阪にある『サイラクス』という中堅のIT企業だ。
文系出身の僕は営業職として採用され、新卒から4年間変わることなくその道を歩いてきたので、技術的な知識には正直疎い。
藤山さんはプログラマー職で肩書は課長。サイラクスでは、4~5人が一つのチームとして動くため、それぞれのチーム内に営業やプログラマーがいる。そのため、同じチームで働く藤山さんは、職種が違えど僕の直属の上司ということになる。年齢は45歳。ひどいクセ毛と無精髭から受ける印象とは違い、仕事の腕は社内でも頭一つ抜けている。若い頃は凄腕のハッカーだったなどと本当かウソかもわからないような噂する人もいた。娘さんを小さい時に事故で亡くし、いまは奥さんと二人で暮らしている。
「作家かぁ。おれには想像もできねぇなぁ。夢が叶いそうっていうのはどういうことなんだよ?」
「実は、小説は大学生の時から書き続けていて、いろんな賞に応募してるんです。それで、つい先日出した作品が新人賞を取って書籍化されることが決まったんですよ」
「な、本当かよ!いや、そりゃすごいじゃねぇか!おめでとう!…なんだよ、てことは桐山雄介って書いた本が本屋に並ぶのか!?」
「まぁ、そうですね。順調にいけば」
少し照れ臭くなって、笑いながらビールを一口飲む。
「いやーそうかぁ。それだったら仕方ねぇな。桐山はよくやってくれてたし、遊びに来たときは嫁も気に入ってたからよ。仕事でもプライベートでもいなくなるのは寂しいけど、それは上司としても応援してやりてぇからな!よしわかった!部長には明日、おれから話しておくよ」
「すいません、ありがとうございます」
「ん?あれか?いまのうちにサインとかもらってた方がいいのか?」
「さすがに気が早いです。それに藤山さんにならいつでもしますよ」
「桐山のサインなんかいつも見慣れてるから特別感も薄いしな」
上司が藤山さんで本当によかったと思う。
東京生まれの藤山さんは、大阪で10年以上過ごしていても関西弁には馴染まず、同じ東京出身の僕とは話が合った。『サイラクス』での仕事やIT業界の内情について基礎から叩きこんでくれたのも、営業職の先輩やお偉いさんに口利きして繋いでくれたのも藤山さんだった。僕にとっての恩人だ。
仕事はできるし、部下を叱責することもない。見た目がガサツなのも、若い人たちに気を遣わせたくないからだそうだ。こうして二人で飲みに行くことを楽しみに思えるのも、社内の上司では藤山さんだけかもしれない。
「桐山が有名になったら、おれの物語も書いてくれよ」
「ハッカーだったって話ですか?あれって本当なんですか?」
「そんな噂話は書かなくていいよ。本当でもウソでも嫌なもんだろ、ハッカーなんて。…そうだなぁ。"弱小IT企業に勤める凄腕プログラマー・フジ”みたいなヒーローものがいいなぁ。」
酔いが回った赤ら顔に、一瞬影の差した表情を見た。
けれど、すぐに切り替えて、藤山さんは真っすぐに僕を見た。
「桐山。正直、お前がいなくなるのは会社として痛いけどな。作家って仕事も簡単な道じゃないだろ。でもな。おれはずっと応援するぞ。小説はあんまり読まねぇけど、桐山のならがんばって読んでみるよ」
「ありがとうございます。僕の方こそ、藤山さんにはどれだけ感謝してもし切れません。本当にお世話になりました」
「おう。その感謝は受け取っとくよ。今日はおごりだ。飲め、食え!」
大阪にも珍しく雪が降った3月頭。
期の変わり目をもって、僕は4年勤めた『サイラクス』を退職する。
「そう、4月の頭には帰れるよ。そっちでアパート探すから」
「何言ってるの。実家に帰ってきたらいいじゃない」
退職する旨を両親に話し、仕事の引継ぎや片付けに追われていた3月半ば。
藤山さんから部長に話してもらえたこと、以前から辞めるかもしれないという雰囲気を周りに匂わせていたことからも、予定通り今月いっぱいでの退職が認められた。4月頭には東京に戻ることになるのだが、両親と兄夫婦がいる実家に戻るつもりはなかった。
「アパートを借りるっていっても家賃高いでしょ?」
「貯金してたししばらくは何とかなるよ。ガッちゃんが紹介してくれるし」
「岩田くんのとこなら安心だけど、4月なんて一番の引っ越しシーズンなんだから簡単には見つからないんじゃない?迷惑にならないかしら」
「ちょっと前から連絡してもう見つけてもらってるんだよ。大丈夫。また帰ってから話すよ」
半ば強引に母との電話を切って、部屋の荷物を段ボールに詰めていく。
本棚に並んだ文庫本を丁寧に詰めながら、これからのことを考えた。
家のことについては、ガッちゃんという不動産屋の同級生がいて、彼に連絡すると安いアパートを紹介してくれた。毎朝通勤するわけでもないので、駅から離れていても問題ない。毎日通勤しないという響きには、少し不安を感じる思いがまだあるけれど。
新人賞を受賞したと電話をもらったのは2月になってすぐだった。
文星書房という出版社のオールジャンルでの賞で、過去の受賞者には、
いまでは名の知れたベストセラー作家になった人もいる。電話を受けた時、手が震えてスマホを落としそうになった。しばらくは興奮状態で何も手につかず、その日は眠れなかったことも覚えている。自分で創った物語が本になる、という事実をやっと受け入れられた時、大学時代から書き続けてきてよかったと心から思えた。本の発売に際して、4月の初週には打ち合わせの予定があるので、また連絡すと言われていた。いまから緊張していても仕方ないけれど、ずっと好きだった本に携る仕事ができるのは、やはりワクワクする気持ちが大きいと実感する。
小さい時から本を読むことが好きで、小学生のときも周りがゲームやパソコンを触っているのを横目に、ひたすら本を読んでいた。マンガも好きだったので、同級生とも話ができ、からかわれることもなかった。両親も、誕生日やクリスマスなどのプレゼントに、本をねだる息子に対して「本当にゲームじゃなくていいのか?」と訊くこともあった。周りの同級生たちと一緒じゃない僕を心配しての言葉だったらしい。高校生になってから聞いたその話で僕は両親に感謝した。
二つ上の兄は二年前に結婚し、昨年子どもが産まれた。今年の年始に帰省したとき、あまりの可愛さに驚いた。まだ一歳にも満たないけれど、その笑顔や指を握ってくる愛らしさだけで優しい気持ちになれた。義姉のミドリさんは優しいけれど芯の通った人だ。二人は職場結婚で、大手証券会社に勤めている。ミドリさんの実家は岩手県。結婚してからも仕事を続ける予定の二人にとって、子どもの面倒を見てくれる両親が近くにいるのはありがたいそうだ。岩手では、仕事との両立が難しい。両親もそんな二人の考えを理解し、一緒に住むことを決めた。たまにミドリさんの両親も東京に出てきて、みんなで会うそうだ。
両親や兄夫婦の関係がいいからこそ、自分も会社を辞めて作家になるという道を選ぶことに迷いがなかった。自分の好きなことを認めてくれて、やりたいことを応援してくれた。少しおせっかいなところもあるけれど、両親も兄もずっと優しく、また同じ町で暮らせると思えば少し安心できた。
3月最後の週は有給消化で休みだったので、家のことを決めるために、ガッちゃんに連絡を入れた。
「ガッちゃん、無理言ってごめんね」
「何言ってんのさ。雄介の頼みだし、うちとしてもありがたいんだよ」
「忙しい時期でしょ?」
「稼ぎ時って言ってほしいね」
ガッちゃんの実家の不動産屋は、彼のおじいちゃんの時にできた。
いまは彼の父が引継ぎ、後の三代目になるため、ガッちゃんは大学卒業とともに働いている。小学生からの幼馴染で、家族ぐるみで付き合いが長い。小学生のとき、おじいちゃんにいい家の見分け方を難しく解説してもらったのもいい思い出だ。いまでは全く覚えていないけれど。
「でも、雄介が本当に作家になるなんてなぁ。ずっと本読んでたもんな」
「自分でもびっくりだよ。でも、書いてきてよかったなと思う」
「いやーすげぇよ。会社員として働きながら本も書くなんて。昔から根性あったもんな。本を読んでるから大人しいって印象もたれがちだったけどさ。性格も負けず嫌いだし。」
「ガッちゃんだって資格の勉強、続けてるんでしょ」
不動産関係の資格なんて「宅建」くらいしか知らないけれど、ガッちゃんはそれ以外の資格も取ろうと勉強に取り組んでいる。明るい性格から勘違いされやすいけれど、根は真面目で努力家なのだ。
「そうそう、新しい部屋だけどさ。もう抑えてあるんだけど、引っ越し何日くらいになりそう?」
「向こうで上司が紹介してくれた引っ越し業者さんにお願いしたら4日の夕方ならいけそうなんだ。大丈夫かな?」
「4日ね。オッケーオッケー。それまでにクリーニングは入ってもらっとくよ。電気と水道もこっちで連絡入れとく」
「ありがとう。本当助かる。またごはんおごるよ」
「お。それはありがたくいただきます」
ガッちゃんと別れた僕は駅に向かいながら、藤山さんに紹介してもらった引っ越し業者の木村さんに連絡した。
「木村さん、お忙しいところすいません、桐山です」
「おー。桐山さん。はいはい。どうしました?」
「4日、こっちでも日程の都合大丈夫だったので。予定通りお願いします」
「あ、了解了解。ありがとね。荷物の引き取りは3日でよかったよね」
「はい。3日に引き取ってもらって、4日の夕方に新居です」
「うん。わかったよ。じゃあ3日の朝、またよろしくね」
「こちらこそ、お願いします」
木村さんは個人でやっている小さな引っ越し業者だ。4月の混み入るシーズンの引っ越しや大っぴらにはできない夜の引っ越しなども請け負っているという。藤山さんとは居酒屋で知り合ったらしく、歳が近いこともあってすぐに打ち解けたそうだ。今回、引っ越し業者が捕まらなかった僕に藤山さんが木村さんを紹介してくれた。日に焼けたガッシリした身体とは対照的に、表情にはどこか影のある人だった。引っ越しの予定は滞りなく決まり、物腰も柔らかでとてもいい人だったのだけれど。
その話を後日、藤山さんに伝えると、少し苦笑いしながら、人見知りなんだよと教えてくれた。接客には向かないからいつもは奥さんが対応するそうだが、僕が訪れた日はたまたま不在だったみたいだ。
4月。
同じチームの面々からささやかな送別会で温かく送り出してもらった僕は東京にいた。午前中に大阪での所用を片付け、新幹線に乗って昼すぎに東京に着いた。
両親と兄夫婦が夜、「東京お帰りの会」というよくわからない会を開いて、ごはんを食べに行こうと誘ってきたので、実家近くの定食屋で待ち合わせをしている。まだ小さい甥っ子でも入れるアットホームな定食屋だ。
予定通り、16時前に木村さんのトラックが到着し、木村さんと若いお兄さんが荷物を降ろしてくれる。その手際の良さに驚いた。新居の扉や廊下が傷つかないようシートと緩衝材で養生し、冷蔵庫やソファなどの家具類を次々と運び入れていく。作業開始から片付けまで、三十分もしないうちに終え、木村さんは僕に頭を下げた。
「桐山くん、今回はありがとうね」
「いえいえ、こちらこそありがとうございました。業者さんが見つからなかったので木村さんに来てもらって本当に助かりましたよ」
「そりゃよかった。また機会があったらよろしくね」
「もちろんです、僕はあるかわからないですけど。でも、知り合いが引っ越しを考えてるってなったら木村さんのところを紹介させてもらいます」
「おお。うれしいね。よろしくお願いします」
今日は以前より明るい様子の木村さんにお礼を言い、木村さんはトラックに乗って大阪へ帰って行った。大阪から東京への引っ越しで、車で移動し、作業も全て一つの会社でやってくれるというのに、料金は後日見た引っ越しサイトの半額くらいだった。再びの東京での生活。僕は藤山さんにも木村さんにも感謝してもし切れない。
「とりあえず、ベッドだけ組み上げておくか」
段ボールであふれかえる部屋で、組み立て式のベッドを組み立てて一息ついていると、スマホに着信があった。
待っていた出版社からの打ち合わせ連絡かと思い、ドキドキしながらスマホを手に取ると、登録されていない番号からの着信だった。
「もしもし」
「東京セントラル病院の田中と申します。桐山大吾様のご家族の方でいらっしゃいますか?」
「え…と、はい。」
桐山大吾は父の名だ。
「先ほど、桐山大吾様、由美子様、大介様、ミドリ様、幸太郎様が事故に遭われて当院に救急搬送されました」
「…え?」
「…みなさま、かなり重篤な状態です。すぐにお越しいただくことはできますか?」
僕は、それからどうやって病院に向かったのかを覚えていない。