
漆黒の公爵シリーズ~断章集~ 「ジュリアン、ルシアンに邪魔される」
【あらすじ】
「白銀の公爵」(ジュリアン・レイ・シルヴァフォルト公爵)を通して、「漆黒の公爵」(ルシアン・ケイ・アスタリエル公爵)を見る。
ある日ジュリアンが、国王の執務室から書類を抱えて自身の執務室に戻ると、ルシアンがソファで寛いていた。
軽口の応酬、互いへの遠慮のなさ、時折覗く苛立ちと諦め――腐れ縁としか言いようのない距離感。
話題は取り留めもなく移り変わり、そのやり取りからは、幼少期からの言葉すら要らない信頼が透けて見える。
ジュリアンだけが知っている「ルシアン」が少しずつ顔を出し、ジュリアンもまた、令嬢たちの知らない素顔をルシアンの前では晒す。
ヴァルシア王国の「双璧」の素顔を描いた一篇。

ヴァルシア王国の双璧の一人、「白銀の公爵」といわれているジュリアン・レイ・シルヴァフォルト公爵は、国王の執務室から自分の執務室へ書類を抱え向かっていた。
虹晶宮の窓から、雪が降り出しているのが見えた。
(もう雪月―11月―か)
彼は自分の執務室の重厚なドアを開けて前室に入ると、微かなため息を漏らした。
シルヴァフォルト公爵家の侍従が、執務室のドアを開けるべく立ち上がり、
「中で……」
と、言いかけた。
誰が待っているのかを言おうとした侍従を、ジュリアンは頷きながら片手を上げて制した。
わかっている。
ジュリアンの顔に諦めたような表情が通り過ぎたが、しかしそれはどことなく若く、三十代半ばには見えない表情だった。
頭を振ると、艶やかな銀の長い髪をかき上げながら執務室の中へ入り、執務机に真っ直ぐに向かう。書類を机の上に置く。
「なぜここに居る?」
客用のソファで長い脚を組んで悠然と座っている人物に、一瞥もくれず声をかける。
「ここに来たからだ」
そう答えたのは、もう一人の双璧、「漆黒の公爵」といわれているルシアン・ケイ・アスタリエル公爵である。
「ここで煙草を吸うなと言っている」
「灰皿がある」
「客のだ」
「俺は客だ」
「そんな不遜な客はお引き取り願おう」
ご婦人方を虜にする「物語の王子様」と呼ばれる「白銀の公爵」の、あの完璧な微笑みはここにはなかった。
ルシアンは返事の代わりに煙草の煙を吐き、紫煙を目で追った。
「どうせ書類、溜まっているんだろ。片づけてこい」
「俺には優秀な補佐官がいるんでな」
ジュリアンは、ルシアンに聞こえるようにため息をついた。
「副官のアルヴェールもとんだ上官を持ったものだ」
しばらく書類をめくる音とペンが走る音が続いた。
その音が途切れないままジュリアンが言う。
「お前がここに来る理由は、三つだ」
「ほう」
「1、国政、2、女、3、退屈、だ。今日は3だな」
ルシアンは小さく笑った。
「外したな」
「1ではないから、2か」
「違う」
ジュリアンは手を止めて、ルシアンを見た。
「……じゃあ何だ」
ルシアンは煙草を吸い、紫煙を天井に向けてゆっくりと吐き出した。
「お前の邪魔をしに、な」
ジュリアンは一呼吸して、書類に目を戻した。
「暇なのか」
「そうでもない」
「なら帰れ。私は、忙しい」
「目的は達成された」
ルシアンは喉の奥でクッと笑った。
だが、動く気配は微塵もない。
ジュリアンは、この男が子どもの頃からこういう奴だと知ってはいる。
あの閉ざされた王立学院高等科の時代、現国王と自分たちが同学年のこともあり、三人で好き勝手していた。
三人とも、輪郭はあの頃に出来上がったとジュリアンは思っているが、ルシアンについては、三十半ばになってますます磨きがかかってきたように思う。
「で? どうだったんだ? この前のブレノン男爵領の野盗討伐は」
ジュリアンは数種類の書類を見ながら、一週間前の野盗討伐を持ち出した。
「カイル・ヴァルディエ中尉はよくやった」
「ああ、彼は有望だ。……そうではなく」
「噂通り、と言ったところだ」
「ふむ、それでいつものコースか」
「……それだけだ」
ジュリアンは、書類から目を上げた。
「それだけ? お前が?」
「人を見境がないみたいに言うな」
「見境があるように言うな」
ルシアンは視線も上げず、煙草の灰を灰皿に落とした。
ジュリアンは目を通した書類を整理し、立ち上がった。種類別に棚の文庫に入れていく。
文庫も棚も、「白銀の公爵」らしい硬質な美しさがあった。
「あの出陣。どうせお前のことだ。運動がてら、“あお”と走り回る魂胆だったんだろ?」
王国軍では「黒鉄」と呼ばれているあの荒々しい黒馬を、ルシアンだけがそう呼ぶことを、ジュリアンは知っていた。
「フン」
「その上、野盗討伐に手を貸せれば言うことなし。で、ついでに可愛いと噂の男爵令嬢を見に行った、と」
「言ってろ」
「今度は外してないようだな」
ジュリアンは片頬だけで笑った。
それは、ご婦人方の知らない笑い方だった。
「悪い顔をする」
ジュリアンは、ルシアンの言葉を聞かなかったことにして続けた。
「軽い運動のつもりだから、気を抜いていたんだろ。で、負傷した、と。矢傷だったか。ヴァルディエ中尉の話だと全治3~4週間くらいらしいじゃないか」
ルシアンは「カイルめ、報告はするなと言っておいたのに」と独りごちた。
「報告しないわけにはいかないさ。でも、中将に口添えしてやったんだろう?」
目を逸らしたルシアンを見て、ジュリアンは小さく息を吐いた。
(それくらい肯定しな……)
昔から、配下を庇うとか、なにか目こぼしをしてやったとか一切言わなかったなとルシアンを見た。
(いや、これは……、そうか、矢とはいえ、怪我を負ったのが悔しかった……恥ずかしかったのか、この男は)
ジュリアンは、わざわざ言うことはしなかったが、笑いをかみ殺した。
「うるさい」
ルシアンは嫌そうな顔をして呟いた。
「何も言ってはいない」
表情を戻さないまま、ジュリアンは机に戻った。手に取った書類の一行に目が留まった。
「明日、じゃないか」
「なにがだ」
「王都防衛軍の野外演習だよ」
「ああ、明日だな」
「やめておくんだろうな」
「なぜだ」
「元帥閣下がそんな状態のまま出て……部下たちが余計に気を遣う」
「問題ない」
「それはお前が言うことでは……。ああ、お前の傷の治りが速いことは知ってるよ、だけどね」
「見てみろ」
ルシアンは咥え煙草で上着を脱いだ。
躊躇いもなくシャツの腕を捲り揚げると、傷跡をジュリアンに見せる。
ルシアンの矢傷は、全治に3~4週間も要するようには思えなかった。
それどころか、矢によって削られたであろう場所も肉が盛り上がり、問題ないと言えるレベルだった。
「……! ……これほどとはな……」
ジュリアンは呆れて言葉を呑み込んだ。
「わかったなら……」
ルシアンの長い指先がゆっくりと袖口を整える。その仕草だけは、大貴族のそれだった。
「好きにしろ……」
ジュリアンは、顔色一つ変えずに思っていた。
(こんなところを見ると、アスタリエル公爵家の伝説は、あながち「伝説」ではないのかもしれないな)と。
だからあいつは、ああも簡単に人を惹きつけておいて、壊すのか……。
曰く、「アスタリエル公爵家の始祖は、悪魔と人間の娘の間にできた子どもだ」という伝説だ。一部の者しか知らないことだが、古文書に書いてあるらしい。
高等科の時だったか、若い時にルシアンに聞いたことがある。
『アスタリエル公爵家の伝説』について、本当なのか、と。
「知らん」
一言だった。だがしばらくしてこう付け加えていた。
「迷惑な話だ」
強いことも、他人を時に深く魅了してしまうことも、全て「血」のせいにされる。
それもそうだな、ジュリアンはそう思ったことを覚えている。
(魅了といえば……)
「ところで、昨夜の相手、さすがに覚えているよね、名前」
ジュリアンは滅多に聞かないことを敢えて聞いた。
「昨夜?」
そういってルシアンはしばらく考えた。
「ルシアン、昨夜の話だよ。全く。名前くらいは覚えておあげ」
こういう男だとわかっているが、ジュリアンは天井のレリーフに目をやって続けた。
「……コレット嬢だ。ピエール・ボーモン子爵のご令嬢だよ。……彼女には婚約者がいる」
「それで?」
「知っていたのか。……なら、控えな。夫がいる夫人達もだよ」
「断ればいい」
「お前の“誘い”を断れる女性は少ないんだよ」
「ほぉ」
「他人事みたいに……。本当にお前は……、恋愛倫理観だけが崩壊しているのな……」
ルシアンは知らぬふりで、ゆったりと煙草を燻らした。
「ほんと、何度も言うけどね……真剣なご婦人まで手玉に取るのは……ちょっとは考えなよ……」
「人聞きの悪い。手玉に取った覚えはない」
「せめて恋心には真摯に向き合って差し上げな」
「……何が違うんだ?」
「……恋……、さすがに知ってるよね」
「聞いたことはある」
「……ん……もう、いい……」
ジュリアンは、ルシアンを見ずに片手を上げた。
(恋と言う概念を持たない男が、他人を強く惹きつける資質だけを持っているんだな……)
手元の書類にサインをした後、ジュリアンはペンを机に置き、執務用のきめの細かい革の椅子の背にもたれた。
ひじ掛けに両腕をのせ、胸の辺りで指を組んだ。
少し真面目な顔をして「……給仕の彼は?」と言った。
ルシアンは一瞬、ジュリアンを見た。
「……エミールか? ……ジュリアン、お前、俺の房事がそんなに気になるのか」
「なるか」
ジュリアンは食い気味に否定する。
「話が入ってくるんだよ、俺の好き嫌いにかかわらずにね。……でも、さすがにエミールのことは覚えていたね」
「ああ、あれは実に面白い反応をする。それで?」
「彼に構うな」
「やきもちか?」
「気持ちの悪いことを言わないでくれ」
そしてジュリアンは声のトーンを変えた。
「ルシアン、……お前に翻弄されて……食事量が落ちて様子がおかしいと心配されてるそうだ。……壊れるよ、エミール……」
「そのうち戻るさ」
「お前は、そうやって……」
ルシアンはジュリアンの言葉を割るように言った。
「お前こそ、つまらん男だな」
「なにがだ? ……お前みたいに遊ばないからか? ……お前ね……セラフィーナの、お前の妹の夫である俺が女遊びをしたら?」
「殺す」
「だろ?」
ジュリアンは、ご婦人方が涙目になって喜ぶような笑顔で受け流した。
「お前は大型猫科動物だから、誰かが猛獣使いの役を務めねばならないね」
ルシアンはため息をついた。
「人をなんだと……」
ジュリアンは無視して続けた。
「さて、それを陛下に……」と言ってジュリアンは少し頭を垂れた。「いや、俺か……」
「フン」
「鼻で笑ったね。あ」
ジュリアンは適任者を思い出した。
「適任者がいる。セラだよ。セラフィーナ」
ルシアンは眉根を寄せて、ジュリアンを睨みつけた。
それは一瞬だったが、この場に他の者がいれば硬直しただろう。
だが、ジュリアンには通用しない。
「そうだ、そうしよう」
ジュリアンは楽しそうにそう言った。
ルシアンは軍人らしく立ち上がって言い放った。
「お前と無駄話している暇はないんだ。戻る」
彼は行きかけて立ち止まり、「……忘れるところだった」と言い、懐から漉かれた美しい紙で包んだものを取り出してテーブルに置いた。
貴族の間では、贈るハンカチはこうした紙に包むのが最低限の礼儀だった。
「ハンカチか」
「ああ、セラに、な。先日視察に行ったセルダーニュ地方の土産だ。『セルダーニュ刺繍』だそうだ」
「ルシー……。ははあ……、これか。あいかわらず、セラには甘いね」
「その名で呼ぶな、ジュリ」
ジュリアンはそれには反応せずに、高等科時代のような顔のまま、もう一言付け足した。
「他人の妻にまた、贈り物とは……やれやれ」
ルシアンはドアに向かった。
「フン。妹だ」
振り返らずにそう言うと、ルシアンは出て行った。
ジュリアンはまた笑いを嚙み殺した。
視線を書類に戻し、「あいつのお陰で、まだこんなに残っているよ」と誰もいない部屋に呟いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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