
【創作大賞2025応募作】『遺作』⑤
第四章:広中敦(二)
鈍い頭痛がする。
なにやら土の匂いがする。
眩しい陽の光が目に染みて、うっすらと開けた目に映ったのはどこか知らない山中の景色だった。
「気付いたか」
声の方に目を向けると、一ヶ月前、地裁で見た顔があった。桐山雄介。
身体を動かそうとして、動かないことに気付く。
両手足が拘束されている。芋虫のように這うことしかできないと悟り、
あがくことを辞めた。なんだこれは。
おぼろげな記憶を辿ると、急に部屋に煙が充満し、
その煙を吸うと、眠気が襲ってきたのだ。睡眠ガスだったのか。
部屋を飛び出そうとしたが、ドアはビクともしなかった。
結局抵抗することもできないまま、そこで意識を失った。
こいつだったのか。
目的はなんだろうか。家族の代わりにおれを殺しに来たのか。
くだらない。そんなことならあの部屋で殺せばよかったはずだ。
何のために拘束までして、こんな得体の知れない山中に連れてきた。
「僕が誰だかわかるか?」
「…桐山雄介…だな」
「そうだ。…なら、この人たちを覚えているか?」
そうしてやつが指した先には二組の男女がいた。
見たことがあるような。
「あ。お前ら、あの時の親たちか」
殺した小学生たちの親だ。あの時、事件現場で泣き崩れる姿を見た。
なんだ、こいつら。なんでこんなところに集まってやがる。
「今日、僕たちはお前を殺す」
殺す…か。こいつらに殺しなんてできるわけがねぇ。
おれがやったことを嫌悪してるんだろう?同類になる覚悟はできてるのか?
口でならなんとでも言えるだろう、という思いを込めて鼻で笑うと、
太股に突き刺さるような痛みを感じた。
「ッッ…!」
「おまえ。生きて帰れるとでも思ってるのか?」
公園からの帰り道、喉を切り裂いた少女の父親だ。
その男が迷うことなくおれの太股にナイフを突き立てた。
痛みに顔をしかめると、その母親も近付いてくる。
抵抗しようにも身体を動かせない。
「秋穂はね。まだ小学二年生だったのよ」
母親は父親が突き立てたナイフの上に手を添え、グリグリと抉ってくる。
焼けるように痛む太股からは赤黒い血が留まることなく流れ続ける。
「あんたが何をもって殺したのかは知らない…。知りたくもない…。返して…返してよ…秋穂を返しなさいよ!!」
母親の手は止まることなく。ナイフの抜き刺しを繰り返した。
一瞬で太股が刺し傷で真っ赤に染まる。痛みにこらえながら母親の目を見た。
「お前は父親や法律に守られていたのかもしれない。でもな。いまの私たちにはそんなものは通用しない。ただ、お前に苦しんでほしいだけだ」
父親は母親が刺しまくった傷の上から殴ってくる。
太股の感覚が無くなってきたとき、もう一組の夫婦が側に近付いてきた。
「お前を殺してもゆるすことなんかできねぇよ」
「春香が死ななきゃいけない理由なんかなかったはずよ…この悪魔」
父親からの拳をまともに喰らって顎が軋む。下の歯が何本か折れた気がした。血を吐きながら顔を上げると、母親の蹴りが炸裂した。鼻が折れた。
鼻血と吐血で呼吸が苦しくなる。
あぁ…。こいつらには容赦がない…。
殺せないと侮っていたのは間違いだった。
うちの父親や母親なら、おれが殺されてもここまで怒りをあらわにすることなどないはずだ。むしろ感謝するんじゃないか。そう思うと思わず笑ってしまう。
「何を笑ってるんだ」
突然どこから現れたのか、死角から腕を割かれた。
鍬のようなもので右腕から大量に血が噴き出した。
そちらに顔を向けると、新たな老夫婦がいる。こいつらは誰だ?
「お前がこの前轢き殺した母親の両親だ」
桐山が口にする。
あの死ぬ間際に表情を変えた母親。そうか。たしかに目が似ている。
「お前がどれだけ恨みを買っているかわかったか?」
恨みってなんだ。
おれはただ、おれが満足するために幸せを摘んでいただけだ。
罪にも問われちゃいない。どうして恨みなど買うことがある。
言葉にする気力がない。ただ、桐山には目で伝わっているようだ。
やつはあの事故の後、作家としてデビューしていた。
その観察眼とやらが関係しているのか。
「この国の法律だとか、お前の家族による揉み消しなんてどうでもいい。ただ、お前はここで自分の罪を償え。死んで償え」
死ぬ。おれはここで死ぬのか。
そうだろうな。これだけ攻撃的な人間に囲まれている。
手足を拘束されて為すすべもない。
あの時の、飼育小屋の動物たちもこんな気持ちだったんだろうか。
一歩的な暴力の前に何もできない。あぁ…思いたくなかった…
怖い。
それからも罵声を受けながら、
体中が傷だらけになっていくのがわかる。
わかるのだが、一方で、こいつらは絶対におれを殺さない。
そんな簡単に楽にはさせてくれないこともわかる。
骨折だとか、感覚を失うまでの打撃だとか、焼けるような裂傷だとか…。
人間が苦しみ続ける攻撃を知り尽くしたように痛みを与えてくる…
ぼんやりと目を開けると、日が傾いていた。
周りには誰もいない。攻撃も止んだようだ。
……いや、足音がする。
「起きたか」
桐山雄介
「お前が受けた暴力なんて優しいものだ。お前が何を奪ったのかわかったか?…いや、わからなくていい」
「…お、お、おばえ…ば…なにが目的……な…んだ…」
「…僕は、お前に話が聞きたい」
話…なんのだ?
「さっきまでお前が受けていたのは暴力じゃない。親の思いだ。あの人たちは、お前が起こした殺人から動けずにいる。お前をこれだけ痛めつけてもきっと変わらない。これからも苦しみを抱えて生きていくんだよ」
声が出ない。何が言いたい。
「でも、僕は少し違う。失った家族は両親と兄、義姉と甥っ子だ。僕の子どもを奪われたわけじゃない。…だからこそ、僕はお前と同じ…人を殺すことに手を染めてもいいと思ってる」
「……ごろぜ……ば…いい…」
「そうだな。むしろいまの苦しみの中なら殺してほしいと思うだろう。だけどそれじゃあお前は苦しまない。僕が望むのはお前が末永く苦しむこと、そしてお前の考えを知ることだ」
おれは死ねないのか…どうして、これだけ苦しいのに生きている…。
「僕が作家だというのは知っていたね。入院先の病院で僕の本を求めたと聞いたよ。これから先、僕はたくさん本を書いていきたいと思ってる。自分が創った物語で一人でも多くの人を楽しませたい。それが作家としての桐山雄介の目標だ…」
作家としての…
「…そして…。つい最近、僕個人の目標ができた。それがこの事件の真相を本にすることだ。だけど、この内容は僕らがお前を誘拐し、傷害を与えたことを自白するようなもんだ。この国の法律なら裁かれかねない…。そこにフィクションという言葉を付ければどうなるかはわからないけどね」
この事件を本にする…そんなことに何の意味がある…
「だからこそ、お前が死ぬ前にお前の考えを聞いておく。お前がどんな家庭で生まれ、どんな環境で育ち、何を感じ、何を思うのか…。こんなことは他の家族の前では言えない。けれど、僕自身はそれを残しておくべきだと思っている。お前のような殺人鬼を生まないようにするために…この国の法律の在り方を世に問うために…。ずっと先…僕が死ぬ時に、遺作として書ききるつもりだ」
「…おまえも…ざづじん……き…になる…のが?」
「そうだね…。でも僕はお前は殺さないよ。この後お前の話を聞いたら生きたまま井戸に落としてフタをする。お前は生きたままだから僕らは殺人罪には問われない。傷害罪があったとしても、お前が見つかるのはずっと先だろうからね。そんな跡も残ってないだろう」
どうしておれがそんなやつにおれの人生を話さなきゃならない…
「………お前は話すよ。お前が一番話したかったはずだ。何に苦しんでいて、何がお前の空白を満たしてくれたのか。全部話せよ。お前がやったことは全部父親に揉み消されたんだろう?このまま死ねば、何も残らないぞ」
構わない…構わない…かまわ…ない?
一体、おれは何のために生まれたんだ……
父親はおれの能力に最初は期待していた…母も、兄も負けないように競っていたはずだ…いつからだ…あいつらがおれを無視するようになったのは…
なにが…なにが原因だった…
「……井戸の方に行こうか…水をやるよ」
拘束具を付けられたまま、枯れ井戸の側に連れていかれる。
両手足は感覚がない。痛覚は麻痺しているのか痛みすら薄れている。
自力で動くことなどできない。この状態で井戸に捨て置かれたら…。
いや、もういい。もうわかった。
おれはここで死ぬんだろう。それだけのことをしたということだ。
さっきの親たちから受けた暴力でわからなければならなかった。
おれがやってきたことはおかしかった。
なんでもいい。
ただ、全てを話そう。自分が死ぬ前に…おれは何を…何を…
桐山は水の入ったペットボトルをおれの口に近付けた。
腫れあがり、傷だらけになった口に水が染みる。
「話せるか…?」
小さくうなずいた…つもりだった。
これから何を訊かれるのか。わからない…。
だが、おれは何だったのか…なぜこうなったのか…。
話せばわかるような気がした…。死ぬ前に…そんなことを知って何になる…
だけど…おれは…きっと話してしまうんだろう…
気付けば夜になっていた。
広中を誘拐してからまる一日が経った。
足元でほとんど動かなくなった広中は、
これまでの自分の人生について話した。
傷だらけの口で、途中で何でもつっかえながら。
将来、僕が死ぬことを悟れたなら、これを本にしようと思う。
タイトルは真相、告白…いや独白…がいいか。
登場人物の多くが亡くなっているだろう。
この後、広中を枯れ井戸に埋める。
義姉の実家であるこの場所の裏にある枯れ井戸は、
私有地であることやその先には何もない野山が広がっていることから、
場所を明かさない限りはきっと見つからないだろう。
僕らは生きたまま、広中を井戸に移住させただけだ。
殺人罪には問えない。よくて監禁罪だろうか。
…そんな屁理屈みたいな言い訳はいい。
人を傷つけた僕は、これからも一人で生きていく。
血に染まった人間の子どもなんて生まれてほしくない。
この『独白』が本になって誰かの元に届くとき、
その人はどんな感想を持つのだろう。
復讐も、法律も、犯罪も、裁きも、そして家族も…。
色んな捉え方があって色んな可能性がある。
いつかの未来でこれを読んでいるあなたへ。
いまのあなたの世の中はどうなっていますか?
理不尽に感じるルールや法律はありませんか?
一作家として。
自分の言葉を通じて、何かを変えることができていたらと思います。